2013年07月31日

東北の貧乏水族館が世界一に!

あと一歩で閉館という崖っぷちの状況から復活を遂げた水族館として知られている。一時期は入館者が激減して存亡の危機に瀕しながら、クラゲの展示に特化することで息を吹き返し、いまや全国から客が押し寄せる人気水族館となった。

 その復活の軌跡は、北海道の旭山動物園に勝るとも劣らないほど劇的である。ご存じの通り、旭山動物園は閉園目前まで追い詰められた状態から這い上がり、入場者数日本一を達成した動物園だ。
加茂水族館の歴史を振り返ると、波乱万丈と言うしかない。現在の場所に市立水族館としてオープンしたのは1964年。当初は近代的な水族館として話題を呼び、年間に20万人の客が訪れていた。だが、オープンから3年目の67年にいきなり売却されてしまう。

 売却先は株式会社庄内観光公社という会社だった。鶴岡市が市内の温泉地を観光開発するために立ち上げた第3セクターである。会社は温泉施設を建設して観光事業に乗り出したものの、商売のノウハウはなかった。みるみるうちに赤字が膨らみ、借金の返済を肩代わりさせるために、水族館の売り上げをすべて持っていってしまった。



 市立から、第三セクター、経営不振を乗り切る館スタッフの地道な努力、偶然がうんだクラゲ特化の水族館としての運営、さらに再度公営となりながら、様々な紆余曲折を乗り越えた歴史があったが、貧乏水族館の取り組みがぼちぼち報道されて入場者が復活していき、遂には、ミニ公募債が20分で完売する人気を博した。
 
 鶴岡市立加茂水族館の改築費調達を目的にした市の住民参加型市場公募債(ミニ公募債)「加茂水族館クラゲドリーム債」が4月18日、販売開始からわずか20分で発行予定の3億円分が売り切れた。県内4金融機関が県内外の約300店舗の窓口で販売し、約300の法人と個人が購入。市の担当者は予想以上のスピード完売に驚きを隠さず、加茂水族館側は「皆さんの思いに応えられるよう、最高の展示をする」と気を引き締めた。

 鶴岡市の鶴岡信用金庫本店営業部では、購入を希望する4組6人が、午前9時の営業開始を待っていた。4組は開店するとすぐに専用窓口で職員と商談に入ったが、購入は他の18支店を含めた先着順のため、中には購入できない人もいた。4組以外の購入希望者も店を訪れたが、9時半ごろには「販売終了」の紙が張り出された。

 40万円分を購入した鶴岡市東原町、真島正博さん(75)は「加茂水族館のボランティアガイドを務めたことがある。恩返しの気持ちを込め、少しでも応援したいと思い購入した。ぜひ立派な水族館を建ててほしい」と話していた。

 クラゲドリーム債は、償還まで金利が変わらない固定5年。利率は年0.536%で、今月の5年物国債利率に市が0.266%分を上乗せした。購入者全員をリニューアルオープン前の内覧会に招待するなど特典も設け、荘内銀行、山形銀行、きらやか銀行、鶴岡信用金庫で販売した。

 市財政課の担当者は「県内外から購入の問い合わせが相次いでいたが、まさかこんなに早く売り切れるとは思わなかった」とし、「今回購入できなかった方には申し訳ない。14年春にも6億円規模の発行を予定しているので、またお願いしたい」と続けた。

 加茂水族館の奥泉和也副館長は「最高の展示」を約束し、「新しい水族館に、多くの人たちから期待してもらえてうれしい。楽しみにしていてほしい」と話した。

 加茂水族館は来年6月リニューアルオープンの予定。最大の目玉は直径5メートルの円形型水槽「クラゲ大水槽」の設置。市は総事業費約30億円のうち9億円をクラゲ債で賄う方針でいる。

  我孫子市は、過日、全国市町村財政貧乏度ランキングワースト2位に掲載(週刊ダイヤモンド6月8日号)がされたが、復活のチャンスにしていける機運を見出す救世主は何だろうか。


出典:
山形新聞 2013年04月19日
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2013年07月30日

とっておきの天空レストラン

嚥下(えんげ)障害について、テレビ番組で紹介されていた。たとえば、高齢や病気などで飲み込みずらかったり食べにくいという症状がでることがある。味噌汁も場合によっては、具を入れないほうが、うっかり気管に入ってしまうことが減少できるとか、トンカツもジェリー状にして、上手く呑み込めるようにするのだと実際のお膳を見せて、示してあった。そういう方とお祝いの膳を囲むなどレストランでは無理と考えそうだが、実は我孫子の中にそうした料理の提供をしているレストランがあった。

「安心しておいしく食べられるという「喜び」をご本人と家族の気持になってお手伝いできるレストランを目指して開業」したという、ムッターランド(けやきプラザ 最上階の11階)だ。素材を知り尽くした本格洋食の料理長が、楽しく食べるということを大事にして食の演出にも手を抜かないという。

また、けやきプラザからの手賀沼花火大会の鑑賞が出来る絶景ポイント。夕暮れ時には、世界遺産の富士山が、しかも、ダイヤモンド富士(夏至・冬至の頃に、太陽が富士山に重なるように洛陽する光景)と呼ばれる全国でも希少なポイントで見られるのも嬉しい集いの場所だ。

ムッターランド.jpg
  
ムッターランド"のホームページより


定番メニュー(ランチメニューおよび前菜やコース )も食べやすく飲み込みやすく調理してくれる。特別食の提供が必要な場合は、予約だそうだ。 営業時間  11:30〜17:00

※ 11:30前および17:00以降はご予約ください とのこと。
  8月3日は、限定メニュー(Aコース:16,000円、Bコース:10,000円)、本日中に予約が必要。
   電話1(プッシュホン): 04−7184−1170
http://mutterland.jimdo.com/
 


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2013年07月29日

講演会:「柳宗悦と我孫子」

講演会
「柳宗悦と我孫子」−人や物との出会いを巡って

講師: 「日本民藝館」学芸部長 杉山享司 氏

論文には、共著による「解説 大津絵」 「解説 李朝契会図」「スリップウェア発見の意義」 など

日時: 2013年8月17日(土)14:00〜

場所: 我孫子地区公民館 第1学習室(アビスタ内)
資料代:    500円

要旨
民藝の父と呼ばれる柳宗悦は、「古きを守るも開発なり」という言葉がある。その人生を旅に例えるならば、「我孫子で道を見つけ、韓国で始まり、京都で学び、東京で育った」といえましょう。柳宗悦は、物が美しくなるプロセスは人間の心が浄化されるプロセスだ、といった考え方があり、物に即して、宗教と美が不可分であるような工芸運動(=民芸運動)を行なっていたといえるとした。我孫子で出会った濱田庄司や浅川兄弟、そして朝鮮陶磁器について触れながら、我孫子の地が果たした民藝運動への役割について考察します。

各地域に根ざした生活様式や、先人の残した暮らしの知恵を、もう一度振り返り再評価していく努力が、グローバル化の波の中でも有効な手段となりそうです。 最近、民藝と「スローライフ」との関係が注目されている。この生活スタイルには、民藝運動との共通性が読み取れそうです。民藝品の良さは、環境に優しく使う人にも優しいところにある。また同時に、リサイクルやリユースといった資源の循環・再活用や、無駄なものは「作らない」「使わない」といった生活の流儀も、まさに民藝的な生活様式と言えそうです。我孫子のこれからを柳宗悦を通して見直してみましょう。

           
主催  千葉県日本韓国・朝鮮関係史研究会(「日韓研」)
    柳宗悦・兼子の碑をつくる会(略称「柳の会」)


連絡先  佐々木(090-8495-8834) 三橋(090-5806-0016)


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2013年07月28日

改選議席1議席、福島の苦渋の選択

 改選数が2から1に減り、全国で唯一、自民と民主の現職同士による一騎打ちとなった福島選挙区について、朝日新聞の報道が次のようにされていた。

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 午後8時の時報とともに自民現職の森雅子氏(48)の当確のニュースが流れると、いわき市の選挙事務所はどよめきと拍手に包まれた。森氏は事務所に現れ、支持者に深々と頭を下げた。

森氏は駆けつけた根本匠復興相(62)と握手し、約250人の支持者を前に「震災と原発事故の被災地である福島県から唯一選ばれた参院議員として、必ずこの福島を再生して参る覚悟です」。一言一言、かみしめるように話した。

東京電力福島第1原発事故により約15万人が避難生活を続ける中、自民福島県連は「県内の原発全10基の廃炉」を独自に公約。原発再稼働に積極的な党本部との「ねじれ」が生じ、森氏は選挙戦で再稼働の是非についてほぼ封印した。

同県富岡町から避難していわき市の仮設住宅で暮らす会社員、関根光子さん(55)は「再稼働は雇用問題でもある。候補者自身の考えをはっきり示してほしかった」。同じ富岡町の主婦(36)は「原発事故が収束していないのに再稼働ありきはおかしい。議論が深まらなかったのは残念」と話した。

森氏は当確後のインタビューで「原子力規制委員会の規制基準に『地元の理解を得る』との項目があり、県内廃炉は政府の方針と矛盾しない」と説明。その上で「衆参のねじれが解消されることで復興政策をさらに加速できる」と語った。


●朝日新聞デジタル 7月22日(月)10時48分配信の報道では、「なぜ原発やめない」「今回は迷った」…福島の有権者として、次のような記事があった。

 福島県内陸の会津若松市にある大熊町役場。投票所には、各地の避難先から続々と町民が訪れた。

渡部重達さん(72)は、約100キロ離れた福島市から知人の車できた。「いつも以上に、今回は相当迷った」。決断は投票直前。「数が多くて強い政党のほうが復興を進めてくれるだろう」と、現政権に期待を込めた。

原発事故の被害に苦しむ福島で、自民を選んだ人たちの心境は複雑だ。

双葉町から福島市に避難している天野喜和子さん(57)は悩みながら選挙区で自民に入れた。原発をやめると言わない自民は「全く理解できない」。だが、民主への信頼も薄れた。

自民が政権復帰して以降、復興政策には目に見える成果がない。「衆参のねじれで思い切った政策ができないなら、解消すれば進むのかな、という期待の一票」という。比例区は原発政策に慎重な公明を選び、自分を納得させたという。

いわき市に避難中の楢葉町の菊田洋子さん(66)も同じ思いで、選挙区は自民、比例区で公明に投じた。「賠償を充実させ、復興を加速させてほしい」

福島第一原発から約12キロの自宅は新築1カ月半で津波に流された。同居していた長男(41)は、工場の閉鎖で妻子を残し茨城県に単身赴任。将来の不安ばかりが募る。経済政策を強調する首相の視界からは被災地が消えている気がする。「でも、政権を持つ自民に頼るしかない。もう無駄に時間を過ごしたくない」

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 昨年、福島の衆議院議員(民主)・太田和美氏は議席を失い、今回は千葉に戻って参院選(生活)に出馬した。千葉では唯一の女性候補、かつては民主のジャンヌダルクと言われたが、地元(松戸)からの風で状況は変えられなかった。




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2013年07月27日

非常時に力を発揮する日本人の団結力、世界から驚嘆の声

このところ海外で電車の脱線事故などが起きるが、日本では市民が力を合わせて、電車を押し上げて、ホームから転落した女性を救出して、ラッシュ時にまたいつもの朝のように迅速に運転を再開したことが、驚きのニュースとなって世界を駆け巡った。詳細は、以下の通り・・・ 

 7月22日、読売新聞の夕刊で写真入りで報じた、さいたま市のJR南浦和駅での女性客救出劇は、現場に居合わせた本紙記者の写真と共に世界各地でも報道された。

 ホームと車両の間に女性が落ちたのを最初に気づいたのは電車を降りようとした外国人青年で、社内にいる乗客に、協力を呼び掛けた(TVで再現放送あり)。日本語のできた彼は、列車に残っていた乗客らに呼びかけ、誰かは非常停止ボタンを押した。駅員が支持する中で、皆が力を合わせ3度程繰り返し押し上げながら、数分後に助け出すことができた。

 このニュースに、米CNNテレビは22日夜(日本時間23日午前)、キャスターが「日本から素晴らしいニュースです」と前置きし、本紙の写真と共に女性救出を報じた。キャスターは「生死に関わる状況で、駅員と乗客が冷静に協力した」と称賛。「おそらく、日本だけで起こりうること」として、電車が約8分後に通常運転を再開したことも合わせて伝えた。

 英各もロイヤルベビー誕生の特集紙面を組む中、23日付ガーディアン紙は、「(駅員や乗客が)集団で、英雄的な行動を示した」とするAP通信の記事と本紙の写真を国際面で使った。

 イタリアの主要紙コリエーレ・デラ・セラのウェブサイトには「イタリア人だったら眺めるだけだろう」といったコメントも。

 香港でも、中国政府寄りの論調で知られるフェニックステレビのウェブサイトに、「中国で同様の事故が起きれば、大多数の人はやじ馬見物するだけだ」といった書き込みが見られた。

 対日関係が冷え込む中国では、政府の指導下にある有力ニュースサイト「中国ネット」が24日、日本での報道を引用する形で事実関係を論評抜きで報道し、国営新華社通信(電子版)などが転載。

