2013年05月31日

歴史の汚点、再考する必要性

元慰安婦と名乗る生き証人は、なかなか表明されることはありません。例えば、ドイツ軍の敗退後に、慰安婦たちは裏切り者扱いされてリンチ、告発されて殺されたからで、それを逃れた人たちは、ひっそりと過去に口をつぐんで生きていたということからも事情はわかります。それでは、日韓の間にくすぶるこの慰安婦問題について、何が解明する糸口になり、何を目標にこの解決を探ることが出来るのでしょうか。軍が介入したと認めるか認めないかなのか、慰安婦の補償なのか、帝国日本の悪行仔細を未来永劫にわたり追及することに日韓の歴史研究者が血道をあげ猛反を促すことなのか、と言う点からだろうか。橋下市長の発言は、問責決議に発展、それは参議院選にも影響が出ると議会内の賛否まで変わる事態になりました。そこで、ネット検索してこれまでにあった、戦時下の同様な例を検索してみましたので、ご参考までに転載しておきます。

こうした問題を見過ごさずに、今の時代だから再発しないように戦闘行為を喰い止めたいとの女性学者、記者たちの活動は尊いと思いました。今、所属している研究科には海外からの留学が半分以上、しかも女性が多い。若い彼女たちは、日本の政治、メディアの動きに関心をもっている。男性と違う視点での研究が期待できるのは楽しみです。

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◎「ナチズムと強制売春 強制収容所特別棟の女性たち」
クリスタ・パウル/イエミン恵子 他/明石書店/1996
強制収容所内に設置されていた売春施設について明らかにする元囚人たちの報告、証言。また収容所以外の地に設置された国防軍用売春施設についても書かれている。ドイツでは斡旋を伴う売春を完全に合法化し、売春地帯を一定の場所に隔離し、政府が性病管理をすることによって性病が減少したとされており、タイの公娼制度はドイツを参考にしたといわれる。

「シュミット夫人たちの戦争 第二次世界大戦下のドイツ女性」
コリン・タウンゼント、アイリーン・タウンゼント編/グループ・サイファー訳/近代文藝社/1995
1989年にイギリスで出版された「War Wives」(第二次世界大戦を体験した英・独の94人の女性の話を集めた証言集)のドイツ女性の部分を訳出したもの。ドイツ女性の証言である本書には、ポーランドへ送られるらしいユダヤ人が長い列を作って通り過ぎていく様子(1942年)、進軍してきたロシア兵による強姦、ドイツ敗北に伴う東部での報復行為(1945年)など、「銃後」ではない戦争体験の証言もおさめられています。イギリス女性の部分は「スミス夫人たちの戦争」として1993年に翻訳・出版されています。

◎大戦中の欧州では米兵、仏女性を性的はけ口にレイプも多発  
米ウィスコンシン大学のメアリー・ロバーツ教授(歴史学)が著した「兵士たちは何をしたのか−第2次大戦時のフランスにおける性と米兵」が、6月に刊行されることが分かった。
第2次世界大戦中、ノルマンディーに上陸しフランスに進撃した米軍兵士の多くが、レイプなどトラブルの種になっていたことを示す研究書で、ナチス・ドイツからの欧州解放の立役者となった米軍の影の部分に光を当てたものとして注目される。

この本は、米仏両国の資料を分析したもので、同教授によれば、米軍進駐後のフランスでは、公園や廃虚などさまざまな場所で米兵が性行為を行っている姿が見られた。レイプも多発し、数百件が報告された。米兵による買春もあった。フランス女性たちは既婚者でも米兵にしつこく誘われ、ある住民は「ドイツ占領中は男たちが隠れなければならなかったが、米兵が来た後は女性を隠さねばならない」と言っていたという。当時のある市長は駐留米軍幹部に苦情を寄せたが、問題は改善しなかった。(【ワシントンAFP=時事】2013/05/26-19:29)

◎戦時下において各国軍隊による敵国女性へのレイプが少なからず発生した。
 ボスニア紛争は、第二次世界大戦後のヨーロッパで最悪の民族紛争とされています。
セルビア人勢力は、ボシュニャク人のセルビア人虐殺に対する報復として、スレブレニツァに侵攻。一人残らず虐殺し、残された女子に集団レイプを行い、強制収用し、出産せざるを得ない状況に追い込んだと言われています。

◎第二次世界大戦以降では、アメリカ、ソ連、ドイツ、日本による大規模な強姦があったとされている。
終戦直後の被占領地域において、ソ連軍(流刑囚)によるドイツ人女性や日本人女性へのレイプが多発した。
また朝鮮半島において、朝鮮人やソ連兵、中国人による日本人女性(引揚者)へのレイプ被害が多発した。
近代の日本において、米軍に所属する将兵による強姦事件が多発している。沖縄県では、1972年の本土復帰以降、米軍の強姦事件が、明るみに出ているだけで120件以上の発生している。

◎ベトナム戦争中、アメリカ軍兵士によるベトナム人女性の強姦、買春も多発し、混血児が多数存在している。また韓国軍兵士やビジネスマンによる、レイプ、買春によって多数の混血児(ライタイハン)が生まれ問題になっている(数については1千5百〜3万と諸説有。また9割は韓国人ビジネスマンとの子との指摘もある)。1998年に当時の金大中大統領はハンギョレ新聞の報道を受けてこれらのベトナム戦争に於ける韓国軍の残虐行為に対する謝罪の意を訪韓中のベトナム首脳に表し、また補償の開始を命じた。だが、反共の野党ハンナラ党の反対もあって現在も補償は全く進んでいない。

◎1990年サダム・フセイン軍はクウェート女性を襲い、その他、1994年ルワンダではフツ族軍がツチ族女性を、などの事実が存在する。特に、1991-1995年のボスニアではセルビア人民兵がムスリム女性(ボシュニャク人女性)に対するレイプや強制出産などが行われ、第二次世界大戦後のヨーロッパで最悪の紛争となった。

その状況について、NHKのドキュメンタリー番組では、それまでのセルビア人とクロアチア人、ボシュニャク人の個人的な関係は、全く良好なものだった。大みそかにお互いの家に行き来し、一緒に新年を祝ったり、結婚式に見届人として招待されるほどの友人関係にあった。しかし、戦争で変わった。番組に映っていた女性の例は、余りにも人間のむごさを如実に表していた。その女性の家には、父親が息子のようにかわいがっていた近所の若い青年が良く遊びに来ていた。昼食を一緒に取ったり、家族のように接していた。しかし、セルビアとの紛争が勃発して少しすると、いきなり家のドアを蹴破ってセルビア兵が家に押し入ってきた。そして、そのドアをけ破ったのは、その父親が可愛がっていた青年だった。その青年は、今までには見せたことがないような暴力的な振る舞いで、父親の目の前で女性をレイプし、父親をその女性の目の前で撃ち殺し、力ずくでその女性を抱えて振り向くと、今度はそのまま銃口を妹に向けて何の躊躇もなく引き金を引いた。それと同じようなことが、民族浄化の名の元にあっちこっちで平気に行われた。また、家政婦兼性奴として連れていかれた女性の告白は、三人連れて行かれたうちの一番年の若い十二歳の女の子は、その兵士が飽きた頃に中古のぼろトラックと三百ドルで売り飛ばされ、未だに行方が分からないそうだ。人としてではなく、全く、物や家畜としての扱いであったことが伝わる。

チトー政権下の旧ユーゴはスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアの6つの共和国と、セルビア共和国内のヴォイヴォディナとコソヴォの2つの自治州によって構成され、多民族国家で「7つの隣国、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字により構成される1つの国」と表現されるくらい複雑な国。 チトーが生きてる間は1つの国として維持していたものの、チトー死後あっと言う間に崩壊。(サラエボオリンピックが行なわれた1980年代はまだ安定を保ってた。)

1990年代の混乱にあって凄惨を極めたのがボスニア紛争。
ボスニア・ヘルツェゴビナにはセルビア人(民族構成比約30%)・クロアチア人(民族構成比約20%)・ボシュニャク人(民族構成比約45%)が居て、それぞれ正教会・カトリック・イスラムを信仰するという旧ユーゴの中でも複雑な民族構成。そこにボシュニャック人も加わり一層話が複雑になっていき、大量の難民が発生・民族浄化等が行われたのです。

ルワンダやソマリアと違って紛争地域がヨーロッパだったこと・争ってるのが白人同士ということもあり国連軍の介入は素早かった。 『ルワンダの涙』で女性記者が、西欧社会にとっては感情移入しやすく視聴率も取れからなのかメディアも積極的に現地取材します。そのお陰という言い方は御幣があるかもしれないけれど、アフリカの紛争よりも認知度は高いし、その当時の情報量も圧倒的に多いですという。

◎安秉直ソウル大学名誉教授が、2006年12月6日韓国のMBCテレビで「強制動員されたという一部の慰安婦経験者の証言はあるが、韓国にも日本にも客観的資料は得にくい。」と述べている。どこの国の歴史的現実にも娼婦、公娼宿があって、また戦乱時には村々の女性を凌辱することが大なり小なり行われ、戦後には慰安婦(日本ではパンパンとも言われ)も多数発生するが、そのような現象がなぜ起きるのかを研究すべきではと示唆する。強制によってそうした現象が起こったのか、慰安婦営業者の中にも朝鮮人もいるとの証言も出てくるとなれば、明確に、強制連行の実態や従軍慰安婦という言葉の意味も定義しなおさないとなりません。教授は、日本軍の強制動員した可能性について3年間挺対協とともに調査を行いましたが、慰安婦の本質を把握して、今日の惨めな慰安婦現象を防止しようと調査したが、日本と言い争うためにやっていることがわかったので調査は3年で中止したという。ソウル大学名誉教授の発言に関する内容はディリーサプライズ(韓国語2006/12/6)

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2013年05月30日

どうぞご参加ください!

我孫子の文化を守る会の会員が自由なテーマでお話をする公開講座です。
今回は、海津にいなが講師役で「柳兼子」についてお話しますので、ご参加いただけると幸いです。
ただし、会員以外は少額の参加費が必要なのでご了承ください。

クリックすると拡大できます。 (プリンターで印刷可)
IMG.jpg

声楽を志す者なら知っている誰もが知っているイタリア歌曲カロミオベン″を歌う兼子の声がYoutubeにアップされています。古い時代の録音ですが、基礎の見事なイタリア語の歌声、短い曲なので聞いてみてください。


http://www.youtube.com/watch?v=oVtqnJe6FPo

イタリア語(原詩)
Caro mio ben, credimi almen,
senza di te languisce il cor,
caro mio ben, senza, di te languisce il cor.
Il tuo fedel sospira ognor.
Cessa, crudel, tanto rigor!
cessa, crudel, tanto rigor, tanto rigor!
Caro mio ben, credimi almen,
senza di te languisce il cor.
caro mio ben, credimi almen,
senze di te languisce il cor.


