2013年06月08日

我孫子ウオーズ(奮闘記) エピソードI 

我孫子は、手賀沼、利根川、古利根川に囲まれた細長く狭い土地柄だが、隠れたエピソードには事欠かない。千葉と茨城、東京の奥座敷とも言えるが、その昔は参勤交代の陣屋が置かれ、幕末には水戸浪士も走り抜けた街道であった。千葉の中でも教育熱心な土地柄もあって、戦後のPTAの設立も全国に先駆けであった等々、エピソードには事欠かないので、敢えて言うまでもないとのことだったのか、取り立てて記録されて伝承しようとの意識に登らなかったのか、そのままにされてきたきらいがある。

ところが、今の時代、街のウリをどう生かせるか、プロデュース力が問われる。
その見せ方、押し出し方は、それこそセンスが問われるだけに、行政を頼っていのでは華は咲かない。
知恵と経験をもってして、自分の住むまちのために動く仕掛け人が要る。観光のまちづくりで成功しているところは、そうしたプロデューサー、キーパーソンがいる。だから、素材的には我孫子にも盛りだくさんのストーリテリングが可能で、脈はありそうなのだが、持てものがあっても、それを伝えられないと作品が振り返られるかどうか、だ。

そこで、二人の天才画家の例を挙げて、ストーリーを語る大切さを考えてみたい。

誰もが知っているゴッホとピカソ、二人の評価は天と地ほどの差があったのはよく知られている。
ゴッホは、その2000点にものぼる作品のうち、生前に売れた絵はわずか1点のみだった。
収入に事欠く苦しい生活を、弟テオの援助でようやく創作活動を続けることができたというのは、本にもなっている。

一方のピカソは、恵まれた環境と卓越した才で当然のように成功を手にし、多くの女性とも浮名を流して91歳で生涯を閉じた。ピカソが、手元に遺した作品は7万点を数え、その上に数ヵ所の住居や、複数のシャトー、莫大な現金等々を加えると、ピカソの遺産の評価額は、日本円にして約7500億円にのぼったといわれる。美術市場、ピカソほど経済的にも成功に恵まれた画家、つまり「儲かった」画家はいないだろうと言われる。

ピカソの商才こそ大したものだった。「お金とは何か?」を深く理解して、お金をどう集めるかの卓抜したセンスも持ちあわせていた、その画才を際立たせたプロデュース力にもエピソードが多々ある。自分を高く売ることに関しても顧客(画商)の心を読むことに天才的であったので、現生で富を手にすることを楽々とやってのけた。

新しい絵を描き上げると、ピカソはなじみの画商を数十人呼んで展覧会を開き、作品を描いた背景や意図を細かく説いたという。絵の意図を見事に解説することにかけて天才を如何なく発揮した。人は、作品という「モノ」にお金を払うのではない、素晴らしい作品を描く前提に意味があると分かっていて、 人はその作品の「ストーリー」を買うのだ、と熟知していた。

そこで、たくさんの画商が集まれば、自然に競争原理が働き、作品の値段も吊り上がる。ピカソは、自分の作品の“価値を価格に変える方法”今でいえば“マネタイズ”の方法をよく知っていたと思う。

   ふうん、貧乏と金持ちは意識の持ち方で分かれてしまい、チリと積もれば山となるのかあ・・・・。
   それにしても、ゴッホは切ないほど金欠状態で絵具にも事欠くとは・・・・。


このようなピカソが、気前がよいかと言えば、小額の支払いであっても、好んで小切手を使ったのだという。ピカソは有名だったため、商店主は小切手を銀行で現金に換えないで、直筆サイン入りの作品として額に入れて飾っておくだろう、つまり自分の口座は減りが少ないと考えたからだった。

また、シャトー・ムートン・ロートシルトというフランス、ボルドーの有名な高級ワインがある。その1973年のラベルはピカソがデザインしたが、その対価はお金ではなくワインで支払わせたというのだ。計算高いピカソは、ラベルの評判が高ければ高いほど、ワインの価値は高まり、高値がつくと考えたからだ。
このようにして、その卓越した画才もさることながら、私人としても大成功した。


更にいうと、藤村正宏(コンサルタント)は『「モノ」ではなく「体験」を売れ』)という本の中で、体験とはモノの背後に隠されたストーリーのことだと説明する。例えば、テレビで目隠しでワインの銘柄を当てる番組がある。しかし、ワイン通と言われる芸能人のほとんどがその銘柄を当てることができない。グルメを称する人が、料理でも同じことが起こり、ファミレスの中華と、高級店の中華も当てることができなかった。

つまり、人は味とか品質というモノを買うのではなく、ブランドとか、銘柄というストーリーを買っているから起きることだという。ビジネスには業界の違いがあっても、「ストーリー」を伝えることが今やとても大切だ。ピカソの商売上手は、作品のストーリーをも伝える類まれな才能が発揮されて、更に作品を進化させて、比類ない数の名画を残した。我孫子としてのストーリーを上手くプロデュースできるなら、多くのチャンスが開けると思う。


参考:
山口揚平『なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?』ダイヤモンド社
posted by Nina at 23:00| 千葉 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
カテゴリ
日記(3653)
ニオュ(0)
歴史(0)
chiba(60)