維新の党代表の従軍慰安婦、韓国女性に対する女性差別発言などが国際社会からもひんしゅくを買っているが、石原慎太郎・共同代表も2001年“ババア発言”(閉経してしまった女性が、きんさん・ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害だ)との発言をして大問題になったことがある。B・ヒルズ(『プリンセス・マサコ』を書いたジャーナリスト)は、「日本ではこうした女性への侮辱に対する罰則が定められていない。西洋人の目からみて驚くのは、こんな途方もない発言をして喜んでいる石原のような社会的ネアンデルタール人がこういうことを言ったという事実もだが、法廷がこれを許したという事実である」と批判した。
少子高齢化で女子力が必要な現代には職場における男女平等は、当たり前のようになってきたが、現実はまだまだのところも多い。特に問題なのは、政治家の意識が国際社会とズレていることで、維新の代表と共同代表の両者とも批判されるのはゆゆしき事実だ。
それを裏付ける日本社会のこれまでの意識も、ついこのあいだまで女性の仕事と言えばお茶汲みタバコを買いに走らせたり、コピーや書類運びをであって、将来的な昇給や昇進など望むべくもない、結婚イコール退職が慣例とされていた。日本社会の安全弁宜しく女性職種を低賃金に抑えて、暗黙の若年退職を押し付け、一人前の社会人として認めない社会だった。それが多くの女性たちの裁判闘争や長きにわたる努力によって、1985年に男女雇用機会均等法が制定され徐々に変わってきた。就職、昇進、定年など、職場における女性就労への差別を撤廃する日本初の法律が作られて後も、先進国での女性の管理職登用などが数段遅れていた実態は何度も指摘されてきた。
これらを変える努力を付き重ねてきた女性の霞が関官僚の一人が赤松良子だったといわれる。それまでの日本社会の慣習、国際社会からずれた常識をどう変えるか、懸命の調整を続け、戦った。生殖能力だけを女性としての存在価値にしているような御仁も政党トップにいて頭を押さえるが、地道な努力が女性たちの中では続けられてきた。今や少ないながらもトップリーダーになる能力を示す女性の活躍もある。世界にも伍していく日本になるためには、古い秩序を破り、新たな制度化をする必要があったが、必要以上に長い時間を要した。おかげで他のアジアの女性たちから比べても決して先頭を進んではいないが、その一歩を始められたのは、赤松良子らの功績だ。
http://www.chrysler.co.jp/history/1980/akamatsu.html