<意味>
いとしい人(女)よ
せめてわたしを信じてください
あなたがいないと
心がやつれる。
あなたに忠実な者は
いつもため息をついている
やめよ、むごい言葉は
それほどのつれなさを。

柳宗悦が兼子に囁いた若き日々を思い出して歌っているのではと思える内容です。
世界に通じる芸術家になれるようにと期待され、その想いを実現した歌声です。

当日もいくつか、兼子の声をきけるように音源を用意します。お出でをおまちしています。
よろしくお願い致します。

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2013年05月29日

迅速で、誠実な、原発報道が望まれるのに

東海村は原子力事故(日本国内で初めて臨界事故によって、事故被曝による死亡者を出した)は、今回もその反省はおろか、結局は原子力に関わる人たちには未だに管理体制の見直しが出来ていなかったこと、情報公開の迅速性を図れていないことが、先日の被曝死亡事故によって露呈した。驚愕する事実だが、日本の原発技術はトルコ、モンゴルとの開発計画への技術提携が進んでいて、なんともだ。

振り返れば、福島原発のSPEEDIのデータの扱いが遅れた反省がありながら、相変わらずだと物申す武田教授の意見が、音声で公開されていたので、ここにも紹介したい。

3.11以降、政府報道が後手後手だったのは東電そのものが混乱して、絶対安全と言い切っていたことを覆されて、直ちに認められないことが続発、最悪の事態に向かいつつあった時、日本の国民は蚊帳の外だった。海外のメディアの方が黒煙が上がった報道をキャッチして、それを知った海外の友人たちが心配して連絡してきたが、国内の私たちはどうしてそれほど慌てふためいて大挙して逃げるのか逆に不思議に思うほどだったが、日本の中での報道規制がされていたとしか思いようがない。しかし、今もって、反省はされたのかと思うような事ばかりが、続いている。東海村原研の放射能漏れ事故についても、もっと迅速に、報道してほしい。

2年前の震災で、津波に飲まれる東北の惨状を見るだけでも、辛いものがあったが、それに続いて原発で大事故が起きたのは、なかなか状況が伝わらないでいた。あの時は誰もが、何らかのデータに基づく情報を欲していた。それが政府、東電側から待てど暮らせど出てこなかったから、インターネットの情報発信をする方たちの情報はそれなりに有用だった。賛否批判されるところはあれ、だから、どうしたら安全を確保できるのか、だれも断言はできなかったが、それでも出そうとしない情報をただ待っているよりは、判断の基準になるものを示してくれる人は重要だった。その分野の専門家は組織にいるわけだから、かえって言えなかった事情も分かるが、それでいいのだろうか。かなりの幸運と現場の人々の命がけの作業によって、救われたところがあるが、それは個人の発意でされた部分で、責任ある中央当局の態度としては釈然としない所が多いままだ。

原発について多くの発信をしていた一人に武田教授がいる。今回は、「政府が国民の側に立って次々と情報を出し、みんなが「どうしたら良いか」が分かるのが一番良い。でもそれは望めないので、ここで少しでもご参考になればと思って、ドイツの人(出所があまりハッキリせず、一つの例と考えて欲しい。データ自身の確実性は不明だが、つまり、このようなをことを気象庁などが早くやって公開して欲しい)が急いで計算してくれたと思われるものを掲げる。シミュレーションを見るかぎり、今回は北風の時には東京を越えて静岡あたりまで汚染されている。でも、今、福島で漏れている放射線物質は数100ミリシーベルトだから、あまり驚かないで欲しい。」などといっている。下記にて、音声報告(平成23年3月15日)をのせているのを参考に聞くことが出来る。


武田邦彦教授(中部大学)
「政府、文科省、NHKは直ちに行動しなければならない」
http://takedanet.com/2013/05/nhk_d6cf.html をクリックして、現れる文書の中に
「tdyno.259-(10:05).mp3」をダウンロードとあるので、さらにクリックすると音声が聞ける)

その話の中で、予測計算は福島原発の風を参考にして放射線物質がどのように風にのって行くかを解析したもので、放射線物質は太平洋の方に流れるなどもあるからら漁船などに警告を出すべきだと指摘。本来は気象庁が迅速に出すべきものだ。SPEEDIの時のようにデータ解析の能力があっても、使われないのは指示待ちの為なのか、危機管理がなっていないのか。ともかく日本より外国の人は考えて行動するのが早いというでは、大問題だった。未だに体制は変わっていないのかもしれないと感じる。


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福島の国連科学委報告〜
(大事な情報は小さな文字にしているのが気になるところだ)

朝日新聞(27日一面トップ記事)

国連委報告案について朝日新聞は『福島事故の甲状腺集団線量「チェルノブイリの1/30」』としてトップで載せている。しかし、記事をよーく見ると小さな字で最後の方に「放射性ヨウ素の実測値が不足しているほか、被ばく線量については不確定要素も多いと分析した。低線量被曝による健康影響もんまだ十分に解明されていないとも指摘した。報告書は数年後に新たなデータを踏まえて見直される予定だ。」とあるここのところも大見出しに次ぐくらいの大きさの文字にしておかないといけない重要性だろうに、一番最後に書いてある。新聞は見出しだけを読む人も多いもの、不親切というか、ことこういう問題であれば、疑問だと思える。最近はHPで新聞を閲覧する人も多いから、記事の最後を知ることがないまま問題点に気づかないでしまう。

http://www.asahi.com/national/update/0527/TKY201305260335.html
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130527-00000009-asahi-soci

posted by Nina at 08:46| 千葉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | chiba | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月28日

橋下氏の訪米、公費支出差し止めを=慰安婦発言で住民監査請求―大阪市

橋下大阪市長の従軍慰安婦発言を巡り、自らの政治的な立場にも影響が出てきた。参院選の結果によっては、日本維新の会の代表を辞任するとの示唆も話しにでた。「米国だけに謝罪」という印象も伺えたとの批判など、幾つもの影響がみられた。


@外国特派員協会記者会見で疑問が噴出
時事通信 5月27日(月)22時10分配信

 従軍慰安婦問題などに関する自らの発言をめぐり、日本外国特派員協会で27日に開かれたが。「(慰安婦を)容認していると誤報された」との主張については、「報道された発端の発言を見ると、慰安婦を正当化していると判断するしかない。きょうの発言は前と違うと思った」とした。
 「発言が一部誤解された。売春を推奨しているわけではないと思う」と受け止めたのは米誌ニューズウィークのジェイク・アデルシュタイン記者(44)。「アメリカ人の印象は良くなるのではないか」と評価した。
 韓国紙・中央日報の金玄基東京総局長(46)は「うまくかわし、話したいところに持っていく様子が見て取れた。弁は立つが結局は言い逃れだ」と批判した。 


A大阪市民、米国出張の公費負担の差し止め請求
時事通信 5月27日(月)12時14分配信

 橋下徹大阪市長(日本維新の会共同代表)の従軍慰安婦などをめぐる発言を受け、市民グループが27日、来月予定されている橋下氏の米国出張の費用を公費から支出しないよう求める住民監査請求を同市に行った。発言に対する批判が高まる中での訪米は、市民の利益を損ねるとしている。
 監査請求書は、一連の発言について、内外から抗議と批判が寄せられていると指摘。訪米は「両国民の心情が悪化することが強く予測され、市に大きな損害を生じさせる」と批判した。市民グループは記者団に対し、「このような中で訪問することは、市の恥になる」と述べた。
 橋下氏は6月10日から7日間、米国を視察し、現地の自治体首長らと意見交換を行う予定だが、発言の影響もあり、日程調整が難航している。 


B毎日新聞世論調査:維新急落、支持4% 橋下氏発言、71%「妥当でない」
毎日新聞 2013年05月20日 大阪朝刊

 毎日新聞は18、19両日、全国世論調査を実施した。旧日本軍の従軍慰安婦制度が「必要だった」とした日本維新の会の橋下徹共同代表(大阪市長)の発言について71%が「妥当でない」と回答し、「妥当だ」の21%を大きく上回った。維新の政党支持率は前回調査(4月20、21日)の7%から4%に急落。参院選比例代表で維新に投票するとの回答も前回の11%から5%に半減し、橋下氏の発言による党勢の失速を示す結果となった。

 橋下氏の発言の評価を男女別で見ると、男性の70%、女性の72%が「妥当でない」と回答し、性別に関係なく反発が強かった。

 安倍内閣の支持率は前回から横ばいの66%。歴史認識問題では安倍晋三首相や自民党の高市早苗政調会長の発言が野党などから批判されたが、自民党の政党支持率も38%(前回39%)とほぼ変わらなかった。

 維新の支持率は昨年12月の衆院選直後の世論調査で民主党を上回って以降、自民党に次ぐ2位の座を守ってきたが、半年ぶりに陥落した。男女別では男性6%(前回10%)、女性2%(前回5%)となり、女性の維新離れが特に激しい。ただ、他党の支持率も民主5%、みんな4%、公明4%、共産2%と横ばいで、支持政党なしの無党派層が4ポイント増の36%となった。

 参院選比例代表の投票先でも、質問を始めた2月から3カ月続けて維新が2位だったが、今回は民主、みんな両党の6%を下回る4位に後退した。

 参院選後は憲法改正での自民党と維新の協力が取りざたされる。世論調査では、改憲へ向けて両党が連立政権を組むことへの賛否も質問。反対が過半数の58%で、賛成は32%にとどまった。安倍内閣の支持層でも53%が反対と回答した。

C参院選千葉選挙区候補が離党で再度差し替え
日経新聞 2013/5/27 12:34

 日本維新の会の松井一郎幹事長(大阪府知事)は27日午前、夏の参院選で千葉選挙区から立候補予定の公認候補を再度差し替える考えを示した。同選挙区では当初、維新が擁立した候補(久野晋作氏)が公認を取り消されており、17日に中田敏博氏を新たな公認候補として発表したばかりだった。松井氏は「(中田氏が)党を離れるという。新たに候補は決定する」と述べた。大阪府庁で記者団に語った。

 23日には、参院選比例代表に日本維新の会公認で出馬予定の元衆院議員松本和巳氏(48)が、橋下徹共同代表の従軍慰安婦をめぐる発言を受け、出馬を取りやめる意向を固めた。 松本氏はドラッグストア「マツモトキヨシ」の創業者の孫で、2005年衆院選に自民党から出馬し千葉7区で初当選。06年に出納責任者らの選挙違反事件の責任を取り議員辞職。昨年の衆院選では、日本維新から東京2区に出馬し、落選した。
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2013年05月27日

通過するか、主要駅になるか、街の発展の要・鉄道

 文化を守る会の講演会が行なわれ、「飯泉義雄顕彰碑10周年記念講演会」として我孫子宿/駅の歴史について、2時間、多彩諸姉諸兄のお話しを興味深く聞いた。会場も満席で熱気だった。我孫子に別荘地が出来たのも、嘉納治五郎、杉村楚人冠、白樺コロニ―が出来たのも鉄道駅が出来た事によるのは間違いない。

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 こうした話しを聞きながら、この所の常磐線・成田線の我孫子駅を考えた。今や TX沿線の駅・流山おたかの森駅、柏の葉キャンパス駅の周辺が華やかだ。流山市議会では、平成18年6月19日に 「東京駅延伸に関する決議」を井崎市長の政権下で議決を得た。その後、6月26日には茨城県や市町村、企業等で構成する「茨城県つくばエクスプレス等整備利用促進協議会」が東京駅延伸の早期実現について国土交通省ほか関係機関に対する中央要望も実施された。

 また、同年6月28日の首都圏新都市鉄道株式会社の株主総会に流山市、柏市、守谷市、つくばみらい市、及びつくば市との5市長の連名で東京駅延伸等の要望書を提出し、準備を進めた。同年8月2日には、超党派の国会議員で組織する「つくばエクスプレス利用・建設促進議員連盟」がTXの利用促進と東京駅延伸の早期実現の新たな決議がされたのだという。

http://www.city.nagareyama.chiba.jp/life/26/203/10696/001239.html

 隣接の取手市は、常磐アートラインと銘うって活性化を図っている。兎も角、日本において鉄道と街の衰退繁栄は大きな関係がある。我孫子の魅力を作るために、ジリ貧に陥らない上向きの打開策を考えていかなくてはならない。常磐線が東京駅に繋がるということでも、我孫子での停車する便も東京駅に繋がるようにし、また特急が通過する駅になったが、これ以上の通過がないように主張していかなくてはならない。

 26日は、千葉市長選で36歳の全国政令都市最年少とされる熊谷市長が再選された。前回は、当選を有力視されていた元副市長で自民公認候補が最有力視されていたところへ、突然に民主の風をうけて市議1期目なかばでの立候補、当選だった。二期目に関しては、ご本人が立候補をするかどうか熟慮すると話した上での二期目への挑戦となった。今年11月には、柏市長選挙がおこなわれる。前回、2009年当時は民主党の勢いもあって、市民ネットワーク・千葉県の推薦及び社会民主党の支持を受け、秋山氏が無所属で出馬し、57,258票を獲得し、二番手の候補者を辛くも破って初当選した。柏市は、千葉県内では千葉市に次いで借金が多いため、財政再建を図るとして出馬したのだった。二番手となった候補者は、柏議会初の女性議長となった市議(自民系)で、その後の経緯からすると今回の選挙のゆくへは、現職強しのジンクスはあっても波乱含みであろうか。TX沿線の流山市長は、過去に3期目現役の前市長(80歳)との選挙戦で一度は落選したが、その市長が勇退した後の市長選で当選して、市長として三期目となっていて、四期目の市長選に出馬するかどうなるのか、市の将来展望にもかかわることになる。

 我孫子のまちづくりも、市議会や市長がどういう形で選ばれるか影響は大きい。降り立ってみたい、話題になる街でありたい。それには地域の良さを再発見がされていくように、市民の力を発揮していかないといけないだろう。我孫子は、大企業がない分、市民発意が意味をもつのだと思う。頑張ろう!我孫子市民!!

