上野公園内にある東京国立博物館は1872年(明治5)3月10日、文部省博物局が湯島聖堂大成殿において最初の博覧会を開催したとき、わが国初の博物館としてその産声をあげました。博物館は開館後間もなく内山下町に移転、次いで明治15年に上野公園に移り、現在にいたっています。140年目に当たる本年は特別展が幾つも開催されていますが、白樺派の面々も上野の博覧会を何度か訪ねながら遂には白樺美術館の構想を立てて、特に柳宗悦は兼子夫人の支えを得て最も奮闘していました。
そこで、久々に上野公園内を歩きましたが、上野に近い利点で下記の2特別展は是非ごらんになることをお薦めします。
@平成館 特別展示室 「書聖 王羲之」
:2013年1月22日(火) 〜 2013年3月3日(日)
中国4世紀の東晋時代に活躍した王羲之(おうぎし、303〜361、異説あり)は従来の書法を飛躍的に高めました。
その書は歴代の皇帝にも愛好され、王羲之信仰とでも言うべき状況を形成します。唐の太宗皇帝は全国に散在する王羲之の書を収集し、宮中に秘蔵するとともに、精巧な複製を作らせ臣下に下 賜して、王羲之を賞揚しました。
それゆえに王羲之の最高傑作である蘭亭序(らんていじょ)は、太宗皇帝が眠る昭陵(しょうりょう)に副葬され、 後世の人々が見ることが出来なくなりました。その他の書も戦乱などで失われ、現在、王羲之の真蹟は一つも残されていません。そのため、宮廷で作られた精巧な複製は、王羲之の字姿を類推するうえで、もっとも信頼の置ける一等資料となります。今回の展覧会では、内外に所蔵される名品を通して、王羲之が歴史的に果たした役割を再検証するまたとない機会だとされて、多くの参観者がひきも切りません。とても2時間くらいでは見切れません!
A本館 4室 「松永耳庵の茶道具」
2012年11月27日(火) 〜 2013年2月24日(日)
今回の特集陳列では、松永安左エ門氏(耳庵)が茶道具の蒐集家としての名を一躍有名にするきっかけとなった≪文琳茶入 銘宇治≫(ぶんりんちゃいれ めい うじ)をはじめ、先達・鈍翁に競り勝って手に入れた≪大井戸茶碗 有楽井戸≫(おおいどちゃわん うらくいど)など、松永コレクションを代表する茶道具を一堂に会し展示しています。東京国立博物館蔵の「松永コレクション」は、第二次世界大戦前に氏が蒐集し、昭和22年(1947)に氏のご意志によってご寄贈いただいたものです。氏が茶の湯を通じて蒐集、愛好した名品の数々を観賞することが出来ます。
*松永安左エ門氏(1875〜1971)は、長崎県壱岐に生まれ、後に電力王と呼ばれるまでになった人です。今日の電力業界が批判にさらされる戦前から、その問題性を鋭く指摘していたために地位を追われ、後半の人生はお茶に没頭されて、その世界でも一流を極め、財産は公共に寄付されて生涯を閉じました。
慶応義塾卒業後、学友らの引きあいで九州電灯鉄道・東邦電力等を率いて、戦前戦後を通じて電力界の重鎮として活躍されました。氏が茶の湯を始めたのは還暦を迎えてからで、『論語』の「六十にして耳順(したが)う」にちなんで耳庵(じあん)という号を名乗るようになります。埼玉県新座市に春風庵、柳瀬村(現所沢市)に山荘「柳瀬荘」を営んで、益田鈍翁(ますだどんのう、1848〜1938)や、原三渓(はらさんけい、1868〜 1939)といった我が国の近代茶の湯の主導者たちと広く交流から、古美術品の蒐集においても強く影響を受けました。当時の数寄者たちは、蒐集した美術品を茶席へ惜しみなく用いて取り合わせを楽しむ茶の湯を展開し、耳庵氏もまた、古くからの概念にとらわれない、自由で豪快な茶の湯スタイルを受け継ぐ、最期の茶の名人たちの一人でした。