 韓国でも聯合ニュースなどのメディアが、多くは、読売新聞の報道を引用して伝えた。23日の朝鮮スポーツ紙(電子版)は「乗客が力を合わせて救助する感動の写真が話題になっている」と指摘した。

 ロシアの大衆紙「コムソモリスカヤ・プラウダ」(電子版)には「どうしてこんなに迅速に乗客が団結できたのだろうか」「他人の命に対して、我々ロシア人も無関心であってはならない」と、驚きのコメントが寄せられた。

 タイのニュース専門チャンネル最大手TNNは、本紙の写真を、「日本の人々が生来の結束力を余すところなく示し、困っている人に助けの手をさしのべた、素晴らしいニュース」と紹介した。タイのソーシャルメディアでは、この写真をシェアする人が多く、フェイスブック上では「日本が、また世界を驚かせた」「とっさにこのような行動ができる日本人は、どのような教育を受けているのか」との声も出ている。

 読売新聞に転載された、外国紙の読者からは次のようなコメントが多数寄せられた

・素晴らしいよ!これがイギリスで発生したらどうなったと思う?みんなポケットからi-phoneをだして写真撮影、facebookにアップロードするんだ!
・アメリカでもありえない。そうだ皆写真を撮り始めるのが関の山だ。
・シカゴは違うぞ。皆なにもしない代わりに ブーブー一時間はたっぷり文句を言うんだ
・よくやった!出勤者達よ!こんな大勢の人がたった一人のために行動を起こすなんてすばらしい。彼女が無事な事を祈るよ
・ なんて素晴らしい話!一体これだけの人数をどうやってオーガナイズしたのかしら?イギリスでは無理ね。だって日本人のような健全なメンタルの人は少ないのだから・・・・
・これこそが”チームワーク”だ!
・だから将来的に日本が世界を牛耳る日が来るんだよ。 彼らは”目標”を掲げてそれに取り組むことに長けているんだ
・日本人って本当に素晴らしい。僕は日本に行ったことがないけれど いつも健全な精神の持ち主だって事が解るよ。イギリス人とは真逆の位置にいる人種だ。
・私は日本に住んだことがあるけれども 彼らっていつも助け合って生活しているのよ。本当に素晴らしい文化だよ
・だから日本って大好きなのよ!これこそが日本人よ!
・YES だ!
・知ってるかい?津波のあの悲劇があった時も彼らはパニックにならずにきちんと並んで物を買っていたんだよ。これが日本以外だったらすぐ暴動になっているところだ。日本に一票だ!
・日本人から学ばなくてはいけない
・インド中にこの記事を送ってくれ!
・日本人はいつも日本人なんだ!
・これは世界中の人達へのお手本だ
・凄い!一気に全てのヒーロー達が集結したような話だ!
・こういう時の相撲レスラーだろ?相撲レスラーはどこだ?!日本人はいつも他人を気に掛ける事が出来るんだ
・だから日本って世界のトップにいるのね?
・同じことがウォタールー(カナダの田舎)でもあったよ。しかし、信じられないことに落ちてしまった人を皆新聞紙で頭を叩いて責めたんだ。駅員は何度も何度も乗客に降りるように指示しなくちゃいけなかった。何度もだ。でも乗客たちは口を揃えて「こんな事になったには 私の責任ではないけれど?!」と不平だらけだったんだ。全くこんなコミュニティーは大嫌いだ。
・メモの用意だ!これこそ僕たちが見習わなければならない姿なんだから

 これだと、オリンピックが東京で開催されたならと外国人も期待して、観光客が戻ってきそうな気配です。
(ちなみに、韓国でもこうした同様の事故が地下鉄で起きて、市民が同様に協力して助け出したとの報道があったが、今回の事故のように新聞カメラマンが居合わせていなかったので写真と共に報道されて、世界にニュースとなることがなかったそうです)

参照:
http://edition.cnn.com/2013/07/23/world/asia/japan-train-rescue

http://www.dailymail.co.uk/news/article-2373656/Japanese-commuters-join-forces-push-32-TON-train-away-platform-free-trapped-woman.html



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2013年07月26日

初インターネット選挙、今回の選挙の傾向は?

今回の公示翌日の5日から20日までの16日間に、期日前投票をした人は、総務省の速報値で47都道府県で1294万9982人となり、前回10年参院選の1208万5636人に比べ7・15%増えた。全体の有権者に占める割合は12・36%だった。参院選で期日前投票が始まった04年以降、増加が続いている。

しかしながら、投票率は低かった。戦後三番目の低投票率と言う結果のなかで千葉は首都圏で最低であり、全国ワースト3となっていた。それでも、我孫子市民は千葉県都市部の中で一番投票率が高かった(県内投票率トップは、1位:鋸南町50・20、2位:睦沢町55・88、3位:長南町:55・68、4位:我孫子市55.34%)。

また、今回はインターネットを使った選挙運動が国政選挙で初めて解禁されたことから、若年層を中心に選挙への関心が高まるかどうかに注目が集まっていた。

朝日新聞デジタルニュースの調査によると、選挙期間中、ツイッター上で連日、最も多く話題になった政党は自民党だった。終盤の19日以降、共産党が累計で民主党を抜いて2位になり、現実の勢いとネットが重なり合った。共産党は「原発」や「憲法」と一緒につぶやかれることが多かった。ツイッターの利用者全体が発信した単語で見ると「原発」が約25万5千件と大きな関心を集めた。ただ、「原発」のうち引用や転載されたものを除いたオリジナルのツイートの数は約7万2千件。固定化した集団の中で次々と引用や転載が繰り返され数はふえたものの、集団外にはさほどに広がらない傾向があったのではとみられる。そうした中での参院選で、原発再稼働にかじを切った自民党が大勝した。


一方、ネット選挙運動の動向調査が、8月をめどに結果を公表するとしたのは、共同で調査を実施しすることになったグーグル、曽根泰教教授、インテージ、ブレインパッドなどの取り組み。

曽根泰教教授(慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科)は「インターネットでの選挙活動が初めて解禁されたタイミングでネットやテレビが投票行動にどう影響を与えたか調べることに意義がある」とコメントしている。グーグルは、調査設計とレポート作成を、ブレインパッドはデータ解析をそれぞれ担当し、インテージはメディア接触情報が分かる調査パネルを提供する。実際の調査ではまず、調査対象者のメディア接触データをテキストデータとして収集し、政党別、政策別などに分類した後、統計的な分析ができる形式に加工する。

インターネット、テレビを視聴している、関東1都6県在住の20〜59歳の男女2400人を調査対象に、有権者のメディア接触と政治意識や投票行動の関係を明らかにすることを目指した調査がおこなわれた。パネラーに対して5〜7月の間にアンケートを4回行い、同一パネラーの支持政党の変化などを調べる。2013年5月1日〜7月までの3カ月間実施。今回の調査では、どのようなテレビ番組やウェブサイトを閲覧したかという、複数メディアへの接触状況や、アンケートなどを同一の調査対象者に、継続的に収集可能な「シングルソースパネル」を利用する。これによりメディア接触が選挙行動、政党支持にどのような影響を与えたかをこれらのデータから数理的に解析することにより、分析できるとする。
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2013年07月25日

公示直前の公認取り消し、女性候補いじめ

 民主党は、4日の参院選公示直前のせえ主党執行部では、2日夜、東京選挙区(改選数5)に出馬予定の現職、大河原雅子氏の公認取り消しを決定したのだ。この事態に際し、細野豪志幹事長は大河原氏に直接会わず、電話1本で通知した。

 大河原氏は、1993年(平成5年)、東京都議会議員選挙に世田谷区選挙区から出馬し、初当選。3期10年都議を務める。1999年(平成11年)9月、東京・生活者ネットワークの代表に就任( - 2006年2月)。2007年(平成19年)7月29日投開票の第21回参議院議員通常選挙に、東京都選挙区から、都議選・市議選などで生活者ネットと協力関係にある民主党の公認を受け出馬。選挙対策本部長には小宮山洋子氏が就任、約108万票の票を獲得、2位の山口那津男氏と約29万2千票の大差で1位初当選を果たし、鈴木氏は3位だ。民主党では菅グループに属し、2010年(平成22年)9月の民主党代表選挙では菅直人の推薦人に名を連ねた。

 2013年(平成25年)7月21日投開票の第23回参議院議員通常選挙でも、東京都選挙区から民主党の公認を受け出馬する予定であったが、民主党の支持率が下がる中で同一選挙区への2人擁立は厳しいと予測されたため、7月1日に党本部から鈴木寛参議院議員への一本化のための出馬辞退を打診され、拒否。そこで、海江田代表は2日夜に党本部で細野氏と会談し、独自の情勢調査で優勢だった現職の鈴木寛氏に一本化することを決定した。これまでの調査では鈴木氏が劣勢だったこともあるが、この時の調査では鈴木氏有利だったという。

 これ以前に、6月の都議選で民主党は2人擁立した6選挙区のうち5選挙区で共倒れしたが、2人の得票数を足すと当選ラインを越えていたため、今回の参院選公示直前の公認取り消しに走らせたのが事情だという。この決定を受けて、東京・四谷の事務所で緊急の記者会見を開いた大河原氏は執行部の決定に反発。「納得できるものではない。私の存在が党にとって必要ないのかなと、すごく悔しい思いがしている」と述べ、涙を流した。執行部は「武士の情け」とばかりに、大河原氏に推薦を打診したが、“切られた”本人にしてみれば屈辱以外のなにものでもない。大河原氏が無所属での出馬に踏み切るのは、執行部への意趣返しといえる。

 大河原陣営関係者は3日朝、夕刊フジの大河原氏公認取り消しの取材に応じると、大河原氏は無所属での強行出馬を表明。陣営では支持者への説明や選挙戦術の見直し、「用意したポスターもビラも『民主党』と書いてあるものは使えない」と悔しがる。

 菅直人元首相は3日、自身のブログで、民主党が現職2人を公認し擁立していた参院選東京選挙区で、公認候補を鈴木寛氏に一本化したことについて「民主党の公認がなくても大河原(雅子)候補を全力で応援する」と表明した。大河原氏は公認を取り消された後、党推薦を拒否しており、菅氏は党執行部の「苦渋の選択」(海江田万里代表)に公然と反旗を翻したことになった。菅氏はブログで「民主党は『2030年代原発ゼロ』の公約は掲げたが、それを前面に掲げて戦う候補は限られている」と指摘。その上で「私は民主党の原発ゼロに本気で取り組んでいる候補だけを応援する」と強調していた。

 今回の“女性候補いじめ”によって鈴木寛氏から離れた票も多かったことから、「両候補共倒れ」という結果となって、結党以来の東京選挙区で民主の議席を失った。こうしたことから菅氏の除籍問題にも発展してきたが、菅氏だけを責めるわけに行かないのではないだろうか。


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2013年07月24日

英国議会、女性直系長子に王位継承と改正していた

日本で、議席が確定したその日、英・ウイリアム王子夫妻にロイヤルベイビー誕生の報道がされ、王子は「この上ない幸せ」と、伝えた。

実は、この発表がされる以前に、英国は出産に備え王位継承法を改正し、性別に関係なく直系長子に優先して王位を継承させることにしていた。これは、キャメロン首相が社会の性差解消の必要性、男女平等の流れから必要と判断したものだ。

 既に、英国で王位継承順位が大きな話題になったのはウィリアム王子とキャサリン妃が結婚した2011年4月以降。男性が優先されていたこれまでの王位継承法についてキャメロン首相は、「異常であり男女平等に反する」として法を改正する意思を示し、英連邦各国首相に書簡で説明した。現エリザベス女王の人気の高さなどもあり国内に女王に対する違和感はほとんどなく下院、貴族院とも大きな反対なしに4月に継承法を改正した。

 一方、英国の国王(女王)は、英国のほかオーストラリア、ニュージーランド、カナダなど英連邦の15カ国の元首を兼ねている。11年10月に開かれた英連邦首脳会議で継承規定の改正は原則合意されているが、各国は個別に法律を改正する必要があった。現時点で法改正したのは3カ国だけだが、今回男児が誕生したことで、他の12カ国も法改正を特段急ぐ必要はなくなったことになるが、率先して変えたイギリス、そして女性参政権を世界に先駆けて法規定したニュージーランドが含まれており、時代の趨勢は明らかだ。

 小泉首相当時、天皇家に内親王ばかりという中で、日本でもこうした議論がされたが、とん挫した経緯をみると自民党の中にも多くの考えの幅があるのであり、国民がどう支持するかでも未来は違ってくるということではないだろうか。


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2013年07月23日

英国王室に赤ちゃん誕生で考えたこと

22日、英国では、待ちに待ったロイヤルベイビー(男児)が誕生。以下は、NHKニュースより。
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ウィリアム王子とキャサリンさんは、現代の多くの夫婦がそうしているようになるべく自分たちの手で子育てを行いたいと希望していると伝えられています。

