2013年04月11日

ココが変だよ、千葉県

 北総線の裁判のことがニュースとして、しばしば報道されているが、こちらもゆゆしき事態だ。鉄道の高運賃は、そもそも千葉ニュータウンの計画から始まっている。今、その買収済みの土地のかなりの部分が遊休地となって、無為になっている。初期計画よりも数段に減らしたとはいえ、計画面積は約1,933ヘクタールである。工事が完了していないのが約1000ヘクタールが未利用地となっている(1995年3月末)。これは、明らかに莫大な税金の無駄遣いである。

 この千葉ニュータウン事業は、すでに事業着手から2、3年たった時点で失敗があきらかになっていた。しかし、県当局はこれを無視した。用地買収着手の2年後(1969年)には早くも「営農調整地」という名の買収放棄地を虫食い状態でつぎつぎと設定したのに、こうした状況を長年にわたってかくし続けた。たとえば、『週刊千葉』84年7月合併号の「甘かった用地買収の見通し」はこう指摘している。

 「新住宅市街地開発法に基づいて都市計画決定された地域の中に、農業区域を設けることは異例のことである。わかりやすくいえば、新しい住宅街をつくるために新住法を適用しておきながら、買収が進まないことを理由に、同法を無視したということである」

 県当局は、法律や計画などはまったく無視して、ただひたすら用地買収の“当面の実績”をあげようとしたデタラメなやり方をしていたのだ。

2012年3月末現在の計画人口は14万3300人。居住人口は9万1484人。計画面積は約1,933ヘクタールである。


学校や住宅団地を計画していたところに「営農調整地」を設定するなどのメチャクチャなことをしながら、買えるところだけを虫食い状に買収していった。

 そして、やっと事業の見直しを検討しはじめたのは、事業の失敗が分かった1970年から、じつに14年が経過してしまった1984年からだった。そのきっかけについて、84年7月16日付けの『朝日新聞』(夕刊)が次のように書いている。

 「引き金はこの4月、行政改革推進審議会委員や財界人が現地を視察、住む人もないアパート群を見て、『壮大なむだ』と指摘。今後、行革論議の中で悪例の見本に取り上げられそうな気配になってきた」

 見直しに踏みきったが、その後バブルの崩壊に向かい、さらに手痛い目にあう。そこで、1986(昭和61)年12月の計画縮小により、千葉ニュータウンは22住区に(印西町は13住区)、人口は従来の半分の17万6千人(印西町は10万6600人)に変更されたのである。

 とことがその後、一時は景気が上向きになり、都心部の地価が高騰すると千葉ニュータウンが注目され始めた。すると一旦、計画人口は縮小したのだが、6年後の1992(平成4)年春の都市計画審議会では7駅圏(牧の原駅圏)を中心に開発計画が見直されることになる。千葉ニュータウンの住区を22住区から24住区に増やし、人口も17万6千人(印西町10万6,600人)から19万4千人(印西町12万1,500人)に増やすというのだ。そのため、住宅の配置も従来は低層住宅7対中高層3の割合であったものを、今度は低層住宅5対中高層住宅5の割合とするという。

 そして、小康状態の時期もすぎ、現在は再び縮小して見直され、計画人口は14万3,300人、計画戸数4万5,600戸となっている。2012(平成24)年7月の千葉ニュータウン全体の入居状況は戸数3万4,420戸(75.5%)、人口9万2,934人(64.8%)である。印西市に至っては戸数で1万9,041戸(61.6%)、人口では5万3,324人(55.5%)でありながら2014(平成26)年3月にはニュータウン事業は収束することになっている。

 千葉県企業庁は、こればかりでなく湾岸開発などによって、資金難を抱え暗礁に乗り上げていたため、住宅・都市整備公団の前身の宅地開発公団が助っ人に入った。つまり、千葉ニュータウンの名義は今でも千葉県企業庁だが、開発費用は住宅・都市整備公団が出していた。企業庁は事実上倒産した会社と同様であるが、大会社に担保をつけ裏で保証して救済してもらっている身分にすぎなくなった。

 このように千葉ニュータウン事業は“壮大な無駄使い”といわれているが、それは企業、中でもゼネコンにとっては大儲けな事業になっていた。85年度までに投資された約3000億円の大半が、工事を請け負ったゼネコンに流れていったからである。先々の事業見通しがあろうがなかろうが、あるいは建設された施設が利用されようがされまいが、そんなことは気にせず県や公団は、道路、公園、住宅、歩道橋などをどんどんつくっていった。また、入居の見通しがないことはわかっていても、中高層住宅をつぎつぎとつくっていった。その結果が、使われない立派な道路や歩道橋、空き住宅などの存在である。また、金融機関も大儲けである。3000億円のうち、じつに3分の1の約1000億円は利子分だったのだ。

 千葉ニュータウン事業が「収束するときは、計画通り入居が完了した時」と誰しも考えてきたが、未処分地はほとんどが印西市域の別所地区、鹿黒地区において残されており、200fを超えるものとみられる。現地をみると、たとえば印旛地区(印旛村)では、粗造成をしたままの広大な土地(約100ヘクタール)の中に中学校と消防署(後に、消防署は資料館に替わった)がポツンと建っているだけという状態が25年もつづいた。

 無人の集合住宅も数多く存在する。また、上水道や下水道などの関連施設の過大化もみのがせない。これらは、34万人の計画人口にあわせてつくられているからである。本埜村には、県水道局の北総浄水場が建設された。これは、計画給水人口を40万人(千葉ニュータウン34万人、成田ニュータウン6万人)としたものであるが、実際の給水人口は約12万人(千葉7万6000、成田約4万5000人)だから、まったくの過剰施設となっている。また、下水道も34万人にあわせたものが先行投資されている。

 千葉ニュータウン事業はなぜこんな状態になっているのか。その最大の原因は、地権者や地元市町村になんの協議もなしに、県が突然、トップダウン方式で計画を発表し、事業を始めたことである。
 
 この計画のそもそもの目的は、成田空港対策であった。つまり、友納武人知事(当時)自身が述べているように、「成田空港と東京都心を最短距離で結ぶ鉄道および道路用地の確保」であり、「東西に細長い大ニュータウンを建設し、その真ん中に空港への鉄道、道路用地」を含ませることであった(友納武人『続・疾風怒涛』千葉日報社)。
                                    (つづく)
  
参考:
開発問題研究会
http://www005.upp.so-net.ne.jp/boso/kaihatu.htm
posted by Nina at 00:00| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | chiba | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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