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2013年05月26日

花盛り、我孫子の花展33周年

爽やかな季節、庭先に色々な花々がかぐわしい季節、花展にお誘いを受けて行ってきました。
何とも力作ばかりで驚きました。素敵な花をより美しく、創作しようという意欲とオリジナリティーが、日常的に街を磨く美的なセンスに繋がるのではないでしょうか。

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2013年05月25日

橋下氏、従軍慰安婦に対する発言を撤回

 24日、大阪市役所でセットされていた元慰安婦との面談が、約3時間前の朝8時すぎに中止の申し入れが市に伝えられた。2人の元慰安婦は声明で「橋下市長が心から反省するならば、妄言を撤回し、公式謝罪しなければならない」と主張。橋下氏に撤回の意思が見られないことから「会う価値もない」と断じた。支援団体幹部も市役所で記者会見し、「橋下氏は面会を利用して名誉挽回を図ろうとしている。謝罪があっても本心ではないことは明らかだ」と伝えた。
 
 橋下氏は同日夕、退庁時に記者団の取材に応じ、「残念だ。僕と会いたくないなら、先方の気持ちが全てだ」と語った。さらに、面談が実現していれば、「誤解を生んだ発言で傷つかれたならおわびする。慰安婦問題は日韓関係がうまくいかない要因であり、僕らの世代で解決したい」と伝える考えだったと説明した。 しかし、元慰安婦側による発言撤回要求については「撤回はない」と明確に拒否。「(慰安婦制度が必要だったとする)主語をきちんと(報道が)伝えていれば(元慰安婦は)傷つかなかった」と話した。

 しかし、24日(金)23時21分配信 読売新聞においては、大阪市役所で記者団に対し、在日米軍に風俗業の活用を働きかけた自らの発言について、「不適切な発言によって不快な思いをされたと思う。27日の(記者)会見でアメリカ軍とアメリカ国民の皆さんにきちんとおわびしたい」と反省の弁を語った。

 日本維新の会の橋下共同代表は25日朝、日本テレビ系列の読売テレビの報道番組「ウェークアップ!ぷらす」に出演し、沖縄のアメリカ軍に風俗業の活用を提案したことについて、不適切だったと述べ、発言を撤回する意向を示した。

 「風俗業という言葉については不適切だと。アメリカ軍とアメリカ国民に対してはきちんとおわびと発言の撤回を27日にしっかりしないといけない」−橋下氏は24日朝、今月初めに沖縄の普天間基地を視察した際に、アメリカ軍の司令官に対して風俗業を活用するよう提案したことについて、不適切な発言だったとして撤回する意向を示した。

 橋下氏が一連の発言を巡って、撤回に言及するのは初めてで、27日に外国特派員協会で会見し、発言の意図や旧日本軍のいわゆる従軍慰安婦問題についての見解などを説明する予定。

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我孫子市議会で、議員活動していた平成22年度3月議会に、慰安婦問題の早期解決を求める意見書を日本政府に提出を求める陳情が提出されたことがあった。女性の尊厳にかかわる、人権問題として重要だと認識されて多数可決で採択(16対11の結果となったが、女性議員の全員が賛意したのは無論のこと。速やかに意見書が作成、鳩山内閣当時の政府に提出された)され、我孫子議会としての認識が示された。

敗戦後、日本人は総懺悔して大戦へ突入したことを悔いた。戦争責任を明らかにしないままに、戦後復興に走り出したツケは大きい。その為に、長期にわたる教科書裁判となったが、その結果は史実を隠ぺいする国家は報われないと朝永博士の主張を認めた。次代を担う子供達、そして多くの命を捧げた先人達にも、あったことをなかったと言い逃れるような事はすべきではないだろう。英国も殖民地下におきたインドでの虐殺について、米国も大戦下の日系人強制収容に対して謝罪している。

日本が戦争を起こした理由は多々あるには違いないが、最終戦において、遂には兵士たちのみならず少女たちまでも自決を強いて闘う日本軍の戦争だった。南島では戦地での実態を明らかにすることもしないまま、闘う砲弾、食糧すらもない極限の中で餓死や人肉を貪る兵士も現れた戦場で20万人で帰還兵が一割などという闘わずに体力を消耗、病死、などをすらも記録できない。こうした日本軍の戦後処理の実態では、とうてい従軍慰安婦への過去の処遇などは黙殺されて書類も見つからないに違いない。できうる限りの調査を真摯にして、まずは検証するべきだと考える。国内においても、愚かな戦争だった実態を美化するなども起こらず、対外的な感情にしても、むしろ責任ある態度を通しして、信頼を築くことになるだろう。靖国神社の意図によって、英霊を祭るなど興りがされたのだが、神社の意思よりも国家の意識として、国民にどういう愚かな戦争だったのか、その実態を直視することが大事だ。その事の方が、戦後の日本人が21世紀の共生への意識と人類の可能性を信じるのではないだろうか。それこそが日本人の役目ではないか。
 


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2013年05月24日

マニュアルにない方法で切り抜ける

心理学者・ギルフォードは創造性や独創性というものに気づき、以来、その研究に没頭しました。知性が高くても常に規則通り動くパイロットより、機知に富んだ考え方ができるパイロットの方が危険をうまく切り抜けられるということでした。

そしてギルフォードが空軍用に考案した最初の創造性テストは、「レンガ1個の使いみちをできる限りたくさん考える」というものです。すぐに何通りも浮かぶ人もいれば、いくら考えても5通りくらいしか思いつかない人もいるでしょう。違う考え方ができる能力、枠の外で考える能力…。15分で50通りを考えかどうか、あなたも試してみてください。自分が常識、既成概念にとらわれ過ぎていないか、わかるそうです。

日常の決まりきったような判断業務では、創造性や独創性、危機への対処はあまり必要とされません。マニュアルどおりで充分でした。しかし、突発的な緊急事態や不測の状況になったときには、創造性や独創性がなければ乗り切ることができません。

危機の時期を乗り切ることが出来る人は、過去の成功ではなく、変化に対応できる柔軟な発想が出来ることです。どんな難しい局面であっても、必ずそれを突破する方法があると諦めない。打つ手を考えるには、制限がない。創造性と独創性を身につけ、この激動の時代を乗り切ることだけです。

『スウェーデン式 アイデア・ブック』ダイヤモンド社

激動の時代にはなんでも卒なくこなす小器用なオールラウンドプレーヤーは、大成しない。
天才とは呼ばれなくても、優秀と言われた試しがなくても、ひとつの得意に集中してがんばり続けていければ、「これならば」と自信を持っていえるようになるぐらい成っていくことは可能です。
人と違う個性や特徴を身につけるには、何をそぎ落とし、何を捨てるかを考え、一つのことに集中すること。

会社も同じで、強烈な個性や尖った特徴がないところは、印象に残ることは難しい。 
植西聡 『強い自信がみなぎる本』 成美文庫

80歳で、エベレスト登頂は世界で初でした。さらに今ネパール人(81歳)が数日後に登頂を目指して歩を進めているということですが、女性でエベレスト登頂最高齢記録は73歳で上った渡辺玉枝さんだということです。
危機への対処、諦めないという気持ちが日本人男女とも強いということでしょう。雪崩もあり、5000メートルを過ぎた地点ではヘリコプターが着陸できないため、高地での遭難者はシェルパら救助隊が現場に出向いて遺体を収容するが、ベースキャンプまで運ぶだけで数日を要するという。しかも、エベレスト登頂するためには、シェルパをつけ酸素ボンベなどの準備が必要で、最低でも一人500万円以上の資金が必要だということです。世界の峰を目指す人にはお金も必要だが、それに×意思と体力と支援が得られる人物でないと、目指すことが出来るわけではない頂点です。日本人は雨にも風にも負けず、不況にも負けない逞しい高齢者がいることを示している!彼らには、若者にないマニュアルにない方法で切り抜ける技があるはずで、年を重ねる意味を教えてくれている。




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2013年05月23日

年を加え高齢で達成する志

年をとっても文化的、社会的貢献度は、志が山よりも高いものであっても諦めないでいるなら達成可能なのかもしれない。



世界の芸術家にも大きな影響を与えたといわれる葛飾北斎は、75歳のときに「富嶽百景」を完成させた。
そのあとがきには、「70歳までに描いたものは、取るに足らないものだった。73歳にしてようやく鳥や獣、虫や魚、草木の本当の姿を描くことができた。きっと90歳になったらその奥儀を究め、100歳になれば人智を超えた域に達することができるかもしれない」、とあり、実際は90歳まで生きたとされる。
晩年は家財道具も一切ないほどの赤貧を極めたが、北斎のその輝かしい作品群は残った。

禅では、泥縄式の人物を鈍器として尊ぶ。時間という尺度で物事をとらえ、効率を考えたり、損得、優劣で判断する小ざかしさをきらうのです。

時間のスケールの中で考えましたら、間に合う、間に合わぬ、役に立つ、立たぬなどの価値判断が出て来てしまいますが、とにかく、今、必要になったのだからやりましょう、効果の有無ではない。一切は神にお任せしておいて、私は今、ここで必要になった、この一事をやるだけだ。
これを禅的〈泥縄式生活法〉といいます。元祖は達磨大師だそうです。

インド屈指の高僧であったダルマさんとして日本でも知られる人物、達磨氏は、多くの弟子、信者に囲まれて暮らしていました。そんなダルマさんに、ある日、天命が下ったのです。

『インドでは、もう仏教は亡びてしまう。ここから西方に中国という国があって、次に仏教はそこで花咲き、実を結ぶことになる。汝は中国に行って禅仏法を伝えなさい』その時、ダルマさんの年齢は何と83歳でした。その当時の旅行ですから、中国にたどり着くのに3年もかかったそうです。

中国に到着して、方々の国を巡ったのですが、受け入れられず、インドからやってきた放浪僧ということにされてしまいました。部屋も与えられず、廊下のすみっこで、赤い毛布にくるまって座禅をしておられたそうで、そのダルマさんの姿を写したのが、いわゆる“ダルマさん人形”です。ダルマさんは、こんな風に、誰に知られることもなく9年間も壁に向って座っておられらのです。これを〈九年面壁(めんぺき)〉といいます。9年目にしてようやく神光という弟子がたった一人できました。

その次、その次と、細々と法が伝わってきて、6代目の慧能という方の代になって、ようやく中国大陸全体に、大きく禅仏法の花が咲き、実がなったのです。ダルマさんの念願が実現するまで、実に百年以上の歳月がかかったということですが、志は実現されたと言えます。