イギリス王室では「乳母」が子育てを行う伝統があり、ウィリアム王子も、複数の乳母に育てられました。
しかしウィリアム王子夫妻は、乳母に任せきりにするのではなく公務の時などを除き、可能な限り自分たちで子育てを行いたいとしています。

ウィリアム王子は、赤ちゃんのおむつを取り替える手伝いをするのではとも言われています。
またキャサリンさんは、出産後、赤ちゃんとともにロンドンから西におよそ90キロ離れたバークシャーにある実家に戻り、両親に育児を手伝ってもらうと伝えられています。

一般の家庭で将来の国王の子育てが始まることになれば、やはりイギリス王室にとっては異例のことです。
こうした育児方針は子どものころ、チャールズ皇太子とダイアナ元皇太子妃の離婚を経験し、その翌年に母ダイアナ妃を交通事故で亡くしたウィリアム王子の思いが反映されているといわれています。

ウィリアム王子は、家族の仲がよいキャサリンさんの実家を結婚する前からたびたび訪れ、同じような環境で自分の子どもも育てたいと考えるようになったのではと見られているのです。
王子夫妻の考えは、「王室は時代に適応していなければならない」と考えるエリザベス女王からも容認されているといわれ、イギリスの若い世代にも好感をもって受け止められています。
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日本の皇室では、秋篠宮がウイリアム王子と同じように紀子妃の出産に立ち会うなど、以前より子育てにも甲斐甲斐しく参加する、子供好きなのは目に見えて明らかでした。出来たら、悠仁さんが手賀沼公園で白鳥の親子の健やかな子育てのようすや、オオバンの群れを見て散策してもらったりできればよかったのですが、今やホットスポットとなると「大丈夫!」の保障がしにくいのが残念です。

それでも、来月8月17日(日)9時半からは手賀沼公園入口の非核平和記念碑の前で、恒例の平和祈念式典が行われ、そこには昨年も我孫子の中学生代表(広島、長崎などに毎年派遣)がメーッセージを読み上げていました。昨年は、我孫子市被爆者の会(当時は、我孫子からも原爆被災地へ兵隊として復興支援にかりだされ、2次被曝された)の方たちとアオギリの植樹、二度と悲惨な戦争を起こすことがないよう、放射能被害で苦しむような事が起きないようにと考える機会になりました。

私もホームステイの米国人高校生を手賀沼に案内した時から参加するようになって、初めての式典参加から20年が立ちます。その留学生は今年には二人目のお母さんになり、お祝いにYUKATA(中国製でした)を送りました。そして、今夏は、ロシア人女性研究者(筑波大同級生)と式典に参加予定です。我孫子市内外の皆さまも、式典は公園入口を入ってすぐなので気軽に参加してください。熱中症対策、お茶の一杯くらいは提供があります!?


出典:
NHKニュース
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2013年07月22日

投票率ワースト3、千葉の低投票率はなぜか

第23回参議院選挙の選挙区の投票率は、各都道府県が発表した結果などを朝日新聞社が集計したところ、52・61%だった。沖縄以外の46選挙区すべてで前回より投票率が低下した。

特に低かったのは、青森の46・25%、岡山の48・88%、千葉の49・22%だった。 高かったのは島根の60・89%、山形の60・76%、鳥取の58・88%だった。前回の2010年参院選の57・92%を5・31ポイント下回り、戦後3番目の低さだった。参院選の投票率は1980年に74・54%を記録して以降、低下傾向が続き、95年に最低の44・52%となった。98年に投票時間を2時間延長してからは56〜58%台で推移していた。


今回、千葉では、みんなの党と維新の候補者の選挙協力が割れた頃から1増2議席を与党が占めるとの公算がささやかれ、さらに維新では公認候補者差し替えやら公認辞退の事情までがおきて、選挙戦への期待値が低下したのも理由ともいえそうだ。よく比較に出される埼玉は、自民現職が圧勝、公明とみんなの党(元民主幹部、女性)が残り2議席を占めて、次点には民主(現)、共産、社民が続いていて入れ替えが行われた。千葉と埼玉は3議席でも、選挙に行く行かないではだいぶトレンドは違っていた。ちなみに、神奈川も1増で4議席となっていたが、自民、みんな、公明、民主の各党選出候補でうち女性が二人となった。本年2月24日、民主党大会において「綱領」を制定したことが選ばれるべき人が残るという結果につながったのかもしれないが、茨城でも2議席のうち民主が1議席を守った。東京都は民主が候補者を早期に調整が出来なかった事情が緒を引いてか、民主議席を失った。一方、東京では無所属が当選する現象が続いている。6年前は、川田龍平氏(2年後に、みんなの党入党)が、今回は山本太郎氏が60万票超を取って当選した。栃木、群馬は1議席のままで、民主は議席を得ていない。

政治不信で、政治離れと言われ、金権千葉と言われて久しかった、政治とカネをめぐる問題が思い起こされる。その上、千葉の急増人口に対して参議院議席は、限られた2議席のままだった。保守の牙城ともいわれた千葉では、「消えた年金」問題が追及されて争点となって民主が勢いをつけていった。

前々回の07年の年は与野党が転換する時期だったため58・64%(04年比2・07ポイント増)と近年では比較的高い投票率を記録。09年は衆議院の解散選挙で民主が名実ともに第一党に踊りでるが、民主内部から政治資金の問題が明るみにでたり、消費税引き上げなどが争点となって政治離れの事情はなかなか解消せず、前回10年の投票率は07年比で0・72ポイントの微減に留まって、投票率が大幅上昇するには至らなかった。今回も、千葉は議席数が増えても投票は低下だったのは残念だ。

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2013年07月21日

ふるさと納税6000万円を集めた 〜地域が活性を可能にした文殊の知恵「観光」収入〜

人口8000人弱の北海道東川町。特に観光名所もないこの町だが、わざわざ町外から婚姻届を提出しにやってくるカップルや「株主制度」という名称のもとで全国から集められた6000万円ものふるさと納税、企業のお金などを惹きつけている。

【詳細画像または表】

 その理由はなぜか。

 民間目線での地道な取り組みが地域活性化につながるという事例を、テレビ北海道で担当している番組「けいざいナビ北海道」で取り上げた。他の地方の地域活性化にもつながるヒントがたくさんあったので、その取り組みを今回は紹介する。

● 実はどこの市町村でも提出可能な婚姻届け

 皆さんはご自身が書いた婚姻届がどんなものだったか記憶しているだろうか? テレビドラマでプロポーズの際に自分の名前と印鑑を書いたものを渡すなんてシーンがあったりするので、本来はロマンチックかつドラマチックな存在だ。

 しかし、現実にはドタバタと仕事の合間に区役所に届け出て、ハイおしまい、ということが多いのではないだろうか。私もそうだった。通常の婚姻届は茶色の味気ないものだ。

 それが東川町の場合、婚姻届はピンクである。しかも、その婚姻届の控えを厚紙でできた写真盾のようなものに入れて夫婦はもらえるのだ。控えがもらえるピンクの婚姻届、女性なら心が動くのではないだろうか? 

 実は、婚姻届は住民登録をしている市区町村に届け出るものと思い込んでいる人が多いと思うが(私自身も今回までそうだった)、実際は旅行先の市町村など、どこで提出しても構わない。

 このピンクの婚姻届を導入して以降の東川町に届け出られる婚姻届の、実に7割は東川町以外の場所に住んでいるカップルによるもので、本州からもやってくるそうだ。たかがと言うと大変失礼だが、婚姻届だけで町外から人を呼び込める、あるいは観光ルートに加えてもらえるならお安いものである。また、後で登場するがこの東川町は写真の町として売り出しており、婚姻届の控えは写真と一緒に保管することができる仕組みとなっている。

● 株主はタダで町に宿泊できる

 以前、当コラムで東川町が運営するユニークな株主制度についてご紹介したことがあるが、今回実際に東川町に取材で訪問してみて、改めてこの株主制度の魅力を実感してきた。

 まず、町には株主が無料で泊まれる宿泊施設がある。もともと宿泊用に建てられた建物ではなく、別の用途だった建物を改築したので、簡易的なものではある。しかし、小ぎれいな部屋でお風呂もついており、普通に数千円はとってもおかしくない部屋である。


また、キトウシ森林公園という公園内にあるロッジに半額で泊まれるのであるが、この公園とロッジは非常に魅力的であった。まさに北海道の自然を感じながら週末をエンジョイすることができそうである。ロッジの大きさにもよるが10名程度でワイワイとやる分には十分な広さが確保できる。

 タダ、あるいは半額での宿泊は確かにうれしい。しかし、わざわざ域外からこれら宿泊施設を利用しようと思う株主はいるのだろうかと思い聞いてみると、意外といるそうだ。

 北海道に観光に来た時に、どうせならと言うことで観光ルートに入れる株主が少なからず存在するとのこと。確かに一度はどんなものか見てみようと思うかもしれない。しかし、一度立ち寄ってみると、このロッジなどは何度でも訪れたいと思う雰囲気があった。
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 株主によるふるさと納税は、お金の使い道から6つの選択肢があるのだが、最も人気があるのは植林、植樹活動への寄付だそうだ。

 その理由の一つは、植林、植樹を株主の人も地元の人たちと一緒に行うことができることのようである。実際に植林された場所に行ってみると「株主の森」と書いた看板が立てかけられていて、株主は自分たちのお金がどうやって使われたのか見える。

 私たちが日々納めている税金は、どこでどのように使われているか見えない。そんな中、実際に自分の納めたお金が形になっている、しかも、苗木から森になろうとしている姿というのは、なかなかに感動的である。私自身も、これなら自分もお金を出して株主になりたいと思った。

 税金の見える化の重要性は一般的にはよく指摘されることであるが、実際に見える化されたものを目にすると、他にそういう機会がないからこそこれはいい、と思えてしまう。

● 写真甲子園の運営費は7割が外部負担

 東川町では毎年高校生を対象とした写真甲子園が開催されている。

 町を訪問してみて思ったことは、町にはこれといった観光名所はない。しかし、森に田んぼに山にと、自然の美しさを写真に収めるには非常にいい場所である。ちょうど訪問した時期は田植えの時期で、広大な田んぼがキラキラと輝く風景だけで十分にキレイであった。写真の町とうたう理由が少しわかった気がした。

 そんな写真甲子園は今年で20回目を迎えるが、運営費2700万円のうち、多くはキヤノンなどの企業らが負担しており、町の負担は800万円で抑えられている。外部資金を獲得するという点もこの町が何らかのプロジェクトを遂行する際に気にかけている点である。

 昨年はアウトドア用品店のモンベル(Montbell)が東川町の道の駅に併設する形でオープンしているが、建物と土地は町が補助金を活用してモンベルに実質的に提供し、モンベルは町に賃貸料を支払っている。

 モンベル側にとってはこの店単体としての売上規模は大きくないものの、大雪旭岳の入り口に位置するこの場所に店を構えることの、登山客にとっての利便性の提供とイメージ向上というメリットがあるとのこと。町にしても国際的に有名なブランドがショップを構えてくれるというのは、地域活性化という観点では重要であろう。

● 上水道、鉄道、国道の3つの道がないが、人口は増加

 実は取材後、私とテレビ北海道の担当ディレクターも東川町の魅力に取りつかれてしまい、共に株主になってしまった。

 そして先日、東川町の特産品が我が家に届けられたのであるが、その中に入っていたお米が非常においしい。ふわふわのつやつやである。そのおいしさの秘密の一つはお水にあるそうだ。

 実は東川町では上水道、鉄道、国道の三つの道が存在しない。大雪旭岳からはきれいな原水が供給され、生活用水はすべて地下水でまかなえる。それゆえに、水を維持する森は重要であり、上で挙げた株主と一緒になっての植林、植樹活動の意義が分かる。東川町ではお米の品質管理を徹底しており、お米の食味を左右するタンパク質の含有量などをもとに4つの等級に分けている。それにより一俵あたりの買い取り価格は1000円以上異なってくるそうである。

 そういった大雪旭岳の原水から始まっての品質管理までのストーリーを聞くと、ますます東川町のお米を食べたくなる。結局株主は自分の支払ったふるさと納税をもとに東川町のお米を有料で試食しているのと同じなのだが、株主はストーリーに魅せられる。スーパーで並んでいるお米では、こうはいかない。

 その他、町ではネイチャーツーリズムを行い、ツアーではガイドの案内のもと、熊の爪あとを見たり、樹齢500年を超える大木を観察したりする。なんのことはない、何もない大自然を見て歩くのだ。しかし、その過程で自然の大切さを学び、それを維持することへの共感を呼び込む。すると自然を散策する散歩道の整備事業に対して寄付をしたくなる。何もないけれどもストーリーがあり、人々の心を揺さぶるわけだ。

 東川町のやっていることは、大げさなことは何もない。一つ一つコツコツとした積み重ねである。そのすべてが?交流人口を増やす、?町の良さ、ストーリーを多くの人に理解してもらい支援してもらう、この2点に集約されている。実際、定住人口もこの10年間で300人増えており、人口規模が8000人弱の町にしてみると大きな増加である。

