ノーベル医学賞者の京都大iPS細胞研究所の山中伸弥博士(50)が今年度の文化勲章に決まったと報道がありました。受賞者は、「寅さんシリーズ」で有名な山田洋二監督(81)などの6人にです。また、文化功労者には選画家・絵本作家の安野光雅氏(86)、アニメーション映画の監督として国際的な高評価を得ている宮崎駿氏(71)、歌舞伎俳優の松本幸四郎(70)ら15人でした。
今月、21日のNHK特集を見て、IPS研究の医療に与える影響の大きさ、国際競争の実態もようやく理解できました。一方で、後輩研究者の指導においても、その人柄の素晴らしさ、負けない精神にも感銘を受けた方が多いと思います。
山中先生の趣味はスポーツ。実は、3月開催の京都マラソンに出場。マラソン完走の支援者をネットで募り、iPS細胞研究基金への寄付を呼び掛けに、車椅子生活の夫を支える女性も「先生の研究のご発展は難病と闘う方々の希望の光です」など、さまざまな願いを託すエールの募金が集まったということです。先生は自己ベストを大幅に上回る4時間3分19秒で完走、寄付も目標の1千万円を突破しました。「応援のおかげで実力以上の力が出ました。研究はマラソン以上に長い道のりですが、研究所教職員一同、力を合わせて頑張ります」と言われたその数か月後には、ノーベル賞の吉報。そして、同業の医師の奥様には頭が上がらないとの微笑ましいツーショット記者会見は、記憶に新しいところです。
なんと、中高生の頃は柔道部で骨折10回以上も、しかし、大学では3年になってラグビーを始め、ポジションはロック専門だったとか。スポーツへのチャレンジ精神によって、国の予算に頼らずとも民間資金で研究環境の整う米国との落差を埋めてきたかのうようでした。
受賞直後からは、研究費の窮状を知って新たな寄付者が増えているというものの、国際競争には資金は十分足りているとも思えません。寄付宛先の詳細が下記の京都大iPS細胞研究所HPでわかります。
手順:
1.下記の京都大学基金HPにアクセスし、申込みフォームに必要事項をご入力ください。
※お申し込みの際には、「寄付目的」でiPS細胞研究基金を選んでください。
京都大学基金HP:http://www.kikin.kyoto-u.ac.jp/howto/
2.折り返し申込み内容確認メールにて振込先の口座名等をお知らせしますので、最寄りの銀行よりお振込み願います。インターネットバンキング、ATMをご利用されてのお振込みも可能です。
3.ご入金確認後、お礼状の送付および領収書の発行には、通常1か月程度時間を要します。
同意があれば寄附者の名前をiPS細胞研究所エントランスホールに掲示。
CiRAが発行するニュースレター(季刊)、概要パンフレット、「幹細胞ハンドブック」等の刊行物、主催イベントのご案内が送られるということです。
文化、芸術の豊かさがその国の誇りとなることも確かであり、忘れ去られぬように記録されていくことも必要で、我孫子の駅前(南口)にはこうした叙勲者が、郷土ゆかりの人々として名前を並べています。(女性の記述がないのが少々残念ですが)
2012年10月31日
2012年10月30日
反日行動は米国でも起きていた
ソウルの日本大使館前に「従軍慰安婦の碑」が建立する反日行動は、ソウルだけではなかった。より戦略的に全世界で展開されていたのだ。今夜のNHKニュース845でも、従軍慰安婦通りという名前の名を付ける道路標識が出来ると報道があった。
ジャーナリストの水間政憲氏も次のように報告する。
* * *
ニュージャージー州パラセイズ・パーク市の図書館に「日本軍従軍慰安婦の碑」(キリム碑)が設置されている。
「キリム碑建立運動」は、韓国人有権者センター(KAVC)の主導で、2009年から始まったが、当時、同市住民は、特定民族の「追悼碑」を建てることに強く反対した。だが、街の人口約1万7000人に対し、韓国人が36%を占めるという、全米で最も韓国人が居住している地域でその反対の声はかき消された。
在米韓国人のロビー活動が奏功し、パラセイズ・パーク市長や市議会の判断によって2010年10月23日に碑は建立された。因みに同碑をデザインしたのは前出の同図書館責任司書カバルロ氏である。
同碑除幕式の模様は、中央日報日本語版(2010年10月25日付)が伝えている。
〈西欧国家で日本軍慰安婦追悼の碑が地方政府承認の下で建てられたのは今回が初めてだ。(中略)この日の除幕式にはロタンド市長を含め、市議会および図書館関係者と同胞ら100人が出席した〉
その大理石の碑には、「1930年代から45年まで日本帝国主義の軍隊に踏みにじられた20万人の女性と少女を称える」とか「慰安婦とされた人々は想像することも出来ない残酷な人権侵害にあった」と解説され、最後に「私たちは人類に対するこの残虐な犯罪を決して忘れてはいけない」と、慰安婦の姿と共に刻まれている。
この問題は、米国市民を捏造歴史認識で洗脳する道具の役割を果たすだけでなく、米国に居住している邦人の名誉を著しく傷つけることになるのである。
そもそも「従軍慰安婦問題」は『朝日ジャーナル』に88年5月から12月まで隔週で15回に亘って掲載された「日本国は朝鮮と朝鮮人に公式陳謝せよ」との意見広告からスタートし、同誌の記事になり、それが朝日新聞の社会面へと波及していった。だが、慰安婦の「強要・強制」を示す記録は無いのだ。
昨年12月14日、 ソウルの日本大使館前で慰安婦碑の除幕式について、米国ニュージャージー州北部のローカルニュースを中心に扱うサイト「North-jersey.com」に掲載されたその告知は、ニュージャージー州パラセイズ・パーク市の図書館で2名の元慰安婦の演説の案内であった。そこには、
〈この2人の女性は韓国系アメリカ人の有識者評議会によって、アメリカ合衆国に招かれた人達で、(中略)日本軍による性奴隷として奉仕させられた数千人のアジアの女性と共に「捕虜収容所」に於いて、囚われの身で過ごしたのです〉
と、紹介されていた。さらに、パラセイズ・パーク図書館責任司書のスティーブ・カバルロ氏の「彼女たちはこのことを広く知ってもらい、このようなことが再び起きないよう、やって来ました」というメッセージも掲載されていた。
※SAPIO2012年2月22日号
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/584111/
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/584111/
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ジャーナリストの水間政憲氏も次のように報告する。
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ニュージャージー州パラセイズ・パーク市の図書館に「日本軍従軍慰安婦の碑」(キリム碑)が設置されている。
「キリム碑建立運動」は、韓国人有権者センター(KAVC)の主導で、2009年から始まったが、当時、同市住民は、特定民族の「追悼碑」を建てることに強く反対した。だが、街の人口約1万7000人に対し、韓国人が36%を占めるという、全米で最も韓国人が居住している地域でその反対の声はかき消された。
在米韓国人のロビー活動が奏功し、パラセイズ・パーク市長や市議会の判断によって2010年10月23日に碑は建立された。因みに同碑をデザインしたのは前出の同図書館責任司書カバルロ氏である。
同碑除幕式の模様は、中央日報日本語版(2010年10月25日付)が伝えている。
〈西欧国家で日本軍慰安婦追悼の碑が地方政府承認の下で建てられたのは今回が初めてだ。(中略)この日の除幕式にはロタンド市長を含め、市議会および図書館関係者と同胞ら100人が出席した〉
その大理石の碑には、「1930年代から45年まで日本帝国主義の軍隊に踏みにじられた20万人の女性と少女を称える」とか「慰安婦とされた人々は想像することも出来ない残酷な人権侵害にあった」と解説され、最後に「私たちは人類に対するこの残虐な犯罪を決して忘れてはいけない」と、慰安婦の姿と共に刻まれている。
この問題は、米国市民を捏造歴史認識で洗脳する道具の役割を果たすだけでなく、米国に居住している邦人の名誉を著しく傷つけることになるのである。
そもそも「従軍慰安婦問題」は『朝日ジャーナル』に88年5月から12月まで隔週で15回に亘って掲載された「日本国は朝鮮と朝鮮人に公式陳謝せよ」との意見広告からスタートし、同誌の記事になり、それが朝日新聞の社会面へと波及していった。だが、慰安婦の「強要・強制」を示す記録は無いのだ。
昨年12月14日、 ソウルの日本大使館前で慰安婦碑の除幕式について、米国ニュージャージー州北部のローカルニュースを中心に扱うサイト「North-jersey.com」に掲載されたその告知は、ニュージャージー州パラセイズ・パーク市の図書館で2名の元慰安婦の演説の案内であった。そこには、
〈この2人の女性は韓国系アメリカ人の有識者評議会によって、アメリカ合衆国に招かれた人達で、(中略)日本軍による性奴隷として奉仕させられた数千人のアジアの女性と共に「捕虜収容所」に於いて、囚われの身で過ごしたのです〉
と、紹介されていた。さらに、パラセイズ・パーク図書館責任司書のスティーブ・カバルロ氏の「彼女たちはこのことを広く知ってもらい、このようなことが再び起きないよう、やって来ました」というメッセージも掲載されていた。
※SAPIO2012年2月22日号
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/584111/
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/584111/
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2012年10月29日
震災復興予算 原発輸出調査にも流用はおかしい
東日本大震災の復興予算の不適切使用問題で、2011年度三次補正予算に盛り込まれた復興予算のうち五億円を、経済産業省がベトナムへの原発輸出に関する調査事業費として支出していたことが東京新聞の取材で分かった。被災地復興と関係ない海外の原発推進事業にまで流用されていたことで、復興予算の使途決定のずさんさがあらためて浮き彫りになった。
経産省によると復興予算を使ったのは、日本政府の受注が10年10月の日越首脳会談で決まったベトナムのニントゥアン第二原発の建設に向け、現地で地震を引き起こす恐れのある断層の有無などを把握する調査。
調査は日本政府が今年1月、敦賀原発(福井県敦賀市)などを運営している日本原子力発電に随意契約で委託した。
調査は、経産省が上下水道や鉄道、リサイクル技術などのインフラ技術の海外輸出を促すため、民間企業に現地調査を委託する「インフラ・システム輸出促進調査等委託事業」の一環。
同調査等委託事業費は11年度当初予算では約六億円だったが、三次補正予算で「東日本大震災の復旧・復興につながる貿易投資の促進に必要」として、約85億円が追加計上された。同事業からは、ベトナムの原発以外に、世界各国のインフラの調査費などが計上されている。
経産省資源エネルギー庁の原子力政策課は「インフラの海外輸出を進めることが、被災地の関係企業に経済効果をもたらす」と強調。原発輸出の調査費を復興予算から計上することで被災者の心情を逆なでするとの本紙の指摘については「真摯(しんし)に受け止める」と話した。
政府は、日本の成長戦略としてインフラ設備の海外輸出に力を入れている。だが、原発輸出については「三〇年代に原発稼働ゼロを目指す」とした革新的エネルギー・環境戦略と矛盾するとして政府・与党内からも批判が出ている。
ニントゥアン第二原発は二基で、電力九社と原発メーカーなどが出資する国策会社「国際原子力開発」(東京)が輸出事業を担当。21年稼働を目指す。
出典:
東京新聞 2012年10月29日 07時14分
経産省によると復興予算を使ったのは、日本政府の受注が10年10月の日越首脳会談で決まったベトナムのニントゥアン第二原発の建設に向け、現地で地震を引き起こす恐れのある断層の有無などを把握する調査。
調査は日本政府が今年1月、敦賀原発(福井県敦賀市)などを運営している日本原子力発電に随意契約で委託した。
調査は、経産省が上下水道や鉄道、リサイクル技術などのインフラ技術の海外輸出を促すため、民間企業に現地調査を委託する「インフラ・システム輸出促進調査等委託事業」の一環。
同調査等委託事業費は11年度当初予算では約六億円だったが、三次補正予算で「東日本大震災の復旧・復興につながる貿易投資の促進に必要」として、約85億円が追加計上された。同事業からは、ベトナムの原発以外に、世界各国のインフラの調査費などが計上されている。
経産省資源エネルギー庁の原子力政策課は「インフラの海外輸出を進めることが、被災地の関係企業に経済効果をもたらす」と強調。原発輸出の調査費を復興予算から計上することで被災者の心情を逆なでするとの本紙の指摘については「真摯(しんし)に受け止める」と話した。
政府は、日本の成長戦略としてインフラ設備の海外輸出に力を入れている。だが、原発輸出については「三〇年代に原発稼働ゼロを目指す」とした革新的エネルギー・環境戦略と矛盾するとして政府・与党内からも批判が出ている。
ニントゥアン第二原発は二基で、電力九社と原発メーカーなどが出資する国策会社「国際原子力開発」(東京)が輸出事業を担当。21年稼働を目指す。
出典:
東京新聞 2012年10月29日 07時14分
2012年10月28日
ノーベル賞受賞者の対話:利根川進博士×ダライラマ法王
テーマ:「癒しに関する古代と現代の知恵 身体と心のバランス」
内容:
世界人口は70億人を突破し、空気も水も土も汚染され、貧富の差も拡大し続けている中、環境やストレスによる病気は増加の一途をたどっています。私たちが、地球としても人類としても直面している試練は、火急的でもあり複雑でもあります。私たちはまさに分岐点に立っているといえましょう。そうした問題の解決のためには、複数分野にわたるアプローチが必要となります。
そのような中で、ダライ・ラマ法王と利根川進博士との対話が実現、お二人の共通の関心事である、心と脳の関係や瞑想、多方面からの深い考察と洞察が得られるものと期待できます。 今回のシンポジウム(通訳付き)が、多くの方々に、健康な暮らしとは何かに始まり、身体と心のバランスについての古今東西の智慧や実践的な情報を提供し、ストレス社会における健康とケアに関する複雑な問題に向き合うための様々なアイデアがもたらされるものになると思われます。
どうぞ、良いお席を確保のためにお早めに当方へご連絡(ninakaizu@gmail.com)ください。
<特別講演>
ノーベル平和賞受賞:第14世ダライ・ラマ法王
ノーベル医学・生理学賞受賞(日本初):利根川進博士
(マサチューセッツ工科大学/分子生物学・免疫学・脳科学)
<パネルディスカッション>
我喜屋まり子博士 (東京大学/国際教育・保健政策、ハーバード大学/国際交渉プログラム・シニアアドバイザー)、バリー・カーズイン(医師・僧侶)が加わる。
<司会>
ピーター・バラカン (ブロードキャスター)
日時:2012年11月13日(火)13:00開演(12:00開場)〜15:30終了
場所:ロイヤルパークホテル( 日本橋蛎殻町)
3F ロイヤルホール
・東京メトロ半蔵門線「水天宮前駅」に直結(4番出口)
・東京メトロ日比谷線・都営浅草線「人形町駅」より徒歩5分(日比谷線:A1出口、浅草線:A3出口)
参加費:一般席:7,000円 特別席10,000円/
学生への招待枠あり(エッセイコンテストなど、詳しくはお問合せ 03-5227-5125 FAX: 03-5227-5126)
主催:ヒューマンバリュー・シンポジウム実行委員会/ 一般社団法人 ヒューマンバリュー総合研究所
協力:有限会社 オープンセンス /NPO法人 おむすびママの会 / 他
内容:
世界人口は70億人を突破し、空気も水も土も汚染され、貧富の差も拡大し続けている中、環境やストレスによる病気は増加の一途をたどっています。私たちが、地球としても人類としても直面している試練は、火急的でもあり複雑でもあります。私たちはまさに分岐点に立っているといえましょう。そうした問題の解決のためには、複数分野にわたるアプローチが必要となります。
そのような中で、ダライ・ラマ法王と利根川進博士との対話が実現、お二人の共通の関心事である、心と脳の関係や瞑想、多方面からの深い考察と洞察が得られるものと期待できます。 今回のシンポジウム(通訳付き)が、多くの方々に、健康な暮らしとは何かに始まり、身体と心のバランスについての古今東西の智慧や実践的な情報を提供し、ストレス社会における健康とケアに関する複雑な問題に向き合うための様々なアイデアがもたらされるものになると思われます。
どうぞ、良いお席を確保のためにお早めに当方へご連絡(ninakaizu@gmail.com)ください。
<特別講演>
ノーベル平和賞受賞:第14世ダライ・ラマ法王
ノーベル医学・生理学賞受賞(日本初):利根川進博士
(マサチューセッツ工科大学/分子生物学・免疫学・脳科学)
<パネルディスカッション>
我喜屋まり子博士 (東京大学/国際教育・保健政策、ハーバード大学/国際交渉プログラム・シニアアドバイザー)、バリー・カーズイン(医師・僧侶)が加わる。
<司会>
ピーター・バラカン (ブロードキャスター)
日時:2012年11月13日(火)13:00開演(12:00開場)〜15:30終了
場所:ロイヤルパークホテル( 日本橋蛎殻町)
3F ロイヤルホール
・東京メトロ半蔵門線「水天宮前駅」に直結(4番出口)
・東京メトロ日比谷線・都営浅草線「人形町駅」より徒歩5分(日比谷線:A1出口、浅草線:A3出口)
参加費:一般席:7,000円 特別席10,000円/
学生への招待枠あり(エッセイコンテストなど、詳しくはお問合せ 03-5227-5125 FAX: 03-5227-5126)
主催:ヒューマンバリュー・シンポジウム実行委員会/ 一般社団法人 ヒューマンバリュー総合研究所
協力:有限会社 オープンセンス /NPO法人 おむすびママの会 / 他
2012年10月27日
出会いによって、生き方、考え方が変わる
ふだんから地球に隕石が衝突すると心配をしている人もほとんどいませんが、衝突することも可能性としては十分考えられます。私たちは無意識のうちに自分の運命を天にまかせ、ゆだねて、現実にそういうことは起こらないだろうと思うことで、そのことによって安心を得ているのです。
そう考えて、安らぎや希望を心に生み出し、幸せで心を満たすかどうかの分かれ目は、大きな存在に守られているとを信じるか、そうでないかにかかってっくるともいえます。
ところで、人間の細胞は、成人の細胞数は約60兆億個という膨大なもので、1日に全体の0.1パーセントが入れ替わっているといわれます。0.1%でも600億個、これだけの数の細胞が、私たちの体の中で毎日死んで、新しく生まれているのです。なんとも驚きですが、その中で唯一、再生のほとんどない細胞があります。
それが、脳細胞です。
他の組織の細胞は、生と死を絶え間なくくり返しているのに、脳の細胞だけは、基本的に生涯不変なのです。
これは脳細胞まで入れ替わってしまったら、記憶機能が混乱してしまうからです。
そのため、知識や理屈を習うだけでは、それまでに身に着いた習慣、行動、考え方を変えることは難しいのです。今までしてきた行動とその考え方を変える時は、自分で納得したときだけなのです。一番違和感なく納得できることは、目の前の人から体験を聞いたりすることで、具体的に感じた時なのです。さらに似たような状況に置かれた人が、困難を克服した実例が語られると、好転するキッカケとして参考になります。自分のやり方で上手くいかなかった点を変える方法がみつかります。その為にも、体験を交えて語ってくれる話者による講演会に参加するなどはとても効果的だということです。
写真の「川田龍平講演会@Abiko」 (9/22)は、Youtubeでご覧になれます。
混沌とした社会状況であり、多くの人に出会い、そして話し合える場に積極的に参加してみると話者の体験を聞くなどして、納得し、分かることで、ある意味の安心を得るのです。また、そこで質問を考えてみるだけでも、ただ聞いているより、より能が活性され、何とかしていこうとの人間の根本位ある生への意欲が高揚します。
今までの硬直した考えを上手い方法で変えるには、人の話を聞いて、やってみよう、試してみたいと思うような時ではないでしょうか。出来るなら、ちょっとでも企画に参加する、手伝ってみる、さらには主催してみると、考え方が積極的に変わります。
大いなる存在に守られていることを疑わず、しかし、自分の本来持っている力をもっと高めて生きたいものです。今後も、様々な講演、企画をしてまいりますので、是非、ご参加ください!
