2013年05月22日

80歳、日本人によるエベレスト登頂世界記録を

富士山頂から直滑降したプロスキヤーの三浦雄一郎は更なる高見を目指す人が。70歳になっても(2003年、08年)と2度のエベレスト登頂を成し遂げた。成功直後から、「己の限界への問いかけであり、大自然に対する畏敬の念と誇り。人類の可能性を1ミリでもあげたい」と強い志を胸に燃やしたという、冒険家、チャレンジャーだ。現在は、80歳という年齢で明日とも言われるエベレスト山頂到達を目指し、まさに挑み続けている。

しかし、2009年、スキー中に骨盤と左大腿骨の付け根を骨折。この負傷により復帰は絶望的とみられていたが、これまで数々の偉業を成し遂げてきた不屈の冒険者はもう一度世界最高峰の頂きに立ちたいというシンプルな思いで、半年後にはトレーニングに復帰した。国内のみならず、昨年10月から現在ヒマラヤ(6000m級)でトレーニングを重ね、高度順化、体調のチェックなどを行なっていた。

今回のプロジェクトには、もうひとつ大きな目的がある。加齢制御医学(アンチエイジング)の専門家でもある豪太率いる医療チームによる、低酸素環境下における酸素と老化の関係の研究データの測定である。標高8000m級の高所は生身の人間が到達できる限界といわれていて、酸素濃度が平地の3分の1となるため、肉体年齢が70歳近くも加齢する。80歳の三浦にとって、超高所への登山は150歳の肉体年齢での挑戦となるのだ。数字の上では100歳の若返り(アンチエイジング)を目指さなければ、8000m峰での活動は難しいという。

MIURAエベレスト2013は、来年の5月、三浦と次男・豪太とともにエベレスト山頂(標高8848m)を目指すプロジェクトだ(三浦の体調などを考慮し、アタックはおそらく1回のみ予定)。成し遂げれば当然、史上最高齢記録樹立をすることになるが、三浦は「記録樹立より何よりも自分自身への挑戦という意味が大きい」と力強く述べていた。


三浦雄一郎エベレスト応援基金
http://justgiving.jp/npo/766


・・・三浦雄一郎 プロフィール・・・・・・・・・・

幼少期は病弱で幼稚園は中退、小学校4年生から5年生時には結核で肋膜炎を患い長期入院のため1年の半分ほどは学校に通えなかったほどだったという。農林省(現・農林水産省)営林局に勤めていた父の仕事の都合で小学校は5回転校、旧制中学校は先述の健康問題が理由で1度旧制黒沢尻中学校(現・岩手県立黒沢尻北高等学校)への入試に失敗し小学生浪人、入学後も4回転校を繰り返した。大学進学において、スキーが出来るからという理由で北海道大学を受験先に選び、入学試験直前にもかかわらず「もう来れないかもしれない」と考え藻岩山でスキー三昧だったものの合格し、獣医学部に進学、北海道大学では一般教養部で当時理学部に在籍していた作家の渡辺淳一と同期だった。

在学中に当時の学長秘書、かつアルペンスキーの女子選手だった妻・朋子と出会い同棲の後結婚、大学院進学、そしてアメリカ留学を希望していたものの、肺の病気を患い、暫く母校の北大獣医学部に助手として勤務、札幌市月寒(現・札幌市豊平区月寒)にあった当時の北大農事試験場でブタやウシをあつかう獣医師をしていたが、26歳で助手の職を辞任、スキーに挑戦するも、優勝した全日本スキー選手権青森県予選閉会式で、全日本選手権への青森県からの派遣人数をめぐりスキー連盟関係者と対立、結局アマチュア資格を剥奪され、アマチュアスキー界永久追放の憂き目に遭う。プロスキーヤーとなり、スキー学校を経営。

54歳で、世界七大陸最高峰全峰からの滑降を成功させた。しかしその後目標を失い、不摂生な生活を送った挙句、身長164 cmに対し体重85 kg超、血圧は200近くまで上がり、不整脈まで出る不健康な状態となってしまう。しかし、99歳にしてなおモンブラン氷河の滑降という挑戦を続ける実父や、オリンピックに出場した次男の豪太らを見て改心、65歳の時に、5年後の70歳でエベレスト登頂を果たすという目標を立て、外出時には常に両足に重りを付け20 kg近いリュックを常に背負うというトレーニングを再開、当初は藻岩山登山ですら息切れするという体たらくだった体力を回復させ、2003年5月22日、世界最高峰のエベレストに世界最高齢(ギネスブックに掲載)となる70歳7か月での登頂を果たす。同時に二男・豪太との日本人初の親子同時登頂も遂げた。その後も、記録を更新する75歳でのエベレスト登頂では、前日に76歳で登頂したネパール人男性が成功したことで、再度の挑戦がされることになった。厳しいアタックのために記録更新が成されるかどうかは、明日のヒラリーズステップの天候次第となる模様。



1971年スポーツ英雄大賞(スペイン)、1973年青森大学工学部生物工学科教授就任。1975年に米アカデミー賞(長編記録映画部門)=「THE MAN WHO SKIED DOWN EVEREST」。1992年4月からクラーク記念国際高等学校(北海道深川市納内)校長。2006年6月からNPOグローバル・スポーツ・アライアンス理事長を務める。

2009年2月、札幌市内のスキー場でコース内に作成されたバンクから飛び出し骨盤を骨折。手術後リハビリに励み回復した。2010年、オーストリア・アルベルト・シュバイツァー協会よりアルベルト・シュバイツァー章受章。2012年10月、2013年春に80歳で3度目のエベレストに再登頂することを会見。成功すれば最高齢登頂者となる。


posted by Nina at 00:00| 千葉 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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