 写真甲子園の出場者だった高校生や大雪旭岳に上る登山客がその後株主になったりしているそうで、中長期にわたる関係を町外の人と築いているのもこの町の特徴である。それらはすべてストーリーに魅せられたからではないだろうか。経営戦略にはストーリーが必要だという書籍が先般たくさん売れたが、市区町村の運営もまさに同じということであろう。


保田 隆明・記
週刊ダイヤモンド・オンライン 7月20日(土)19時10分配信
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2013年07月20日

時代の中で、考える憲法改正

宮崎 駿のアニメ「風立ちぬ」が話題になっています。戦争中、日本のゼロ戦を扱った内容だとの事で、宮崎ワールドが何を伝えようとするのか、気になりますが、そんな中でスタジオジブリの小冊子『熱風』7月号PDF無料配布中です。なんと、特集は「憲法改正」です。ご紹介まで

http://www.ghibli.jp/10info/009354.html

もう一つご紹介、40年前の宮崎監督作品「パンダパンダ」、超ハッピーになる原型です。
http://gyao.yahoo.co.jp/player/00114/v12111/v1000000000000004053/?tab=1&auto=0
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2013年07月19日

最近の小出先生が思うこと

小出裕章・京都大学原子炉実験所助教が、最近、生活の党代表の小沢一郎氏と対談(5月末)し、その際の映像がIWJのサイトに動画として載っています。

原子炉実験場の出入りには、このように厳しいチェックがされているのを見るみると、小出氏が心配されるホットスポットの放射能汚染状況はかつての基準値、このような厳戒態勢で入出する際のチェックが必要なエリアになっているわけで、京都大学の施設管理の様子のものものしい警戒体制をみると、考えさせられます。

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/82570

 その小出先生は、民間局で熱心にこうした問題を取り上げて放送されていた番組「たね蒔きジャーナル」の中止が決まった時点(全国からは、番組継続へのかなりのカンパも集まり、リスナーからは番組継続が殺到した)から政治には絶望していると言われており、それなのに小沢一郎氏との対談とは何をどう話されたのか、内容をまとめた方がいるので、掲載してみます。

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 小沢氏、実験所のことについて聞いて、小出先生、大学で原子炉があるのはここだけで、原子炉で研究したい人はここに来るしかないと言われました。日本の東に原研があり、西にはここが作られ、関西・九州の人が来ている。原研は大学には使いにくく、東の人もここに来るのです。

 小沢氏、脱原発を正式に主張しているといい、小出先生は期待していると言われました。小沢氏、ドイツに行き、脱原発を視察して、ドイツ国民は福島で決断し、日本はどうだと逆に聞かれて、小沢氏、これを期に原発と決別するのを国策としたいというのです。小出先生は感謝され、小沢氏、福島の事故の模様を聞いて、このままでは福島・東北だけでなく、日本全体が危ないと指摘し、福島が風化されつつあると小沢氏指摘し、脱原発の方向で、福島をどうすべきかと言い、それについて小出先生のお話を聞きたくてここに来て、小出先生、やるべきことは簡単で、原発の核分裂生成物、炉心にあったのが融けてどこにあるか分からない、ひたすら水を入れて冷やすしかなく、何としても破壊された原子炉から放射能がこれ以上でないようにするだけだが、1度に4機の原子炉が壊れると言う過去にない事態で、小出先生もどうしていいか分からない。事故後発言して、政府・東電に提言したのにやってくれない。汚染水について、海へ流さざるを得ないがしてはいけない、巨大タンカーに入れて、柏崎刈羽に行き廃液処理装置がいるといったのに、誰も取り合わず、貯水槽から漏れてしまい、これをもっと早くやらないといけない。地下水と接触したら大変で、遮水壁を作れと言ったのに、これもやられていない状態で、遅すぎる、政府の対応のまずさ、専門家の愚かさを知るが、小出先生のいうことは瑣末で、炉心がどこにあるのか、床を抜けているかも分からない、何とかしないといけないのに、これも出来ないと小出先生は思い、政府は使用済みプールのものは安全なところに移す、融けた炉心も移すと言うが、使用済みプールの処理に何年かかるのか?今年から始めても、1333体を処理するのは、それすら小出先生不安で、その上1,2,3号機の使用済みプールもあり、これが処理できるか分からない、10年かかるかも知れない、小出先生も小沢氏も死んでいるかも知れない時期、取り出しはできず、チェルノブイリのように石棺を4つ作らないといけない。チェルノブイリは始めの石棺がボロボロであり、福島も石棺を何度も作らないといけない、そのときには自分も小沢氏も死んでいる、若い人に負担をかける、大変なことなのです。

 小沢氏、融けた燃料の行方について、1m数十cm抜けるということが報じられ、その後何も言われないと指摘し、小出先生、原発の炉心に燃料があり、一つの原子炉に100トンのウラン、瀬戸物に焼き固め、瀬戸物はなかなか融けないが、2800度になると融けて、100トンの瀬戸物が融け落ちて、圧力容器に融けて、鉄は1500度で融けて、福島だと原子炉の下にパイプがあり、2800度を融けた瀬戸物が落ちたら簡単に穴が開き、融けた炉心が格納容器に落ちて、東電もここに1mの床があると言うが、これも2800度のものが落ちたらオシマイ、東電は大丈夫と言うが、小出先生、あなたたち見てきたのかと言われて、格納容器の中に入れず、測定器も入れていない、壊れる、どうなっているか分からない、格納容器が融けたら、地下水を汚染して手のうちようなし。格納容器は壊れて、炉心を冷やすため水を入れても、格納容器も壊れて水は漏れ放題、手遅れ(泣)、放射能を閉じ込める防壁はなくなり、水は汚染され放題、野田総理、収束宣言を言ったが、冗談を言うな!ひたすら水を入れるしかない、下請けの人が被曝している、自民党は再稼動+新設+輸出=アベノミクスという、何と言うことか、なのです。

 小沢氏、何千度の燃料、臨界について聞いて、小出先生、臨界ではない、原発はウランを核分裂させ、熱は核分裂+崩壊熱、一度ウランを燃やすと放射能が炉心にたまり、放射能はエネルギーの塊、そこで発熱して、100万kwの原子炉では、電気になるのが100万kwで発熱は300万kw、残り200万kwは海を暖めるばかげたものであり、100万kwのうち21万kwは崩壊熱、家庭の電熱器(1kw)が21万個、発熱したものであり、その熱を冷やせないと、簡単に炉心は融けて、事故当日に1号機は融けた。放射能の出す熱で、寿命はさまざま、1日で1/10に減るのだが、それ以降は寿命が長くなかなか減らない、1年で当初の1/10、2年でまた減ったが、それでも何千kwの発熱があり、臨界による熱ではなく、放射性物質の発熱であり、臨界、核分裂を心配する人もいるが、小出先生は臨海は多分ないと思われるのです。核分裂の可能性は少ないが、放射能がある限り発熱して、冷やすしかないのです。

 石棺、それを何千度の熱に耐えることは可能かと小沢氏聞いて、小出先生、チェルノブイリも地下に炉心が融けて、だんだん大きくなり、放射能の発熱量は減り、どこかで融けずに固まるところがあり、どうなったらこれ以上融けないか不明、象の足と言う溶岩の塊になり、福島もそうなり、ある程度冷えたら石棺はできるのです。それになるまで、何年かかるか不明、事故の経過が分かれば把握できるが、これから1年、2年後は不明なのです。今はひたすら水をかける+使用済みプールの燃料を安全なところに移す、東電も4号機から手をつけているのです。全部取り出せるか不明、作業で使用済み燃料を鉛の容器に入れて、ふたをしてつり出すのですが、1333体を処理して、容器をつり出すのに、1本でも落としたら作業はできなくなり、割れたら臨界にはならないが、放射能で汚れたら作業はできない、4号機で何年かかるか不明である。容器を取り出しても、どこに置くかであり、東電は4号機の横に置くが、1〜3号機もあり、共用燃料プールも一杯になり、大変な作業になるのです。お金もかかるし、大変な作業で、順番は使用済みプールのものを移すのが先。そのまま放置したら、4号機は停止中で、炉心に燃料はなく、本来なら事故と無縁なのに水素爆発して建屋が吹き飛び、4号機は変わった爆発で、最上階が吹き飛び、それだけでなくその下も吹き飛び、使用済み燃料のところも吹き飛び、プールが中ずり、燃料が1333体あり、広島原爆のセシウム137の10000発!を越えるものが宙吊りプールにあり、余震でこれが潰れたら手のつけようがない、1〜3号機が融けて、大気中にでたセシウム137、民主党時代のIAEAの報告書で広島の168発分としており、それであの汚染、10000発が崩れたらオシマイ、安全なところに移すことはどうしてもやらないといけないのです。

 1〜3号機にもあり、4号機は建屋の汚染が比較的少なく、作業はできるが、1〜3号機は最上階にも行けず、これも安全なところに移させないといけないのに、今はがれきの処理で、遠隔操作でのこと、細かい作業はできず、3号機で鉄骨を吊り上げられず、これからも困難が続くのです。燃料棒が破損したらまた汚染してエライことになるのです。

 小沢氏、核分裂が起きないなら、石棺、巨大、強大なもので囲うしかないとして、小出先生、それしか方法なしと言われて、巨大な構造物を作る前に使用済み燃料を取り出さないといけないと言われました。その後石棺を作らないといけないが、使用済み燃料の取り出しに10年では済まない。それで地震が来たらオシマイ。東電も必死にやっていて、事故直後から使用済みプールを補強しているが、これはコンクリートの中に浮いており、しかし下の階も爆発で、格納容器(厚さ3cm)の出っ張りに柱を立てたのみ、使用済みプールの補強は半分しか出来ない。東電は震度6まで大丈夫と言うが、信用できない。耐震計算のためには前提条件が要り、計算も出来ない、どこまで耐えるか不安、震度6でこのプールが崩れることを懸念し、大きな余震の来ないことを祈るしかない、一刻も早く燃料を取り出さないといけない。使用済み燃料を入れる容器、キャスクは100トンもあり、巨大なクレーンがいる、もともとあったものは爆発で吹き飛び、そのためには吹き飛んだ建屋を整理して、クレーンを設置しないといけない。建屋を作り作業開始に今年一杯かかり、小出先生もそれくらいいると思う。作業員も無限に集められない。東電は今年暮れと言っているが、大変な作業であり、高さ何十mの建屋が要り、猛烈な被曝環境、作業員も何分間働けるのか、急いで欲しいが、時間はかかるのです。その間に燃料が破損したら、手がつけられない。4号機で広島10000発、福島原発でウランを何十年燃焼させて出来たものであり、今核分裂しなくても、もう10000発あり、半減期30年なのでなくならないのです(泣)。

 冷却水、石棺が出来るのなら、外部から手を入れなくていい、発熱はあるが、空冷で処理できる。外から水を入れることはないのです。それが必要ないように、表面積の大きな建屋を作らないといけない。巨大=表面積大、崩壊熱は建屋から放出できる。本当は下もやりたいが、汚染水が溢れ、それをどうやったら工事が出来るかわからないのです。猛烈な被曝を伴うので、作業員がたくさんいる、チェルノブイリ、60〜80万人の作業員でやった、日本でそれだけ集められるのか?小出先生、チェルノブイリの資料を整理して、兵士がチェルノブイリ行きを拒否して銃殺されたという、日本で事故収束の作業員を確保できるか?海外からの労働者を被曝させるかであり、小沢氏、国際的にはそれはできないといい、小出先生もやるべきではないが、政府を見たら、何をやるかわからないと小出先生言われました。

 防護服、放射能を体に入れないためのもの、内部被曝を防ぐもので、外部被曝、ガンマー線が来るが、これを防ぐのには鉛のスーツが要り、人間は鉛を着られない、せいぜい何mm、それではガンマー線は防げない、ガンマー線を防ぐには時間を減らすしかない、外部被曝、ガンマー線を防ぐことはできないのです。

 石棺が出来ても、被曝の危険を防ぐのは困難であり、今も下請け労働者、9,10次下請け、ピンハネされ、下請けは生活のために現場に来ている、放射線被曝では100ミリシーベルトを越えたら5年間働けない、10日で100ミリになったら働けない=首にされる、労働者が被曝量を正確に申告しない状態になっている、下請け企業に線量計に鉛をつけさせている、それでないと仕事が出来ない、労働者が被曝を隠さないと生活できないのが深刻であり、大変な被曝作業、被曝隠しはこれからひどくなる、労働者の生活をどう守るか、であるのです。

 最終的には石棺で覆うしかない、しかしその前に使用済み燃料を移し変えないといけないのです。使用済み燃料の取り出しに10年かかり、融け落ちた燃料はつかみ出せず、石棺が出来るまで小出先生も小沢氏も生きていないかも知れないのです。

 小沢氏、小出先生のお話を理解し、安倍氏は理解していない、小沢氏も安倍氏は困ったと言いました。

 小沢氏、ドイツで、あれだけの事故を起こした日本人がなぜ止めないと言われて、事故を起こした国が、これからまた原子力と言う人が国の中枢にいるのはとんでもないと小出先生言われました。