そう考えて、安らぎや希望を心に生み出し、幸せで心を満たすかどうかの分かれ目は、大きな存在に守られているとを信じるか、そうでないかにかかってっくるともいえます。
ところで、人間の細胞は、成人の細胞数は約60兆億個という膨大なもので、1日に全体の0.1パーセントが入れ替わっているといわれます。0.1%でも600億個、これだけの数の細胞が、私たちの体の中で毎日死んで、新しく生まれているのです。なんとも驚きですが、その中で唯一、再生のほとんどない細胞があります。
それが、脳細胞です。
他の組織の細胞は、生と死を絶え間なくくり返しているのに、脳の細胞だけは、基本的に生涯不変なのです。
これは脳細胞まで入れ替わってしまったら、記憶機能が混乱してしまうからです。
そのため、知識や理屈を習うだけでは、それまでに身に着いた習慣、行動、考え方を変えることは難しいのです。今までしてきた行動とその考え方を変える時は、自分で納得したときだけなのです。一番違和感なく納得できることは、目の前の人から体験を聞いたりすることで、具体的に感じた時なのです。さらに似たような状況に置かれた人が、困難を克服した実例が語られると、好転するキッカケとして参考になります。自分のやり方で上手くいかなかった点を変える方法がみつかります。その為にも、体験を交えて語ってくれる話者による講演会に参加するなどはとても効果的だということです。
写真の「川田龍平講演会@Abiko」 (9/22)は、Youtubeでご覧になれます。
混沌とした社会状況であり、多くの人に出会い、そして話し合える場に積極的に参加してみると話者の体験を聞くなどして、納得し、分かることで、ある意味の安心を得るのです。また、そこで質問を考えてみるだけでも、ただ聞いているより、より能が活性され、何とかしていこうとの人間の根本位ある生への意欲が高揚します。
今までの硬直した考えを上手い方法で変えるには、人の話を聞いて、やってみよう、試してみたいと思うような時ではないでしょうか。出来るなら、ちょっとでも企画に参加する、手伝ってみる、さらには主催してみると、考え方が積極的に変わります。
大いなる存在に守られていることを疑わず、しかし、自分の本来持っている力をもっと高めて生きたいものです。今後も、様々な講演、企画をしてまいりますので、是非、ご参加ください!
2012年10月26日
ホットスポット、でも住みやすさは全国一の印西市
「住みよさランキング」というのをご存知でしょうか? 東洋経済では毎年「住みよさランキング」というのを発表し、2012年発表が先日されたのですが興味深い結果になっています。「どこだって住めば都」と言いますが、住みやすさのランキングは気になります。 そのランキングで「住みよい街」の総合順位の1位は隣町の印西市でした。これは全国の都市を対象に「安心度」「利便度」「快適度」「富裕度」「住居水準充実度」の5つの観点から分析するもの。14の指標について偏差値を計算し、その単純平均を総合評価としています。
■1位 印西市(千葉県)
千葉ニュータウンの開発により大発展した市です。市制移行前には最も人口の多い町でした。土地の岩盤が強固で地震に強いと評されており、そのため商業施設(特に金融)、居住施設が多数建てられました。買い物が便利、緑が多い、というのが評価ポイントです。
■2位 野々市市(石川県)
「ののいちし」と読みます。金沢市のベッドタウンとして発展しました。大型商業施設が多数あるため「買い物の利便度」では全国1位を獲得。日本海側の都市としては最高の人口密度だそうです。
■3位 坂井市(福井県)
福井県の東北部、石川県境にほど近い場所にあります。海側にはあの有名な断崖絶壁『東尋坊』があります。史跡として丸岡城などもあるため、坂井市は福井県一観光客が訪れる市です。
■4位 本巣市(岐阜県)
岐阜県の西部に位置し、北面は福井県と接しています。岐阜市のお隣りであるためベッドタウン的に住宅地も多く、利便性の高い街です。一方でのんびりときれいな風景の広がる市でもあります。
■5位 守谷市(茨城県)
これも我孫子のお隣に位置します。東京から35km圏で、つくばエクスプレスの開通もあってアクセスが良く点も人気です。田園地帯を計画的に開発し、街並みが明るくきれいです。また公園、遊歩道が多く、緑豊かな街としても知られています。
■6位 砺波市(富山県)
「となみし」と読みます。富山県西部の中央部、内陸に位置します。田園地帯に民家が散らばってある「散村」という独自の美しい風景が見られます。また幹線道路(北陸自動車道)があるため、交通の利便性が高く、人気があります。
■7位 長久手市(愛知県)
「ながくてし」と読みます。名古屋市のすぐ東隣りに位置しています。名古屋市のベッドタウンとして人口も増え、商業施設も充実しています。2005年に『愛知万博』が開催された関係で、リニア鉄道『リニモ』が通っています。
■8位 みよし市(愛知県)
大幹線道路、東名高速道路が市を南北に縦貫し、同時に国道153号も通っています。交通の要衝であり、そのため利便性の高い街です。トヨタの工場があり自動車産業の重要拠点としても知られています。
■9位 日進市(愛知県)
「にっしんし」と読みます。日進市は、前述の長久手市に北を、みよし市に南を接する中間にあります。さらに東は豊田市、西は名古屋市で、つまり非常にアクセスのいい街なのです。学校が多い学園都市としても知られています。
■10位 成田市(千葉県)
成田国際空港、また江戸時代からの観光地として有名な成田山新勝寺があり、江戸時代の半ばから門前町として発展しました。現在では独自の開発構想により人口も増え、商業施設も非常に充実しています。
このランキングはあくまでも東洋経済の算出した数値によるものですが、印西市もホットスポットですが、わが町ももっとホットスポットだけでない話題作りは必要です。
■1位 印西市(千葉県)
千葉ニュータウンの開発により大発展した市です。市制移行前には最も人口の多い町でした。土地の岩盤が強固で地震に強いと評されており、そのため商業施設(特に金融)、居住施設が多数建てられました。買い物が便利、緑が多い、というのが評価ポイントです。
■2位 野々市市(石川県)
「ののいちし」と読みます。金沢市のベッドタウンとして発展しました。大型商業施設が多数あるため「買い物の利便度」では全国1位を獲得。日本海側の都市としては最高の人口密度だそうです。
■3位 坂井市(福井県)
福井県の東北部、石川県境にほど近い場所にあります。海側にはあの有名な断崖絶壁『東尋坊』があります。史跡として丸岡城などもあるため、坂井市は福井県一観光客が訪れる市です。
■4位 本巣市(岐阜県)
岐阜県の西部に位置し、北面は福井県と接しています。岐阜市のお隣りであるためベッドタウン的に住宅地も多く、利便性の高い街です。一方でのんびりときれいな風景の広がる市でもあります。
■5位 守谷市(茨城県)
これも我孫子のお隣に位置します。東京から35km圏で、つくばエクスプレスの開通もあってアクセスが良く点も人気です。田園地帯を計画的に開発し、街並みが明るくきれいです。また公園、遊歩道が多く、緑豊かな街としても知られています。
■6位 砺波市(富山県)
「となみし」と読みます。富山県西部の中央部、内陸に位置します。田園地帯に民家が散らばってある「散村」という独自の美しい風景が見られます。また幹線道路(北陸自動車道)があるため、交通の利便性が高く、人気があります。
■7位 長久手市(愛知県)
「ながくてし」と読みます。名古屋市のすぐ東隣りに位置しています。名古屋市のベッドタウンとして人口も増え、商業施設も充実しています。2005年に『愛知万博』が開催された関係で、リニア鉄道『リニモ』が通っています。
■8位 みよし市(愛知県)
大幹線道路、東名高速道路が市を南北に縦貫し、同時に国道153号も通っています。交通の要衝であり、そのため利便性の高い街です。トヨタの工場があり自動車産業の重要拠点としても知られています。
■9位 日進市(愛知県)
「にっしんし」と読みます。日進市は、前述の長久手市に北を、みよし市に南を接する中間にあります。さらに東は豊田市、西は名古屋市で、つまり非常にアクセスのいい街なのです。学校が多い学園都市としても知られています。
■10位 成田市(千葉県)
成田国際空港、また江戸時代からの観光地として有名な成田山新勝寺があり、江戸時代の半ばから門前町として発展しました。現在では独自の開発構想により人口も増え、商業施設も非常に充実しています。
このランキングはあくまでも東洋経済の算出した数値によるものですが、印西市もホットスポットですが、わが町ももっとホットスポットだけでない話題作りは必要です。
2012年10月25日
鳥栖市の観光大使が、ミス・インターナショナルに
鳥栖市の吉松育美さんが、2012ミス・インターナショナル日本代表に選ばれ、沖縄で開催された最終選考の15人ファイナリストに残り、21日優勝しました!
日本人が優勝したのは52年の歴史の中で初の快挙だそうです。
http://www.city.tosu.lg.jp/2929.htm
興味深いのは、吉松さんの世界大会の出場が決まると、市は初の観光大使就任をお願い、さらに郷土の誇りとして頑張っている市民であり、夢や希望を与えたとして、27件目となる市民栄誉賞を授与していたのです。さらに、鳥栖市の人々が応援できる場を作ろうと、市長や商工会議所会頭ら6人が発起人となり励ます会がつくられ、世界の舞台で戦う吉松さんを励ます会の会場には約200人が集まったと報道されました。そして、市のホームページには市長との写真や「鳥栖市は活気あふれる魅力的なまち。私自身もそうですが元気で健康に育つことのできるまちです。鳥栖の存在がいつも心にあるからこそ、私は鳥栖を離れていても、そして世界でも、元気で頑張れます」との談話も掲載されました。
励ます会では、市民栄誉賞授与に続いて、吉松さんのおじいさんが、孫の活躍を祈り、舞を披露。乾杯では、発起人の皆さんと舞台に上がり、高々と杯を掲げました。吉松さんにとって、コンテスト会場にも詰めかけた地元の応援は大きな励ましでした。日本人体型はコンテストには不利なため、世界に通用するにはどの点をアピールしていくか、スピーチの内容を練り、英語力に磨きをかけ、さらに審査期中の候補者たちとの生活でもコミュニケーション能力やリーダーシップの点も審査に影響するので、そうした加点を増やす努力をしていった。ただ「美しい」だけを競うだけでなく、国際的に活躍できる女性かどうかを総合的に審査されるので、強い意志をもって臨み、それには郷土の人々の応援は強みになったのでしょう。
吉松さんは高校総体100メートルハードルで優勝した経歴を持つ。ランニングが趣味で、今年の東京マラソンに出場し、完走したスポーツウーマンで、それがオリンピック出場(モスクワオリンピックの中止による)の夢を果たすことが出来なかった父の夢を果たしたし、世界一になりたいという思いとも重なっていく。学生時代(聖心女子大卒)にモデルの仕事をするうちに、日本一を目指し始めた。いくつものミスコンに上位入賞、6年の歳月で遂に美の世界一、ミス・インターナショナルの栄冠を手にしました。
コンテストには今や英語スピーチはつきもの、 世界で活躍する自分の姿を思い浮かべながら勉学に励んだ。海外暮らしや留学などの経験が一切ない彼女の語学力は、努力の結晶といっても過言ではない。あのミス・インターナショナルのファイナルステージでの流暢で堂々たるスピーチを見る限り、全く想像がつかないだろう。堂々と世界の架け橋になれるグローバルな女性になりたいとの願いをアピールできたのが勝因でした。
「がばいばあちゃん」の佐賀の女性は頼もしいなと思い、私の母の遠縁が佐賀であったのに一度もいったことがないままでしたが、是非、鳥栖に観光に行ってみたいと思ったところです。鳥栖市では、著名バイオリニスト・千住真理子さんに学校でのアウトリーチ活動などを依頼するなど、積極的に文化、芸術、観光面での振興を行っているそうです。
日本人が優勝したのは52年の歴史の中で初の快挙だそうです。
http://www.city.tosu.lg.jp/2929.htm
興味深いのは、吉松さんの世界大会の出場が決まると、市は初の観光大使就任をお願い、さらに郷土の誇りとして頑張っている市民であり、夢や希望を与えたとして、27件目となる市民栄誉賞を授与していたのです。さらに、鳥栖市の人々が応援できる場を作ろうと、市長や商工会議所会頭ら6人が発起人となり励ます会がつくられ、世界の舞台で戦う吉松さんを励ます会の会場には約200人が集まったと報道されました。そして、市のホームページには市長との写真や「鳥栖市は活気あふれる魅力的なまち。私自身もそうですが元気で健康に育つことのできるまちです。鳥栖の存在がいつも心にあるからこそ、私は鳥栖を離れていても、そして世界でも、元気で頑張れます」との談話も掲載されました。
励ます会では、市民栄誉賞授与に続いて、吉松さんのおじいさんが、孫の活躍を祈り、舞を披露。乾杯では、発起人の皆さんと舞台に上がり、高々と杯を掲げました。吉松さんにとって、コンテスト会場にも詰めかけた地元の応援は大きな励ましでした。日本人体型はコンテストには不利なため、世界に通用するにはどの点をアピールしていくか、スピーチの内容を練り、英語力に磨きをかけ、さらに審査期中の候補者たちとの生活でもコミュニケーション能力やリーダーシップの点も審査に影響するので、そうした加点を増やす努力をしていった。ただ「美しい」だけを競うだけでなく、国際的に活躍できる女性かどうかを総合的に審査されるので、強い意志をもって臨み、それには郷土の人々の応援は強みになったのでしょう。
吉松さんは高校総体100メートルハードルで優勝した経歴を持つ。ランニングが趣味で、今年の東京マラソンに出場し、完走したスポーツウーマンで、それがオリンピック出場(モスクワオリンピックの中止による)の夢を果たすことが出来なかった父の夢を果たしたし、世界一になりたいという思いとも重なっていく。学生時代(聖心女子大卒)にモデルの仕事をするうちに、日本一を目指し始めた。いくつものミスコンに上位入賞、6年の歳月で遂に美の世界一、ミス・インターナショナルの栄冠を手にしました。
コンテストには今や英語スピーチはつきもの、 世界で活躍する自分の姿を思い浮かべながら勉学に励んだ。海外暮らしや留学などの経験が一切ない彼女の語学力は、努力の結晶といっても過言ではない。あのミス・インターナショナルのファイナルステージでの流暢で堂々たるスピーチを見る限り、全く想像がつかないだろう。堂々と世界の架け橋になれるグローバルな女性になりたいとの願いをアピールできたのが勝因でした。
「がばいばあちゃん」の佐賀の女性は頼もしいなと思い、私の母の遠縁が佐賀であったのに一度もいったことがないままでしたが、是非、鳥栖に観光に行ってみたいと思ったところです。鳥栖市では、著名バイオリニスト・千住真理子さんに学校でのアウトリーチ活動などを依頼するなど、積極的に文化、芸術、観光面での振興を行っているそうです。
2012年10月24日
日本は、花の都パリを凌ぐ文化都市
■文化の日本、経済のフランス、GNPからGNCへ
『倣される日本―映画、アニメから料理、ファッションまで』(浜野 保樹著、祥伝社) の本の冒頭で若手の外国人ジャーナリスト・ダグラス・マクグレイが2002年に書いたJapan's Gross National Cool(2002)という論文が紹介されていたのは興味深かった。国力をGNPやGDPという経済指標はなく、文化のカッコイイGross National Cool「国民総精彩」という概念で表したら、日本は世界第一級だ!というのだ。1990 年代以降の日本は、映画、アニメ、ゲームソフト、音楽、漫画、ファッション、料理、現代アートなどが世界中で高く評価されてきたのにつれて、80 年代の経済大国から、「カッコイイ」というソフトパワーを生産できる文化超大国だある。つまり、日本は新たなブランドイメージを持つ国になっているのだ。
その原文はネットでも検索できた。
・Foreign Policy -- Japan's Gross National Cool, By Douglas McGray
http://www.chass.utoronto.ca/~ikalmar/illustex/japfpmcgray.htm
■日本が真似された事例
この本には、日本のコンテンツの海外の模倣事例が示される。
例えば、ハリウッドの代表作のイメージがある「スターウォーズ」でさえ日本の大きな影響を受けていると紹介している部分がある。
「映画に登場する「ジェダイ」という言葉は、「時代劇」という言葉の響きからとったものであり、「オビ=ワン=ケノービ」も「一番の帯」という意味で「オビ=ワン」となり、黒帯が訛って「ケノービ」となった。「オビ=ワン=ケノービ」は「一番の帯は黒帯」という意味なのである。レイア姫は卑弥呼のような髪型と衣装をして、ダース・ベイダーは甲冑のようなヘルメットをかぶり、正義の味方たちは柔道着のようなものを着ている。」
そもそもスターウォーズはクロサワ作品の「隠し砦の三悪人」のストーリーを借用したもので、オビ=ワン=ケノービ役は当初、三船敏郎が打診を受けて断った経緯があったそうだ。
映画、音楽、料理、ファッションなど、次々に日本の真似であるという指摘が続く。日本は真似される国になったのだとが分かる。クールな日本もウリになりそうだ。
この本で著者は、文化は誰もが持っていて奪えないものであり、歴史のある日本は文化資源大国であることを自覚し、むしろ真似したくなるオリジナルを作り出す文化戦略こそ最強のマーケティング戦略であると訴えている。
■コンテンツ、クール、クリエイティビティ、中心と周縁
・マニア消費者層はアニメ・コミックなど主要5分野で2,900億円市場
〜「オタク層」の市場規模推計と実態に関する調査〜
http://www.nri.co.jp/news/2004/040824.html
野村総研がオタク市場の規模を調査。もはやニッチとはいえないと結論。
ビデオのオタクが事件に繋がって白い目でみらていたこともあったが、最近は、オタクという言葉に別の面が評価されて、クリエイティビティと繋がってきた。クリエイティビティというのは新しい価値を生む源泉だ。泣いたり、笑ったり、怒ったり、困ったり、そういう体験から花が咲き、果実がつく。現在の日本の「中心」は、経済・貿易を据えたままだが、そうした感覚の営業マンしかやれない人材からは、クールかどうか自分で分からないでいるので話にならないのだ。火種を燃え上がらせ、経済的価値に変換するハリウッドやディズニーのような動力機関が、まだ日本では確立されていないから無理もない。社会の「中心」にクリエイティビティをとらえる感性が不足しているということのようだ。日本の中に、新しいものを生み出す火種はある。つまり、日本は良くも悪くも「異質」だと内外から言われてきた。
その異質さにこそチャンスがあり、我孫子のコンテンツを売り出せる変換がうまくできるなら、チャンスが巡ってくるかもしれない。
