嘉納治五郎の意思を継ぐ、女性柔道家は山口香だとも言えよう。理論家であり、筑波大准教授としても後進を指導する。私も筑波大通いをするようになっているので、筑波大、つくば市のことも気になる。
「女姿三四郎」と言れた山口こそ、漫画ヤワラちゃんの作者がモデルにした人物だったそうだ。女子柔道は山口が出てくるまで、欧州と米国の方がレベルが高く、日本人女性柔道家はメダルに届くことが少なかった。1980年代、第3回世界選手権で日本人女性柔道家として、山口香が史上初の金メダルを獲得。ソウルオリンピックでも銅メダル獲得など、日本女子柔道が世界のトップに通用することを証明した。2011年にはJOCの理事に選出された。女子柔道強化選手による暴力告発問題では、告発した選手のサポート役を引き受けており、3月20日付けで新たに全柔連強化委員にも加わることになった。
嘉納治五郎が説いた 講道館柔道の理念 「精力善用」 「自他共栄」の精神は、男女を問わず、柔道を通して得たことを、社会生活にも応用することだとされる。「精力善用」とは、自分がもつ心身の力を有効に活用すること、「自他共栄」とは、相手を敬い感謝することで信頼し合い、助け合い、お互いに成長すること。
今春、その山口も薫陶をうけた、「女子柔道の母」と言われた女性柔道家が米国で亡くなった。
嘉納治五郎の掲げた理念をもとに、強い信念を持ち、柔道に身を捧げてきた講道館九段の福田敬子師匠だ。2月9日、99才。亡くなる直前まで後進の指導を続けていたという。
福田師匠は、講道館創始者の嘉納治五郎の柔術の師匠・福田八之助の孫だ。
女性柔道家の講道館九段は世界唯一、最高位である。
51才の時、1964年東京オリンピックの女子柔道エキシビションで「柔の形」の演武を披露したのが、福田敬子だった。1966年、53才の福田は講道館五段、この時に国際的な普及を目的に渡米し、数ヶ月の滞在のつもりが、「もっと柔道を教えてほしい」と生徒たちに懇願され、そのまま定住することになる。1967年にはサンフランシスコに道場「桑港女子柔道クラブ」を創立し、以来、柔道を世界に普及するために奮闘する。
当時、福田の前途には大きな敵が立ち塞がっていた。柔道界に根強く残る男女格差である。男子と異なり女子の最高段位は五段までと定められており、5段の福田がそれ以上の段位へ挑みたくても認められることはなかった。福田は女性差別の撤廃を求めて柔道界に懸命に働きかけた。渡米後、1972 年、女性で初めて6段に昇段する。今日、女性が男性と同じように昇段できるのも、このときの福田の必死の働きがあったからだと言える。
「桑港女子柔道クラブ」を拠点に世界各国を回り、柔道場で弟子の指導にあたり、54才から65才まではMills Collegeの体育の教授として柔道を教えた。柔道の指導に関する本も出版し、一生を女子柔道の普及にささげ、日本国籍をも手放し、未婚ではあったが、多くの弟子を育てた。
「どこへ行っても慕われ愛される人間になってほしい」・・・・福田の願いだったという。
2006年4月には、柔道を通して素晴らしい人間を育てる理念のもと、福田の誕生日を機に奨学制度「Keiko Fukuda Judo Scholarship」を設立、若い選手をサポートしてきた。
2011年、米国柔道連盟は最高位である十段を福田敬子師匠に女性柔道家として初めて授けた。米国の「女子柔道の母」と言われるだけでなく、「世界の女子柔道の母」と言われるようになった。こういう点で、米国は組織が柔軟に機能し、対応が早いところがある。
一方、男女格差の強い日本柔道界が、暴行・パワハラ問題後も日本スポーツ振興センターの助成金不正徴収疑惑も発覚。いずれも、反体制派の「内部リーク」(関係者)というのが多くの全柔連関係者の認識だというが、不祥事がつづいた後、4月1日、東京都教育委員会の教育委員として瀬古利彦(マラソン)の後任に山口香が就任した。女性だからこそという新手で古い型を打ち破り、嘉納治五郎が願った日本柔道の形に立ち返らせて頂きたい。期待できる女性が多くいて、力を発揮できる社会は刷新もでき、発展する!