2013年03月20日

『白樺』と学校教育への弾圧

我孫子のゆかりある人の一人にの山岳小説の人気作家・新田次郎がいます。直木賞を受賞者は、以前は気象学者として我孫子の旧気象送信所(気象台跡地記念公園)に勤務していました。その作品『聖職の碑(いしぶみ)』は山岳小説の最高峰とも目され、映画にもなりました。

スト―リは実話に基づいていて、大正時代、中箕輪高等小学校では白樺を愛読する教員とそれに反対する教員や村の助役、郡の視学との対立が始まりつつあった中、校長の赤羽長重は毅然とした態度で教師たちをまとめ、実践主義的な教育を行っていた。大正2年8月26日、赤羽は集団宿泊的行事として前々年より定着しつつあった木曽駒ヶ岳登山に、生徒25名、地元の青年会員9名、引率教師2名と共に総勢37名で登山に出発。計画は綿密に練られ、前年までの経験を基にした詳細な計画書が全員に配布され、また、地元の飯田測候所にも逐一最新の気象状況を照会するなど、当時考えられる対策はほぼ全て取られていた。ただ、町の予算により運営されているため、前年まで付けていた地元のガイドを雇うことはできなかった。そして、生徒たちを巻き込んでの遭難事故は生徒9名教員2名が遭難します。

作者・新田次郎は、この惨劇に強い関心を抱き、現地を訪れて資料を渉猟するとともに、遭難コースを登山し、生存者や遭難者の遺族から当時の状況をつぶさに聴取して、この物語を書き上げました。一時、子を失った父兄の痛みは計り知れず、学校に対する怒りは大きく、駒ヶ岳登山は中止さた。しかし事故から12年後、赤羽校長の残した教えを守るべく再開され、現在は他の中学校にも広がって登山人数は2000人を超える、と記されています。引率者をはじめ、関係者の努力は並々ならぬものがあったのでしょう。

また、1924年(大正13年)になると、長野県では川井訓導事件が起きていた。松本女子師範附属小学校の訓導であった川井清一郎が、修身の授業で国定教科書を用いなかったことを理由に休職処分とされ、退職に追い込まれたこと、また、これに関係した教育界における論争など、一連の動きを指す。大正自由教育運動に対する弾圧事件の代表的事例、教科書不使用を理由に教員が厳罰に処された事件の典型例とされ、事件の背景には大正自由教育が「赤化思想」の温床とみなされていたことが指摘されている。

自由教育のシンボル的な存在が『白樺』、信州白樺の活動ともダブっている。我孫子市史研究の資料などを見てみたら、同時期には我孫子でも自由・自学教育が進められて、かなり盛んな取り組みの地であったようでした。

posted by Nina at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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