『倣される日本―映画、アニメから料理、ファッションまで』(浜野 保樹著、祥伝社) の本の冒頭で若手の外国人ジャーナリスト・ダグラス・マクグレイが2002年に書いたJapan's Gross National Cool(2002)という論文が紹介されていたのは興味深かった。国力をGNPやGDPという経済指標はなく、文化のカッコイイGross National Cool「国民総精彩」という概念で表したら、日本は世界第一級だ!というのだ。1990 年代以降の日本は、映画、アニメ、ゲームソフト、音楽、漫画、ファッション、料理、現代アートなどが世界中で高く評価されてきたのにつれて、80 年代の経済大国から、「カッコイイ」というソフトパワーを生産できる文化超大国だある。つまり、日本は新たなブランドイメージを持つ国になっているのだ。
その原文はネットでも検索できた。
・Foreign Policy -- Japan's Gross National Cool, By Douglas McGray
http://www.chass.utoronto.ca/~ikalmar/illustex/japfpmcgray.htm
■日本が真似された事例
この本には、日本のコンテンツの海外の模倣事例が示される。
例えば、ハリウッドの代表作のイメージがある「スターウォーズ」でさえ日本の大きな影響を受けていると紹介している部分がある。
「映画に登場する「ジェダイ」という言葉は、「時代劇」という言葉の響きからとったものであり、「オビ=ワン=ケノービ」も「一番の帯」という意味で「オビ=ワン」となり、黒帯が訛って「ケノービ」となった。「オビ=ワン=ケノービ」は「一番の帯は黒帯」という意味なのである。レイア姫は卑弥呼のような髪型と衣装をして、ダース・ベイダーは甲冑のようなヘルメットをかぶり、正義の味方たちは柔道着のようなものを着ている。」
そもそもスターウォーズはクロサワ作品の「隠し砦の三悪人」のストーリーを借用したもので、オビ=ワン=ケノービ役は当初、三船敏郎が打診を受けて断った経緯があったそうだ。
映画、音楽、料理、ファッションなど、次々に日本の真似であるという指摘が続く。日本は真似される国になったのだとが分かる。クールな日本もウリになりそうだ。
この本で著者は、文化は誰もが持っていて奪えないものであり、歴史のある日本は文化資源大国であることを自覚し、むしろ真似したくなるオリジナルを作り出す文化戦略こそ最強のマーケティング戦略であると訴えている。
■コンテンツ、クール、クリエイティビティ、中心と周縁
・マニア消費者層はアニメ・コミックなど主要5分野で2,900億円市場
〜「オタク層」の市場規模推計と実態に関する調査〜
http://www.nri.co.jp/news/2004/040824.html
野村総研がオタク市場の規模を調査。もはやニッチとはいえないと結論。
ビデオのオタクが事件に繋がって白い目でみらていたこともあったが、最近は、オタクという言葉に別の面が評価されて、クリエイティビティと繋がってきた。クリエイティビティというのは新しい価値を生む源泉だ。泣いたり、笑ったり、怒ったり、困ったり、そういう体験から花が咲き、果実がつく。現在の日本の「中心」は、経済・貿易を据えたままだが、そうした感覚の営業マンしかやれない人材からは、クールかどうか自分で分からないでいるので話にならないのだ。火種を燃え上がらせ、経済的価値に変換するハリウッドやディズニーのような動力機関が、まだ日本では確立されていないから無理もない。社会の「中心」にクリエイティビティをとらえる感性が不足しているということのようだ。日本の中に、新しいものを生み出す火種はある。つまり、日本は良くも悪くも「異質」だと内外から言われてきた。
その異質さにこそチャンスがあり、我孫子のコンテンツを売り出せる変換がうまくできるなら、チャンスが巡ってくるかもしれない。
2012年10月23日
政府は子どもたちの甲状腺検査をどのように把握するのか
子供を放射能から守る会の方とお話しする機会があった。我孫子の子どもたちの多くがのう胞が出来ている、これは明らかに3.11後の現象だと聞いて愕然とする。
先月の転送メールに思い当たることもあり、ご参考まで当ブログに紹介します。
----- Original Message -----
Sent: Saturday, September 29, 2012 1:35 PM
>
>
> チェルノブイリ事故では翌年に甲状腺がんが増加/ベラルーシの子どもの甲状腺がん検査は半年に1回
> http://2011shinsaichiba.seesaa.net/article/294648822.html
>
> 福島県による甲状腺検査の結果、子ども1人が甲状腺がんであると診断された。
ところが、チェルノブイリ事故で甲状腺がんが増加したのは事故から数年後であるから今回の甲状腺がんは福島原発事故によるものではない、という見方がある。
> この見解に、菅谷松本市長(医師)も東京新聞で警鐘を鳴らしている。
> 福島で小児甲状腺がん 「事故無関係」危うい即断(2012年9月27日、東京新聞)
> http://www.windfarm.co.jp/blog/blog_kaze/post-11669
>
> 同紙によれば、ベラルーシでは子どもの甲状腺がん検査は半年に1回だそうだ。しかし福島では、山下俊一氏と鈴木眞一氏の喧伝で、一部の子どもを除き、2年後まで再検査が行わない。
>
>
> 福島県立医大は市民らの疑問・不信に対して弁明をしているが、検査や結果公表の仕方が改善される見通しは立っていない。
> 【福島県健康調査】 山下副学長の 「カルテ見せず」「再検査2年後」
> http://tanakaryusaku.jp/2012/06/0004412
>
> 甲状腺の検査改善求め〜市民が県立医大に要望(2012年9月13日)
> http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1441
>
> 「被ばく線量など、個人情報が特定されない方法で、もう少し情報を開示して欲しいとの声があがったが、松井教授は現時点で、情報の公開は難しいと返答。」
>
> 福島以外でも甲状腺検査が実施されているし、そうした地域が増えているから、甲状腺異常と被ばく線量の関係はいずれ明らかになってくるだろう。
>
> 東日本大震災:福島第1原発事故 甲状腺検査費など補正予算案を可決−−東海村議会 /茨城
> http://mainichi.jp/area/ibaraki/news/20120925ddlk08040124000c.html
>
> 福島県の子ども甲状腺検査:嚢胞有病率の上昇と被ばくレベルの関係
> http://2011shinsaichiba.seesaa.net/article/293739672.html
>
>
> 東京電力福島第1原発事故による放射線の影響を調べている福島県の「県民健康管理調査」の検討委員会> > >(座長・山下俊一福島県立医大副学長)が11日開かれ、事故発生当時18歳以下を対象とした甲状腺検査に>ついて、1人が甲状腺がんと報告された。/甲状腺検査の対象は約36万人で、これまで結果が判明したのは>約8万人」(共同通信 2012/09/11)。
http://www.47news.jp/CN/201209/CN2012091101001721.html
>「これまでの調査で425人が『一定の大きさのしこりなどが見られるため2次検査が必要』とされた。
>60人が2次検査を受け、うち38人の結果が判明。この中の1人ががんと判断された。」(産経新聞 2012.9.11)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120911/dst12091117360018-n1.htm
先月の転送メールに思い当たることもあり、ご参考まで当ブログに紹介します。
----- Original Message -----
Sent: Saturday, September 29, 2012 1:35 PM
>
>
> チェルノブイリ事故では翌年に甲状腺がんが増加/ベラルーシの子どもの甲状腺がん検査は半年に1回
> http://2011shinsaichiba.seesaa.net/article/294648822.html
>
> 福島県による甲状腺検査の結果、子ども1人が甲状腺がんであると診断された。
ところが、チェルノブイリ事故で甲状腺がんが増加したのは事故から数年後であるから今回の甲状腺がんは福島原発事故によるものではない、という見方がある。
> この見解に、菅谷松本市長(医師)も東京新聞で警鐘を鳴らしている。
> 福島で小児甲状腺がん 「事故無関係」危うい即断(2012年9月27日、東京新聞)
> http://www.windfarm.co.jp/blog/blog_kaze/post-11669
>
> 同紙によれば、ベラルーシでは子どもの甲状腺がん検査は半年に1回だそうだ。しかし福島では、山下俊一氏と鈴木眞一氏の喧伝で、一部の子どもを除き、2年後まで再検査が行わない。
>
>
> 福島県立医大は市民らの疑問・不信に対して弁明をしているが、検査や結果公表の仕方が改善される見通しは立っていない。
> 【福島県健康調査】 山下副学長の 「カルテ見せず」「再検査2年後」
> http://tanakaryusaku.jp/2012/06/0004412
>
> 甲状腺の検査改善求め〜市民が県立医大に要望(2012年9月13日)
> http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1441
>
> 「被ばく線量など、個人情報が特定されない方法で、もう少し情報を開示して欲しいとの声があがったが、松井教授は現時点で、情報の公開は難しいと返答。」
>
> 福島以外でも甲状腺検査が実施されているし、そうした地域が増えているから、甲状腺異常と被ばく線量の関係はいずれ明らかになってくるだろう。
>
> 東日本大震災:福島第1原発事故 甲状腺検査費など補正予算案を可決−−東海村議会 /茨城
> http://mainichi.jp/area/ibaraki/news/20120925ddlk08040124000c.html
>
> 福島県の子ども甲状腺検査:嚢胞有病率の上昇と被ばくレベルの関係
> http://2011shinsaichiba.seesaa.net/article/293739672.html
>
>
> 東京電力福島第1原発事故による放射線の影響を調べている福島県の「県民健康管理調査」の検討委員会> > >(座長・山下俊一福島県立医大副学長)が11日開かれ、事故発生当時18歳以下を対象とした甲状腺検査に>ついて、1人が甲状腺がんと報告された。/甲状腺検査の対象は約36万人で、これまで結果が判明したのは>約8万人」(共同通信 2012/09/11)。
http://www.47news.jp/CN/201209/CN2012091101001721.html
>「これまでの調査で425人が『一定の大きさのしこりなどが見られるため2次検査が必要』とされた。
>60人が2次検査を受け、うち38人の結果が判明。この中の1人ががんと判断された。」(産経新聞 2012.9.11)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120911/dst12091117360018-n1.htm
2012年10月22日
手賀沼下水終末処理場の最近の状況
先週末、最近の手賀沼下水終末処理場の最近の様子が気になったのでみてきました。入口には、立ち入り禁止の札がいくつも立っていました。処理場の担当者は、すべて県・資源循環推進課が一括しており、終末処理場の工事の進捗についてもここでは答えられないとの一点張りでした。裏口に回ってみると、そこが例の焼却灰を持ち込む建屋を建てる工事現場で、現場のオジサンに聞いたところ、現在の工事は植栽と受付棟の設置を
11月末までには終わらせる予定で進めているとの話しでした。 現状は、下水処理の際に高濃度の放射能汚泥を処理保管しており、工事現場付近でのガイガ―計測では、0・14~19μSvの値がでました。我が家の前の除染作業が終わった公園(0.27~0.3μSv)より低かった事が分かりましたが、今後どのようになっていくか先が読めません。
11月末までには終わらせる予定で進めているとの話しでした。 現状は、下水処理の際に高濃度の放射能汚泥を処理保管しており、工事現場付近でのガイガ―計測では、0・14~19μSvの値がでました。我が家の前の除染作業が終わった公園(0.27~0.3μSv)より低かった事が分かりましたが、今後どのようになっていくか先が読めません。
2012年10月21日
カタールと日本の国交樹立40周年
カタールから来日したアブドゥラ・アルアティーヤ行政監督庁長官は「ことしはカタールと日本の国交樹立40周年。世界に支援してきた日本のことを認識していたので、東北の水産業復興に時間はかかるだろうが、被災者の夢と希望の実現に役立ちたい」と語った。復興支援で建設資金約20億円を援助し、宮城県女川町の女川魚市場買受人協同組合が整備した大型冷蔵庫「マスカー」を2階部分に搭載したセンターがこの13日に完成し、操業記念式典が現地であった。名称の「マスカー」はアラビア語で、カタールの伝統的な漁法の意味。15日に本格操業を開始する。
カタール政府は、昨年の東日本大震災を受け、復興支援を目的として、日本国民への1億米ドル(約80億円)の寄付を決定し、「カタール フレンド基金」(Qatar Friendship Fund, 議長:駐日カタール国特命全権大使)を設立していた。同基金による資金は、「子どもたちの教育」「健康」「水産業」の3分野の復興支援活動の助成するとして、応募内容が実際に現地に実際に役に立つ内容かも、きちんとチェックする点や4月に着工、9月完成させるという迅速さにおいても、日本政府にも見習ってほしいところだ。
Qatar-Japan 2012は、2年2月9日にカタールの首都ドーハで開催予定の「村上隆展覧会」を皮切りに、1年間にわたる様々な文化/スポーツ/ビジネス関連イベントを通じ、両国間の永続的な関係を祝う祭典を行なっている。また、イベントは両国それぞれの特徴や独自性はもちろん、両国民にとっての共通の利益という観点からも企画され、 展示・展覧会、教育交流プログラム、ファッションショー、親善サッカー大会、ビジネスフォーラムといった様々な形態で催し、日本とカタールのそれぞれの国民の皆さんに、相手国の文化・功績・伝統に対する認識と理解を高めていくとする。さらに、カタールは震災後の復興支援の一環として日本に対するLNGの供給量も増加する。
日本は中国とも国交樹立40周年を祝う予定があったが、中国各地でイベントは中止となったほか、日本への観光旅行も相次いで中止となっている。
カタール政府は、昨年の東日本大震災を受け、復興支援を目的として、日本国民への1億米ドル(約80億円)の寄付を決定し、「カタール フレンド基金」(Qatar Friendship Fund, 議長:駐日カタール国特命全権大使)を設立していた。同基金による資金は、「子どもたちの教育」「健康」「水産業」の3分野の復興支援活動の助成するとして、応募内容が実際に現地に実際に役に立つ内容かも、きちんとチェックする点や4月に着工、9月完成させるという迅速さにおいても、日本政府にも見習ってほしいところだ。
Qatar-Japan 2012は、2年2月9日にカタールの首都ドーハで開催予定の「村上隆展覧会」を皮切りに、1年間にわたる様々な文化/スポーツ/ビジネス関連イベントを通じ、両国間の永続的な関係を祝う祭典を行なっている。また、イベントは両国それぞれの特徴や独自性はもちろん、両国民にとっての共通の利益という観点からも企画され、 展示・展覧会、教育交流プログラム、ファッションショー、親善サッカー大会、ビジネスフォーラムといった様々な形態で催し、日本とカタールのそれぞれの国民の皆さんに、相手国の文化・功績・伝統に対する認識と理解を高めていくとする。さらに、カタールは震災後の復興支援の一環として日本に対するLNGの供給量も増加する。
日本は中国とも国交樹立40周年を祝う予定があったが、中国各地でイベントは中止となったほか、日本への観光旅行も相次いで中止となっている。
2012年10月20日
政治によって、人々の交流が塞がれることがあってはならない
中国海軍は10月19日、東シナ海で国家海洋局や農業省漁政局との合同演習「東シナ海協力−2012」を行った。演習は沖縄県・尖閣諸島周辺海域での活動を念頭に置いたもので、演習には海軍東海艦隊の艦船など計11隻と軍用ヘリコプターなどが参加。中国メディアによると、ここ数年で最大規模とされる演習は「東シナ海のある海域で中国の海洋監視船が他国の船舶と衝突し損壊、海軍が軍艦とヘリコプターを出動させて救援に向かう」との筋書きで行われた。
日本政府の尖閣諸島国有化で日中の対立が深刻化する中、北京市出版当局は9月17日、日本人作家の作品など日本関係書籍の出版について口頭で規制を指示し、一時は北京市内の大手書店で、日本関係書籍が売り場から姿を消す事態になっていた。
作家の村上春樹さん(63)は、9月末に、東アジアの領土をめぐる問題について、文化交流に影響を及ぼすことを憂慮するエッセーを朝日新聞に寄せた。この20年ほどで、東アジアの文化交流は豊かになっている。そうした文化圏の成熟が、尖閣や竹島をめぐる日中韓のあつれきで破壊されてしまうことを恐れ、「国境を越えて魂が行き来する道筋」を塞いではならないと書いている。
村上作品の人気は中国、韓国、台湾でも高く、東アジア文化圏の地道な交流を担ってきた当事者の一人。中国と台湾で作品はほぼ全てが訳されており、簡体字と繁体字、両方の版が出ている。特に「ノルウェイの森」の人気が高く、中国では「絶対村上(ばっちりムラカミ)」、台湾では「非常村上(すっごくムラカミ)」という流行語が生まれたほどだ。韓国でもほぼ全作品が翻訳され、大学生を中心に人気が高い。東アジア圏内の若手作家に、広く影響を与えている。(村上さんの寄稿エッセー全文は以下)
◇
尖閣諸島を巡る紛争が過熱化する中、中国の多くの書店から日本人の著者の書籍が姿を消したという報道に接して、一人の日本人著者としてもちろん少なからぬショックを感じている。それが政府主導による組織的排斥なのか、あるいは書店サイドでの自主的な引き揚げなのか、詳細はまだわからない。だからその是非について意見を述べることは、今の段階では差し控えたいと思う。
この二十年ばかりの、東アジア地域における最も喜ばしい達成のひとつは、そこに固有の「文化圏」が形成されてきたことだ。そのような状況がもたらされた大きな原因として、中国や韓国や台湾のめざましい経済的発展があげられるだろう。各国の経済システムがより強く確立されることにより、文化の等価的交換が可能になり、多くの文化的成果(知的財産)が国境を越えて行き来するようになった。共通のルールが定められ、かつてこの地域で猛威をふるった海賊版も徐々に姿を消し(あるいは数を大幅に減じ)、アドバンス(前渡し金)や印税も多くの場合、正当に支払われるようになった。