 小沢氏、人類の将来のことであり、小出先生の提言を実現するように、野党ながら頑張るといいました。

 その後、小出先生と小沢氏の2ショットが撮られました。

 最後に小沢氏の記者会見、最大の問題点は、収束したと政府が言い、現在の安倍内閣も収束したと思っていて、原発を作る、海外輸出するといい、日本の経済のためにいるというのは、原子力、放射能の問題を考えていない政府だと小沢氏言い、深刻で恐ろしい現実であり、小出先生のお話、融けた燃料の処理は困難で、使用済み燃料プールが危機であり、これを安全にしないといけない、燃料棒が破損したらオシマイで、注意、費用、年月が要り、それをしないと石棺も作れない。放置したら汚染水は増える、融けた燃料が地下水と接触して深刻だと理解して、小沢氏、事故以来、危険な状態だと言って来たが、専門家の発言でその通りと分かり、憂うべき深刻な事態。野党の立場であり、国民みんなにこれを話して、国民の力で放射能閉じ込めの作業、いくらお金、時間がかかってもやり遂げないといけないといいました。安倍政権、トルコの地震国に原発輸出について、小沢氏、国際社会に向けて、特別の原発の利害を持つ人たちは許容するが、心ある大多数の人はおかしいという、日本は事故を起こして輸出するのかという議論も高まる、国際的な信頼を低下させ、まずは日本の事故の放射能封じ込めをしないといけない、原発と決別する国民的な合意をさせないと、景気のためにいると言うのは、目先の利益のために100年、1000年の判断を誤ってはいけないと言いました。生活の党、公約は今担当者が進めており、6月の早い時期に出したい。脱原発、放射能の封じ込め、事故処理は主張したいと小沢氏言いました。参院選で、政府は4つの原発を再稼動後言っているが、森ゆうこ氏、生活の党の名前が浸透していないといい、その点小沢氏、政権交代に国民の生活が第一は国民はわかっている、民主党の失敗で国民の不審を買い浸透していないが、命、暮らしのことであり、機会あるごとに伝えたい、結局は国民の意思、後になりこんなはずではないと後悔しても、国民の意思で決定したことであり、その時では原子力は遅い、参院選、次の衆院選に向けて、国民の合意を遂げたいということです。

 以上、小出先生のお話と、小沢氏の発言でした。

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2013年07月18日

初の女性米在日大使、キャロライン・ケネディー

 9月に米在日大使として就任するだろうと言われているキャロライン・ケネディーが担うのは、成熟した日米関係の舵取りだ。共通の価値観を持ち、強固な絆を築くようになった日米両国だが、今日では多くの課題にも直面している。

 歴史と伝統に基づき、米国の大統領は日本というアジア太平洋における重要な同盟国に、「重要人物」を派遣することを慣例化している。キャロライン氏の輝かしい出身、オバマ大統領との並々ならぬ友情は、日本人に重視された感覚を与えている。

 正式に発表されていない人事に対して、日本各界は待ち切れないとばかりに賛歌をうたい始めている。菅義偉官房長官は4月の時点で、「(キャロライン氏の駐日大使就任は)大きな話題になり、(日本国民の米国に対する)親近感を深めることができるだろう」と語った。NHKは13日、結婚したばかりのキャロライン氏は1986年、日本をハネムーンの目的地に選択したと伝えた。

 一方で、日本が参加を表明したTPP(環太平洋経済連携協定)では日本国内で複雑な利害対立が生じ、安全保障面では普天間基地の移設問題も解決されないまま。尖閣諸島をめぐる日中の対立は米政府にとっても悩みの種だ。

 現在55歳のキャロラインはハーバード大学とコロンビア大学法科大学院を卒業し、弁護士資格を持つ。政治家としての経験はないが、政治を間近に見ながら育った。教育・文化活動に携わるほか、作家としても活動している。父ケネディが主導した日米の同盟関係は、キャロラインによって引き継がれ、さらに文化や教育、芸術などのより広範な分野にまで広げられるかもしれない。

 彼女が駐日大使として日米関係をどんな方向に導くにしろ、50年前に父や叔父、日米の関係者たちが築き上げた強固な基盤が、キャロラインの強力な助けになるのは間違いない。

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2013年07月17日

もう一度考えよう、現行参議院選

参議院選挙は都道府県ごとに2〜10人を選出する「選挙区選挙」と、全国を一つの区域として、政党が集めた票の数に応じて議席を配分する「比例代表選挙」で行われます。ですから有権者は2種類の票を投じます。

3年ごとに半数ずつ改選するために、今回の選挙では選挙区で73人、比例代表で48人の合計121人を選びます。

選挙区選挙では候補者名で投票し、得票の多い順に当選します。

比例代表選挙では、政党名か、政党が名簿にのせた候補者の名前を書いて投票します。政党名と各候補者の得票を合計して、「ドント式」という計算方法で各政党に当選議席数が割り当てられます。党の中では個人名の票が多い候補者から順番に当選します。

今の国会は、衆議院では自民党、公明党の与党が多数です。しかし参議院では民主党などの野党が多い「ねじれ」という状態になっています。衆議院で可決した法案が参議院で否決されるなど、政権の運営が不安定になるので、与党は参院選でねじれの解消をめざしています。


朝日小学生新聞
http://www.asagaku.com/yahookids_senkyo2013/index.html


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2013年07月16日

中国人ブロッガーがみる国際情勢

事故機乗客のうち141人が中国人で、このうち約半数が米国での「サマーキャンプ」に参加する子どもたちだったという。中国では夏休みなどの長期休暇中、裕福な家庭を中心に子どもを米国やカナダ、オーストラリアに短期留学させる親が増えてきた。事故機にはこうした短期留学の子どもたちが多く乗っていたのだ。

現代の中国人は、ブログも盛んに書いていて、日本語のわかる中国人留学生たちもそれに加わっていたりする、ある種の中国人社会に第三者的な視点をもつようになった人たちもいる。最近、起こった問題について考えを述べているものもあって興味深かったので紹介したい。

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0316&f=national_0316_044.shtml



「東方田」さんはブログにこうつづっている。

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アシアナ機の事故で、中国には裕福な家庭が非常に多いということが分かる。事故機にはこの夏、韓国経由で米国に短期留学する子どもたちがたくさん乗っていたのだ。韓国経由にするのは、旅費を節約するため。しかしそもそも、15日間の短期留学に3万元(約50万円)の大金をかけることには、意味があるのか?

経験値を上げるという意味では有効だ。しかしたった半月、米国にいたからといって英語が急激にうまくなるなんてことはない。子どもは長い間、英語環境の中で生活するのでなければ、半月で得たものなど、すぐに忘れてしまうのだ。

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今回、事故に遭った子どもたちは外国語教育に力を入れる進学校の子どもたちだった。小さい頃から英語環境に親しむのは当然のことなのだろう。

しかし子どもに対しても、「外国」に対しても、親の過度な期待は禁物だ。中国の富裕層の子女が海外に留学するケースが増えているが、行った先で成績が悪く、暮らしになじめないことも多いのだとか。今年5月には英国の大学に留学した富裕家庭出身の中国人学生が、卒業のため教授に賄賂を渡そうとしたという事件が報じられた。中国の未来を背負う子どもたちが「井の中の蛙」になってはならないが、「金さえあればなんとでもなる」という考え方を助長させるような留学であっては意味がない。(編集担当:古川弥生)


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先日、中国青年報に「日本が存在しなければ、中国の改革開放は現在と異なる結果となっただろう」という趣旨の論表が掲載されるなど、中国では親日的な報道が目立つようになっている。このブログは一連の親日的報道によって、日本が中国にとって最大の援助国であった事実をはじめて知ったというユーザーが自分の考えを綴ったものである。以下はその話題のブログより。
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数日前、中国青年報に王錦思氏による「日本が存在しなければ、中国の改革開放は現在と異なる結果となっただろう」という趣旨の論表が掲載され、私の興味を引いた。さらに、日本メディアによる「中国で親日的報道が増えている」との報道も中国ではすでに報じられている。

王錦思氏による論表の主要な点は、「中国の改革開放30年は日本と密接な関わりがあり、トウ小平が1978年に訪日した際に日本をモデルに経済を発展させることを決定した」というものである。論表の中に私が最も興味を持ったデータがあったので、それを紹介する。

30年前、中国の一人当たりGDPはわずか300ドル、外貨準備高は1.67億ドルにすぎず、日本政府より500億円(2.2億ドル)にのぼる借り入れを行った。中国が受け入れた諸外国からの援助額のうち66.9%は日本からのものであり、中国にとって日本は最大の援助国である。また、日本からの援助は鉄道や道路、港湾や空港などのインフラ整備のほか、農村開発や環境保護、医療、教育など多岐にわたって使用されたという。

もしもこれらの数字が事実であるならば、中国改革開放に対しての日本の功は今後とも消える去ることはないだろう。日本による中国侵略戦争や靖国神社問題、尖閣諸島問題など、私は日本人は野蛮で非を認めることのない覇権主義の民族だと思っていた。これは大多数の中国人にとって同様の感覚であろう。

しかし、「日本が中国にとって最大の援助国」との事実を発見し、しばし呆然とする思いであった。これまでにも日本が中国に対して、肺結核の治療を無償で行っている等といった話は聞いたことがあったが、あくまでも聞いただけであり、正確な話ではなかった。ここで疑問なのは、改革開放から30年という時間が経過し、その間も日本は対中援助を行い続けてきたはずであるが、日本が最大の援助国であるという事実は、なぜ今になって公になったのであろうか?

また、つい先日、日本国民の対中感情がかつてないほどに悪化しているとの報道も目にした。以前であれば、日本と中国の間には積年の恨みがあるのだから、日本が中国に好感を持っていなくても何の不思議もないと、特に気にかけることもなかったであろう。しかし、日本が中国にとって最大の援助国であったという事実を知った今となっては複雑な思いがしてならない。--------------------------------------------------------------
(出典:慧心无憂的BLOG意訳編集)

1978年に訪日したトウ小平氏は改革開放および中国の経済発展は日本をモデルにすることを決めたという。(編集担当:畠山栄)

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2008年は日中青少年友好交流年にあたり、政府間だけでなく民間レベルでも様々な日中間の交流が行なわれ、企業間でも多くのビジネス交流が行なわれている。このブログは中国のビジネスマンが日本企業で行なわれた研修に参加するために訪日し、日本で感じたことを書き綴ったものである。
以下はそのブログより。
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私の人生の中で初めて訪れた外国が日本だった。見るもの全てが珍しく、目新しかった。飛行機を降りた時点では、すでに中国ではないことを実感できなかったものの、ここでは自分は外国人なのだと感じていた。成田空港は上海の浦東国際空港とは比べ物にならないほど小さかったが、とてもきれいで清潔、設備も整っていた。特にターミナル間をつなぐ無人電車は日本の先端技術のすごさを感じさせるものであった。

日本を訪れた理由は茨城県大甕で行なわれる職業研修に参加するためであった。研修初日、日本企業がタクシーで迎えに来てくれ、研修先に着いてからメーターを見たら1100円(約77元)であった。このとき、日本では何があってもタクシーには乗ることはできないと思ったのだった。

研修先では最初に関係者の紹介が行なわれたのだが、彼らと挨拶を交わして感じたのは、多くの中国人たちに言われたような傲慢さは無く、人柄もよく礼儀正しかった。しかし、腰を折って頭を下げる「お辞儀」は私達にとってはどうにも慣れないものであった。

大甕は非常にきれいな街で、道にはゴミなど落ちていなかった。空気も海も非常にきれいだった。日本がなぜ長寿の国なのか、心身ともに心地よい、このような環境で生活することが出来れば長寿でないほうがおかしいというものだ。

また、大甕では、見たところどの家庭でも自家用車を持っているようで、人に比べて車のほうが多かった。車に関して、私が最も慣れることができなかったことがある。それは道を渡ろうとしているとき、車があらかじめ停車し、人を先に渡らせようとすることである。私は日本に三週間滞在したのだが、それでもわずか三回しか車のクラクションを耳にしなかったし、人を渡らせようとしない車を見たことも無かった。

日本全体としての感想としては、緑が多いなど環境が素晴らしく、きれいで清潔で、道路は狭くて車も多いが、中国のようにひどく混雑していなかった。また、日本人は礼儀正しく、人的素質も高いと感じた。日本人男性は皆スーツを着用、女性はスカートをはいている人が多かった。さらに、研修先の日本人たちは皆真面目で、研修の効率もとても高かったのだった。
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(出典:精忠報国的BLOG意訳編集担当:畠山栄)

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中国大手検索サイト百度の掲示板に「領土問題における法的根拠の面で、わが国は不利だ」というスレッドが立てられた。スレ主が抱いた不安に対して、中国人ネットユーザーからさまざまなコメントが寄せられた。

日本が実効支配している尖閣諸島(中国名:釣魚島)周辺では1960年代後半に、石油など大量の地下資源があるとの見方がでた。中国政府は1971年から、領有権を主張し始めた。