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2013年05月22日

80歳、日本人によるエベレスト登頂世界記録を

富士山頂から直滑降したプロスキヤーの三浦雄一郎は更なる高見を目指す人が。70歳になっても(2003年、08年)と2度のエベレスト登頂を成し遂げた。成功直後から、「己の限界への問いかけであり、大自然に対する畏敬の念と誇り。人類の可能性を1ミリでもあげたい」と強い志を胸に燃やしたという、冒険家、チャレンジャーだ。現在は、80歳という年齢で明日とも言われるエベレスト山頂到達を目指し、まさに挑み続けている。

しかし、2009年、スキー中に骨盤と左大腿骨の付け根を骨折。この負傷により復帰は絶望的とみられていたが、これまで数々の偉業を成し遂げてきた不屈の冒険者はもう一度世界最高峰の頂きに立ちたいというシンプルな思いで、半年後にはトレーニングに復帰した。国内のみならず、昨年10月から現在ヒマラヤ(6000m級)でトレーニングを重ね、高度順化、体調のチェックなどを行なっていた。

今回のプロジェクトには、もうひとつ大きな目的がある。加齢制御医学(アンチエイジング)の専門家でもある豪太率いる医療チームによる、低酸素環境下における酸素と老化の関係の研究データの測定である。標高8000m級の高所は生身の人間が到達できる限界といわれていて、酸素濃度が平地の3分の1となるため、肉体年齢が70歳近くも加齢する。80歳の三浦にとって、超高所への登山は150歳の肉体年齢での挑戦となるのだ。数字の上では100歳の若返り(アンチエイジング)を目指さなければ、8000m峰での活動は難しいという。

MIURAエベレスト2013は、来年の5月、三浦と次男・豪太とともにエベレスト山頂(標高8848m)を目指すプロジェクトだ(三浦の体調などを考慮し、アタックはおそらく1回のみ予定)。成し遂げれば当然、史上最高齢記録樹立をすることになるが、三浦は「記録樹立より何よりも自分自身への挑戦という意味が大きい」と力強く述べていた。


三浦雄一郎エベレスト応援基金
http://justgiving.jp/npo/766


・・・三浦雄一郎 プロフィール・・・・・・・・・・

幼少期は病弱で幼稚園は中退、小学校4年生から5年生時には結核で肋膜炎を患い長期入院のため1年の半分ほどは学校に通えなかったほどだったという。農林省(現・農林水産省)営林局に勤めていた父の仕事の都合で小学校は5回転校、旧制中学校は先述の健康問題が理由で1度旧制黒沢尻中学校(現・岩手県立黒沢尻北高等学校)への入試に失敗し小学生浪人、入学後も4回転校を繰り返した。大学進学において、スキーが出来るからという理由で北海道大学を受験先に選び、入学試験直前にもかかわらず「もう来れないかもしれない」と考え藻岩山でスキー三昧だったものの合格し、獣医学部に進学、北海道大学では一般教養部で当時理学部に在籍していた作家の渡辺淳一と同期だった。

在学中に当時の学長秘書、かつアルペンスキーの女子選手だった妻・朋子と出会い同棲の後結婚、大学院進学、そしてアメリカ留学を希望していたものの、肺の病気を患い、暫く母校の北大獣医学部に助手として勤務、札幌市月寒(現・札幌市豊平区月寒)にあった当時の北大農事試験場でブタやウシをあつかう獣医師をしていたが、26歳で助手の職を辞任、スキーに挑戦するも、優勝した全日本スキー選手権青森県予選閉会式で、全日本選手権への青森県からの派遣人数をめぐりスキー連盟関係者と対立、結局アマチュア資格を剥奪され、アマチュアスキー界永久追放の憂き目に遭う。プロスキーヤーとなり、スキー学校を経営。

54歳で、世界七大陸最高峰全峰からの滑降を成功させた。しかしその後目標を失い、不摂生な生活を送った挙句、身長164 cmに対し体重85 kg超、血圧は200近くまで上がり、不整脈まで出る不健康な状態となってしまう。しかし、99歳にしてなおモンブラン氷河の滑降という挑戦を続ける実父や、オリンピックに出場した次男の豪太らを見て改心、65歳の時に、5年後の70歳でエベレスト登頂を果たすという目標を立て、外出時には常に両足に重りを付け20 kg近いリュックを常に背負うというトレーニングを再開、当初は藻岩山登山ですら息切れするという体たらくだった体力を回復させ、2003年5月22日、世界最高峰のエベレストに世界最高齢(ギネスブックに掲載)となる70歳7か月での登頂を果たす。同時に二男・豪太との日本人初の親子同時登頂も遂げた。その後も、記録を更新する75歳でのエベレスト登頂では、前日に76歳で登頂したネパール人男性が成功したことで、再度の挑戦がされることになった。厳しいアタックのために記録更新が成されるかどうかは、明日のヒラリーズステップの天候次第となる模様。



1971年スポーツ英雄大賞(スペイン)、1973年青森大学工学部生物工学科教授就任。1975年に米アカデミー賞(長編記録映画部門)=「THE MAN WHO SKIED DOWN EVEREST」。1992年4月からクラーク記念国際高等学校(北海道深川市納内)校長。2006年6月からNPOグローバル・スポーツ・アライアンス理事長を務める。

2009年2月、札幌市内のスキー場でコース内に作成されたバンクから飛び出し骨盤を骨折。手術後リハビリに励み回復した。2010年、オーストリア・アルベルト・シュバイツァー協会よりアルベルト・シュバイツァー章受章。2012年10月、2013年春に80歳で3度目のエベレストに再登頂することを会見。成功すれば最高齢登頂者となる。


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2013年05月21日

女子力を高めた女性

維新の党代表の従軍慰安婦、韓国女性に対する女性差別発言などが国際社会からもひんしゅくを買っているが、石原慎太郎・共同代表も2001年“ババア発言”(閉経してしまった女性が、きんさん・ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害だ)との発言をして大問題になったことがある。B・ヒルズ(『プリンセス・マサコ』を書いたジャーナリスト)は、「日本ではこうした女性への侮辱に対する罰則が定められていない。西洋人の目からみて驚くのは、こんな途方もない発言をして喜んでいる石原のような社会的ネアンデルタール人がこういうことを言ったという事実もだが、法廷がこれを許したという事実である」と批判した。

少子高齢化で女子力が必要な現代には職場における男女平等は、当たり前のようになってきたが、現実はまだまだのところも多い。特に問題なのは、政治家の意識が国際社会とズレていることで、維新の代表と共同代表の両者とも批判されるのはゆゆしき事実だ。

それを裏付ける日本社会のこれまでの意識も、ついこのあいだまで女性の仕事と言えばお茶汲みタバコを買いに走らせたり、コピーや書類運びをであって、将来的な昇給や昇進など望むべくもない、結婚イコール退職が慣例とされていた。日本社会の安全弁宜しく女性職種を低賃金に抑えて、暗黙の若年退職を押し付け、一人前の社会人として認めない社会だった。それが多くの女性たちの裁判闘争や長きにわたる努力によって、1985年に男女雇用機会均等法が制定され徐々に変わってきた。就職、昇進、定年など、職場における女性就労への差別を撤廃する日本初の法律が作られて後も、先進国での女性の管理職登用などが数段遅れていた実態は何度も指摘されてきた。

これらを変える努力を付き重ねてきた女性の霞が関官僚の一人が赤松良子だったといわれる。それまでの日本社会の慣習、国際社会からずれた常識をどう変えるか、懸命の調整を続け、戦った。生殖能力だけを女性としての存在価値にしているような御仁も政党トップにいて頭を押さえるが、地道な努力が女性たちの中では続けられてきた。今や少ないながらもトップリーダーになる能力を示す女性の活躍もある。世界にも伍していく日本になるためには、古い秩序を破り、新たな制度化をする必要があったが、必要以上に長い時間を要した。おかげで他のアジアの女性たちから比べても決して先頭を進んではいないが、その一歩を始められたのは、赤松良子らの功績だ。

http://www.chrysler.co.jp/history/1980/akamatsu.html

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2013年05月20日

新党のゆくへ

日本維新の会は16日、新人で投資会社経営の中田敏博氏(44)を今夏の参院選千葉選挙区(改選数3)に差し替える方針を固めたと同党幹部が明らかにした。中田氏が松井幹事長と会談し、17日に正式発表された。(5月17日 読売新聞)

中田敏博氏(44)は、衆院選千葉2区からみんなの党公認で出馬予定をしていたが、突如、11月22日、 みんなの党を離れ、日本維新の会公認で衆院選に立候補、惜敗した...

その後、どういうすったもんだがあったのか、維新関係者によると、候補差し替えは、藤井選対委員長が大型連休中、市川市議ら複数の候補と会談し、選定を進めた。その結果、選挙戦の経験があり、党ブレーンの竹中平蔵・元総務相が推薦した中田氏が有力となったという。衆議院選惜敗(26票)であったことから参議院選の候補者に鞍替え、維新公認が内定したということだ。維新の西田譲県総支部代表は、千葉で共闘するみんなの党の水野賢一幹事長代理に対して選挙協力を再要請したが、同党の渡辺喜美代表が共闘関係の見直しに言及していることから、態勢作りは難航も予想される。

維新の藤井氏は会見で、「中田氏は党の公募に応じていた(候補者の)有力な一人だったので、既に決定していた公認候補を取り消し、党と千葉県総支部で協議して決めた」と説明したが、維新の会からも「最初から調整しておくべきだった」との指摘が出ている。他の政党でも、「勝つため」との理由で候補の差し替えはしばしば起こるが、全国での選挙協力が絡むだけに党本部の調整も簡単にはいかないようだ。

中田氏は公認候補として既にHPにプロフィールを出していて、1968年11月3日生まれ千葉大学医学部卒業 慶應義塾大学病院勤務医 単身米国へ飛び、MITビジネススクールの門をたたく。ボストンコンサルティンググループコンサルタント、日本の経営の限界を思い知る。敬愛する孫正義社長との出会いにより、直属の部下として世界中を飛び回る。2001年SBライフサイエンス(米国の100億円規模の医療ベンチャー投資会社)代表2012年晴山会平山病院(花見川区)医師/情報管理室室長 日本維新の会衆議院千葉県第2選挙区支部長就任現在に至る。 尊敬する人物:高杉晋作、白洲次郎

・・・・・・・・・・・・・・・

みんなの党・渡辺喜美代表は、17日、日本維新の会との政策協議を無期限で凍結する方針を明らかにした。
渡辺代表「政策協議を凍結するということでありまして、凍結が解除されない場合には選挙協力もご破算になる」 渡辺代表は理由について、最近の従軍慰安婦問題などをめぐる「維新の政治家の発言を聞くにつれ、みんなの党と維新とは文化、体質が違うと感じる」と述べた。

今朝も、橋下徹大阪市長が旧日本軍の従軍慰安婦を容認する発言をしたことについて、テレビ報道がされていた。米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は13日、 発言の内容と、日本国内や韓国政府高官からの批判を東京発で報じた。AP通信も同日、「戦時中の性奴隷は必要だったと大阪市長」との見出しで伝えた。 ニューヨーク・タイムズは橋下氏について、将来の首相候補とみる人もいると紹介。橋下氏の発言は国会議員や人権団体から直ちに非難されたと伝えた。

 安倍晋三首相が「侵略」について「どちらから見るかということにおいて(評価が)違う」と述べたとも指摘し、橋下氏の発言は、 第2次大戦中の歴史が歪曲されているとする日本の政治家による一連の発言に連なっていると位置付けた。

 米紙ワシントン・ポストも13日、橋下氏の発言を伝えるAPの記事を電子版に掲載した。(共同)
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130514/amr13051414010010-n1.htm

Osaka mayor says wartime sex slaves were needed to ‘maintain discipline’ in Japanese military