僕自身の経験に基づいて言わせていただければ、「ここに来るまでの道のりは長かったなあ」ということになる。以前の状況はそれほど劣悪だった。どれくらいひどかったか、ここでは具体的事実には触れないが(これ以上問題を紛糾させたくないから)、最近では環境は著しく改善され、この「東アジア文化圏」は豊かな、安定したマーケットとして着実に成熟を遂げつつある。まだいくつかの個別の問題は残されているものの、そのマーケット内では今では、音楽や文学や映画やテレビ番組が、基本的には自由に等価に交換され、多くの数の人々の手に取られ、楽しまれている。これはまことに素晴らしい成果というべきだ。
たとえば韓国のテレビドラマがヒットしたことで、日本人は韓国の文化に対して以前よりずっと親しみを抱くようになったし、韓国語を学習する人の数も急激に増えた。それと交換的にというか、たとえば僕がアメリカの大学にいるときには、多くの韓国人・中国人留学生がオフィスを訪れてくれたものだ。彼らは驚くほど熱心に僕の本を読んでくれて、我々の間には多くの語り合うべきことがあった。
このような好ましい状況を出現させるために、長い歳月にわたり多くの人々が心血を注いできた。僕も一人の当事者として、微力ではあるがそれなりに努力を続けてきたし、このような安定した交流が持続すれば、我々と東アジア近隣諸国との間に存在するいくつかの懸案も、時間はかかるかもしれないが、徐々に解決に向かって行くに違いないと期待を抱いていた。文化の交換は「我々はたとえ話す言葉が違っても、基本的には感情や感動を共有しあえる人間同士なのだ」という認識をもたらすことをひとつの重要な目的にしている。それはいわば、国境を越えて魂が行き来する道筋なのだ。
今回の尖閣諸島問題や、あるいは竹島問題が、そのような地道な達成を大きく破壊してしまうことを、一人のアジアの作家として、また一人の日本人として、僕は恐れる。
国境線というものが存在する以上、残念ながら(というべきだろう)領土問題は避けて通れないイシューである。しかしそれは実務的に解決可能な案件であるはずだし、また実務的に解決可能な案件でなくてはならないと考えている。領土問題が実務課題であることを超えて、「国民感情」の領域に踏み込んでくると、それは往々にして出口のない、危険な状況を出現させることになる。それは安酒の酔いに似ている。安酒はほんの数杯で人を酔っ払わせ、頭に血を上らせる。人々の声は大きくなり、その行動は粗暴になる。論理は単純化され、自己反復的になる。しかし賑(にぎ)やかに騒いだあと、夜が明けてみれば、あとに残るのはいやな頭痛だけだ。
そのような安酒を気前よく振る舞い、騒ぎを煽(あお)るタイプの政治家や論客に対して、我々は注意深くならなくてはならない。一九三〇年代にアドルフ・ヒトラーが政権の基礎を固めたのも、第一次大戦によって失われた領土の回復を一貫してその政策の根幹に置いたからだった。それがどのような結果をもたらしたか、我々は知っている。今回の尖閣諸島問題においても、状況がこのように深刻な段階まで推し進められた要因は、両方の側で後日冷静に検証されなくてはならないだろう。政治家や論客は威勢のよい言葉を並べて人々を煽るだけですむが、実際に傷つくのは現場に立たされた個々の人間なのだ。
僕は『ねじまき鳥クロニクル』という小説の中で、一九三九年に満州国とモンゴルとの間で起こった「ノモンハン戦争」を取り上げたことがある。それは国境線の紛争がもたらした、短いけれど熾烈(しれつ)な戦争だった。日本軍とモンゴル=ソビエト軍との間に激しい戦闘が行われ、双方あわせて二万に近い数の兵士が命を失った。僕は小説を書いたあとでその地を訪れ、薬莢(やっきょう)や遺品がいまだに散らばる茫漠(ぼうばく)たる荒野の真ん中に立ち、「どうしてこんな何もない不毛な一片の土地を巡って、人々が意味もなく殺し合わなくてはならなかったのか?」と、激しい無力感に襲われたものだった。
最初にも述べたように、中国の書店で日本人著者の書物が引き揚げられたことについて、僕は意見を述べる立場にはない。それはあくまで中国国内の問題である。一人の著者としてきわめて残念には思うが、それについてはどうすることもできない。僕に今ここではっきり言えるのは、そのような中国側の行動に対して、どうか報復的行動をとらないでいただきたいということだけだ。もしそんなことをすれば、それは我々の問題となって、我々自身に跳ね返ってくるだろう。逆に「我々は他国の文化に対し、たとえどのような事情があろうとしかるべき敬意を失うことはない」という静かな姿勢を示すことができれば、それは我々にとって大事な達成となるはずだ。それはまさに安酒の酔いの対極に位置するものとなるだろう。
安酒の酔いはいつか覚める。しかし魂が行き来する道筋を塞いでしまってはならない。その道筋を作るために、多くの人々が長い歳月をかけ、血の滲(にじ)むような努力を重ねてきたのだ。そしてそれはこれからも、何があろうと維持し続けなくてはならない大事な道筋なのだ。
◇
むらかみ・はるき 1949年生まれ。早稲田大卒。著書に「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」「ノルウェイの森」「アンダーグラウンド」「1Q84」など。レイモンド・チャンドラー「リトル・シスター」など翻訳書も多数。読売文学賞、フランツ・カフカ賞、朝日賞、エルサレム賞など国内外の賞を受賞。
日本政府の尖閣諸島国有化で日中の対立が深刻化する中、北京市出版当局は9月17日、日本人作家の作品など日本関係書籍の出版について口頭で規制を指示し、一時は北京市内の大手書店で、日本関係書籍が売り場から姿を消す事態になっていた。
作家の村上春樹さん(63)は、9月末に、東アジアの領土をめぐる問題について、文化交流に影響を及ぼすことを憂慮するエッセーを朝日新聞に寄せた。この20年ほどで、東アジアの文化交流は豊かになっている。そうした文化圏の成熟が、尖閣や竹島をめぐる日中韓のあつれきで破壊されてしまうことを恐れ、「国境を越えて魂が行き来する道筋」を塞いではならないと書いている。
村上作品の人気は中国、韓国、台湾でも高く、東アジア文化圏の地道な交流を担ってきた当事者の一人。中国と台湾で作品はほぼ全てが訳されており、簡体字と繁体字、両方の版が出ている。特に「ノルウェイの森」の人気が高く、中国では「絶対村上(ばっちりムラカミ)」、台湾では「非常村上(すっごくムラカミ)」という流行語が生まれたほどだ。韓国でもほぼ全作品が翻訳され、大学生を中心に人気が高い。東アジア圏内の若手作家に、広く影響を与えている。(村上さんの寄稿エッセー全文は以下)
◇
尖閣諸島を巡る紛争が過熱化する中、中国の多くの書店から日本人の著者の書籍が姿を消したという報道に接して、一人の日本人著者としてもちろん少なからぬショックを感じている。それが政府主導による組織的排斥なのか、あるいは書店サイドでの自主的な引き揚げなのか、詳細はまだわからない。だからその是非について意見を述べることは、今の段階では差し控えたいと思う。
この二十年ばかりの、東アジア地域における最も喜ばしい達成のひとつは、そこに固有の「文化圏」が形成されてきたことだ。そのような状況がもたらされた大きな原因として、中国や韓国や台湾のめざましい経済的発展があげられるだろう。各国の経済システムがより強く確立されることにより、文化の等価的交換が可能になり、多くの文化的成果(知的財産)が国境を越えて行き来するようになった。共通のルールが定められ、かつてこの地域で猛威をふるった海賊版も徐々に姿を消し(あるいは数を大幅に減じ)、アドバンス(前渡し金)や印税も多くの場合、正当に支払われるようになった。
僕自身の経験に基づいて言わせていただければ、「ここに来るまでの道のりは長かったなあ」ということになる。以前の状況はそれほど劣悪だった。どれくらいひどかったか、ここでは具体的事実には触れないが(これ以上問題を紛糾させたくないから)、最近では環境は著しく改善され、この「東アジア文化圏」は豊かな、安定したマーケットとして着実に成熟を遂げつつある。まだいくつかの個別の問題は残されているものの、そのマーケット内では今では、音楽や文学や映画やテレビ番組が、基本的には自由に等価に交換され、多くの数の人々の手に取られ、楽しまれている。これはまことに素晴らしい成果というべきだ。
たとえば韓国のテレビドラマがヒットしたことで、日本人は韓国の文化に対して以前よりずっと親しみを抱くようになったし、韓国語を学習する人の数も急激に増えた。それと交換的にというか、たとえば僕がアメリカの大学にいるときには、多くの韓国人・中国人留学生がオフィスを訪れてくれたものだ。彼らは驚くほど熱心に僕の本を読んでくれて、我々の間には多くの語り合うべきことがあった。
このような好ましい状況を出現させるために、長い歳月にわたり多くの人々が心血を注いできた。僕も一人の当事者として、微力ではあるがそれなりに努力を続けてきたし、このような安定した交流が持続すれば、我々と東アジア近隣諸国との間に存在するいくつかの懸案も、時間はかかるかもしれないが、徐々に解決に向かって行くに違いないと期待を抱いていた。文化の交換は「我々はたとえ話す言葉が違っても、基本的には感情や感動を共有しあえる人間同士なのだ」という認識をもたらすことをひとつの重要な目的にしている。それはいわば、国境を越えて魂が行き来する道筋なのだ。
今回の尖閣諸島問題や、あるいは竹島問題が、そのような地道な達成を大きく破壊してしまうことを、一人のアジアの作家として、また一人の日本人として、僕は恐れる。
国境線というものが存在する以上、残念ながら(というべきだろう)領土問題は避けて通れないイシューである。しかしそれは実務的に解決可能な案件であるはずだし、また実務的に解決可能な案件でなくてはならないと考えている。領土問題が実務課題であることを超えて、「国民感情」の領域に踏み込んでくると、それは往々にして出口のない、危険な状況を出現させることになる。それは安酒の酔いに似ている。安酒はほんの数杯で人を酔っ払わせ、頭に血を上らせる。人々の声は大きくなり、その行動は粗暴になる。論理は単純化され、自己反復的になる。しかし賑(にぎ)やかに騒いだあと、夜が明けてみれば、あとに残るのはいやな頭痛だけだ。
そのような安酒を気前よく振る舞い、騒ぎを煽(あお)るタイプの政治家や論客に対して、我々は注意深くならなくてはならない。一九三〇年代にアドルフ・ヒトラーが政権の基礎を固めたのも、第一次大戦によって失われた領土の回復を一貫してその政策の根幹に置いたからだった。それがどのような結果をもたらしたか、我々は知っている。今回の尖閣諸島問題においても、状況がこのように深刻な段階まで推し進められた要因は、両方の側で後日冷静に検証されなくてはならないだろう。政治家や論客は威勢のよい言葉を並べて人々を煽るだけですむが、実際に傷つくのは現場に立たされた個々の人間なのだ。
僕は『ねじまき鳥クロニクル』という小説の中で、一九三九年に満州国とモンゴルとの間で起こった「ノモンハン戦争」を取り上げたことがある。それは国境線の紛争がもたらした、短いけれど熾烈(しれつ)な戦争だった。日本軍とモンゴル=ソビエト軍との間に激しい戦闘が行われ、双方あわせて二万に近い数の兵士が命を失った。僕は小説を書いたあとでその地を訪れ、薬莢(やっきょう)や遺品がいまだに散らばる茫漠(ぼうばく)たる荒野の真ん中に立ち、「どうしてこんな何もない不毛な一片の土地を巡って、人々が意味もなく殺し合わなくてはならなかったのか?」と、激しい無力感に襲われたものだった。
最初にも述べたように、中国の書店で日本人著者の書物が引き揚げられたことについて、僕は意見を述べる立場にはない。それはあくまで中国国内の問題である。一人の著者としてきわめて残念には思うが、それについてはどうすることもできない。僕に今ここではっきり言えるのは、そのような中国側の行動に対して、どうか報復的行動をとらないでいただきたいということだけだ。もしそんなことをすれば、それは我々の問題となって、我々自身に跳ね返ってくるだろう。逆に「我々は他国の文化に対し、たとえどのような事情があろうとしかるべき敬意を失うことはない」という静かな姿勢を示すことができれば、それは我々にとって大事な達成となるはずだ。それはまさに安酒の酔いの対極に位置するものとなるだろう。
安酒の酔いはいつか覚める。しかし魂が行き来する道筋を塞いでしまってはならない。その道筋を作るために、多くの人々が長い歳月をかけ、血の滲(にじ)むような努力を重ねてきたのだ。そしてそれはこれからも、何があろうと維持し続けなくてはならない大事な道筋なのだ。
◇
むらかみ・はるき 1949年生まれ。早稲田大卒。著書に「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」「ノルウェイの森」「アンダーグラウンド」「1Q84」など。レイモンド・チャンドラー「リトル・シスター」など翻訳書も多数。読売文学賞、フランツ・カフカ賞、朝日賞、エルサレム賞など国内外の賞を受賞。
2012年10月19日
函館市のホームページに「大間原発建設の無期限凍結を求める」市長メッセージ
議員時代に行き来した函館の元市議から、MLへメールがきていた。
以前より、市民とともに大間原発の建設に反対してきた議員だったが、青森に出来る原発を函館市民が心配をしているのが当時はピンとこなかった。さすがに、東日本大震災が起きてから、再稼働への審査を進めて大飯を再稼働したものの、原発新設はしないと明言していた。ところが、一年半の工事停止をしていたのに、北海道側には一切の説明も意見も聴くこともなく、一方的に工事再開を通告しに来て、建設を進めていくということになっているというです。我孫子でも、市および市議会が断固反対している終末処理場への高濃度放射能焼却灰の一時保管場所の建設工事が、一方的に進められて状況は想像がつく。
そして、昨日(18日)のお昼時のニュース番組で大間原発敷地とその周辺には3つもの活断層があると現地の映像、および専門家、学者らのインタヴューを紹介があり、同じ轍を踏むつもりなのかと驚愕した次第です。
函館市長は、市のホームページでも「今後も無期限凍結を求めてまいります。」とメッセージし、提訴も考えているとのことだ。
まずは、メールを紹介します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2012-10-10-Wed-01:52
函館市のホームページのトップに、
「大間原発建設の無期限凍結を求めています」と市長のメッセージが掲載されました。
多くの疑問に目をつむり,福島原発の事故後たった1年半で建設を再開することは、暴挙としか言いようがない。
住民の安全安心と地域を守るために,今後も無期限凍結を求めいく。との市長表明、主な経過、大間原子力発電所の概要、フルMOXの説明、10月1日電源開発幹部との会見録も見られます。、
津軽海峡が国際海峡であり,領海が通常の12海里ではなく3海里しかない。
安全保障上も大きな問題があることも指摘しています。
函館市は提訴も考えています。
HPをご覧になって、ぜひ電話や手紙、メールなどで応援してください。
•電源開発(株)
函館市へのメッセージはこちらへ
函館市総務部総務課防災担当
TEL 0138-21-3648 FAX 0138-27-6489
Email:bousai@city.hakodate.hokkaido.jp
以前より、市民とともに大間原発の建設に反対してきた議員だったが、青森に出来る原発を函館市民が心配をしているのが当時はピンとこなかった。さすがに、東日本大震災が起きてから、再稼働への審査を進めて大飯を再稼働したものの、原発新設はしないと明言していた。ところが、一年半の工事停止をしていたのに、北海道側には一切の説明も意見も聴くこともなく、一方的に工事再開を通告しに来て、建設を進めていくということになっているというです。我孫子でも、市および市議会が断固反対している終末処理場への高濃度放射能焼却灰の一時保管場所の建設工事が、一方的に進められて状況は想像がつく。
そして、昨日(18日)のお昼時のニュース番組で大間原発敷地とその周辺には3つもの活断層があると現地の映像、および専門家、学者らのインタヴューを紹介があり、同じ轍を踏むつもりなのかと驚愕した次第です。
函館市長は、市のホームページでも「今後も無期限凍結を求めてまいります。」とメッセージし、提訴も考えているとのことだ。
まずは、メールを紹介します。
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2012-10-10-Wed-01:52
函館市のホームページのトップに、
「大間原発建設の無期限凍結を求めています」と市長のメッセージが掲載されました。
多くの疑問に目をつむり,福島原発の事故後たった1年半で建設を再開することは、暴挙としか言いようがない。
住民の安全安心と地域を守るために,今後も無期限凍結を求めいく。との市長表明、主な経過、大間原子力発電所の概要、フルMOXの説明、10月1日電源開発幹部との会見録も見られます。、
津軽海峡が国際海峡であり,領海が通常の12海里ではなく3海里しかない。
安全保障上も大きな問題があることも指摘しています。
函館市は提訴も考えています。
HPをご覧になって、ぜひ電話や手紙、メールなどで応援してください。
•電源開発(株)
函館市へのメッセージはこちらへ
函館市総務部総務課防災担当
TEL 0138-21-3648 FAX 0138-27-6489
Email:bousai@city.hakodate.hokkaido.jp
2012年10月18日
ホールボディーカウンター検査、全部が分かるわけではない
ECRRの提言では、今後、10年以内に原発から半径100キロ以内の住民の約10万人が原発事故により放射能汚染により、事故がなかった時より多く、がんになり、同じく原発から100キロから200キロ圏では12万人が、事故がなかった時より多く、がんになると予想しています。
そこで、栃木県県北地方は、8月30日に文部科学省が発表した、放射性セシウムの土壌汚染を踏まえた最新の航空機モニタリングによれば、7月当初の発表より高濃度に汚染されていることがわかりました。 チェルノブイリの第V分類の中間から上限を超え、一部は第U分類に該当することがわかりました。 チェルノブイリ第V分類は、居住してもよいが定期的な健康チェックが必要な地域、第U分類は選択的移住権が認められる地域、すなわち出来るだけ移住したほうが良く、移住するなら国が保証をするという地域です。(旧ソ連の政策) 那須町や那須塩原市の空間線量は、おおむね0.5から1.0μ㏜/hrくらいですので、外部被ばくは大きな問題ではありませんが、内部被ばくに対しては、十分な対策を取らなければ、がん患者の大量発生がありえます。
空間放射線量が1.5μ㏜/hrを超える地域となった栃木県県北では、すでに大変危険な量の放射性物質の汚染があります。除染を行っても住民が住めるようになる見込みは低いので移住をするべきで、それ以下の地域は、除染により空間線量を3分の1以下に下げる効果が認められ、内部被ばくを少なくできて居住可能地域とできることから、除染を行うべきと考えられます。
放射性物質が、放射線を放出し人体にぶつかるとき(外部被ばく)、これはガンマ線でもベータ線でも、現在の栃木県県北の量では大きな健康被害は起きません。 しかしながら、放射性物質が呼吸や飲食で体内にいったん入ってしまうと(内部被ばく)、ベータ線とアルファ線が主体となり、体内にとどまる限り、ごく少量でも極めて危険なもの、即ちがんを発生するものとなります。
■さらにショッキングな事実!?