尖閣諸島は沖縄県に属すが、スレ主は「中国建国初期に毛沢東が沖縄は日本領であることを認めてしまったことは極めて不利だ」と主張。もし中国が沖縄県の領有権を主張すれば、日本が中国東北地方(旧満州)の領有権を主張してくる可能性があり、チベットについても同様の問題が生じると懸念を示した。
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中国のネットユーザーからは、法律など考慮する必要はないという強硬な意見が多く寄せられた。

・「スレ主は考えすぎだ。国際法とは実に簡単。つまりは弱肉強食なだけ」
・「真理とは砲弾の射程内にあるものだ」
・「法律なんて世間話に使う物。決定的なポイントは軍事力だ」

また、「法的観点で言うならば米国はインディアンの領土だ」という主張や、「そもそも領土問題が法律で解決できたことなんてあるのか?」という意見も寄せられた。

さらに、沖縄が日本領であることを認める一方で、尖閣諸島が台湾に属すとの主張も見られた。中国側の主張としては、「台湾は中国の一部であるため、台湾に属す尖閣諸島は自動的に中国領」という論法だ。

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日本政府は基本見解は、「尖閣諸島は一貫して日本の南西諸島の一部である」だ。

日本が領有する正当な根拠と経緯としては「1885年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であることを確認したのみならず、さらに、清国(当時)の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認」、「1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行って正式に日本領土に編入した」と主張している。

中国が「古来から中国の領土」と主張しているのに対し、日本は「仮に中国が尖閣諸島の存在を知っていたとしても、支配はしておらず、自国領とも認識していなかった」、「したがって日本領に編入したのは国際法と国際的慣習からして、まったく問題ない。したがって領土問題は存在しない」との立場だ。(編集担当:畠山栄)


中国人留学生の下記レポート、日本人が手帳を持っていて時間の調整をしあうことに驚愕(中国では、手帳など売っていないらしい。その為、せいぜい2週間先位までしか約束事、時間調整をしようとは考えないそう)しているのも、カルチャーギャップとして興味深い。
http://japanese.beijingreview.com.cn/yzds/txt/2012-02/08/content_424425.htm

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2013年07月15日

中国の技術力を支援した日本だったのに

 日本の中国支援は実は国交のなかった1950年代から始まり、「半官半民」のスタイルで発展した。特に、60年代に中ソ関係が破たんすると、それまでのソ連や東欧に代わって、中国にとって日本の技術・設備の導入は大きな供給源となった。66年から約20年間は日本が最大の貿易パートナーだった。そして、72年に国交が回復すると政府間に貿易協定ができ、、両国の貿易は大きく発展した。 1985年には中国の対日貿易額が貿易総額の27.8%を占めていたことからみても、日本は改革開放後の中国に最も早く開発援助を始めた国だったのである。

 日本の対中ODAは円借款、技術協力、無償援助からなり、円借款は90%を占める。1979年から2006年までに日本政府が中国に提供した円借款は3兆2000万円にのぼった。2007年度に約460億円の最後の借款を提供して、中国への円借款の歴史は終わったが、無償援助と技術協力は継続された。 

 中国の改革開放で日中経済関係が果たした意義として、以下の3点が挙げられる。 
   1.日本の設備を導入して技術貿易を行ったことにより、日本が中国工業化における最大の技術提供国になった。 
   2.市場経済、工業化に向けた技術、管理、販売、人材育成といった「広義の技術」や知識を手に入れることができた。 
   3.中国製品がどんどん日本に輸出され、中国の工業化にとって重要なマーケットとなった。

 戦後の日本の工業力を支援したのは米国だったことを日本はよく認識してきた。しかし、中国の工業化に果たした日本の役割を認識されていないのであれば、非常に残念なことだ。日米の貿易摩擦の一時期にもターゲットになった日本車が、米国人に叩かれたし、そして今回は中国からボイコットのターゲットにされて横転させられた画像がニュースになっている。CNNの解説によれば、中国人を雇用している日本車の現地工場で作られた車であって、それを中国人経営者の販売店に搬入して既に代金も払っているわけで、ボイコット運動が広まってこまるのは日本ばかりでなく、中国人自身もであり、その間に得をしているのは欧米の自動車メーカーなのだから、中国人によって首を絞められている中国人もいるということに気づくべきだとの話だった。

 中国人留学生に話を聞けば、過激な運動をしているのは、一般の中国人のしていることではないのを分かってほしいとは言うけれど、こうした事態がどこまで続くのだろうか。当然、日本の中にも良い感情は生まれない。


参照:
2012年10月 CNN


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2013年07月14日

スリランカ、アジアの親日国 ■「憎しみに報いるに憎しみを捨ててこそ息(や)む。」

「世界ふしぎ発見」をよく見るが、昨日はスリランカの特集だった。そこで、今の日本があるのは、サンフランシスコ講和会議での一人のスリランカ人の演説のおかげだった事を知った。

日本とスリランカの歴史は古い。紀元前150年から200年にまで遡る。
仏教が伝わったのも、実は古い時代にスリランカからであった。
公に外交関係を結んだのは、1952年第二次世界戦後であった。
1951年のサンフランシスコ講和条約締結後、世界で一番早く正式に日本と外交関係を結んだのもスリランカであった。

当時の大蔵大臣で、後に、初代スリランカ大統領になるジャヤワルダナ氏が尽力したのだった。
スリランカが、「英連邦内自治領セイロン」であった当時、 随一の実力者だった彼は、サンフランシスコ講和会議に出席する。
席上、諸外国からは、
「日本に今、この段階で平和を与えるのは、もってのほか。」
「日本は南北に分割して統治すべき」
「日本を独立させるのは時期尚早」などなど、さまざまな議論・意見が出た。

その中で、ジャヤワルダナ氏がブッダの言葉を引用し、次のように語った。
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「戦争は戦争として、終わった。もう過去のことである。
我々は仏教徒である。
やられたらやり返す、憎しみを憎しみで返すだけでは、いつまでたっても戦争は終わらない。

憎しみで返せば、憎しみが日本側に生まれ、 新たな憎しみの戦いになって戦争が起きる。
戦争は憎しみとして返すのではなく、優しさ、慈愛で返せば平和になり、 戦争が止んで、元の平和になる。
戦争は過去の歴史である。

もう憎しみは忘れて、慈愛で返していこう。」と。
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対日賠償請求権の放棄を明らかにするとともに、わが国を国際社会の一員として受け入れるよう訴える演説を行った。この演説が、当時わが国に厳しい制裁措置を求めていた一部の戦勝国をも動かしたといわれ、その後のわが国の国際復帰への道につながる象徴的出来事として記憶されている。

彼の足跡は、今も日本国内に残っている。
八王子の雲龍寺、鎌倉の大仏、長野の善光寺の3ヶ所には、彼の善行に感謝し、記念のための、顕彰碑や、銅像が建立されている。

スリランカ国民からも多大な支持を得ていた、後のジャヤワルダナ大統領は、数々の功績を残し、1996年他界。その際の国葬には、福田康夫元総理大臣(当時総理特使)が参列した。
彼の遺志に基づき、角膜が提供される。
片眼はスリランカ人に、もう片眼は、日本人に。

スリランカの献眼協会は、スリランカ人から提供された角膜を国内外へ無償で贈る運動を行っており、わが国にもこれまで約2800の角膜が送られている。


スリランカ人は、親日家が多い。
決して、日本が先進国だからだけではない。
日本の悲惨な時代も、親日家だったのである。
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2013年07月13日

若手研究者の卵と我孫子の調査

ウエッブで我孫子の様子を見て、ロシアの研究者が放射能の対処に市民がどう立ち向かっているか、関心があるといって、訪ねてくることになった。そこで終末処理場を遠目にみたり、問題に取り組む町内会の方や子供たちを守る活動をする保護者にお話を伺うことになった。そのため、今日は朝早くから我孫子駅で落ち合い、布佐まで案内をしてきたが、途中で八坂神社のお祭りに出くわした。

さて、若いながら彼女の日本語力は相当なもので、用意されてきた日本語の質問に、答えるうちにこれまでの二年超の出来事が脳裏に蘇ってきて、お母さんの中には涙ぐむ方もおられた。なんと対応してくださった方の中には、いよいよ転居することにしたとの話も出て、いまだに日々の生活にストレスを与えていることを実感した。

研究者は26歳で、ちょうどチェルノブイリ原発の事故が起きて直後に生まれたことになる。当時、まだソビエト時代でカザフスタンには冷戦時代に頻繁に核実験が行われた地域があったが、そういうこともあって放射能汚染への関心を持ち続けてきたらしい。我孫子の調査を通して、両国の未来への対処に何か、多少とも解決につながるならと協力することになった。

別れ際に、「また来ます、我孫子は素敵な所ですね」と言われたのは、最高に嬉しかった。ちょっとでも、役に立つよう協力したいと思わせた。




posted by Nina at 19:30| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月12日

うだる暑さの中、現地調査!

梅雨のうっとうしいさ、多少とも肌寒さを感じるころに白樺関係や民藝関係についての調査を7月にと計画をしていた。我孫子に居住した大正期の文人、文化人の周辺調査に必要だと考えていたが、熱中症の注意報がでるような時期と重なってしまって、一緒に参加してくれた方々も、内心なんでこんな日の昼日中を歩いて回るのだと思わないでもなかったろう。しかし、大正期の青年文化人に劣らず前向きな面々から、止めたらという人はいなかった!? ので、超快晴決行となったわけだった。 

二か所ともアップダウンが多い所だったが、結局タクシーなど使わずに4,5時間は歩いた。武者小路実篤記念館は徒歩、濱田庄司記念館は徒歩および自転車になったから、かなりぼーっとしてきた。
まずは、せっかくの写真をご覧にいれましょう。やはり、我孫子に似た、緑ゆたかな景観がありました。

旧武者小路実篤邸の庭園部分の竹林は、三樹荘(柳宗悦が住んでいた屋敷の名称)の雰囲気にも似ている。
M1820006.JPG 

武者小路の銅像と庭園部分
M1820007.JPG 武者

小路邸の各所が我孫子の景観によく似ていた
M1820011.JPG 

濱田庄司記念館(参考館)の入口
M1870053.JPG

館内にあった、椅子は我孫子にある旧村川堅固別荘内に展示されている「バーナード・リーチの椅子」にデザインが酷似していた。M1870049.JPG









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2013年07月11日

母の努力が世界を変える日

佐野牧子さん(41)は、16歳で日本を飛び出し、米国に留学。大学卒業後、いったん帰国した際、来日公演中だった英ロックバンド「ジーザス・ジョーンズ」のドラマーと知り合い、2年半後に結婚、渡英した。長男、リオン君が3歳半のとき、自閉症で治る見込みはないと診断されたことで転機が訪れたのだ。

「目の前が真っ暗になった」。しかし、いろいろ調べてみると、小麦などに含まれるタンパク質の一種、グルテンを除いた食事で症状が改善したとの研究結果が見つかった。「がんばって症状を改善させる」。そう心に決め、グルテンを含まないお米中心の和食に切り替えた。リオン君は下痢が治り、寝付きがよくなるなど効果も出た。その後は、和食をさらに極めるべく日系の鮮魚店で3年間修業した。仕入れのために朝4時に家を出る毎日だったが、「息子のために歯を食いしばってやり通した」と振り返る。

そして、日本料理店「すず」をロンドンに開店。すしの握り方教室や和食を使ったセラピーを手がけていることが編集者の耳に入り、出版がとんとん拍子で進んだ。「自閉症の息子のおかげで本を出せたのだと思います。感謝しなければ…」 英語で初めて書いた料理のレシピ本「寿司スリム」が、オンライン書店アマゾンに注目され、120万冊もの契約につながった。

フランスやフィンランドなど各国語での出版も決まったが、「日本人ならみな知っている食育の大切さを外国人に分かりやすく書いただけ」と謙遜する。

 リオン君の将来にはなお心配が尽きない。「息子のような発達障害を持つ人が安心して働ける場をつくりたいと思います」。母の“闘い”は続く。(ロンドン 内藤泰朗記者)

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2013年07月10日

ポジティブサポート、発想と選択

三浦雄一郎氏は76歳の時、スキーのジャンプに失敗して左の大腿骨付根が折れた上、骨盤右も数か所が砕けて、やむなく2か月半入院したが、最初の1週間は咳をするだけでも大腿骨と骨盤に激痛が走り、はりを刺しても30分ほどじっとしていなければ痛みが取れない。寝返りすら打てず、完全介護の状態で、医者には歩けるようになれば大成功だとまで言われたことがあった。

そこでも、三浦氏の不屈の精神が頭をもたげたと言う。
「ただ、4、5日してから考えたんです。 山の頂上付近で、雪上にテントを張って寝ている。お互い明日の命も分からないと。それに比べたら、この完全介護の病院生活は天国のようなものじゃないかと嬉しくなりましてね(笑)。もし何かあってもナースコールを押せばすぐ飛んできてくれる、おまけにベッドの上で読みたい本を読め、手は無事だから鉄アレイだって持てるじゃないかと。

また、そういう心の持ち方が回復を早めるんでしょうね。自分一人でどうしようかと、心配ばかりしていても仕方ないですから。 実際に70代で大腿骨を折れば、10人中3人は寝たきりになり、治ってもたいてい後遺症があるといいます。