橋下市長の発言の危うさは、政治家としてメディアのいい材料にされてきたのを見てきた。いいも悪いも、情報発信をする先兵となり、市民社会をゆさぶる政治家だ。私も、地域の政治にかかわる上で更に広範囲な政治を視野に考えたいと新政党組織に加わる判断をしたことがあったし、より良い改革するように呼び掛けて発信をしようと言うのは今も変わらないが、東日本大震災がおきた直後の県議選挙の中で、新党の政治による新風を訴えるのは苦しかった。その後に維新、太陽、生活・・・こうなってきてみると新党自体の声でしっかり変えられる意思があるのかは見えにくくなってきていると実感する。

政党の公募を経て公認を得るまでの長い道のりを超え、震災という人知の及ばない変化のなかで大きく風向きが変わった経験も自らしたし、ままならさも身をもって知った。まして新政党という組織も本格化するのに時間も人手もかかるのだから、復興期の新党は即戦力を期待されると辛い。平常時ですら相当の年月は必要だからだ。幸か不幸か、我孫子は人口10万人を少し超える程度の中規模都市なので、数を力とみる政治の世界では大票田をもつことにはならない。政治のうねりを更に確実につなげようと上を見る時に必要な票数をどう裏付けるかとなるとここで地域格差は出てくるのは如何ともしがたいことだ。今回の我孫子への裁定は、多分そんなところから来るものではないか。つまり、我孫子市から候補者となった人物の政治姿勢と、千葉市の候補者の未知数的魅力では、なんら負けるところはないと思う。熱のある、損得勘定では動かない実直な人柄の市議だった方だと知っていたので、私としても非常に悔しい。




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2013年05月19日

福島の女性、田部井淳子

世界で初めてエベレストの頂上に立った女性は、福島県に生まれた日本人登山家・田部井淳子だ。

幼少期は、病弱で運動が苦手な子どもであったという。小学校4年生のとき担任に連れられて登った那須の山が、彼女のその後の人生に影響を与える。初めて体験する山のすべてが、田部井の心を捉えた。以来、登山が彼女にとってかけがえのないものとなる。1962年、昭和女子大学英米文学科を卒業。その後、日本物理学会で学会誌の編集に従事しながら、社会人の山岳会に入会。男性会員に混ざってメキメキと実力を上げ、山にどっぷりと浸かる日々を送る。

世界最高峰であるエベレストを目指したいとになった時、エベレスト登頂成功者は男性しかいなかった。田部井は、いつしか「女性だけで海外遠征を」という想いを抱くようになる。エベレスト日本女子隊の副隊長として参加。

しかし、そのチャレンジはスタートから厳しいものであった。エベレスト登頂には莫大な資金が必要となる。たちまち資金難に陥った。「女性」という理由で相手にもしない企業が多く、15人の隊員が150万円ずつ自己負担することになった。当時の年収に相当する金額である。ネパール政府から許可がおり、日本を発ったのは1974年の暮れ。準備期間に3年半を費やしていた。

8,848mのエベレスト山頂までの道のりは果てしなく遠い。登頂までおよそ半年近くもかかる。まず5,350m地点にベースキャンプを作り、高度400〜500mおきに第6キャンプまで設営。荷揚げをしながら、ゆっくりと身体を高度に慣らしていく。隊員の多くが高山病に苦しみ、想像を絶する自然の脅威が立ちはだかる。マイナス30℃の猛烈な寒さ、突き刺すような強風、突然の雪崩。これらが容赦なく、気力と体力を奪っていく。山頂には全員が登れるわけではない。そのときベストな状態の者だけが、山頂にアタックできる。エベレスト隊のメンバーたちのほとんどが過酷な戦いで満身創痍となって、隊長はアタックメンバーに田部井を選び、すべてを託された。突風に耐え、刃物のように切り立った稜線を、重い酸素ボンベを背負って一歩一歩着実に登っていく。1975年5月16日午後12時35分、田部井は山頂に到着した。

特別体格に恵まれていたわけでもない田部井を世界の頂上にまで導いたのは、「絶対に登頂する」という強い意志の力だった。最後まであきらめることなくベストを尽くす。田部井淳子は、今もなお世界中の女性たちに勇気と希望を与え続けている。


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2013年05月18日

家康の勝率は、73戦56敗だった

勝と思うな、思えば負けよという歌詞、「柔」の中にありますが、
徳川家康の生涯にわたる戦の勝ち負けは、73戦56敗だそうです。

勝率の低さ意外です。
徳川家康は、『勝つことばかり知りて、負くることを知らざれば、害その身に至る』(東照宮遺訓)とあります。負け続けても、最後には勝ち、その後、徳川300年の安定の基礎を築いた、のです。
負けを教訓として、「何が悪かったのか」と原因を突き止め、次の勝負に生かしたのです。

人間の運不運は、負けた時の対応でわかる。
負けを真摯に受け止め、不運の中にも感謝までするような人には、やがて運やツキがやってくる。
多くの成功者は、成功より負けの数の方が圧倒的に多いのだともいわれます。
それだけ、諦めずに多くチャレンジしていた。


参照:『運とツキの法則』致知出版社

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2013年05月17日

米女子柔道の興隆と日本の低迷

福田師匠がサンフランシスコの道場で柔道を教え始めた同じころ、ニューヨーク(Brooklyn)で路上のならず者と呼ばれていた米国生まれのユダヤ人女性(シングルマザー、10代で結婚して子供をもうけ、間もなく離婚)が、ひょんなことから、鹿子木リョウヘイという柔道家の道場に行き、すっかり柔道の虜になった。もともとはレナ・グリックマンという名だが、その後,結婚してレナ・鹿子木となり、ニックネームにしたラスティー・カノコギとして、今や全米に知られる。ラスティー・カノコギが全力を注いだ米国の女子柔道は、2012年ロンドン五輪で初めて米女子柔道に金メダルをもたらしたカイラ・ハリソン選手(78kg級)で頂点に達したといえる。

ラスティー・カノコギが 24才の時(1959年)、 YMCA柔道選手権団体戦がニューヨーク州で開催された。負傷した選手の代わりに胸に布を巻いて男子に見せかけ出場し、一本勝ちを決め、チームも優勝して金メダルを獲得した。しかし、当時は米国に女子柔道選手はほとんどおらず、この大会も男子の大会と考えられていたため、出場規定に性別が決められていなかったにも拘らず、試合後に女子と判明したラスティー・カノコギだけが金メダルを剥奪された。この女子柔道家に対する侮辱から、彼女は女子柔道を国際公認のスポーツにしようと運動を開始、ついに1992年のバルセロナ五輪で正式種目とすることに成功した。米国柔道連盟七段になっていた。

女子柔道も五輪の歴史はまだまだ浅い。世界の女子柔道は日本が主導役ではなく、米国や欧州がむしろ日本を誘導して、国際化、試合化、そしてオリンピックの正式種目入りを果たすというユニークな歴史があった。嘉納治五郎の自伝でも“母体保護”を考えて、女性の試合を禁じていた時期があったという。

確かに、マラソンも“か弱い女性には無理”と思われていた1966年、男子だけだったボストンマラソンに、スタート直前まで木陰に身を潜めていた女性がスタートの号砲とともに飛び出し、ゴールまで完走したという逸話がある。それをきっかけに非公式の女性ランナーが次々と現れ、1984年のロサンゼルスから女子マラソンが五輪の正式種目となったという。

 残念なことに、この「米国女子柔道の母」は、自分が育てた選手の金メダルを見る前、2009年11月、74才でこの世を去る。YMCAは50年前に彼女から剥奪した金メダルを、彼女が亡くなる3ヵ月前に、詫び状と共に返還し、米国女子柔道の母の生涯に渡る献身的な貢献に対して、最大限の謝辞を送った。2008年、日本政府も旭日小綬章を授与、現在は国際女性スポーツ殿堂に所属する。

福田敬子師匠及びラスティー・カノコギ師匠という二人の「女子柔道の母」のおかげで女子柔道は世界のスポーツとして確立した。女子柔道による活躍は、その組織の整備も重要であることが、日米の対比でも明らかであり、まして日本の金メダル数は女子によって支えらているのは、他の国より顕著だ。がんばれ、日本の未来の女子選手たち!!



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2013年05月16日

日本女子柔道の格差問題

嘉納治五郎の意思を継ぐ、女性柔道家は山口香だとも言えよう。理論家であり、筑波大准教授としても後進を指導する。私も筑波大通いをするようになっているので、筑波大、つくば市のことも気になる。

「女姿三四郎」と言れた山口こそ、漫画ヤワラちゃんの作者がモデルにした人物だったそうだ。女子柔道は山口が出てくるまで、欧州と米国の方がレベルが高く、日本人女性柔道家はメダルに届くことが少なかった。1980年代、第3回世界選手権で日本人女性柔道家として、山口香が史上初の金メダルを獲得。ソウルオリンピックでも銅メダル獲得など、日本女子柔道が世界のトップに通用することを証明した。2011年にはJOCの理事に選出された。女子柔道強化選手による暴力告発問題では、告発した選手のサポート役を引き受けており、3月20日付けで新たに全柔連強化委員にも加わることになった。

嘉納治五郎が説いた 講道館柔道の理念 「精力善用」 「自他共栄」の精神は、男女を問わず、柔道を通して得たことを、社会生活にも応用することだとされる。「精力善用」とは、自分がもつ心身の力を有効に活用すること、「自他共栄」とは、相手を敬い感謝することで信頼し合い、助け合い、お互いに成長すること。

今春、その山口も薫陶をうけた、「女子柔道の母」と言われた女性柔道家が米国で亡くなった。
嘉納治五郎の掲げた理念をもとに、強い信念を持ち、柔道に身を捧げてきた講道館九段の福田敬子師匠だ。2月9日、99才。亡くなる直前まで後進の指導を続けていたという。
福田師匠は、講道館創始者の嘉納治五郎の柔術の師匠・福田八之助の孫だ。
女性柔道家の講道館九段は世界唯一、最高位である。

51才の時、1964年東京オリンピックの女子柔道エキシビションで「柔の形」の演武を披露したのが、福田敬子だった。1966年、53才の福田は講道館五段、この時に国際的な普及を目的に渡米し、数ヶ月の滞在のつもりが、「もっと柔道を教えてほしい」と生徒たちに懇願され、そのまま定住することになる。1967年にはサンフランシスコに道場「桑港女子柔道クラブ」を創立し、以来、柔道を世界に普及するために奮闘する。

当時、福田の前途には大きな敵が立ち塞がっていた。柔道界に根強く残る男女格差である。男子と異なり女子の最高段位は五段までと定められており、5段の福田がそれ以上の段位へ挑みたくても認められることはなかった。福田は女性差別の撤廃を求めて柔道界に懸命に働きかけた。渡米後、1972 年、女性で初めて6段に昇段する。今日、女性が男性と同じように昇段できるのも、このときの福田の必死の働きがあったからだと言える。

「桑港女子柔道クラブ」を拠点に世界各国を回り、柔道場で弟子の指導にあたり、54才から65才まではMills Collegeの体育の教授として柔道を教えた。柔道の指導に関する本も出版し、一生を女子柔道の普及にささげ、日本国籍をも手放し、未婚ではあったが、多くの弟子を育てた。
「どこへ行っても慕われ愛される人間になってほしい」・・・・福田の願いだったという。

2006年4月には、柔道を通して素晴らしい人間を育てる理念のもと、福田の誕生日を機に奨学制度「Keiko Fukuda Judo Scholarship」を設立、若い選手をサポートしてきた。

2011年、米国柔道連盟は最高位である十段を福田敬子師匠に女性柔道家として初めて授けた。米国の「女子柔道の母」と言われるだけでなく、「世界の女子柔道の母」と言われるようになった。こういう点で、米国は組織が柔軟に機能し、対応が早いところがある。

一方、男女格差の強い日本柔道界が、暴行・パワハラ問題後も日本スポーツ振興センターの助成金不正徴収疑惑も発覚。いずれも、反体制派の「内部リーク」(関係者)というのが多くの全柔連関係者の認識だというが、不祥事がつづいた後、4月1日、東京都教育委員会の教育委員として瀬古利彦(マラソン)の後任に山口香が就任した。女性だからこそという新手で古い型を打ち破り、嘉納治五郎が願った日本柔道の形に立ち返らせて頂きたい。期待できる女性が多くいて、力を発揮できる社会は刷新もでき、発展する!