ホールボディカウンターの検査が行われるようになりましたが、これはNaI(TI)シンチレーション検出機を使って全身を検査するものです。しかし、ECRR(ヨーロッパ放射線防護委員会)のバズビー博士は「そもそもセシウムしか重要視していないホールボディカウンター検査は意味がない。こんなものにお金を使うより、食の安全にお金をかけるべきだ。」と言っておられます。基本的にはガンマ線を放出する核種、セシウム134、137、カリウム40、ヨウ素131などのγ線を出す核種を検出するですが、ベータ核種のストロンチウム90やアルファ核種のプルトニウム239などの最も危険な核種は検出できません。また、正確に測るには、30分以上かけて、データの分析に熟練した技師が行う必要があり、とても2〜3分の流れ作業的検査では正確な被曝の証拠は出ません。
昨年、福島県では、住民のホールボディカウンター検査を始めていましたが、被曝の検出率は数%と低いようです。栃木県でも、18歳以下の住民を対象に検査を行うように予算が付けられるようです。おそらく内部被ばくが証明できるのは、検査人数の1%以下なのでしょう。
事故から1年が経とうとしており、つまり、時期的にホールボディカウンター検査をしても、ヨウ素131は全く検出できませんし、もともとプルトニウム、ストロンチウムは全く検出できません。実際は、当時にヨウ素131の大量被ばく、プルトニウムとストロンチウムもかなりの量を内部被ばく、セシウムもそれなりに大量に被曝しているのに、検査の際には半減しているということになります。
栃木県や福島県の住民を検査したが、ほとんど内部被ばくは検出されなかったことからも言えます。 1年がたった現在においては、検査費用に補助金をかけるより、“食”の安全の方にお金をかけるべきとの声もあるわけです。
■何種類もの放射性物質が拡散した
3号機の爆発のあった3月14日と2号機と4号機の爆発のあった15日は、公開されているSPEEDIのデータによると、南向きの風が吹いており、死の灰の塊であるプルトニウムを大量に含んだ放射能雲は、千葉、東京、神奈川を直撃しました。
幸い、この日は雨は降っておらず、風向きが北向きへと変わり、大量の地上降下は避けられました。しかしながら、相当の放射能汚染がされてしまったはずです。その後、南の風に押し上げられた放射能雲は、15日の午後には栃木県県北、群馬県県北、福島へ到達し、残念ながら小雨の降っていたこれらの地方には、大量の地上汚染となりました。つまり、これらの地方の放射性物質による放射能汚染は、巷で言われているセシウムだけではなく、大量のアルファ核種〜プルトニウムなどや、ベータ核種〜ストロンチウムなどによる汚染があるということになります。
ガンマ線は、市販のガイガーカウンターやシンチレンションカウンターで簡単に測定できますが、アルファ線、ベータ線は、特殊なガイガーカウンター〜その他の機器を使用しないと測れません。特殊なガイガーカウンターで那須町、那須塩原市の土壌を測定したが、やはり大量のアルファ線〜すなわちプルトニウムと考えられるものを検出しています。
■千葉の汚染のもう一つの理由!!
昨年3月11日の東日本大地震による東京湾を襲った津波で、千葉の石油会社のコンビナートが火災を起こしました。隣接地にチッソの工場があり、触媒として劣化ウランが約780キロ保管されていました。石油会社の火災が延焼して、この劣化ウランは、ほとんど燃えてしまいました。
劣化ウランというのは、天然ウランからウラン235を抽出した後のウランで、チッソ工場に保管されていたものは、ウラン238が99%以上で、ウラン235は0.3%であったと発表されています。マスコミ報道では、放射性物質は0.3%であるから、つまりウラン235だけが危険なものでその量は少ないから、健康被害の心配はないと報道されていました。しかし、本当は・・・。
ウラン238も放射線を出します。アルファ線と中性子線です。原子力発電用の濃縮ウランは、ウラン235が3〜5%で、残りはウラン238、劣化ウランは、ウラン238が99%以上です。放射線を出す比率〜放射能は、半減期に反比例すると考えられます。ウラン238の半減期45億年、ウラン235の半減期7億年を成分比率で加重計算すると、放射能は、濃縮ウラン:劣化ウラン=100:87.3となり、大きな違いはありません。
この劣化ウランが燃えた煙が、東京地方を汚染したと考えられ、大量のアルファ線と中性子線を放出していると考えられます。つまり、この説によると、東京地方の中性子線源は福島原発事故由来ではないということになります。
中性子線検出器で、福島県中通りと栃木県北部の合計30か所を測定した人がいました。使用機種は、RAE systems社のNeutronRAEUです。この機種は、原発職員用&原子力研究施設職員用のもので、30万円位するものです。アメリカのパーソナル用の放射能測定器の評価レポートでも、高い評価を受けていました。中性子線については、秒刻みの検出、カウントパーセカンドという単位での表示で、1秒ごとに中性子線が何回検出されるかを表示します。また、リセットするまでの間のピーク値をガンマ線と中性子線の両方測定し表示してくれます。ガンマ線はリアルタイムで表示されますが、中性子線は大量にある場合を除けば、そこにとどまって何分か経ってから検出され、表示されるようです。結果は、5か所で1分以内に1cps、6か所で5分以内に1cps、8か所で10分以内に1cps、5か所で30分以内に1cpsでした。6か所では、30分間では検出されませんでした。2cps以上の中性子線が検出されたところはありませんでした。
1cpsは、中性子線の空間線量としては、約0.5μ㏜/hrに相当します。自然界でも、ごく少量の中性子線は検出されています。2004年の全国調査による平均値は、4nμ㏜/hrです。nは、ナノ単位であり1/1000ですから0.004μ㏜/hrとなり、比較すれば一目瞭然で、今回検出された中性子線は、自然のものではありません。福島原発事故の放射能汚染によるものです。
自然界で中性子やその他の粒子などの衝撃なしで核分裂を起こす“自発核分裂”の確率の高い代表的物質は、確率順に挙げると、プルトニウム240(489000回/sec・kg)、プルトニウム239(7回/sec・kg)、ウラン238(6.9回/sec・kg)、ウラン235(5.6×10マイナス3乗回/sec・kg)です。これらの物質は、自然界で“自発核分裂”を起こして、原子炉内部の核分裂と同じように、中性子線を放出します。
昨年8月26日に経済産業省から発表された放出核種の試算表によると、この4つの核種の中で、ウランについては全く発表がありません。
プルトニウムがゼロでウランのみからアルファ線と中性子線が検出される状況は、原発事故による放射性物質の飛散では考えにくいことから、この地域にプルトニウム汚染があることは、間違いないと思われます。この地域がアルファ核種のプルトニウムで汚染されていること、そして、それなりの程度の汚染であることが、中性子線検出からも裏付けられました。
また、3号機の爆発は使用済み燃料プールの即発臨界による核爆発を伴っていること、使用済み核燃料にはウランがプルトニウムよりもずっと多く含まれていることから、実際はプルトニウムよりもウランで汚染されている可能性の方がずっと高いと思われます。
東京での測定では、1cpsの地域が多いとのことですが、最高8cpsの中性子線が検出されるところがあるということです。局所的には、福島県中通りや栃木県北よりも高濃度汚染地域があることが分かります。
これにはいろいろな説があるかと思いますが、現時点で一番有力なものは、以下の説です。
この劣化ウランが燃えた煙が、東京地方を汚染したと考えられ、大量のアルファ線と中性子線を放出していると考えられます。つまり、このような点から東京地方の中性子線源は福島原発事故由来ではないことが考えられます。日本政府は、意図的にセシウム汚染を強調して、他の放射性物質、特にプルトニウムやウランの汚染に目を向けないように仕向けている可能性があります。いずれはこれらの物質による「関東から福島県の汚染」は隠せなくなり、妊婦や子供はもちろんのこと、30歳以下の若い人はこの地域を離れるべきだと明らかにされた時には手遅れの人たちも多くなってしまっている・・・。
■内部被ばくと外部被ばくの違いとアルファ、ベータ、ガンマ、それぞれの核種の特徴
まず、アルファ線について、空気中では、せいぜい3センチから45ミリくらいしか進みません。
ベータ線は1メートルから最大10メートル進みます。ガンマ線は100メートルくらい到達します。
外部被ばくについて、これは人体が外部から受ける放射線による被曝です。
したがって、アルファ線は無視してよく、一部ベータ線も影響しますが、ガンマ線が主体です。ガンマ線は、鉄筋の建物ならば防護できますが、木造では防護できず、ガンマ線源から遠ざかること〜近寄らないこと、疎開や移住することで防護できます。今回の事故で問題になっている核種は、セシウム134と137です。
内部被ばくについて、これは人体が呼吸や飲食によって、放射性物質を取り込んで生じる被曝です。アルファ線、ベータ線、ガンマ線、すべての放射線が関係します。この中で特に影響の大きいものが、アルファ線とベータ線です。この2種は、人間の2本鎖DNAを2本とも切断します。障害細胞の修復困難の可能性〜すなわち発ガンの可能性が高まります。ガンマ線は1本だけです。前述のようにアルファ線は、人体の中では、ほんの数ミリしか進みません。たった数ミリしか進まないから力が弱いのではなく、その短い距離で猛烈にエネルギーを消費して細胞を傷害しますので、人体には特に悪い放射線です。今回の事故で主として問題になる核種は、プルトニウム、ストロンチウム、ヨウ素、セシウム、キセノンなどです。
この中で、ヨウ素131は呼吸で吸い込むと、すぐに甲状腺に集まってきます。日本人は海藻をよく食べるから大丈夫などという程度のことではすみません。甲状腺内でベータ崩壊が起こり、ベータ線を出して甲状腺を傷つけます。ベータ崩壊に伴って出てきたキセノン131のうちの一部がガンマ崩壊して、ガンマ線を出して2度甲状腺を傷つけます。ヨウ素131の物理学的半減期は8日で、8日で吸い込んだヨウ素131の半分は、キセノン131に変わります。一方、生物学的半減期は80日であり、これは吸い込んだヨウ素131が体の中から半分が出て行く時間です。いずれにせよ、80日目に調べたのでは、ヨウ素131は体の中にはほとんどありませんので、ホールボディカウンターなどの被曝したかどうかの検査をしても全部がわかるのではありません。セシウム137の場合は、物理学的半減期30年>生物学的半減期70〜100日であって、一気にはベータ崩壊とガンマ崩壊が起こりませんが、体から排泄されるまで連続して放射線被曝を生じて発ガン性が高まります。ホールボディカウンターで検出されるものは、この核種です。
兎に角、よく覚えておいた方がいいのは、物理学的半減期が短い放射性物質は、一気に崩壊が起こり、放射線が一気に出て細胞障害がおこるので、発ガン性が高いということです。
プルトニウムとストロンチウムは、いずれも物理学的半減期、生物学的半減期ともに、2万4千年と数十年(プルトニウム239)、29年と数十年(ストロンチウム90)と半減期の長い放射性物質です。いずれも人体に入ると長期間にわたり細胞を傷害して、しかも近くの細胞を執拗に障害するので、発ガンの危険の特に高い放射性物質です。ホールボディカウンターでは全く検出できない核種です。 もう一つ言えば、アルファ核種やベータ核種の内部被ばくを正確に測定できる機械で測定せず、しかも短時間での測定で、内部被ばくの実態をしっかりとらえられるとは言い難い検査です。
まかり間違うと、内部被ばくを考慮しないICRP(国際放射線防護委員会)の考えるような、「外部被ばくだけの放射線障害の結論〜チェルノブイリ原発事故では、原発職員が約50名急性放射線障害で死亡したが、がん患者が増えても、原発事故によるものではない」と結論づけるなどの姑息な対応はしてほしくないです。
このレポートをされた、那須塩原の医師・川口幸夫氏は「野外で0.5μSv/hrを超える場所は、移住するべきであると考える。」と言っています。どう判断するか、母親たちの第六感に頼るのも、やはり必是です。
福島原発事故後の調査では、わずか12カ月で、福島県内の3万8千人の18才以下の子供の甲状腺エコー検査で、36%に甲状腺のう胞または結節が見つかっています。潜伏期間がこれほど短いということは、この子供たちが、昨年3月に福島原発事故による放射性ヨウ素を、呼吸で超大量に吸い込んだことは、間違いありません。これは、また、さらなる多種多様のがんの発症を予測させる非常に悪い前兆です。
なぜならば、放射性ヨウ素は、現在ほとんど検出されませんが、それ以外の放射性物質のセシウムやストロンチウム、さらに、チェルノブイリ事故との決定的な違いであるアルファ核種の広範な飛散〜プルトニウムとウランなどが、福島県から関東全域で大量に飛散していることがはっきりしており、食物で、そして呼吸で、毎日人体に取り込まれて濃縮されているからです。
現在の避難政策や放射線防護の実情では、早ければ3〜4年後、遅くとも15年以内に、原発から100キロ以内の10万人が、放射能汚染によるガンを発症し、同じく半径100キロから200キロに住む12万人が、放射能汚染によってガンになるというヨーロッパ放射線防護委員会の試算は、かなり確率の高いものと言っています。
■福島の一か月半後
東京電力福島第1原発事故による放射線の影響を調べている福島県の「県民健康管理調査」の検討委員会(座長・山下俊一福島県立医大副学長)が11日開かれ、事故発生当時18歳以下を対象とした甲状腺検査について、1人が甲状腺がんと報告された。/甲状腺検査の対象は約36万人で、これまで結果が判明したのは約8万人」
(共同通信 2012/09/11)。
http://www.47news.jp/CN/201209/CN2012091101001721.html
「これまでの調査で425人が『一定の大きさのしこりなどが見られるため2次検査が必要』とされた。60人が2次検査を受け、うち38人の結果が判明。この中の1人ががんと判断された。」
(産経新聞 2012.9.11)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120911/dst12091117360018-n1.htm
そこで、栃木県県北地方は、8月30日に文部科学省が発表した、放射性セシウムの土壌汚染を踏まえた最新の航空機モニタリングによれば、7月当初の発表より高濃度に汚染されていることがわかりました。 チェルノブイリの第V分類の中間から上限を超え、一部は第U分類に該当することがわかりました。 チェルノブイリ第V分類は、居住してもよいが定期的な健康チェックが必要な地域、第U分類は選択的移住権が認められる地域、すなわち出来るだけ移住したほうが良く、移住するなら国が保証をするという地域です。(旧ソ連の政策) 那須町や那須塩原市の空間線量は、おおむね0.5から1.0μ㏜/hrくらいですので、外部被ばくは大きな問題ではありませんが、内部被ばくに対しては、十分な対策を取らなければ、がん患者の大量発生がありえます。
空間放射線量が1.5μ㏜/hrを超える地域となった栃木県県北では、すでに大変危険な量の放射性物質の汚染があります。除染を行っても住民が住めるようになる見込みは低いので移住をするべきで、それ以下の地域は、除染により空間線量を3分の1以下に下げる効果が認められ、内部被ばくを少なくできて居住可能地域とできることから、除染を行うべきと考えられます。
放射性物質が、放射線を放出し人体にぶつかるとき(外部被ばく)、これはガンマ線でもベータ線でも、現在の栃木県県北の量では大きな健康被害は起きません。 しかしながら、放射性物質が呼吸や飲食で体内にいったん入ってしまうと(内部被ばく)、ベータ線とアルファ線が主体となり、体内にとどまる限り、ごく少量でも極めて危険なもの、即ちがんを発生するものとなります。
■さらにショッキングな事実!?