ところが僕の場合、主治医の先生が首を傾けてるんですよ。76歳なのに、外れた骨と骨が高校生並の早さでくっつこうとしていると(笑)。もう一つは人間の思いといいますかね、これが治ればエベレストに登れるんだと自分自身を鼓舞していったわけです。

というのも、101歳まで現役スキーヤーを貫いた父親の敬三は、90歳から97歳までの間に3回骨折をしているんですよ。普通は90を越えてスキーで骨折したら、もうやめたとなりますよね。でも、本人はこれが治ればスキーができる、またモンブランで滑れるというその一心で治した。それも1回だけならまだしも、3回もね。
100近くになって骨折してもまたできるんだと。

人間は、そういう人を知ることが大きいと思います。 年を取ると家族が皆「そんなの無理だ」「もう年だからよしなさい」と止めに掛かる。これをネガティブサポートと言うそうですね。

ヒマラヤでアラブの放送局が取材に来たんですが、いまや多くの国が高齢化社会になっていて、お年寄りに元気がない、病気をするなど越えなければいけない人類共通の課題がある。しかし80歳でもこんなことができると証明されたと。そかもそれは決して超人が成し遂げたわけじゃない。

ケガをした、病気をした、手術をした、しかも50代の後半、メタボになって500メートルの小さな山も登れないほどの体力に落ち込んだ。 不摂生が続き、高齢者にありがちな状態に陥っていたわけですが、そんな人間がこうして復活できたということ。そこに意味があったと思うんですよ。しかし80歳でもこんなことができると証明されたと。

人生の師というのは至る所にいると思うのですが、僕にとっても最大の師はやはり父親の敬三ですね。 父はサインを求められると好んで「探求一筋」と記していました。「諦める」という言葉を知らず、100歳を越えて入院した時も、痛いという言葉を一切吐かず、周囲の人に心からありがたいと感謝の気持を口にしていたんです。そしていつも僕に「あんた、70?若いねぇ」と(笑)。

自分でいくら年を取ったと思っていても、そんな父の言葉や生きざまに触れると、いつでもそこからスタートできるように思います。 自分で夢をつくり、その夢を実現したい、目標を達成したいという思いを持つことが、人生を楽しくし、その寿を保たせる秘訣ではないでしょうか。

そうやってこれからも命の炎を燃やし、自分の人生を生き尽くしたいですね。」

出典:
《果てなき限界への挑戦》対談・三浦雄一郎&大竹美喜
『月刊致知 2013年8月号』致知出版社
posted by Nina at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月09日

夢を生み出す社会にする為に

三浦雄一郎氏は、70歳でエベレスト登頂、続いて75歳で2度目の登頂に成功した。
そして今年5月、史上最高齢となる80歳にして、3度目のエベレスト登頂を果たした。
いくつになっても夢をあきらめずに追い続ける人は魅力的だ。

ミュージカル「ラ・マンチャの男」主人公・ドンキホーテは年を老いながら
 アルドンサを麗しの姫に見立てて、瞳を輝かせ恋を語り、年を老いながらも『見果てぬ夢』を歌う。

その歌詞は、「見果てぬ夢を見続けて」と始まり、更に次のように続く…
  かなわぬ敵と戦い続け
  耐えがたき悲しみに耐え抜き
  勇者すら行かぬところへ向かう
   …
  これが私の冒険の旅
 その星を追いかける
   どんなに望みがかなわぬものでも
   どんなに遠くにあるとしても
   …

作者のセルバンテスは、こう語る。
「富を失うものは、多くを失う。
   友人を失う者は、さらに多くを失う。
  しかし、勇気を失う者は、全てを失う」

年齢を数えるよりは、勇気を振るえる時を数え、何か他の人の為に
 力を尽くそうと思う人でありたい。

  政治家は、放っておけないなどと言うけれど、そういう姿を
   当選後には、今度こそ、きちんと示して欲しい。
    その為には、国民、市民がしっかりと彼らをウオッチし続けることも大事であり
     勇気を奮って声を上げることも大事だ! 

この国の二十代、三十代前半の若い人々は、現状が悪くなることを恐れる傾向があるようで
 それでも選挙に行かない世代の代表格だ。一票を無駄にする者は総てを失うなどとは言わないが
  国の未来を選択する責任の一端を担わなければ、若い世代にこそツケが回るはずだ。
 
一方、高度成長をなんらか体験した中高年は
  有権者としては比較的真面目に選挙に行く層だとされる。ある意味で日本のもっとも幸運な
   社会保障の時代にあったかもしれない。
    お世話になるだけではなくて、更に夢をもって良き社会にするよう鼓舞していこう。

 まずは、国家の未来を託す選挙には、期日前投票も涼しい時間帯に便利に活用し、
  国民の権利であり、義務である選挙には必ずに行こう!!




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2013年07月08日

参議院選の主要3点

 参院選挙戦は5日目に入り、梅雨明けした日本全国津々浦々、気温も湿度も一気に上がってきたが、日本が直面する憲法、原発、環太平洋連携協定(TPP)という三つの岐路について、各党が論戦を繰り広げている。東日本大震災後の初の参議院選で、この国の政治の大枠が決まっていく大事な選挙だから、自分の考えに近い公約はどの政党なのか、きっちり見極めたい。
東京新聞が各党の公約を主だった3点からまとめていたので、URLをご紹介。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/senkyo/sanin2013/all/CK2013070602100018.html
 
改憲派なのか護憲派なのか、脱原発派か原発維持派か、TPP賛成派か反対派か。
ブレずに一党に賭けるなどと言う人もいるだろうけれど、公約、マニフェスト、アジェンダなど政党によってその名称も使い分けるようにはなったが、本当にその地域のことを考えて実際に実行しようとする候補者なのか? その地域の候補者の資質を知り、どの政党であれば支持できるのか、この週末に考え、期日前投票に行こうという人も多いのではと、ご参考まで。

posted by Nina at 06:08| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月07日

七夕の願いごと

七夕(たなばた、しちせき)は、五節句の一つにも数えられる。中国、台湾、日本、韓国、ベトナムなどにおける節供、節日の一つ。

日本では明治改暦以降、お盆が地域によって旧暦に従う所そうでない所によって、7月か8月に分かれるように、7月7日又は月遅れの8月7日に分かれて七夕祭りが行われる。古くは、「七夕」を「棚機(たなばた)」や「棚幡」と表記した。これは、そもそも七夕とはお盆行事の一環でもあり、精霊棚とその幡を安置するのが7日の夕方であることから7日の夕で「七夕」と書いて「たなばた」と発音するようになったともいう。

元来、中国での行事であったものが奈良時代に伝わり、元からあった日本の棚機津女(たなばたつめ)の伝説と合わさって生まれた言葉である。そのほか、牽牛織女の二星がそれぞれ耕作および蚕織をつかさどるため、それらにちなんだ種物(たなつもの)・機物(はたつもの)という語が「たなばた」の由来とする江戸期の文献もある。

笹の葉さらさら、軒端にゆれる、お星さまキラキラ・・・
梅雨空に二人が会えないままに終わることがほとんどだったのに、異常気象の定例化で、梅雨明け宣言ですから、牽牛織女は日曜の今宵に天の川を渡って手を取り合いデートが適いそうです。
中国と日本、アジア諸国は国境、領海を接するが、歴史を共有し、物語、文物を共有しているのだから、現代人は叡智を凝らして、未来を豊かに平和にするために話し合いをもつべきであるが・・・・、今の驕れる中国政府の要人たちには聞く耳がないような気がするが、どうなのだろうか。

出来うればアジアの友好平和、世界平和、地域経済の活性化を願う



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2013年07月06日

他山の石、まずは学術的な調査を

「足知(ちそく)」“足るを知る”という老子の言葉があります。 何かを手に入れても、それで満足せず、「もっと、もっと」と際限なく欲しがる人を戒める言葉です。

人は、今与えられている当たり前になって、 金や物、名誉や肩書き、地位など、次々に驕りが出てくるようです、それで中国の偉いかたがそれを戒める言葉として残しました。

尖閣問題というと現在は日中のもっとも重要な外交の問題になってしまったが、このことをもって他山の石としたい。

占部賢志  『日本人の物語』致知出版社では、尖閣諸島の記録に触れています。
そもそも尖閣諸島経営の先駆者とは誰だったのか。
実は明治以来、長い間におよんで古賀辰四郎及び子息の善次、その後は善次の妻がこの島を守ってきたのです。古賀は、安政3年に福岡県上妻群山内村(現在の福岡県八女市山内)に誕生しました。 古賀が尖閣諸島の調査に本格的に手を染めたのは明治17年のことです。まず汽船をチャーターして尖閣諸島の1つ魚釣島に探検隊を派遣、翌年にはみずからも乗船して調査に赴いています。

長男の善次が語った証言(『現代』昭和47年6月号所収「尖閣列島は私の所有地です」)に明らかです。
「当時八重山の漁民の間で、ユクンクバト島(尖閣諸島の久場島)は鳥の多い面白い島だという話が伝わっておりまして、…おやじもそんな話を聞いていたんですね。そこで、生来冒険心が強い人間なものだから、ひとつ探検に行こうということになったんです。 明治17年のことですがね。…明治政府が尖閣列島を日本領と宣言したのは、父の探検から11年後の明治28年です」

そこで古賀は、再び「官有地拝借御願」を内務大臣に提出するのです。時の野村大臣は30年の期間を設けて尖閣諸島のうち魚釣島と久場島の貸与を許可します。許可が下りるや、開発は飛躍的に進みました。家屋の建築や井戸の掘削、開墾によって生活の基盤を築いて人を移住させ、魚介類の加工工場や羽毛製造所その他多岐にわたる施設を設けて発展するのです。

明治33年に開かれたパリ万国博覧会では、尖閣諸島などで製造した真珠や貝殻類を出品し、見事銅賞を受賞。
明治42年、古賀の尖閣諸島をはじめとする目覚しい開拓事業に対して藍綬褒章が下賜されました。

また、善次は次のように述べています。
「大正8年、中国福建省の漁船が、尖閣列島沖合いで難破しました。そのとき、たまたま私の船がそれを発見し、難破船と31人の乗組員を助けて石垣島へつれてきて、手厚い保護をしました。私だけでなく、石垣の人たちも彼等を親切にもてなし、修理をおえた船とともに中国へ帰してやったのです。 翌年ですよ、中国政府から私をはじめ石垣の関係者に感謝状が送られてきましてね。その宛名は、日本帝国沖縄県八重山群島尖閣列島でしたよ。いま中国がいっている魚釣台ではなく、ちゃんと尖閣列島になっています。個人からの手紙ではありません、政府としての感謝状なんです」

ここに紹介された中国政府から贈られた「感謝状」は現在も保管されています。
今を遡ること90年以上も前から、中国は尖閣諸島は日本の領土であると認識していた決定的な証拠にほかなりません。こうした事実にもかかわらず、中国や台湾の一部勢力が何故領有権の主張を始めたのか。

それは、昭和40年代後半の国際連合機関による海底調査で、この一帯に豊富な海底油田の可能性が取り沙汰されるようになったからです。

確かに、太平洋戦争、日中戦争でアジアに多大な惨状を巻き起こした大日本帝国軍体の爪痕は人々の心を今もささくれ立たせて、憎しみを喚起することはありますが、歴史に記録された部分を曲げようとしているというところがあれば双方の学者たちがきちんと整理をつけていけるよう、政治家や軍隊の出てくる前に、協力して学術研究を進められるようにすべきと思うがどうだろうか。




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2013年07月05日

ネット選挙解禁

いよいよ、参議院選挙へGo!今回より、ネット選挙解禁でツイッターやフェイスブックなどのSNSを利用した選挙運動ができるようになった。一方、一般の有権者へのEメール解禁は見送られた。SNSとEメール、その境目はどこなのか。

 今回の法改正で、一般の有権者も含めて、FacebookやTwitter、LINE、mixiなどのSNSを使って特定の候補者への投票を呼びかけることはOK。SNSのユーザー間で個別のやりとりを行う「メッセージ機能」も、今回の解禁の対象に含まれます。これにより、SNSでつながる友人に、「次の選挙は○○候補がいいよ」などと個人的にメッセージを送ることも可能。

 ややっこしいのは、電子メールを利用した選挙運動は一般の有権者は除外、候補者と政党だけ許されるということになった。Eメールは密室性が高く、誹謗中傷やなりすましに悪用されやすいことなどが理由だとされる。携帯電話のSMS(ショートメッセージサービス)についても、電子メールと同じく、一般の有権者が選挙運動に使うことはできない。

 ネットユーザーのあいだでは、SNSのメッセージ機能と電子メールはとくに区別されずに使われているのが実情です。メッセージ機能はOKなのに、Eメールは違反という規定は、一般の有権者にとってはわかりにくい。たとえば、友人からLINE経由で届いた「○○候補をよろしく」というメッセージを、別の友人に伝えようとEメールしたら、選挙違反との判定がつきます。