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2013年05月15日

『調査報告 チェルノブイリ被害の全貌』

ソビエトのチェルノブイリ原子力発電所で発生した未曽有の大事故から、今年で27年が経ちました。1986年4月26日、現ウクライナはソビエトの治世でした。

現地でグリーンピースは放射能調査を継続していますが、四半世紀を経た今も高レベルの放射線が検知され、農作物の汚染も続いていることがわかっています。この結果を受け、グリーンピースはウクライナ政府当局に食品汚染のモニタリングを再開するよう求めています。

今年、ゴルバチョフの科学顧問を務めたロシアの科学者アレクセイ・ヤブロコフ博士を中心とする研究グループが2009年にまとめた報告書の日本語訳『調査報告 チェルノブイリ被害の全貌』を刊行、ヤブロコフ博士の来日講演も東京・盛岡・郡山・京都の4か所で予定されます。

ヤブロコフ博士は、1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故当時、ゴルバチョフ書記長のアドバイザーを務め、被曝者のその後について25年以上追跡調査を続けている。2011年3月の福島第一原発事故後、チェルノブイリ事故との違いを指摘するとともに、放射能被害の過小評価の危険を警告している。

【博士の略歴】
1988年-1991年ソ連水産省の魚類学委員会議長。
1989年-1991年ソ連最高会議生態委員会副議長ソ連人民代議員。
1991年-1993年生態・公衆衛生に関するロシア大統領顧問。
1993年-1997年ロシア連邦安全保障会議省庁間生態安全委員会議長、この間旧ソ連による日本海への原子炉投棄問題を調査した。
1993年-2005年ロシア環境政策センター創立者および代表。
1996年-アメリカ芸術科学アカデミー名誉会員。
1997年に発足した欧州放射線リスク委員会(ECRR)の共同設立者。

2007年、ベラルーシのベルラド放射能安全研究所初代所長ワシリー・ネステレンコ、同所員アレクセイ・ネステレンコ(現所長)とともに、英語文献や、ロシア、ウクライナ、ベラルーシなどスラブ系の諸言語の記録や文献をもとに報告書『チェルノブイリ――大惨事が人びとと環境におよぼした影響』(日本語訳書『調査報告 チェルノブイリ被害の全貌』)をまとめ、同事故による死者数は1986年から2004年の間で少なくとも98万5000人に達するとの推計を発表した。


2013年、東京での公演
『調査報告 チェルノブイリ被害の全貌』刊行記念
アレクセイ・ヤブロコフ博士講演会

日時: 5月18日(土)後6時30分〜
 会場: 星陵会館 http://www.sfseminar.org/arc2004/map.html
 主催: チェルノブイリ被害実態レポート翻訳プロジェクト
 共催: ピースボート、グリーンピース・ジャパン、FoE Japan、
      グリーン・アクション、原子力市民委員会
 協賛: 岩波書店
 解説: 崎山比早子
参加費: 1,000円(邦訳書持参の方は無料)
ご一緒に行かれる方がありましたら、海津 ninakaizu@gmail.com へもご連絡ください。

参考Youtube:
2012年12月15日〜16日 、東商ホール


Nuclear Free Now 脱原発世界会議 主催のアレクセイ・ヤブロコフ博士「チェルノブイリの教訓」
博士(ロシア科学アカデミー、生物学者)-の発言より、チェルノブイリ原発事故の健康被害に話を絞って再構成した。20分程度、質疑は後半15分あたりから。(下記、文字おこししたブログ)
http://blog.goo.ne.jp/flyhigh_2012/c/ee9ef2f2b7a3ae84607658a0ea926ace
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2013年05月14日

原子炉等規制法、技術的基準に適合しない原子炉施設には使用停止命令のはずだが・・・・

 我孫子市と印西の市堺にある手賀沼終末処理場へ、市外より搬入の高濃度放射能焼却灰の一時保管の問題は一向に解決はしないままだが、他の原発関連施設などでも納得できる展開には程遠い。

 福井県敦賀市にある高速増殖炉「もんじゅ」は、繰り返し事故を起こしてきており、多数の機器で点検時期の超過が見つかったことから、原子力規制委員会は13日までに、未点検機器の整備などが完了、運転再開に向けた準備を進めないよう指示する方針を固めた。近く具体的な指示内容を決めるが、日本原子力研究開発機構が目指している年度内の運転再開は、ほぼ不可能になった。

 長期間運転を停止しているもんじゅでは、昨年11月、1万件近い機器について点検間隔の延長手続きを行わないまま、実施を遅らせていたことが発覚した。規制委は今年2月、立ち入り検査などを行って調査してきた。 調査の結果、規制委は原子力機構の管理体制などに問題があることを重視。未点検機器が残っていることなどから、年度内の運転再開に向けた準備作業の継続を当面のあいだ認めない方針だ。

 原子炉等規制法は、技術的基準に適合しない原子炉施設に対し、規制委が使用停止命令を出すことができるとしているが、規制委によると、使用前検査の段階にあるもんじゅへの適用は難しいという。 

参照:
時事通信 2013年5月13日(月)12時44分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130513-00000053-jij-soci
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2013年05月13日

世界のずる休み事情

GWも終わって、当分連休はない。と思うと、朝起きたとき、「会社(学校)に行きたくないなぁ。今日休んでしまおうか」とみなさんだって一度は、思ったことがあるはず。

しかし、決行するとなると会社の場合は勇気がいる。上司に直接電話しなければならないし、休んでも仕事のことが頭にチラついてしまう。

あるアメリカの人材派遣会社が2012年にフルタイムの労働者522人を調査したところ、多くの人がずる休みを経験したことがあることがわかった。ずる休みの嘘の理由は「病気」47%、「陪審義務」27%、「忌引」26%だった。

一方、ヨーロッパでも、会社をずる休みする人が多いそうだ。イギリスが発行している新聞「フィナンシャル・タイムズ」によると、W杯南アフリカ大会が行われた2010年には、イギリスの小規模企業連盟がずる休み防止のために経営者に対して「イングランド戦の試合当日と翌日に病気で休む社員がいたら診断書を提出させるように」とアドバイスしたほど。

だが、最近、ずる休みにはずる休みの注意もそれなりの苦労もあるものだ。まず、「SNSは更新しない」「電車に乗らない」と気をつかい、さらには休んだ翌日も「あまり元気に過ごさない」とそれなりの演出も怠らないようにしなければいけないのだ。そこまでする覚悟、精神状況があるならば、ずる休みも必要悪(?)だろう。要は、自分がガス欠を起こさないためには、休むタイミングを再調整することも大切でしょう。ズル休みはの癖をつけちゃだけめすけど (^_^;)

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2013年05月12日

薔薇が咲いた

市内で開かれた友人のお誕生日記念コンサートに行ってきた。薔薇さんと言う方も美声を聞かせてくれた。「薔薇」と書いて「ソウビ」と読む名前があるとは初めて知った。世の中知らないことを知るために、生きているのだということだけれど、本当にそうだ。歌に心を込める、人生を語るように歌う、若い歌手にはできない年齢のなせる業だ。

同じ日、母の日だった。カーネーションは花束は、母の日用の赤ではなくて、ピンクとペパーミントグリーンのアレンジを頼んだとのことで、家の中も外も花で賑わう。子供たちの趣味だと思う(自分たちが食べたい?チョコバナナ味だった)ケーキに蝋燭までついていたのはご愛嬌。

今年もこの季節は爽やかで、花々が庭先にきれい、手入れをしない我が家の庭?も雑草が生えだす前のこの瞬間がサイコーだ。調査で、日本民芸館を久々に訪ねたが、東大前の薔薇の通りも今が見ごろです。

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3.11の前も後も同じように花は咲く。

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2013年05月11日

国際日本研究家、ドナルド・キーンさん

ドナルド・キーンさんが『私が日本人になった理由』(PHP研究所)という文章を書いていた。
・・・・・・・・・・・・

震災以前から国籍取得は考えていました。
ただ、震災が起きた時に多くの外国人が日本から去っていくことには強い違和感を抱きました。
日本に長く住み、お金を儲けている人でもいざとなれば、あっさり日本を捨てるのかと。
もちろん、本当の脅威は放射能ですから、幼い子供を持った人々が去るのは理解できます。
しかし、私はそんなことはしないと再認識しました。

それ以前から国籍取得を考えていたとはいえ、今こそ日本人と一緒に居たいと思う気持ちが強まりました。
2011年の4月末に私は56年間勤めたコロンビア大学からの退官を発表しました。
それに際してNHKの取材を受けたのです。
その取材が終わった時、私は何気なく、「引退したら日本に永住する、国籍も取るだろう」と口にしました。
特に大げさなことを発表するつもりもまったくないままに。

すると半日後にはNHKはその部分だけをニュースにしたのです。
結果として大きな反響を呼びました。
東北はもちろん、日本中から手紙が届きました。
私のニューヨークのアパートに。

手紙の多くは、「あなたは勇気を与えてくれた」という内容でした。
中には「あなたは生粋の大和民族ではない」という否定的な意見も混じるだろうと予測していましたが、そいう手紙は一切ありませんでした。
いずれも感謝を表明するものばかりで、私が以前懸念した、顔つきがどうのとかはまったくの浅はかな杞憂でした。

私は自分の住む東京の一角では、ただの一人の西洋人でした。
今もそうかもしれません。
皆さんは私の顔をよくご存知でしたが、以前は通り過ぎる際に会釈をされるだけでした。
それが国籍取得のニュースの後には会釈だけではなく、声を掛けていただくようにもなりました。

「お元気ですか」「風邪をひかないように」とか。
些細な変化ですが、同時に重要な変化でした。

私はようやく、仲間として迎えられたと感じ、たいへんうれしく思いました。
今でもそう思っています。
以前から近所の皆さんはきわめて親切で、決して外国人扱いという調子ではなかったのです。
ただ、無言であっただけで。
しかし、今ではそいう点でも変わりました。

・・・・・・・・・

日本と日本文学をこよなく愛している、キーンさんはニューヨークで1922年に生まれ、現在91歳。
『100年先の皆様へ』という文章も書いている。

現在の日本とはずいずん違った国になっているでしょう。
今も未来も守るべきものはあります。
それは日本語です。

100年先には日本語以外の言葉が国際語になっているかもしれません。
しかし、日本語こそが日本人の宝物と信じて疑いません。
ぜひ守ってください。これこそは私の一番の願いです。

お願いします。

“ドナルド・キーン”(鬼怒鳴門・キーンドナルド)

(同書より)


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2013年05月10日

JRとの運賃比較で大きな差

千葉ニュータウンを走る北総線運賃では近隣の自治体で裁判沙汰がおきて国を相手取っての紛争となっているので、運賃に関心をもつようになったが、思った以上に鉄道運賃の格差(?)があるようだ。

同じ場所にいくのでもJRとメトロを使うと片道100円(往復なら200円)も違いがあることが分かって驚いた!
乗り換え方を変えて、なるべくJR路線を使わず、メトロを使う方が“安近短”なのだと改めて分かった。
(柳宗悦の民芸運動を調べるべく、東大駒場前の日本民芸館を訪ねようと、路線チェックしたところ、運賃がだいぶ違う上に、安いルートが時間も早いなんて・・・)

●我孫子ー日暮里ー渋谷ー駒場東大前
運賃: 片道900円 定期代:1か月25,220円 3か月71,910円 6か月136,190円
時間:1時間17分(乗車1時間5分、ほか12分)

◎我孫子ー北千住ー表参道ー渋谷ー東大前
運賃: 片道800円 定期代:1か月26,510円 3か月75,560円 6か月135,010円
時間:1時間12分(乗車58分、ほか14分)


皆様も高い分のサービスがされているかといえば、こちらがアトレ、駅ナカを利用してJRの利益に貢献していることが多いはずで、JRという黒字企業の地域貢献はどういうものなのか、問うてもいいのではないでしょうか。主婦は10円の差は大きいと感じるが、年金生活者が多くなると100円の差で、しかも時間もメトロ利用を多くすると時間も短縮だったのでは、インターネットを使って事前に調査すべきです。ただし、スマートフォンやIモードの接続料も考えないとあぶはち取らず、現大社会のネックはもう一つ、接続料!?