ホールボディカウンターの検査が行われるようになりましたが、これはNaI(TI)シンチレーション検出機を使って全身を検査するものです。しかし、ECRR(ヨーロッパ放射線防護委員会)のバズビー博士は「そもそもセシウムしか重要視していないホールボディカウンター検査は意味がない。こんなものにお金を使うより、食の安全にお金をかけるべきだ。」と言っておられます。基本的にはガンマ線を放出する核種、セシウム134、137、カリウム40、ヨウ素131などのγ線を出す核種を検出するですが、ベータ核種のストロンチウム90やアルファ核種のプルトニウム239などの最も危険な核種は検出できません。また、正確に測るには、30分以上かけて、データの分析に熟練した技師が行う必要があり、とても2〜3分の流れ作業的検査では正確な被曝の証拠は出ません。
昨年、福島県では、住民のホールボディカウンター検査を始めていましたが、被曝の検出率は数%と低いようです。栃木県でも、18歳以下の住民を対象に検査を行うように予算が付けられるようです。おそらく内部被ばくが証明できるのは、検査人数の1%以下なのでしょう。
事故から1年が経とうとしており、つまり、時期的にホールボディカウンター検査をしても、ヨウ素131は全く検出できませんし、もともとプルトニウム、ストロンチウムは全く検出できません。実際は、当時にヨウ素131の大量被ばく、プルトニウムとストロンチウムもかなりの量を内部被ばく、セシウムもそれなりに大量に被曝しているのに、検査の際には半減しているということになります。
栃木県や福島県の住民を検査したが、ほとんど内部被ばくは検出されなかったことからも言えます。 1年がたった現在においては、検査費用に補助金をかけるより、“食”の安全の方にお金をかけるべきとの声もあるわけです。
■何種類もの放射性物質が拡散した
3号機の爆発のあった3月14日と2号機と4号機の爆発のあった15日は、公開されているSPEEDIのデータによると、南向きの風が吹いており、死の灰の塊であるプルトニウムを大量に含んだ放射能雲は、千葉、東京、神奈川を直撃しました。
幸い、この日は雨は降っておらず、風向きが北向きへと変わり、大量の地上降下は避けられました。しかしながら、相当の放射能汚染がされてしまったはずです。その後、南の風に押し上げられた放射能雲は、15日の午後には栃木県県北、群馬県県北、福島へ到達し、残念ながら小雨の降っていたこれらの地方には、大量の地上汚染となりました。つまり、これらの地方の放射性物質による放射能汚染は、巷で言われているセシウムだけではなく、大量のアルファ核種〜プルトニウムなどや、ベータ核種〜ストロンチウムなどによる汚染があるということになります。
ガンマ線は、市販のガイガーカウンターやシンチレンションカウンターで簡単に測定できますが、アルファ線、ベータ線は、特殊なガイガーカウンター〜その他の機器を使用しないと測れません。特殊なガイガーカウンターで那須町、那須塩原市の土壌を測定したが、やはり大量のアルファ線〜すなわちプルトニウムと考えられるものを検出しています。
■千葉の汚染のもう一つの理由!!
昨年3月11日の東日本大地震による東京湾を襲った津波で、千葉の石油会社のコンビナートが火災を起こしました。隣接地にチッソの工場があり、触媒として劣化ウランが約780キロ保管されていました。石油会社の火災が延焼して、この劣化ウランは、ほとんど燃えてしまいました。
劣化ウランというのは、天然ウランからウラン235を抽出した後のウランで、チッソ工場に保管されていたものは、ウラン238が99%以上で、ウラン235は0.3%であったと発表されています。マスコミ報道では、放射性物質は0.3%であるから、つまりウラン235だけが危険なものでその量は少ないから、健康被害の心配はないと報道されていました。しかし、本当は・・・。
ウラン238も放射線を出します。アルファ線と中性子線です。原子力発電用の濃縮ウランは、ウラン235が3〜5%で、残りはウラン238、劣化ウランは、ウラン238が99%以上です。放射線を出す比率〜放射能は、半減期に反比例すると考えられます。ウラン238の半減期45億年、ウラン235の半減期7億年を成分比率で加重計算すると、放射能は、濃縮ウラン:劣化ウラン=100:87.3となり、大きな違いはありません。
この劣化ウランが燃えた煙が、東京地方を汚染したと考えられ、大量のアルファ線と中性子線を放出していると考えられます。つまり、この説によると、東京地方の中性子線源は福島原発事故由来ではないということになります。
中性子線検出器で、福島県中通りと栃木県北部の合計30か所を測定した人がいました。使用機種は、RAE systems社のNeutronRAEUです。この機種は、原発職員用&原子力研究施設職員用のもので、30万円位するものです。アメリカのパーソナル用の放射能測定器の評価レポートでも、高い評価を受けていました。中性子線については、秒刻みの検出、カウントパーセカンドという単位での表示で、1秒ごとに中性子線が何回検出されるかを表示します。また、リセットするまでの間のピーク値をガンマ線と中性子線の両方測定し表示してくれます。ガンマ線はリアルタイムで表示されますが、中性子線は大量にある場合を除けば、そこにとどまって何分か経ってから検出され、表示されるようです。結果は、5か所で1分以内に1cps、6か所で5分以内に1cps、8か所で10分以内に1cps、5か所で30分以内に1cpsでした。6か所では、30分間では検出されませんでした。2cps以上の中性子線が検出されたところはありませんでした。
1cpsは、中性子線の空間線量としては、約0.5μ㏜/hrに相当します。自然界でも、ごく少量の中性子線は検出されています。2004年の全国調査による平均値は、4nμ㏜/hrです。nは、ナノ単位であり1/1000ですから0.004μ㏜/hrとなり、比較すれば一目瞭然で、今回検出された中性子線は、自然のものではありません。福島原発事故の放射能汚染によるものです。
自然界で中性子やその他の粒子などの衝撃なしで核分裂を起こす“自発核分裂”の確率の高い代表的物質は、確率順に挙げると、プルトニウム240(489000回/sec・kg)、プルトニウム239(7回/sec・kg)、ウラン238(6.9回/sec・kg)、ウラン235(5.6×10マイナス3乗回/sec・kg)です。これらの物質は、自然界で“自発核分裂”を起こして、原子炉内部の核分裂と同じように、中性子線を放出します。
昨年8月26日に経済産業省から発表された放出核種の試算表によると、この4つの核種の中で、ウランについては全く発表がありません。
プルトニウムがゼロでウランのみからアルファ線と中性子線が検出される状況は、原発事故による放射性物質の飛散では考えにくいことから、この地域にプルトニウム汚染があることは、間違いないと思われます。この地域がアルファ核種のプルトニウムで汚染されていること、そして、それなりの程度の汚染であることが、中性子線検出からも裏付けられました。
また、3号機の爆発は使用済み燃料プールの即発臨界による核爆発を伴っていること、使用済み核燃料にはウランがプルトニウムよりもずっと多く含まれていることから、実際はプルトニウムよりもウランで汚染されている可能性の方がずっと高いと思われます。
東京での測定では、1cpsの地域が多いとのことですが、最高8cpsの中性子線が検出されるところがあるということです。局所的には、福島県中通りや栃木県北よりも高濃度汚染地域があることが分かります。
これにはいろいろな説があるかと思いますが、現時点で一番有力なものは、以下の説です。
この劣化ウランが燃えた煙が、東京地方を汚染したと考えられ、大量のアルファ線と中性子線を放出していると考えられます。つまり、このような点から東京地方の中性子線源は福島原発事故由来ではないことが考えられます。日本政府は、意図的にセシウム汚染を強調して、他の放射性物質、特にプルトニウムやウランの汚染に目を向けないように仕向けている可能性があります。いずれはこれらの物質による「関東から福島県の汚染」は隠せなくなり、妊婦や子供はもちろんのこと、30歳以下の若い人はこの地域を離れるべきだと明らかにされた時には手遅れの人たちも多くなってしまっている・・・。
■内部被ばくと外部被ばくの違いとアルファ、ベータ、ガンマ、それぞれの核種の特徴
まず、アルファ線について、空気中では、せいぜい3センチから45ミリくらいしか進みません。
ベータ線は1メートルから最大10メートル進みます。ガンマ線は100メートルくらい到達します。
外部被ばくについて、これは人体が外部から受ける放射線による被曝です。
したがって、アルファ線は無視してよく、一部ベータ線も影響しますが、ガンマ線が主体です。ガンマ線は、鉄筋の建物ならば防護できますが、木造では防護できず、ガンマ線源から遠ざかること〜近寄らないこと、疎開や移住することで防護できます。今回の事故で問題になっている核種は、セシウム134と137です。
内部被ばくについて、これは人体が呼吸や飲食によって、放射性物質を取り込んで生じる被曝です。アルファ線、ベータ線、ガンマ線、すべての放射線が関係します。この中で特に影響の大きいものが、アルファ線とベータ線です。この2種は、人間の2本鎖DNAを2本とも切断します。障害細胞の修復困難の可能性〜すなわち発ガンの可能性が高まります。ガンマ線は1本だけです。前述のようにアルファ線は、人体の中では、ほんの数ミリしか進みません。たった数ミリしか進まないから力が弱いのではなく、その短い距離で猛烈にエネルギーを消費して細胞を傷害しますので、人体には特に悪い放射線です。今回の事故で主として問題になる核種は、プルトニウム、ストロンチウム、ヨウ素、セシウム、キセノンなどです。
この中で、ヨウ素131は呼吸で吸い込むと、すぐに甲状腺に集まってきます。日本人は海藻をよく食べるから大丈夫などという程度のことではすみません。甲状腺内でベータ崩壊が起こり、ベータ線を出して甲状腺を傷つけます。ベータ崩壊に伴って出てきたキセノン131のうちの一部がガンマ崩壊して、ガンマ線を出して2度甲状腺を傷つけます。ヨウ素131の物理学的半減期は8日で、8日で吸い込んだヨウ素131の半分は、キセノン131に変わります。一方、生物学的半減期は80日であり、これは吸い込んだヨウ素131が体の中から半分が出て行く時間です。いずれにせよ、80日目に調べたのでは、ヨウ素131は体の中にはほとんどありませんので、ホールボディカウンターなどの被曝したかどうかの検査をしても全部がわかるのではありません。セシウム137の場合は、物理学的半減期30年>生物学的半減期70〜100日であって、一気にはベータ崩壊とガンマ崩壊が起こりませんが、体から排泄されるまで連続して放射線被曝を生じて発ガン性が高まります。ホールボディカウンターで検出されるものは、この核種です。
兎に角、よく覚えておいた方がいいのは、物理学的半減期が短い放射性物質は、一気に崩壊が起こり、放射線が一気に出て細胞障害がおこるので、発ガン性が高いということです。
プルトニウムとストロンチウムは、いずれも物理学的半減期、生物学的半減期ともに、2万4千年と数十年(プルトニウム239)、29年と数十年(ストロンチウム90)と半減期の長い放射性物質です。いずれも人体に入ると長期間にわたり細胞を傷害して、しかも近くの細胞を執拗に障害するので、発ガンの危険の特に高い放射性物質です。ホールボディカウンターでは全く検出できない核種です。 もう一つ言えば、アルファ核種やベータ核種の内部被ばくを正確に測定できる機械で測定せず、しかも短時間での測定で、内部被ばくの実態をしっかりとらえられるとは言い難い検査です。
まかり間違うと、内部被ばくを考慮しないICRP(国際放射線防護委員会)の考えるような、「外部被ばくだけの放射線障害の結論〜チェルノブイリ原発事故では、原発職員が約50名急性放射線障害で死亡したが、がん患者が増えても、原発事故によるものではない」と結論づけるなどの姑息な対応はしてほしくないです。
このレポートをされた、那須塩原の医師・川口幸夫氏は「野外で0.5μSv/hrを超える場所は、移住するべきであると考える。」と言っています。どう判断するか、母親たちの第六感に頼るのも、やはり必是です。
福島原発事故後の調査では、わずか12カ月で、福島県内の3万8千人の18才以下の子供の甲状腺エコー検査で、36%に甲状腺のう胞または結節が見つかっています。潜伏期間がこれほど短いということは、この子供たちが、昨年3月に福島原発事故による放射性ヨウ素を、呼吸で超大量に吸い込んだことは、間違いありません。これは、また、さらなる多種多様のがんの発症を予測させる非常に悪い前兆です。
なぜならば、放射性ヨウ素は、現在ほとんど検出されませんが、それ以外の放射性物質のセシウムやストロンチウム、さらに、チェルノブイリ事故との決定的な違いであるアルファ核種の広範な飛散〜プルトニウムとウランなどが、福島県から関東全域で大量に飛散していることがはっきりしており、食物で、そして呼吸で、毎日人体に取り込まれて濃縮されているからです。
現在の避難政策や放射線防護の実情では、早ければ3〜4年後、遅くとも15年以内に、原発から100キロ以内の10万人が、放射能汚染によるガンを発症し、同じく半径100キロから200キロに住む12万人が、放射能汚染によってガンになるというヨーロッパ放射線防護委員会の試算は、かなり確率の高いものと言っています。
■福島の一か月半後
東京電力福島第1原発事故による放射線の影響を調べている福島県の「県民健康管理調査」の検討委員会(座長・山下俊一福島県立医大副学長)が11日開かれ、事故発生当時18歳以下を対象とした甲状腺検査について、1人が甲状腺がんと報告された。/甲状腺検査の対象は約36万人で、これまで結果が判明したのは約8万人」
(共同通信 2012/09/11)。
http://www.47news.jp/CN/201209/CN2012091101001721.html
「これまでの調査で425人が『一定の大きさのしこりなどが見られるため2次検査が必要』とされた。60人が2次検査を受け、うち38人の結果が判明。この中の1人ががんと判断された。」
(産経新聞 2012.9.11)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120911/dst12091117360018-n1.htm
2012年10月17日
今後どうなる、自然界の変化
食欲の秋になりました。でも、やっぱり気になります。
回転ずしのネタはなぜ安いのでしょう。
町中に増える回転ずし、食材が値上がりする中で、実質値下がり=庶民の味方のようですが、産地が分からないので不思議です。だから、急ぐときによる場合は、私は納豆巻きをアボガド巻きを食べています。つまり、国産ではない!?
下記、ご参考まで
東京湾のホットスポットは福島第1原発沖を超えた
http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-1296.html
千葉の海に異変!大原漁港で大量のイワシが打ち上げられ 横浜の給食ではイワシからセシウム http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-1963.html
回転ずしのネタはなぜ安いのでしょう。
町中に増える回転ずし、食材が値上がりする中で、実質値下がり=庶民の味方のようですが、産地が分からないので不思議です。だから、急ぐときによる場合は、私は納豆巻きをアボガド巻きを食べています。つまり、国産ではない!?
