かつては、庶民の生活でどんな着方をしていたかというと、柳兼子さんなどは黄八丈(きはちじょう)がお好きだったようでした。いわゆる草木染めの絹織物で、八丈島に自生する植物の煮汁で黄色、鳶色、黒に染められた糸を平織りまたは綾織りに織って縞模様や格子模様にした反物です。現在は国の指定を受けた伝統的工芸品ですから、民芸の創始者の奥さまとしてもピッタリの着物だったのでしょう。
◆身分の差を払いのけて
着物の歴史を振り返ると、江戸時代は身分の差によって衣服に対する厳しい規制がありました。
そんな制約の中でも、紬(つむぎ)は養蚕農家では商品化できない(粗悪品とされる)繭糸を使って織りあげており、絹に見えないほど質素なものに見えたため、百姓や町人などの身分でも着用が許されていました。昭和の中頃まで、農村の多くの家には糸車と機織り機があり、養蚕農家ではくず繭から真綿を作り、それから一本一本指先で糸を紡ぎ、藍染めをして縞柄や絣柄の着物を織っていました。その伝統技術が高く評価されるようになってきて、訪問着として紬が見直されてきたのです。民主的なカジュアルなお洒落とでもいうべき紬は、かつての普段着の位置から、現代のお洒落として着る場面がむしろ広がりを見せています。
◎普段着のお洒落
紬は、きものの世界ではカジュアルとはいえ、洋服と比べると全てシルクで作られた上質な服装です。バッグや小物に気を使えば高級レストランでもぴか一の注目度、敬意でもてなしてもらえます。さらに面白いのは、下駄を合わせることもできるので、一段とカジュアル度合いが増します。なにしろ、こうした小物を揃えるだけでも現代は和のスペシャリストのようなものですから、フォーマルのお洒落が型どおりなら、ジーンズのお洒落が出来れば着こなしの幅が広い着物上級者となるわけです。 普通、紬の着物はフォーマルな場には着ていけないことになっています。しかし、一ツ紋入りの色無地の紬だけは例外で、相当なお洒落な方は披露宴などに着て行く事もあるようです。そこで、ちょっとだけ紬の出来るまでも概略を記しておきましょう。
紬(tumugi)とは蚕の繭から糸を取り出し、より(ひねり)をかけて丈夫な糸に仕上げて織った絹織物です。紬は世界一緻密な織物とも言われ、丈夫なため普段着の着物とされていましたが、最近はおしゃれ着へと変化をしています。織物の中で最も渋く、深い味わいを持つ着物で、着物通の人が好む織物と言われています。
紬の良さはパリっとしていて軽く、とても着やすい着物です。着付けてもらって出てきたような見えるよりもざっくりとラフに着たほうがおしゃれに見えます。逆に、きっちり着付けるよりは、むしろラフな着こなしが「味」に見えるメリットを持っています。布地が固くしまっているので、最初はジーンズのように着るとごわごわして感じますが、着るほどに軽くやわらかい着心地になります。絹のドレスにないジーンズの小気味よいカジュアルなお洒落に似ています。
☆紬は大きく3種類
1.結城紬・大島紬…最高級品とされる紬の着物で、制作に1年かかるといわれます。
あまりに高価なため、若い人が着用することはあまりありませんでした。日本の古典的な幾何学模様などを始め、伝統的な模様が多く制作されています。
大島紬の魅力は豪華さと何と言ってもその高級感にあります。奄美大島の島民には着用が禁止され、もっぱら薩摩藩への上納品とされていました。泥大島・藍大島・藍泥大島・色大島・白大島などの種類があります。深黒の泥染めには気品と光沢があり、日本女性の顔色をきれいに際立たせます。黒い瞳に黒い髪、多くの日本女性が美しく見える色だからです。帯は、塩瀬やちりめんの染めの帯、すくいの名古屋帯を締めたり、お洒落用の袋帯を結びます。
結城紬は茨城県結城市を中心に生産され、絹織物の一級品です。糸質精緻、染色堅牢をうたわれ、「結城は一度、寝間着にしてから外出着にする」と言われるほど丈夫な上に着れば着るほどツヤが出て体になじみます。日本文化特有の「渋み」を表現してくれる代表的なキモノと言えます。藍紺の結城には白地に墨絵のヒゲ紬の帯。また泥染のお洒落袋、つや消しのスワトウなど、帯よって自由な雰囲気が楽しめます。
2.米沢紬・上田紬・郡上紬・塩沢紬など…カジュアルな格子柄や縞模様の着物で、普段着として楽しめるラフな着物です。塩沢は新潟県塩沢町で生産されます。「単衣といえば塩沢」と言われ、しゃり感」あふれる肌ざわりは初夏と初秋の数か月、きもの好きを虜にしています。紫陽花や菖蒲の花が咲く頃は、鉄紺の塩沢に薄地で羅の名古屋帯。山ゆりの花の咲く頃は、白地の絣に博多帯。華美に見えない渋さが着物にうるさい人程その風格、絶妙の地風がわかるのが塩沢です。今では四季を通じ、オ−ルシ−ズン愛用されています。
3.色無地の紬…1色で染めた布地に一ツ紋を入れた紬です。着物を極めた方が着用する場面が多かったようですが、最近では初心者でも着こなしやすいという理由で若い世代にも人気があります。
白樺派の芸術家の一人である柳兼子さんが上野の音楽学校に通っていたのは明治の終わり、女学生は着物で通学、結婚してから我孫子やってきた姿が「ゆかりの人々」の群像写真の中にありますが、やはり着物です。、炊事洗たくの家事も着物、舞台でも着物を着ることが多く、着物の良さを体現していた人でもありました。我孫子でなら、女性ばかりでなく、男性も勇気をもって紬などからお召いくださいますと、自国文化を見直してみるのにも良いのではないでしょうか。
楚人冠記念公園あたりは、椿や梅が咲く今しがた、着物で散策もピッタリです。