*日本民芸館には、柳兼子記念室(一階)の常時公開や柳旧邸特別公開日もありますので、行ってみて下さい。
なお、我孫子白樺文学館では、日本民芸館に兼子記念室が出来る以前の2001年の開設時より兼子記念室を開設、柳兼子の音録を再現。


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2013年05月09日

スマートシティで、ボランティアのポイント化

 先端技術を使った「スマートシティ」と呼ばれる先進的な街づくりが進む柏市の柏の葉キャンパス地区で、街づくりに取り組む住民らがグループを法人化し、一般社団法人「柏の葉カレッジリンク・ネットワーク」の活動を本格化している。ボランティア活動をポイント化し、別のイベント参加料に使える制度もスタート。住民主導の街づくりが加速し始めた。

 法人は、千葉大の市民講座を修了した仲間と研究者が、学んだ成果を生かして街づくり活動を進めようと、昨年七月に結成。行政の補助が切れれば活動が終わりという失敗に陥らないよう、法人化して事業の採算にも気を配り、もちろん税金も納める。

 講座で学んだ健康に関する豆知識を広めようと作った「養生訓いろはカルタ」を三月に会のホームページを通じて発売。さらに、駅前に育つ名木の保全や、街路樹にタグをつけてジョギングコースの案内に活用する企画なども構想している。

 参加する市民は六十〜七十代が中心。発想や行動力は衰えず、法人の代表理事を務める野田勝二・千葉大助教は「こんな人たちが埋もれていてはもったいない」と舌を巻く。地元住民で理事の校條(めんじょう)邦夫さんは「茨城県から移り住んだ五年前は、知り合いがいない無機質な街だと思った。でも、サークルや住民活動が増え、参加するたび街が変わっていくのが分かる。本当に面白い」と楽しんでいる。

 ボランティア活動のポイント制度は、スマートシティの開発を進める企業などが共同で始めた。清掃や花壇の水やり、イベントの運営などにボランティアとして協力すると、ポイントを獲得でき、活動スペースのレンタル料や他の住民活動のサービス利用料などに使える仕組み。

 一ポイント一円相当で、例えばフリーマーケットと直売市などを組み合わせた恒例イベント「マルシェコロール」の運営を定期的に手伝ってポイント(一回百ポイント)がたまれば、養蜂サークルが生産した蜂蜜(八百ポイント)と交換もできる。

 導入の狙いは、住民活動への参加の動機づけに加え、ポイント使用が活動の活性化につながる好循環をつくること。千葉大柏の葉キャンパス内の一室に市民らが集まって「この事業で活動費を捻出したい」「仲間を増やすためパーティーを」。会議では、ときおり冗談に笑いが起きつつ、真剣なやりとりが続いた。まだ登録者は七十人ほどだが、関係者は「将来的には利用できるイベントなどを充実させ、柏の葉での暮らしに欠かせないものにしたい」と構想を描いている。

柏のスマートシティ一帯では、マルチ交通シェアリングは現在、住民約4百人が登録している。車だけでなく、バイク、自転車を共同利用する「マルチ交通シェアリング」の実験が4月から 拡充され、非常時に電気自動車を“街の電力源”に利用する防災サービスとして始まった。 駅前の一角に設けられた「防災エネルギーボックス」は、通常時は電気自動車の充電に、災害時は逆に電気自動車の強力なバッテリーを家庭用電源に変換する。照明の点灯や携帯電話の充電などに活用できる。
防災エネルギーボックスは柏市役所の駐車場にも登場した。


参考:東京新聞 4月28日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/20130428/CK2013042802000106.html
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2013年05月08日

日本の農業は弱くない!?

農業技術通信社の専務を務め、若者向け農業誌『Agrizm』の発行人、月刊誌『農業経営者』副編集長である浅川芳裕氏が、2010年(平成22年)2月に講談社から『日本は世界5位の農業大国』(講談社+α新書)を刊行、話題を呼んだ。

浅川氏は「先進国最低レベルの食料自給率」「後継者不足」「耕作放棄地の増加」といった負のキーワード「日本農業弱者論」は、新たな自虐史観だ、と語る。過去40年間で農家の数は激減したが、農業以外の所得の増大と農業の技術革新にともない、生産性と付加価値は飛躍的に向上している。農業を本業とし、きっちり成果を挙げている優良農家は進歩を遂げているのだという。実は、今ある少数の農家だけでも日本国民の需要を十分に賄いきれるほど、農場の経営は進歩を遂げていると言われてみれば、これまでの農業の見方が変わってきそうだ。確かに農業就業人口の流動化、減少、生産性の向上は、すべての先進国が歩んできた道で何も日本に限った特殊な現象ではない。それではなぜ、こうした事実に反して「日本の農業は弱い産業だ」という単純なレッテルが貼られているのかと、問題視して浅川氏は論を進めていく。

それはすべて、農水省および日本政府が掲げる「食料自給率向上政策」の思想に起因する。
昨今の世界的な農産物価格の高騰と相まって、日本の食糧自給率(41%)が世界で最低レベルの危機的状況にあると取り沙汰されている。しかし、この主張の裏づけとなる食料自給率の数字は、実は極めていい加減だ。
日本の自給率は41%と言われるが、それはカロリーベースで計算しているからだと指摘する。
生産額ベースでは、66%となり、主要先進国の中では3位だというが、自給率を発表している国は世界で日本だけだというのには、なるほどの感になる。

スーパーに並ぶ農産物の大半は国産だし、棚には一年を通して十分すぎるほどの量が陳列され、品質についても大きな不満は聞こえてこない。それどころか、生産過剰で破棄する農産物の話も思い出す。米に至っては減反政策は40年以上続けられている。自給率が示す数字と一般的な感覚がかけ離れているのは、農水省が意図的に自給率を低く見せて、国民に食に対する危機感を抱かせようとしているからだというのだ。

窮乏する農家、自給率低下のイメージを演出し続けなければ、農水省の果たすべき仕事がなくなっていくから、危機感を煽っているのではという。民間による農業の経営、マーケットが成熟し、政府・官僚主導の指導農政が終わりを迎えているという。

2007年の先進5カ国の農産物輸入額は、1位が米国の747億ドル、2位がドイツの703億ドル、次いで英国535億ドル、日本460億ドル、フランス445億ドルという順。人口は、米国3億人、ドイツ8000万人、英国6000万人、日本1億2000万人、フランス6000万人だから、アメリカと同様、日本の輸入量が少ないのは道理だというのだ。

日本農業は実力を評価する世界標準は、メーカーである農家が作り出すマーケット規模である。
国内の農業生産額はおよそ8兆円。これは世界5位、先進国に限れば米国に次ぐ2位だという。
この数字は農水省が発表しているもので、2001年以降、8兆円台を維持している。

日本のTPP参加の前提は、農業の保護だが、日本の農業についても認識を新たにしたほうがいいのかもしれない。


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2013年05月07日

参議院選挙前の予想がされる、GWあけ

アベノミックスで異次元の成長戦略を期待され日本経済は堅調、がぜん株価は高値路線に驀進中で、市中の会話の中にも「いくら儲かった」「〇株買った」など、この十?年聞いてなかった言葉が聞こえてきます。社会の動脈とも言い換えられる金、モノ、人の流れがようやく正常値に戻してきたのかと、胸をなでおろすところまでになってきたようです。でも、以前の自民党下の長期政権で日本の政治は、世界に揶揄された三流の評価のままではあってはなりません。

参議院選前のゲン担ぎにみせて96の背番号をつけた安倍首相が、後楽園球場を舞台に国民栄誉賞の授賞式に96代総理として式に臨んだので、背番号にしたとの答弁でしたが、「その心」の内は、政治家として憲法改正への意欲を合わせ技もあるのでしょう。

ゴールデンウイークを過ぎ、いよいよの都議選に出馬する知人らがいます。ちょっとした風向きで大きく結果が変わる小選挙区制の衆議院選挙よりは、予想がつきやすい参議院選挙にテコ入れして、両院で多数をとって目指す先は・・・・。首相の一挙手一投足が気になるころです。参議院選を占う前哨戦になるとも言われまれる都議選、特に2人区は大変です。自民のリカバリー選挙、圧勝するとの予測なので、自民以外の議席を競ってかなりの激戦が繰り広げられるはずです。二大政党化のこれまでなら、自民と民主で分け、注目株だった民主議席をどう予想するかで、選挙の展開が大きく変わってきました。 

参院選の自民党と公明党は非改選の議席数は、それぞれ49と9で計58。
これに69を加えると、127となり、過半数の121をこえます。民主党は、野党第一党を保っていくでしょうが、維新とみんなは組織がないながら、合体することで民主をはるかに超えるようになり、憲法についても自民寄りの発言が聞こえ、衆議院で圧勝した自民党にとって、参議院で過半数を超えると、今までになくやりやすい状況が生まれます。

社民は党本部も移転、政党要件をかろうじてクリアしていますが、次の参議院選挙か衆議院選挙では、それも危うくなる状況です。小沢党と手を切ってた生活も議席を減らし続け、新たな展開があるのかどうか。共産党も手堅く残ったとしても、3議席くらいではあまり主張の力はありません。

ということは、96の背番号で暴走しないように、新規まき直しの日本の政治を国民がしっかりとウオッチしなければなりません。新たな政治戦略が求められる各党、グローバルに迅速に、どう答えるかの時代になっているといえます。国民の神(民)の声をしっかりと効かせる政治にしなくてはなりません。

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2013年05月06日

手賀沼一時保管 柏市議団が視察「安全な施設に」

東日本大震災:焼却灰問題/千葉
住民に怒りと焦燥感、

 東京電力福島第1原発事故の影響で放射性物質に汚染された焼却灰が手賀沼終末処理場(我孫子・印西市境)で一時保管されている問題で、柏市議会の放射能等災害対策特別委員会(末永康文委員長)のメンバー12人が5日、処理場内の灰の保管状況を視察した。柏、松戸、流山3市の執行部・議会が搬入開始後、同処理場を公式に訪問するのは初めて。すでに3カ月以上経過してからの視察に加え、新政権発足で最終処分場の建設が不透明となっており、住民側の焦燥感や怒りが募っている。

 処理場の入り口に、我孫子市の反対住民約30人が詰めかける中、柏市議を乗せた大型バスが午後2時過ぎに到着。約30分間、県の職員から、一時保管施設(テント倉庫)内に保管された灰について説明を受けた。

 視察後、施設を出ようとした大型バスの前で、住民側が「柏市の汚染灰は、柏市で保管」「一時保管でも安全最優先で」などのプラカードを掲げて座り込みし、大型バスの通行を阻止。処理場の出口で立ち往生したバスから末永委員長が出てきて話し合いに応じることになり、住民側は安全な施設の設置を県に申し入れるよう要望した。これに対し、末永委員長は「この問題の一番の責任は東電であり国だ。住民の気持ちも理解できるので、今後、議会で対応を検討したい」と理解を求めた。