下記、ご参考まで
東京湾のホットスポットは福島第1原発沖を超えた
http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-1296.html
千葉の海に異変!大原漁港で大量のイワシが打ち上げられ 横浜の給食ではイワシからセシウム http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-1963.html
2012年10月16日
原宿で「黒い物質」から2万ベクレル、埼玉県越谷市で空気清浄機から7万ベクレルが検出
福島第1原発事故以来拡散しつつある放射性セシウムが、首都圏で深刻な内部被曝を引き起こす恐れが高まってきた。原宿で採取された「黒い物質」から2万ベクレル、埼玉県越谷市の一般家庭で利用されてきた空気清浄機から7万ベクレルが検出された。
空気清浄機のフィルターからセシウムを検出したのは東京都にある日暮里放射能測定所。一般から持ち込まれたアイテムの検査を請け負っている。問題のフィルターは埼玉県越谷市の一般家庭で使われていたもの。福島第1原発事故以来、ずっと使われてきたもの。
セシウム137が4万5,465ベクレル/kg、セシウム134が2万6,302ベクレル/kg検出された。合計すると7万ベクレルあまりになる。先月27日に同施設のHPで公開された。測定に当たっては、ダストとフィルターを分離せずそのまま測ったため、ある程度の誤差はある、とされているが、同様の空気を肺で濾過してきたと考えると、恐怖を禁じ得ない数字だ。
汚染は東京都内でも進んでいる。JR原宿駅前で採取された「黒い物質」から2万1,346ベクレル/kg、皇居周辺で採取されたものからは11万ベクレルのセシウムが検出されたことをBS11の報道番組、Inside OUTが28日に報じた。
黒い物質は福島県南相馬市の大山こういち市議が発見して命名した物質。セシウムを取り込んだ藍藻が乾燥して粉状になったもの、と考えられている。
環境省では各地の危険度を把握している、とのスタンスを示すために空間線量を測定して発表している。これは地表から1m、あるいは50cmの線量を測った数値であり、「黒い物質」などが持つ放射線量はほとんど測定できない。
風の強い日にこういった物質が舞い上がって、呼吸とともに体内に入り、内部被曝を引き起こすリスクについて、京都大学の小出准教授などが指摘しているが、ほとんど報じられていないのが現状だ。
白井でも前市議・柴田圭子さんが黒い物質を発見してツイッターで報告していた。各地に拡散しているのはたしかだ。
空気清浄機のフィルターからセシウムを検出したのは東京都にある日暮里放射能測定所。一般から持ち込まれたアイテムの検査を請け負っている。問題のフィルターは埼玉県越谷市の一般家庭で使われていたもの。福島第1原発事故以来、ずっと使われてきたもの。
セシウム137が4万5,465ベクレル/kg、セシウム134が2万6,302ベクレル/kg検出された。合計すると7万ベクレルあまりになる。先月27日に同施設のHPで公開された。測定に当たっては、ダストとフィルターを分離せずそのまま測ったため、ある程度の誤差はある、とされているが、同様の空気を肺で濾過してきたと考えると、恐怖を禁じ得ない数字だ。
汚染は東京都内でも進んでいる。JR原宿駅前で採取された「黒い物質」から2万1,346ベクレル/kg、皇居周辺で採取されたものからは11万ベクレルのセシウムが検出されたことをBS11の報道番組、Inside OUTが28日に報じた。
黒い物質は福島県南相馬市の大山こういち市議が発見して命名した物質。セシウムを取り込んだ藍藻が乾燥して粉状になったもの、と考えられている。
環境省では各地の危険度を把握している、とのスタンスを示すために空間線量を測定して発表している。これは地表から1m、あるいは50cmの線量を測った数値であり、「黒い物質」などが持つ放射線量はほとんど測定できない。
風の強い日にこういった物質が舞い上がって、呼吸とともに体内に入り、内部被曝を引き起こすリスクについて、京都大学の小出准教授などが指摘しているが、ほとんど報じられていないのが現状だ。
白井でも前市議・柴田圭子さんが黒い物質を発見してツイッターで報告していた。各地に拡散しているのはたしかだ。
2012年10月15日
県議会、原発関連の問題意識に市民とのズレ
11日、静岡県議会では、浜岡原発(同県御前崎市)の再稼働の是非を問う住民投票条例案が否決された。市民団体が約16万5千人の署名を集めて県民投票条例案制定を請求しており、川勝平太知事は「16万人の署名は重い」などとして、賛成する意見を付けて県議会に提出していた。
提出された条例案には、不備があるとして全会一致で否決された。また、民主系や公明党の一部県議が修正案として、投票資格は18歳を20歳以上と修正し、投票期日は「浜岡原発の津波対策工事が完了し、国が再稼働の検討を始めたとき」として、成立を目指し提出していた条例案も賛成少数で否決となった。県議会は、最大会派の自民党が過半数を占めており、これら多数が反対したためだった。3.11後、原発再稼働の是非を問う住民投票条例案が否決されたのは、大阪市議会と東京都議会に続き3例目。
■たび重なる事故、データ隠し
東日本大震災より9年前の2003年4月、その前年に発覚したデータ改ざんとトラブル隠しが発覚して東京電力の原発17基”(福島第1が6基、第2が4基で、残り7基は新潟県の柏崎刈羽)が全て止まったことがあった。
ところが、すぐ夏場の首都圏の電力危機を心配する声が出始め、自民党都議団と連合東京は、福島県の自民党、連合の組織へ再稼働に理解を示すよう求めた。日本商工会議所も緊急アピールで「早期再稼働」を要請。柏崎刈羽6号機は翌5月に再開し、全基停止はほどなく終わったが、「次は福島の再開を」と矢の催促も飛んできた。電力消費地の圧力に屈するように7月、福島第1原発6号機が再稼働した。
当時の佐藤栄佐久知事(72)は、国に原子力を含めたエネルギー政策全体の見直しを求め、再稼働にも否定的だった。「電力供給を人質にとっている」と、佐藤前知事を社説で批判した新聞もあった。9年前、安全の徹底を求めた地元の訴えは、電力危機を叫ぶ首都圏の声にかき消されてしまった。「首都圏のために、立地県の安全を曖昧にしてもいいという(再稼働を求めた側の)考えがおかしかった」と佐藤前知事は振り返る。
それまでも、東京電力は1980年代から90年代、福島第1、第2、柏崎刈羽の3原発で炉心隔壁(シュラウド)のひび割れを隠したり、原子炉格納容器の気密性データを改ざんしたりするなどしていた。
経済産業省原子力安全・保安院は、この事実に関する内部告発を2年近く放置した上、告発者の情報を東電に伝えるなど、監督庁としての姿勢が厳しく批判された。
こうした、過去のトラブル隠しなど実態が事故の遠因でありながら、今年6月、野田佳彦首相は周囲の驚きをものともせず安全宣言を出した。福井県議会は、原発の安全対策や防災対策などの一層の充実を国に要望するよう提案した上で、知事の判断を支持する意向を示し、共産党議員、無所属の女性議員のみが再稼働反対を明言したのみ。地元のおおい町では、主要産業が原発関連であり、町議会は再稼働を容認したなどから、関西電力大飯原発の再稼働が決まった。
■侮辱の安全宣言
福島県郡山市のフリーライター人見やよいさん(51)は、今年6月に大飯再稼働の記者会見で野田首相が語った言葉を「最大級の侮辱と感じた。福島第1原発事故で苦しむ人たちの気持ちを、本当に分かって話しているのだろうか。本当に分かっているなら、再稼働はあり得ない」と人見さんは批判する。心のない欺瞞に満ちた首相の言葉を聞き、怒りに体が震えたという。人見さんにとって、安全性を置き去りにして経済優先の理屈がまかり通ったことは、9年前と変わらないという。2003年の事故の終着点は昨年3月11日の破局の日だった。
しかし、福島県内でも再稼働問題はくすぶっている。福島第1の5、6号機と第2の1〜4号機をどうするかということだ。
■曖昧なまま
事故を起こした第1の1〜4号機は既に廃止が決まったが、ほかの6基は福島県が廃炉を求めているにもかかわらず、曖昧なままだ。ことし6〜7月、就任あいさつで福島県内を回った東電の広瀬直己社長は各地で全基廃炉を求められた。だが、そのたびに「国の議論を見守りたい」としか答えなかった。
南相馬市の桜井勝延市長は、「態度をはっきりさせないのは、国と東電が裏で手を結び、再稼働させようとしているからではないか」と東電と国への不信感を強めている。
原発立地県は、雇用の多くを原発依存している地域性があった一方で、電力消費地は企業側の要請が議会を取り巻いて圧力になっている。3.11以降、原発関連で住民らによる何十万もの署名運動が起きる議会もあるが、議席構成には大きな偏りがあるため、結果的に、住民の声を汲み取れない仕組みになっていたことに、改めて気がつくのだ。千葉県の議会も、放射能焼却灰や除染にからむ問題が起きているが、地元住民の声を真摯に聞くなどは重視されていない感がある。
茨城県議会では、保護者団体などが「日本原子力発電東海第二原発の廃炉を求める請願」を17万人以上の署名を集めて提出していたが、6月議会で反対多数で不採択とした。東京電力柏崎刈羽原発を抱える新潟県でも、住民投票条例制定を求める直接請求の手続きが進んでいる。
提出された条例案には、不備があるとして全会一致で否決された。また、民主系や公明党の一部県議が修正案として、投票資格は18歳を20歳以上と修正し、投票期日は「浜岡原発の津波対策工事が完了し、国が再稼働の検討を始めたとき」として、成立を目指し提出していた条例案も賛成少数で否決となった。県議会は、最大会派の自民党が過半数を占めており、これら多数が反対したためだった。3.11後、原発再稼働の是非を問う住民投票条例案が否決されたのは、大阪市議会と東京都議会に続き3例目。
■たび重なる事故、データ隠し
東日本大震災より9年前の2003年4月、その前年に発覚したデータ改ざんとトラブル隠しが発覚して東京電力の原発17基”(福島第1が6基、第2が4基で、残り7基は新潟県の柏崎刈羽)が全て止まったことがあった。
ところが、すぐ夏場の首都圏の電力危機を心配する声が出始め、自民党都議団と連合東京は、福島県の自民党、連合の組織へ再稼働に理解を示すよう求めた。日本商工会議所も緊急アピールで「早期再稼働」を要請。柏崎刈羽6号機は翌5月に再開し、全基停止はほどなく終わったが、「次は福島の再開を」と矢の催促も飛んできた。電力消費地の圧力に屈するように7月、福島第1原発6号機が再稼働した。
当時の佐藤栄佐久知事(72)は、国に原子力を含めたエネルギー政策全体の見直しを求め、再稼働にも否定的だった。「電力供給を人質にとっている」と、佐藤前知事を社説で批判した新聞もあった。9年前、安全の徹底を求めた地元の訴えは、電力危機を叫ぶ首都圏の声にかき消されてしまった。「首都圏のために、立地県の安全を曖昧にしてもいいという(再稼働を求めた側の)考えがおかしかった」と佐藤前知事は振り返る。
それまでも、東京電力は1980年代から90年代、福島第1、第2、柏崎刈羽の3原発で炉心隔壁(シュラウド)のひび割れを隠したり、原子炉格納容器の気密性データを改ざんしたりするなどしていた。
経済産業省原子力安全・保安院は、この事実に関する内部告発を2年近く放置した上、告発者の情報を東電に伝えるなど、監督庁としての姿勢が厳しく批判された。
こうした、過去のトラブル隠しなど実態が事故の遠因でありながら、今年6月、野田佳彦首相は周囲の驚きをものともせず安全宣言を出した。福井県議会は、原発の安全対策や防災対策などの一層の充実を国に要望するよう提案した上で、知事の判断を支持する意向を示し、共産党議員、無所属の女性議員のみが再稼働反対を明言したのみ。地元のおおい町では、主要産業が原発関連であり、町議会は再稼働を容認したなどから、関西電力大飯原発の再稼働が決まった。
■侮辱の安全宣言
福島県郡山市のフリーライター人見やよいさん(51)は、今年6月に大飯再稼働の記者会見で野田首相が語った言葉を「最大級の侮辱と感じた。福島第1原発事故で苦しむ人たちの気持ちを、本当に分かって話しているのだろうか。本当に分かっているなら、再稼働はあり得ない」と人見さんは批判する。心のない欺瞞に満ちた首相の言葉を聞き、怒りに体が震えたという。人見さんにとって、安全性を置き去りにして経済優先の理屈がまかり通ったことは、9年前と変わらないという。2003年の事故の終着点は昨年3月11日の破局の日だった。
しかし、福島県内でも再稼働問題はくすぶっている。福島第1の5、6号機と第2の1〜4号機をどうするかということだ。
■曖昧なまま
事故を起こした第1の1〜4号機は既に廃止が決まったが、ほかの6基は福島県が廃炉を求めているにもかかわらず、曖昧なままだ。ことし6〜7月、就任あいさつで福島県内を回った東電の広瀬直己社長は各地で全基廃炉を求められた。だが、そのたびに「国の議論を見守りたい」としか答えなかった。
南相馬市の桜井勝延市長は、「態度をはっきりさせないのは、国と東電が裏で手を結び、再稼働させようとしているからではないか」と東電と国への不信感を強めている。
原発立地県は、雇用の多くを原発依存している地域性があった一方で、電力消費地は企業側の要請が議会を取り巻いて圧力になっている。3.11以降、原発関連で住民らによる何十万もの署名運動が起きる議会もあるが、議席構成には大きな偏りがあるため、結果的に、住民の声を汲み取れない仕組みになっていたことに、改めて気がつくのだ。千葉県の議会も、放射能焼却灰や除染にからむ問題が起きているが、地元住民の声を真摯に聞くなどは重視されていない感がある。
茨城県議会では、保護者団体などが「日本原子力発電東海第二原発の廃炉を求める請願」を17万人以上の署名を集めて提出していたが、6月議会で反対多数で不採択とした。東京電力柏崎刈羽原発を抱える新潟県でも、住民投票条例制定を求める直接請求の手続きが進んでいる。
2012年10月14日
驚きのクッキングin English みるふいゆ生活レシピ その8
週末に、動画を見るだけでも楽しいクッキングはどうでしょうか。英語のヒアリングにもなります!
オムライス
http://www.youtube.com/watch?v=OqlllgigAbw
弁当
http://www.youtube.com/watch?v=-LUYDsw4c-4&feature=related
キャンディ
http://www.youtube.com/watch?v=xSKdH72hyx8&feature=related
オムライス
http://www.youtube.com/watch?v=OqlllgigAbw
弁当
http://www.youtube.com/watch?v=-LUYDsw4c-4&feature=related
キャンディ
http://www.youtube.com/watch?v=xSKdH72hyx8&feature=related
2012年10月13日
手作り散歩市の隠れ家的スポットを訪ねてみませんか
13日と14日は、我孫子の手づくり散歩市です。
スペインタイル工房とともに、個人宅の庭でオープンカフェを開いています。
場所は手づくり散歩市の案内マップに「スペインタイル工房Taller de JUN」という名前でのっています。
場所は、我孫子市白山1−27−6です。(手賀沼沿いのサイゼリアの後あたり)。
メイン会場から少し離れているので、暇をもてあそんでいることもあります。
珈琲のみのおもてなしですが、タイル工房は見ずに、コーヒーだけ飲みに来る人もいます。
もし、手づくり散歩市に来るようであれば、そして少し時間が許すようであれば、少しだけ足を延して、珈琲を飲みにお立ち寄りください。
明日はスリランカの美味しい珈琲とちょっと贅沢なマンダリンの珈琲を用意しています。
そして、何人か、運がよければ、ビスコッティも残っているかもしれません。
手作り散歩市の時間に合わせて、10時から5時の開店です。
*****************************
<手作り散歩市エリア>
アビスタ前広場、手賀沼公園入口、アビイクオーレ、杉村楚人冠邸園ほか
内容
手づくり工芸品(陶芸、彫刻、絵画など)の展示・即売、農産物の販売、音楽や舞踏の発表、
体験コーナー(陶作・染め・織り・プリザーブドフラワー・袋物など)ほか
東日本大震災ワンコインチャリティーイベント(両日開催)※売り上げの一部を義援金として東日本大震災の被災地に送ります。
13日は我孫子地区市民まつりと同日開催
インフォメーションセンター前とアビスタ前でライブあり。
北口ふれあい広場フリーバザール
スペインタイル工房とともに、個人宅の庭でオープンカフェを開いています。
場所は手づくり散歩市の案内マップに「スペインタイル工房Taller de JUN」という名前でのっています。
場所は、我孫子市白山1−27−6です。(手賀沼沿いのサイゼリアの後あたり)。
メイン会場から少し離れているので、暇をもてあそんでいることもあります。
珈琲のみのおもてなしですが、タイル工房は見ずに、コーヒーだけ飲みに来る人もいます。
もし、手づくり散歩市に来るようであれば、そして少し時間が許すようであれば、少しだけ足を延して、珈琲を飲みにお立ち寄りください。
明日はスリランカの美味しい珈琲とちょっと贅沢なマンダリンの珈琲を用意しています。
そして、何人か、運がよければ、ビスコッティも残っているかもしれません。
手作り散歩市の時間に合わせて、10時から5時の開店です。
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<手作り散歩市エリア>
アビスタ前広場、手賀沼公園入口、アビイクオーレ、杉村楚人冠邸園ほか
内容
手づくり工芸品(陶芸、彫刻、絵画など)の展示・即売、農産物の販売、音楽や舞踏の発表、
体験コーナー(陶作・染め・織り・プリザーブドフラワー・袋物など)ほか
東日本大震災ワンコインチャリティーイベント(両日開催)※売り上げの一部を義援金として東日本大震災の被災地に送ります。
13日は我孫子地区市民まつりと同日開催
インフォメーションセンター前とアビスタ前でライブあり。
北口ふれあい広場フリーバザール
2012年10月12日
フランスでの呼びかけ
転送です。フランス在住の人々の取り組みがわかります。
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Sent: Friday, October 12, 2012 11:19 AM
Subject: [heiwa0][09057] よそものネット
フランス在住日本人の有志が呼びかけて、
在外法人の脱原発ネットワークが立ち上がり、
今月13日から毎月1回の集会などの活動をします。
フランスらしいプログラム,会場がバスティーユというのもいいですね。
パリ在住約30年のエッセイスト・作家の飛幡祐規さんも呼びかけ人の一人です。
よそものネットHPをブログにリンクしました。
欧州の様々な団体と連携しています。
はがきアクションでは、大間原発建設反対もあります。
福島原発告訴団支援もしてます。
大間原発訴訟の会 原告 函館 竹花郁子
ブログ:http://takehanaikuko.blog105/fc2.com
**** **** **** ***
Prenons la Bastille d’iode !
Samedi 13 octobre 2012
1er rassemblement mensuel en soutien a la population japonaise
co-organise par SNP et le Reseau international Yosomono-net
福島を想い、脱原発のためにバスティーユ広場に集まろう!
第1回月例集会:2012年10月13日(土曜)
15h Ouverture : Concert de percussions, Anagramme
オープニング:パーカッション、アナグラム
15h30 Presentation du programme (Simone Fest)
プログラム解説 (シモーヌ・フェスト)
Interlude : danse de Fukushima kansho odori かんしょ踊り
原発をめぐる日本の状況 (飛幡祐規)
ミニチュア「国会議事堂」御輿を囲むアクション
SNPの紹介 (オリヴィエ・ポケ)
「除染」パフォーマンス
福島の子どもたちの状況(日本語と逐次仏訳)本田貴文(マンチェスター)
民謡など流す
フランス原発の老朽化 (アニー・ロベ)
ヨウ素剤配布
福島原発告訴団について (ボアグリオ治子、三春町からの避難者)
" マスク(牛アジサイ その他)パフォーマンス
エネルギー革命の方法 (グザヴィエ・サン=マルク)
かんしょ踊りワークショップ
まとめ、次回(11/11) 集会の告知 (シモーヌ・フェスト)
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Sent: Friday, October 12, 2012 11:19 AM
Subject: [heiwa0][09057] よそものネット
フランス在住日本人の有志が呼びかけて、
在外法人の脱原発ネットワークが立ち上がり、
今月13日から毎月1回の集会などの活動をします。
フランスらしいプログラム,会場がバスティーユというのもいいですね。
パリ在住約30年のエッセイスト・作家の飛幡祐規さんも呼びかけ人の一人です。
よそものネットHPをブログにリンクしました。
欧州の様々な団体と連携しています。
はがきアクションでは、大間原発建設反対もあります。
福島原発告訴団支援もしてます。
大間原発訴訟の会 原告 函館 竹花郁子
ブログ:http://takehanaikuko.blog105/fc2.com
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Prenons la Bastille d’iode !
Samedi 13 octobre 2012
1er rassemblement mensuel en soutien a la population japonaise
co-organise par SNP et le Reseau international Yosomono-net
福島を想い、脱原発のためにバスティーユ広場に集まろう!