 法案をめぐる国会審議でも、この規定を疑問視する声が出た。4月4日、衆議院に参考人として招致された慶應義塾大学客員教授の夏野剛氏は、「誰々さんが当選した方がいいんじゃないかなと、ツイッターでつぶやいてもいいのに、メールで送ったらだめというのは、これは非常にわかりにくいですね」と意見陳述していた。

 今回の改正では、Eメールの利用について「次々回の国政選挙における解禁について適切な措置を講じる」という付則が盛り込まれた。7月の参院選での実施状況によっては、Eメールについても全面解禁される方向へ進む可能性も言われている。
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2013年07月04日

ORIGAMI、世界で愛されるアート

折り紙は、日本人にとってなじみ深い遊びだったが、 それまで子どもの遊び程度にしか思われていなかったが、今や「JUDO」などと同じく「ORIGAMI」もまた世界の共通言語となっている。もっとも、神道で用いられる御幣や、慶事の進物や贈答品に添える熨斗なども折り紙の一種で、このような折り紙は、古来より日本人の暮らしと密接な関係を保ってきた。

折り紙を、絵画や彫刻のような芸術にまで高めることはできないかと考えたのが、吉澤章だった。http://www008.upp.so-net.ne.jp/origami-ios/inform.htm
1950年、吉澤は「芸術作品」としての折り紙を初めて発表。紙の面と線の屈折、そして色彩の三位一体から生み出される造形美を追求した。1954年、初の著書となる「折り紙芸術」を発表し、翌1955年、アムステルダムにて初の海外個展を開催する。

1枚の紙から糊や切り込みを一切使うことなく、自然の造形を細部まで再現したその独創的な作品は、折り紙に慣れ親しんだ日本人にさえも驚きを与えた。 躍動感あふれる動物たち。耳を澄ませばさえずりが聞こえてきそうな鳥。脚の一本一本まで精巧に表現された昆虫。生き生きとした子どもたちの表情。生命を吹き込まれたかのような彼の作品は、大きな話題を呼び、世界の注目を浴びることとなる。以来、世界50カ国以上で個展や講習会などを開き、芸術としての「ORIGAMI」の名を広めていく。

吉澤の作品のモチーフは、動植物をはじめ、仮面、天体まで多岐に渡る。また、非常に写実的なものからシンプルなものまで、表現手法も豊かだ。テーマを練り上げて作品を完成させるまでに数年を要することも珍しくなく、中には23年という途方もない歳月をかけて発表された作品もあるという。彼の作品の特徴は、見る者にみずみずしいまでの生命力を感じさせることにある。吉澤は対象物を徹底的に観察し、本質をつかみとることによって、自然の法則に従った折り線構造を編み出していった。その結果、外観だけでなく内面をも見事に表現した独創的な作品群が数多く発表されてきたのである。

1911年栃木県で生まれた吉澤章が折り紙と初めて出会ったのは、彼が4歳の時である。1枚の紙が「折る」という極めてシンプルな行為により様々な形状に変貌していく、そんな折り紙の面白さと奥深さに、幼い吉澤は夢中になった。13歳で上京し、鉄工所などで働きながらも吉澤は、独学で折り紙を折り続けた。

彼が本格的に折り紙の研究を始めたのは、1938年のことであったという。 1枚の紙と10本の指から生み出される生命力あふれる作品群に、世界が驚嘆し虜とした。 命あるすべてのものを慈しみ、本質をとらえる優れた感性と卓越した創造力によって、新しい芸術を生み出した吉澤は、日本人になじみ深い折り紙「ORIGAMI」というアートにまで高めた。吉澤が生涯をかけて愛した折り紙は、世界中に愛好家を持つまでとなった。

1954年にに国際折り紙研究会を創設した。1966年からは、外務省から折り紙講師としてオセアニア、ヨーロッパへ派遣されるなど、世界各地で作品展、講演を行って折り紙の普及に努めた。晩年も精力的に活動を行っていたが、ちょうど94歳の誕生日だった。2012年3月14日、吉澤章の生誕101年を記念して、Googleのホームページのロゴが「折り紙」バージョンとなった。1983年、勲五等双光旭日章



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2013年07月03日

フェイスブック(FB)の「いいね」/「よくないね」

ツイッターをするとして名を馳せたオバマ米大統領とフェイスブック(FB)に熱心な安倍晋三首相が非公式に会談をして、尖閣湾のことで共通認識をもったのではとの推測がされていた。

 それまでには、首相に復帰する以前に昭恵夫人が、立教大学院に入学して、ミャンマーを研究テーマにしていることをブログで公表するなどでも知られていた。このところの首相自身はFBで、田中均元外務審議官を「外交を語る資格はない」と批判した発言が、政治的波紋を広げている。

 首相が問題視したのは先月12日付の毎日新聞朝刊に掲載された田中氏のインタビュー記事。田中氏は首相の河野談話を巡る発言などを挙げ「右傾化が進んでいると思われ出している」などと懸念を示した。首相は12日夕、FB上で自らが官房副長官だった2002年当時、田中氏が帰国した拉致被害者5人を北朝鮮の要求通りに同国に送り返すべきだと主張したと指摘。「外交官として決定的判断ミス。外交を語る資格はない」などと批判した。

 すると民主党の細野豪志幹事長が14、15両日、自身のFB上で「発信を自制すべきだ」などと指摘したところ、首相は16日、訪問先のポーランドからFB上で「的外れな批判をしている。自身の政治家としての行動に対する自省がまったく無い」などと激しく批判した。そのため細野氏は17日夜、FBで再反論し、異例の激しい応酬に発展した。田中氏もテレビ番組で首相に反論。「場外」で過熱する論戦に首相の足元の自民党からも自制を求める声が出始めた。

 安倍晋三首相がFBで田中均元外務審議官を「外交を語る資格はない」と批判したことをめぐって、自民党の小泉進次郎青年局長は18日、「個人の名前を挙げて反論、批判はすべきじゃないと思う。政治家が、いちいち批判に反応していたらきりがない」と指摘した。
 
 小泉氏は国会内で記者団の質問に答え、「首相は何をやっても批判はある。面白くないな、分かっていないな、と思うことがあっても、政治家の宿命だと思いながら結果を出すことに専念したほうがいい」。首相と同じようにFBに個人アカウントを持って発信することには「読書や勉強の時間を犠牲にしかねないという思いがある」と話したとも伝わっている。

 ちなみに、海津にいなも立教大大学院に入学した当時に、学友にSNSの一つとしてフェイスブックへの加入を教えてもらった。簡単便利、時折書き込みをして専攻科の連絡網がわりになっていたり、かつてのペンパルと?十年ぶりの再会をしたりしたが、それも一段落。筑波大大学院に移って以降は気になる動画の紹介をするくらいしか時間がない。各国から来る留学生が、意欲的に日本の政治について研究するのを見て刺激を受ける。彼らに千葉や我孫子での話をするとかなりいいヒントになるらしい。政治の民主化について考えてみれば我孫子は、白樺派だけでなく、その点でもいいテーマになるかもしれない。大学の帰りに、我孫子駅で手賀沼花火大会の募金活動が熱心に行われていた。帰ったら夫も娘も「南口も北口もやってたので、両方に募金して来たよ。我孫子は頑張ってるね」などと言っていた。


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2013年07月02日

リンゴのニュートンの原理は変わらないが・・・・

昨日は、消費者の会の定例会だった。食品の表示の問題点などについての話がでたが、豊富な食を楽しめるようになった一方で、その中身も食べ方も昔とはずいぶん様変わりしていると思う。


例えば、生鮮果実の1人1年当たりの購入量は、平成元年には34.4キログラムだったのが、平成23年には27.1キログラムまで減少したとの報告がある。世代別摂取量を見ると、とりわけ20代と30代で少なく、60代の半分程度しかない(平成21〜23年平均/農水省『果実をめぐる情勢』)。一方、果実加工品の購入数量は増加傾向にある。生の果物ではなく、ジュースや菓子類など、加工品での果物を摂る人が増えていることがわかる。 農水省の上記調査によると、生鮮果実を食べない理由として約半数が挙げているのが「手間の問題」だという。

 果物屋を営む60代女性はこう話す。
「いまは、一人暮らしの方が増えていますよね。一人暮らしにリンゴ5玉やスイカ1個は多すぎる。大きな果物ほど、売れにくくなっています。それに、若いお母さんがリンゴや桃を、上手にむけない状況が増えています。だから、カットフルーツが売れるんですよ。コンビニにも増えていますが、うちの店頭でも、カットフルーツを出すようにしています。」

“個食”の増加は、複数人で食べるのに向く果物にとって、逆風となっているようだ。もう一つ、背景にあるのが、味覚の変化である。たとえばグレープフルーツの輸入量は、この10年で約半分に減少した。一方で、キウイフルーツは約30%、バナナは約16%、10年前と比べて輸入量が増えている(外務省貿易統計)。いずれも甘味を強めた品種を強化し、日本での存在感を高めてきた。CMを積極的に展開するゼスプリのゴールドキウイは、日本人の味覚に合わせて高い糖度を実現できるように開発された品種だ。「イチゴもどんどん甘くなっています。トマトもそう。酸っぱいものは避けられるようになっています」と、前出の女性は話している。

「味香り戦略研究所」の高橋貴洋さんは、「酸味は本来、腐敗のシグナルで、人間は酸っぱいものを避けようとする傾向があります。果物の重要な味わいとしては酸味だけでなく、糖(甘さ)と酸のバランスが大事です。つまりそのバランスの好みが変化しつつあるということです。世代によっても好みは異なるのですが、特に若い世代と、お年寄りは、甘味が強いバランスを好む傾向があります」

 では、なぜ、甘さ志向が強まっているか。高橋さんは、「人間が、本能的に摂取したいと欲する味は、甘味、旨味、塩味など。いずれもエネルギーなど体の組成に必要なものです。一方で、酸味・苦味・渋味などは“毒のシグナル”とも言われ、元来、人が本能的に避ける味です。ですが、人間が成長し、食経験を重ねるなかで、それらの味のおいしさを学んでいく。そうやって味覚を広げていくわけです。ただ、最近は、子供の“個食”も増え、好きなものだけを食べがちになるなど、味の経験を積む機会が減りつつある。その結果、人が本来持っている甘味志向が強まっていると考えられます」と甘味と酸味の成り立ちの違いを指摘する。

 甘さの氾濫には、核家族が進んで味覚の経験も不足がちになっているのが関係しているのかもしれない。日持ちするために色々な添加物の入った食品、その表示も厳格なものから緩和措置が進められていきそうだと、消費者の会のメンバーらは危惧しており、せめても勉強会を重ね、国に意見書を送って監視しようという。日々摂取する食品の変化によって、アレルギーも引き起こされて思わぬ死亡事故も起きてくるのだからこうした消費者の知恵と積極的な活動は重要だ。

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2013年07月01日

マリア・アンナさんか、兼子さんか

日曜日、銀座・松坂屋が88年の歴史ある店を閉じた。通販、廉価ショップの販売合戦に苦戦をしいられて、ピーク時の1/5の収益に落ち込んできたのと建物の老朽化によるとしている。物販、印刷や食品に関わる店などは廃業があいつでしまうのが、このところ目立って、アベノミックスの効き目の前に撤退を余儀なくされているようで、至極残念です。

さて、話題を変えて、大ヒット商品の話題を探してみました。
【レポート】キリン『午後の紅茶』に描かれている、あの貴婦人は誰? -キリン株式会社 CSV本部 コーポレートコミュニケーション部 広報さんに聞いてみた、というのに注目、ご紹介です。


キリンビバレッジの『午後の紅茶』といえば、ペットボトルの紅茶のトップブランドですが、そのラベルには謎の貴婦人が描かれています。実在の人物をイメージキャラクターにしたのだそうで、しかも7代目という由緒ある公爵家の夫人・アンナ・マリア・ベッドフォード(1788〜1861)さんだったのです。アンナ・マリア公爵夫人は、アフタヌーンティーを広めたといわれている女性なのでそうなのです。

※アフタヌーンティーは現在に受け継がれているイギリスの風習です。お菓子をお茶請けに紅茶を楽しみます。サンドイッチ(これはサンドイッチ侯爵がトランプをする際に、軽食をとれるように執事に創らせたとかいうことが起源とされる)などの軽食を取りながら、貴族女性がおしゃれな社交の場として広まったといわれています。


日本にも紅茶の本場イギリスの習慣を根付かせたいと当時の貴族の装いや風俗を参考にしてイラストが描かれています。大智デザイン事務所主宰の大智 意(おおち こころ)さんによるものです。最初、イラストは当初はパッケージのラベル側面に描かれていましたが、商品は大ヒットして、正面に描くようになりました。また、イラストも2008年にリニュールいたしました。より親しみやすい印象を与えるように変わりました。

アンナさんも、没後125年以上たって、日本で自分の肖像画が描かれた商品が販売されるなんて、思いもしなかったでしょうね! 我が我孫子の誇るプリマドンナ・柳兼子さん(世界的なドイツリート歌手)が世界のどこか街角で描かれる日を待ち望みたい。


マイナビニュース 6月30日(日)18時10分配信
posted by Nina at 12:02| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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