 しかし、住民側は怒りが募るばかり。柏市には、搬出者として県に施設の安全確保を求めるよう要望したが断られ、国の公害等調整委員会の調停でも、調停の結論が出るまで灰の搬入を停止するよう申し入れたが、停止されなかった。1キロ当たり8000ベクレル超の高濃度の焼却灰は着実に搬入され、昨年12月以降、柏、松戸、流山3市からの灰の保管量は約397トンに達し、柏市だけで167トンが運ばれている。

 住民団体「広域近隣住民連合会」の小林博三津事務局長(我孫子市)は「一時保管施設には柏市(のコンクリート製の保管庫)と同じ対策をやってほしい。末永委員長は我々住民側に理解を示していたが、結果的には、灰は搬入されているので、言動にずれがある」と批判した。


http://mainichi.jp/area/chiba/news/20130406ddlk12040090000c.html
毎日新聞 2013年04月06日 地方版
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2013年05月05日

水の奇蹟を起こしてきた日本人

国民栄誉賞の授賞式が爽やかな5月の空の下で行われるので、楽しみです。

話は変わりますが、ウズベキスタンの水システムの研究をしている方の興味深いお話しを聞きました。
中央アジアにあるアラル海の驚くべき干ばつの問題について研究しようという若手研究者から、かつてはオアシス的存在であったアラル海は、塩度の高い湖だったが、水辺のあることで気温・湿度が一定の過ごしやすい環境に保たれ、動植物が多様に存在していたが、それが激変している事実を聞きました。

ソビエト時代に無謀な灌漑用水路計画を推進の結果、1960年代には年平均 20 cm、1970年代には年平均 60 cm と猛烈なペースで水面が低下し、急激に縮小をはじめ、なんと、一晩で数十 m も湖岸線が遠のいていく。そのため、退避しそこなってその場に打ち捨てられた船の群れが後に「船の墓場」として惨状となってしまった。これからでも、日本の技術力をもってして、多少とも状況を改善できないか、と研究に取り組んでいるというので、手賀沼の治水の歴史と重ね合わせてしまった。

Youtubeには、これまで海外で灌漑に取り組んできた技術者の話が、投稿されてあったので、日本人の取り組みを振り返ってみてはとブログに掲載してみます。

鳥居信平:台湾南部を潤した日本人技師
NHK「JAPANデビュー」では、山梨県出身、80年以上も前に、台湾南部に画期的な地下ダムを建設し、人々に安定した生活をもたら-せた。
http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=1k4n-TCjZwo&feature=endscreen

八田與一:鳥居信平の大学の後輩で、同様に台湾の農民のためにダムをつくった。

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2013年05月04日

忘れてはいけないこと

猪瀬都知事の失言が、オリンピック招致で問題になったが、イスタンブールと接戦かなどと争う前に、国際的視野にたって、これまでのトルコー日本の関係で、忘れてはいけない歴史認識があるのではと娘が聞いてきた話しを教えてくれました。探してみると、Youtube動画にもなっていたのでご紹介します

★串本町(和歌山県)―トルコのエルトゥールル号の遭難事故で多くのトルコ人を助けた
95年後、トルコ航空機による日本人を優先救出にいたる歴史実話★






概要:日本とトルコの友情の返礼

串本での遭難事件から95年の月日が流れた1985年、イラン・イラク戦争の最中、イラクのサダム・フセイン大統領は、3月20日午後2時(日本時間)以降、イラン上空を飛ぶ航空機をすべて撃墜する旨の声明を発した。各国は軍用機や民間機のチャーター便を派遣して自国民の保護に努めたが、日本は自衛隊を海外派遣できないうえに、政府が日本航空に救援機の派遣を求めるも、同社の組合が安全性などを理由に反対したことで、日本人の保護ができない事態に至った。

当時、イランに駐在する野村豊大使が困り、在イラン・トルコ大使のイスメット・ビルセル氏に相談したところ、なんとトルコが救援機を派遣して日本人を救出することになったのである。このとき、トルコ大使は「トルコ人なら誰でもエルトゥールル号遭難事件の際に受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせていただきましょう」と語ったという。そして、ほんとうにトルコ航空の飛行機2機がテヘランに派遣され、215人の日本人は全員救出、トルコ経由で日本に帰国できた。日本人を乗せた救援機がイラン領空を抜け出したのは、期限の1時間15分前。少し遅れたら、撃墜される可能性もある危険な飛行だった。救援機の派遣を決めたトルコのトルグト・オザル首相(当時)は、他国民を助けるために、自国民を危険にさらす決断をして、日本人を優先的い救出してくれたのだった。
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2013年05月03日

憲法記念日

朝日新聞の世論調査(5月2日付け朝日新聞紙面17頁より)によれば、96条改定に関し、反対54%賛成38%と国民の過半数が反対、なおかつ憲法9条改定も反対52%と過半数超えている、との結果でした。

今回の朝日新聞の世論調査はこのところ経費節減のために、固定電話にむけてRDD方式(乱数番号法、Random Digit Dialing)が多く採用されて、コンピュータで乱数計算を基に電話番号を発生させて電話をかけ、応答した相手に質問を行う方式です。アルバイトが電話の前でリストから機械的に電話をして、そしてマニュアル通りの質問を繰り返し、集計を取るだけですから、専門の調査員を派遣する面接調査方法よりも、時間と人件費が圧倒的に節約できるそうです。

 
今回は「全国の有権者から3千人を選び、郵送法で実施」したとのことで、返送の年代別では、20代9%、30代15%、40代17%、50代17%、60代19%、70代14%、80歳以上8%、無記入1%ということです。最近の若年者層の政治意識は、それにしても後期高齢者の意識に近いとの回答結果だったのはどうしたものでしょうか。有効回答の男女比は男46%、女53%、無記入1%でした。対象者の選び方は、層化無作為2段抽出法。全国の縮図になるように341人の選挙区を選び、各選挙区の選挙人名簿から平均9人を選び、3月20日に調査票を発送し、4月23日までに届いた返送総数が2283。無記入の多いものや対象者以外の人が回答したと明記されたものを除いた有効回答は2194で、回収率は73%だったとのことです。

世論調査の項目には「あなたは、地震国日本で原発は安全に稼動できると考えますか?」も含まれていました。

朝日新聞社郵送世論調査 質問と回答
http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201305010606.html?ref=reca
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2013年05月02日

搬入量を事前通知へ?! 県と5市の連絡会議で住民の不安は取り除かれない

2013年4月19日、千葉県柏市は「持ち込みによる食品・井戸水等の放射性物質測定の結果(4月1日〜4月10日分)」を発表した。
http://www.best-worst.net/news_aC9URxRMFU.html

同日、発表された市中央部で採取されたシイタケ”について、1キログラム当たり516ベクレルの放射性セシウムを検出したことが明らかとなった。その他にも、”干ししいたけ”が99ベクレル、”たけのこ”が80ベクレルと100ベクレルに迫る食品が存在している。柏市では食品基準値の1/2を超えた持ち込み品については「米国ORTEC社製 ゲルマニウム半導体検出器 GEM-20P4-70」で再検査を実施している。

また同じ日、千葉県は手賀沼終末処理場(印西市、我孫子市)への汚染焼却灰の搬入をめぐり、同処理場の周辺住民の間では不安が高まっているため、翌週の搬入計画を各市が事前に県に報告し、県が取りまとめた上で5市に伝えることになったという。一時保管する高濃度放射性物質を含んだごみ 焼却灰の管理や今後の搬入について協議する周辺5市との連絡調整会議を松戸市内で開き、灰の搬入量を事前に通知することなどを先月19日に決めた。実施は5月中にするとされる。

昨年12月に搬入が開始され、今月15日までに松戸、流山、柏の3市が計約427トンを運び込んだ。搬入同処理場内の一時保管のためのテントはこれまでに9棟建設され、うち3棟が使用中。県では地元自治会などへの公開を検討する。

 
MSN産経ニュース 2013.4.19 22:33
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130419/chb13041922440004-n1.htm
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2013年05月01日

憲法を考える映画上映

公開初日〜上映最終日 4/27 〜 〜 〜 5/10
上映場所:東中野ポレポレ館
日本国憲法が施行されたのは1947年5月3日。 当時の吉田茂首相は「主権在民」「戦力の不保持と交戦権を放棄する平 和主義」「不可侵の基本的人権」を3大原則とする現行憲法を「世界に 比類 なき憲法である」と述べました。
それから66年、政治の舞台ではその憲法が争点として注目を集めていますが、普段の生活において、憲法が意識にのぼることはあま りないように思います。
私たちにとって憲法がどのような意味をもつのか? 憲法のことを考える今年の憲法記念日にはそんな時間をと、下記の映画上映が用意されていますので、ご案内まで。

◎『100年の谺(こだま)』作品データ 2012/90分/日本/カラー
 
上映のタイムテーブル 18:30

【ストーリー】
「―幸徳ノ為メニ弁ゴ士ノ御世話ヲ切ニ願フ 六月九日 彼ハ何ニモ知ラヌノデス」。
映画は100年前、大逆事件に連座した紅一点、管野須賀子が獄中から密かに託した針文字の手紙で始まる。しかし当時の刑法73条、皇室に対する大 逆罪で幸徳秋水以下12名が死刑に、12名が無期懲役になった。

20世紀初頭、日露開戦へと世論が沸騰する中、幸徳秋水と堺利彦の二人によって平民社が設立され、平民新聞が創刊された。自由・平等・博愛と社会 主義を掲げ、「非戦」の旗手として登場した平民新聞は、政府の弾圧によりまもなく廃刊となるが、次々と後継紙を産み、社会問題に関心を持つ人々の 心をつかんでいった。その中には、新聞記者として公娼廃止や女性の地位向上を訴えた管野須賀子、和歌山で貧しい人々の医療に力を尽くした医師・大 石誠之助、被差別部落の門徒への差別と向き合った僧侶・木顕明、岡山で農事改良に取り組んだ森近運平など多彩な人々がいた。

しかし軍事国家への道を突き進む明治政府は、自由な言論活動を厳しく取り締まり、思想統制を強化していく。これに対して信州明科の労働者宮下太吉 は、天皇へのテロで人々の目を覚まそうと短絡的に考え、自ら爆弾を作り実験するに至る。やがてそれは警察の知るところとなり、宮下と接点があった 平民社の仲間たちが次々と検挙され、検察による巨大な陰謀物語へとフレームアップされていく。

戦後になっても大逆事件は再審の厚い壁に阻まれてきたが、事件の真相が明らかになるにつれ、各地で犠牲者の名誉回復や顕彰活動が生まれ現在に至っている。国家と司法、国家と人権、国家と私たち・・・
大逆事件は、100年経った今も私たちの胸に重い問いとして谺(こだま)し続けている。

◎『映画 日本国憲法』

上映のタイムテーブル 12:50  16:50 

【内容の説明】
戦後60年目を迎えた2005年、自衛隊のイラク派兵をきっかけに憲法についての踏み込んだ議論が始まりました。国内の余りに性急な改憲への動き を、世界に視野を広げて見つめ直す、それがこの映画の出発点でした。憲法とは誰のためのものか、戦争の放棄を誓った前文や第9条をどう考えるの か。憲法制定の経緯や平和憲法の意義について、世界的な知の巨人たちの語った貴重なインタビュー集です。

2005年キネマ旬報ベスト・テン「文化映画」部門 第1位
記録映画/DVD・ビデオ/78分/2005年
企画・製作 : 山上徹二郎
監督・編集 : ジャン・ユンカーマン
撮影 : 大津幸四郎



◎『ベアテの贈りもの』
上映のタイムテーブル 14:45

ドキュメンタリー/DVD上映/92分/2004年

【ストーリー】
新憲法になるまで、女性には参政権はおろか、教育、結婚の決定も自らの意思ではままならなかった。
そうした日本の女性たちの環境を熟知していた、日本での生活を通して知っていたベアテ・シロタ・ゴードンが男女平等の要件を盛り込むまでの艱難辛苦の日々を語る。




posted by Nina at 01:34| 千葉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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