2013年03月08日

日本の観光の礎:お伊勢参り

春めく陽気になって、外を歩きたい気分になってきた。このところ、観光が貿易に代わる産業となって多くの雇用を生み出すとも期待される。各自治体でも観光に力をいれてきたし、ボランティアガイドなども組織されている。

さて、今週末には、白樺ゆかりの下町散策ツアーを計画しているので、お時間のある方はどうぞご参加ください。

3月10日(日)の集合時間は、我孫子駅改札に9時です。

戦争末期、3日10日に東京下町は東京大空襲で多くの命を失いました。こうした記録を少しでも残しておこうと東京両国・江戸東京博物館も展示コーナーを設けているので、そこも訪ねてみたいと考えます。国内でこうした事実が風化していきますが、米国では原爆以外にも日本各地を焼夷弾などで爆撃したとは殆ど知られていない。日本の負の遺産である戦争についても、観光がされます。

ところで、TV番組で伊勢神宮を特集していた。日本の観光の原点でもあると言われるお伊勢参りについての話は興味かったので、少しご紹介です。

三重県伊勢市にある神社で、皇室の氏神である天照坐皇大御神を祀るため、皇室・朝廷の権威との結びつきが強くあったとされている。今でも、活発な組織を抱える神社本庁の本宗(ほんそう)であり、ジェンダーバッシングの際にはこの神社本庁から、千葉県庁にファックスが多々送られてくると事態があった。実際の名称は「神宮」という地名の付かないのが正式なのだそうだ。他の神宮と区別するため「伊勢の神宮」と呼ぶなどのほかに、親しみを込めて「お伊勢さん」「大神宮さん」とも言われる。

太陽を神格化した天照坐皇大御神(天照大御神)を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮があり、一般に皇大神宮は内宮(ないくう)、豊受大神宮は外宮(げくう)と呼ばれる。内宮のみ参拝の人が多いが、本来は外宮を参拝してから内宮に参拝するのが正しいとされている。実は、この外宮もかなりの数があって、この内宮と外宮は離れているため、そこをガイドをたよりに巡礼していくツアーもある。広義には、別宮、摂社、末社、所管社を含めた、合計125の社宮を「神宮」と総称するのだという。その場合の所在地は三重県内の4市2郡になる。

【歴史】

天孫・邇邇芸命が降臨し、天照大御神は三種の神器を授けられ、その一つ“八咫鏡”に、「吾が児、此の 宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。(『日本書紀)」として、天照大御神のご神霊がこめられる。この鏡は神武天皇に伝えられ、以後、代々の天皇のお側に置かれ、天皇自らが観察されていた。八咫鏡は、第十代崇神天皇の御代に、大和笠縫邑に移され、皇女豊鍬入姫に祀らせた。

『日本書紀』垂仁天皇25年3月の条に、「倭姫命、菟田(うだ)の篠幡(ささはた)に祀り、更に還りて近江国に入りて、東の美濃を廻りて、伊勢国に至る。」とあり、皇女倭姫命が天照大御神の神魂(八咫鏡)を鎮座させる地を求め旅をしたと記されているのが、内宮起源説話である。この話は崇神天皇6年の条から続き、『古事記』には崇神天皇記と垂仁天皇記の分注に伊勢大神の宮を祀ったとのみ記されている。移動中に一時的に鎮座された場所は元伊勢と呼ばれている。

なお、外宮は平安初期の『止由気神宮儀式帳』(とゆけじんぐうぎしきちょう)によれば、雄略天皇22年7月に丹波国(後に丹後国として分割)の比沼真奈井原(まないはら)から、伊勢山田原へ遷座したことが起源と伝える。

◎古代
皇室の氏神として、天皇以外の奉幣は禁止された(私幣禁断)。天武天皇の時代に斎宮が制度化され、『扶桑略記』によれば天武天皇の皇女である大伯皇女が初代とされる。

◎中世
朝廷への、そして皇室とその氏神への崇拝から、日本全体の鎮守として全国の武士から崇敬された。神仏習合の教説において神道側の最高神とされる。また、外宮側の度会家行より伊勢神道が唱えられた。戦乱により神宮領が侵略され、経済的基盤を失ったため、式年遷宮が行えない時代もあった。資金獲得のため、神宮の信者を増やし、各地の講を組織させる日本の観光の始まりとも考えられる御師が台頭した。

◎近世
お蔭参り(お伊勢参り)が流行した。庶民には親しみを込めて「お伊勢さん」と呼ばれ、弥次さん、喜多さんの『東海道中膝栗毛』で語られるように、多くの民衆が全国から参拝した。実際、ええじゃないかでは「天から伊勢神宮の御札が降ってくる」と噂された。なお、伊勢神宮では御札のことを御祓いと呼ぶ。

江戸時代の記録には元和3年(1617年)、慶安年間(1648年〜1652年)、宝永2年(1705年)、明和8年(1771年)、文政13年・天保元年(1830年)と約60年周期で自然発生的に繰り返された。いずれも期間は3ヶ月〜5ヶ月で終わっている。明和のお陰参りの記録では300〜400万人が伊勢に殺到した。文政13年のお蔭参りは3箇月で約500万人が伊勢に押し掛けたと記されている。享保年間の日本の人口統計では当時の人口は約2200万人であった。お蔭参りに参加する者に対しては、大商人があって、店舗や屋敷の解放、弁当・草鞋の配布を行った。

◎近代
大日本帝国政府により全国神社の頂点の神社として位置付けられたが、第二次世界大戦以後は、宗教法人神社本庁発足により、全国神社の本宗とされた。明治天皇が在位中の天皇としては千年ぶりに参拝した。この長期の空白の理由については諸説がとなえられているが、決定的なものはない。

今年は、観光の研究も含めてお伊勢さんに行ってこなくてはと思っている。しかし、紐解けば、女性神を祭る神社なのに、なぜジェンダーフリーへの理解が成されなかったのか、疑問は解けないままだ。
posted by Nina at 00:00| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | chiba | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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