第1回月例集会:2012年10月13日(土曜)
15h Ouverture : Concert de percussions, Anagramme
オープニング:パーカッション、アナグラム
15h30 Presentation du programme (Simone Fest)
プログラム解説 (シモーヌ・フェスト)
Interlude : danse de Fukushima kansho odori かんしょ踊り
原発をめぐる日本の状況 (飛幡祐規)
ミニチュア「国会議事堂」御輿を囲むアクション
SNPの紹介 (オリヴィエ・ポケ)
「除染」パフォーマンス
福島の子どもたちの状況(日本語と逐次仏訳)本田貴文(マンチェスター)
民謡など流す
フランス原発の老朽化 (アニー・ロベ)
ヨウ素剤配布
福島原発告訴団について (ボアグリオ治子、三春町からの避難者)
" マスク(牛アジサイ その他)パフォーマンス
エネルギー革命の方法 (グザヴィエ・サン=マルク)
かんしょ踊りワークショップ
まとめ、次回(11/11) 集会の告知 (シモーヌ・フェスト)
2012年10月11日
福島第一1号機、水位は2・8m…依然高線量
東京電力は10日、福島第一原子力発電所1号機の原子炉格納容器内に工業用内視鏡を入れて調査した結果、容器内にたまる冷却水の水位は約2・8メートルだったと発表した。
1号機の水位を確認したのは初めて。注水量などをもとにした推測値より約80センチ・メートル上回ったが、最大線量は毎時11・1シーベルトと極めて高かった。
水位が想定より高く、溶融した燃料の冷却には問題はないが、作業員が容器内に立ち入るのは難しい。廃炉工程の中核となる溶融燃料の回収などは依然見通しの立たない状況が続く。
内視鏡による調査は9日から始まった。格納容器の底から高さ約8・5メートルにある配管を通じて内視鏡を挿入し、底に向かっておろしたところ、5メートルほど低い場所の鉄製足場の下に水面があることが確認された。公開された画像では、冷却水から白い湯気が立ち上り、足場は所々、塗装がはげてさびていたが、機器類の目立った破損は見つからなかった。線量は水面に近付くと低下し、汚染した冷却水以外の放射線源がある可能性が判明した。
(2012年10月10日23時24分 読売新聞)
1号機の水位を確認したのは初めて。注水量などをもとにした推測値より約80センチ・メートル上回ったが、最大線量は毎時11・1シーベルトと極めて高かった。
水位が想定より高く、溶融した燃料の冷却には問題はないが、作業員が容器内に立ち入るのは難しい。廃炉工程の中核となる溶融燃料の回収などは依然見通しの立たない状況が続く。
内視鏡による調査は9日から始まった。格納容器の底から高さ約8・5メートルにある配管を通じて内視鏡を挿入し、底に向かっておろしたところ、5メートルほど低い場所の鉄製足場の下に水面があることが確認された。公開された画像では、冷却水から白い湯気が立ち上り、足場は所々、塗装がはげてさびていたが、機器類の目立った破損は見つからなかった。線量は水面に近付くと低下し、汚染した冷却水以外の放射線源がある可能性が判明した。
(2012年10月10日23時24分 読売新聞)
2012年10月10日
Words to Soothe Asia’s Tensions(アジアの緊張を和らげる言葉)
9月28日付で朝日新聞に掲載された村上春樹さんのエッセーに共感したと、中国人サイトで意見が現れている。村上氏の作品は中国でも非常に人気がある。「村上春樹が好き。彼が日本人であるかどうかは全く関係ない」 「日本人ではあるけれど、彼はアジア文化を代表する黄色い皮膚の黒い髪の人である」
作家の村上春樹さんを讃えるこんな書き込みがいま、中国のネット上にあふれている。
きっかけは、村上さんが9月28日付の朝日新聞に寄稿した『魂の行き来する道筋』と題したエッセーだ。
東アジアの領土をめぐる問題については、日本関係の書籍が中国の多くの書店の売り場から姿を消す事態になったとの報道に触れ、作家の村上春樹氏が文化交流に影響を及ぼすことを憂慮して先月28日付け朝日新聞に掲載された内容だが、今度は中国人で村上エッセーを読んだ人たちから、人間としての共感が続々と表明され出したのだ。
「今日、村上春樹が発表した文章を読んで涙が出た。みんな読んでくれ。文化に国境はない!」
「村上さん、何も心配することないよ。政治は政治、文化は文化。庶民は心の中でははっきりわかっているし、何をボイコットすべきで、何をすべきでないかもわかっているよ」
また、一方で、領土問題をめぐる日中間の緊張について、率直な考えを表明しない自国の作家たちへの批判も多く見られた。
「日本の作家の思想レベル、発言のレベルを見よう。国内のバカ野郎たちは、(村上春樹に)比べたら粉々のクズだ」
「中国の大部分の作家は、俗に媚び、権力に媚び、金に媚びている。こんな作家はノーベル賞から1千万里も離れている」多くの村上作品の中国語訳を手がけた翻訳家がネット上で、「民族の大義」のため、日本関係の書籍が書店から撤去されるのを支持したとも受け止められる発言をした。これをきっかけに、この翻訳家の作品を「ボイコットする!」と若者が次々に表明する事態が起きた。
エッセー発表当日の日本時間午後3時前には、中国版ツイッター「微博」で、全文の中国語訳が張り付けられたツイートが出た。これに対する「転発」と呼ばれるリツイートは3日間で1万を超え、「評論」と呼ばれるコメントは2千近くに。またたく間に村上さんのエッセーが中国全土に広がって、さらには、批判の矛先を当局の政策に向けた書き込みまで出現した。
本日午後1時(日本時間同8時)、ノーベル文学賞受賞者を発表されるが、毎回のように候補にあがる村上春樹氏が、今年に受賞する可能性が高いとも言われている。
参考:AERA 2012年10月15日号
/////////////////////////////////////////////////////////////////////////
中国の作家、閻連科(イエンリエンコー)さんが、米紙インターナショナル・ヘラルド・トリビューン(IHT)に寄稿した文が6日に掲載されていた。村上さんのエッセーが「対話のきっかけをもたらした」とし、文学者が役に立つ時だと強調している。
閻さんは中国社会を風刺した作品などで知られる著名作家。6日付の Global Opinions欄:Words to Soothe Asia’s Tensions(アジアの緊張を和らげる言葉)と題した文章で、村上さんとノーベル賞作家の大江健三郎さんの文章に「深く心を動かされた」と明かしている。日中の対立に対して、仲間である文学者たちから理性的な声が上がるのを待ち焦がれていたという。次のように書き出していた。
「村上春樹氏の『安酒の酔いに似ている』という時宜を得た文章を読んで、彼がエルサレム賞受賞時に発表した「常に卵の側に」という荘重な言葉同様、感慨深く、彼に対して文学を超越した尊敬の念を抱いた。これより前にも、大江健三郎氏の現在の領土問題に関する見解と談論を中国でも読むことができ、この尊老に対する尊敬がますます深まった。
日本の作家は、率先して両国および、(弾き方次第でどんな音が出るかわからない)琴線のような東アジア情勢にかかわる明確な洞察、理性的な見解を表明し、知識分子としての人格および文章を書く者としての非凡さに尊敬の念を抱かせる。それに比べ、私は一人の中国の作家として、あまりに鈍感であり、及ばない自分を恥ずかしく思う。」
閻連科氏はこのように自己に謙虚に、二人の日本の作家に敬意を表しつつ文章を起こしていった。閻氏はつづいて、歴史と現実の前では、文化、文学はあまりにも非力だと嘆く。中国はとても広く、多くの人々が毎日いらだちのなかで生活している。なぜ、誰のためにそんなにいらだっているのか、彼ら自身も説明できない、そんないらだちの苦痛の中で、彼らは排泄できる窓と道を待っている。こんな状況だから、中国人をも恥じ入らせるあの打ち壊しが始まったのだと。
閻氏は破壊者への憤りとともに、彼らのやるせなさへの共感もつづる。閻氏は文学の視点から「現在の中国では、どんなことでも起こりうる」と強調する。閻氏はベッドのなかで、黙って祈ることさえあった。
「君たちの意思でいま一度あの、人々に塗炭の苦しみをなめさせる銃声と砲撃を引き起こすようなことはしてくれるな」と。
「戦争はあまりに恐ろしい災難である。多くの民衆にとって、戦争にいわゆる勝ち負けなどない。戦争が起これば、庶民である人々は、いつだって負け組でなくてはならない。死と墓。それが帰結なのだ。
私は何度も繰り返し考え、問うた。あの『切るに切れない、どうにもできない』島が、なぜ誰もが抱え込んだら放さない火の玉になり得るのか。この火の玉の激しい炎を消すことが誰にできる?」
そして閻氏は叫ぶ。理性! 理性! 理性の声のほかにない、と。中国、韓国、日本、東アジアの知識人が、みな立ち上がって理性的に話をしたら、人々の感情を落ち着かせることができるかもしれない。知識人と作家にも、役に立つときが来たのだ、と。
長い返信の最後を閻氏はこう結んでいる。
「私はいつも考えている。ひとつの国家、ひとつの民族の、文化、文学が冷遇され、消滅するとき、面積などなんの意味があるというのか。中国の作家として、政治は政治に帰し、文化は文化に帰すことを切に望んでいる。政治が不穏であるとき、いかなることがあろうと、まず文化と文学という世界各国の人々の心と血管と蔓を互いにつなげる根を絞め殺してはならない。つまるところ、文化と文学は人類存在のもっとも深い部分の根であり、中でも、中日両国および東アジアの人々が互いに愛し合うための重要な血管なのである。」
(原文は下記)
BEIJING − Raucous clashes triggered by the recent Sino-Japanese territorial dispute have made creative writing impossible for me. I’ve been devoting all my time to following the news, anxiously delving into every new development.
Again and again, I ask myself: What turns an interminable island dispute into a fireball? Who can put out the flames? Who can make politicians sit down to sip iced tea together and engage in calm and courteous dialogue? Where are the voices of reason?
I long for more rational voices, I long to hear from my fellow writers.
I was deeply touched after reading translations of the Nobel laureate Kenzaburo Oe’s views on the territorial issues and Haruki Murakami’s recent commentary warning of the damage caused by the outbursts of nationalism. My long admiration for these Japanese writers now extends well beyond their literary achievements.
“It’s like cheap liquor,” Murakami wrote, referring to nationalism. “It gets you drunk after only a few shots and makes you hysterical. It makes you speak loudly and act rudely ... but after your drunken rampage you are left with nothing but an awful headache the next morning.”
In the face of these inflammatory disputes between Japan and China, Japanese writers are taking the lead in bringing a measure of reason to the discussion. Compared with their humanity and courage, I am ashamed of myself as a Chinese writer for my slow response.
“I fear that as both an Asian and Japanese writer,” Murakami writes, “the steady achievements we’ve made (in deepening cultural exchanges and understanding with our Asia neighbors) will be hugely damaged” because of the recent problems.
I understand Murakami’s concern. However, I have to say that culture and literature have always been vulnerable to politics. Historically, cultural and literary exchanges have always been the first to take a hit whenever border disputes arise. It makes me sigh every time I see culture and literature treated like festive lanterns − hung out in extravagant displays whenever needed and then discarded when the excitement is over.
Again and again, I pray in these dark nights: Please, no more guns and drums. All wars are disastrous. The bloodstains of the Sino-Japanese war during World War II remain vivid even today in our collective memory.
“We are all human beings,” Murakami wrote in his powerful Jerusalem Prize award acceptance speech delivered in Israel in 2009, “individuals transcending nationality and race and religion, fragile eggs faced with a solid wall called The System. To all appearances, we have no hope of winning. The wall is too high, too strong − and too cold. If we have any hope of victory at all, it will have to come from our believing in the utter uniqueness and irreplaceability of our own and others’ souls and from the warmth we gain by joining souls together.”
I agree with him. For ordinary people, no one wins a war. Death is our only destiny. In the face of war, we are all fragile eggs.
If only more intellectuals in Japan, Korea and China could step forward and speak with the voice of reason instead of spreading hatred and indulging in emotional outbursts, instead of standing aside indifferently, perhaps we could lower the temperature and bring some much-needed iced tea to people inflamed with territorial fervor. I am painfully aware of the feeble stature of writers and intellectuals in this complex world. But I believe if we are ever to be useful, now is the time.
In his essay, Murakami mentioned that his and the works of other Japanese authors had been removed from shelves in bookstores in China. This is a surprise for me. Only a few days ago I saw Japanese literary works on display as usual in All Sages Bookstore in Beijing.
But I believe that what Murakami reported must have happened somewhere in China. China is a large country. Many people here live with anxiety every day, for reasons they themselves may not even understand. All the time, they wait for a channel to vent their frustrations. It was because of these frustrations that vandalism and assaults occurred during the recent demonstrations. This behavior not only is disturbing for the Japanese people, but also for many Chinese. As a Chinese writer, I am ashamed for my compatriots who took part in the vandalism, yet I feel for their inarticulate powerlessness and frustration.
I know it is absurd and wrong for bookstores to remove books by Japanese authors, but I also understand the concerns bookstore staff members may have. “Anything can happen in today’s China,” is a theme that often appears in my literary works. But, at the same time, a sense of powerlessness and sadness is always real for me.
I finished the first draft of my latest novel in August. The last part is filled with the absurdity and horrors that have been playing out in real life today. In fact, the ending is about what has been happening in China and Japan, and what everyone fears will happen. I am embarrassed for the lack of imagination. My novel is not an irrational prophesy of war, and now I don’t know how to change the ending. But I do know that − in any nation − if the voices of reason are not heard, disaster can strike at any time, and it is the ordinary people who will suffer.
I know little of territorial issues, politics and military matters. My love for literature and culture, however, knows no borders. Compared to those who devote all their attention to territorial aggrandizement, I am more devoted to world literature and culture.
As a Chinese writer, I long for the day when we can let politics be politics, and culture and literature will be left alone. Culture and literature are the shared bond of mankind. When political instabilities arise, I hope this bond will not again be the first casualty. After all, culture and literature are the root of our existence, and cultural exchange is about sharing universal emotions and experiences.
When culture is abandoned, when literature is discarded only to gather dust, when the root of our existence is severed, does the size of a territory really matter?
Yan Lianke is a Chinese novelist and short story writer based in Beijing. English translations of his works include “Serve the People!” and “Dream of Ding Village.” This article was translated from the Chinese by Jane Weizhen Pan and Martin Merz.
By YAN LIANKE
Published: October 5, 2012
A version of this op-ed appeared in print on October 6, 2012, in The International Herald Tribune.
http://www.nytimes.com/2012/10/06/opinion/yan-lianke-words-to-soothe-asias-tensions.html
作家の村上春樹さんを讃えるこんな書き込みがいま、中国のネット上にあふれている。
きっかけは、村上さんが9月28日付の朝日新聞に寄稿した『魂の行き来する道筋』と題したエッセーだ。
東アジアの領土をめぐる問題については、日本関係の書籍が中国の多くの書店の売り場から姿を消す事態になったとの報道に触れ、作家の村上春樹氏が文化交流に影響を及ぼすことを憂慮して先月28日付け朝日新聞に掲載された内容だが、今度は中国人で村上エッセーを読んだ人たちから、人間としての共感が続々と表明され出したのだ。
「今日、村上春樹が発表した文章を読んで涙が出た。みんな読んでくれ。文化に国境はない!」
「村上さん、何も心配することないよ。政治は政治、文化は文化。庶民は心の中でははっきりわかっているし、何をボイコットすべきで、何をすべきでないかもわかっているよ」
また、一方で、領土問題をめぐる日中間の緊張について、率直な考えを表明しない自国の作家たちへの批判も多く見られた。
「日本の作家の思想レベル、発言のレベルを見よう。国内のバカ野郎たちは、(村上春樹に)比べたら粉々のクズだ」
「中国の大部分の作家は、俗に媚び、権力に媚び、金に媚びている。こんな作家はノーベル賞から1千万里も離れている」多くの村上作品の中国語訳を手がけた翻訳家がネット上で、「民族の大義」のため、日本関係の書籍が書店から撤去されるのを支持したとも受け止められる発言をした。これをきっかけに、この翻訳家の作品を「ボイコットする!」と若者が次々に表明する事態が起きた。
エッセー発表当日の日本時間午後3時前には、中国版ツイッター「微博」で、全文の中国語訳が張り付けられたツイートが出た。これに対する「転発」と呼ばれるリツイートは3日間で1万を超え、「評論」と呼ばれるコメントは2千近くに。またたく間に村上さんのエッセーが中国全土に広がって、さらには、批判の矛先を当局の政策に向けた書き込みまで出現した。
本日午後1時(日本時間同8時)、ノーベル文学賞受賞者を発表されるが、毎回のように候補にあがる村上春樹氏が、今年に受賞する可能性が高いとも言われている。
参考:AERA 2012年10月15日号
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中国の作家、閻連科(イエンリエンコー)さんが、米紙インターナショナル・ヘラルド・トリビューン(IHT)に寄稿した文が6日に掲載されていた。村上さんのエッセーが「対話のきっかけをもたらした」とし、文学者が役に立つ時だと強調している。
閻さんは中国社会を風刺した作品などで知られる著名作家。6日付の Global Opinions欄:Words to Soothe Asia’s Tensions(アジアの緊張を和らげる言葉)と題した文章で、村上さんとノーベル賞作家の大江健三郎さんの文章に「深く心を動かされた」と明かしている。日中の対立に対して、仲間である文学者たちから理性的な声が上がるのを待ち焦がれていたという。次のように書き出していた。
「村上春樹氏の『安酒の酔いに似ている』という時宜を得た文章を読んで、彼がエルサレム賞受賞時に発表した「常に卵の側に」という荘重な言葉同様、感慨深く、彼に対して文学を超越した尊敬の念を抱いた。これより前にも、大江健三郎氏の現在の領土問題に関する見解と談論を中国でも読むことができ、この尊老に対する尊敬がますます深まった。
日本の作家は、率先して両国および、(弾き方次第でどんな音が出るかわからない)琴線のような東アジア情勢にかかわる明確な洞察、理性的な見解を表明し、知識分子としての人格および文章を書く者としての非凡さに尊敬の念を抱かせる。それに比べ、私は一人の中国の作家として、あまりに鈍感であり、及ばない自分を恥ずかしく思う。」
閻連科氏はこのように自己に謙虚に、二人の日本の作家に敬意を表しつつ文章を起こしていった。閻氏はつづいて、歴史と現実の前では、文化、文学はあまりにも非力だと嘆く。中国はとても広く、多くの人々が毎日いらだちのなかで生活している。なぜ、誰のためにそんなにいらだっているのか、彼ら自身も説明できない、そんないらだちの苦痛の中で、彼らは排泄できる窓と道を待っている。こんな状況だから、中国人をも恥じ入らせるあの打ち壊しが始まったのだと。
閻氏は破壊者への憤りとともに、彼らのやるせなさへの共感もつづる。閻氏は文学の視点から「現在の中国では、どんなことでも起こりうる」と強調する。閻氏はベッドのなかで、黙って祈ることさえあった。
「君たちの意思でいま一度あの、人々に塗炭の苦しみをなめさせる銃声と砲撃を引き起こすようなことはしてくれるな」と。
「戦争はあまりに恐ろしい災難である。多くの民衆にとって、戦争にいわゆる勝ち負けなどない。戦争が起これば、庶民である人々は、いつだって負け組でなくてはならない。死と墓。それが帰結なのだ。
私は何度も繰り返し考え、問うた。あの『切るに切れない、どうにもできない』島が、なぜ誰もが抱え込んだら放さない火の玉になり得るのか。この火の玉の激しい炎を消すことが誰にできる?」
そして閻氏は叫ぶ。理性! 理性! 理性の声のほかにない、と。中国、韓国、日本、東アジアの知識人が、みな立ち上がって理性的に話をしたら、人々の感情を落ち着かせることができるかもしれない。知識人と作家にも、役に立つときが来たのだ、と。
長い返信の最後を閻氏はこう結んでいる。
「私はいつも考えている。ひとつの国家、ひとつの民族の、文化、文学が冷遇され、消滅するとき、面積などなんの意味があるというのか。中国の作家として、政治は政治に帰し、文化は文化に帰すことを切に望んでいる。政治が不穏であるとき、いかなることがあろうと、まず文化と文学という世界各国の人々の心と血管と蔓を互いにつなげる根を絞め殺してはならない。つまるところ、文化と文学は人類存在のもっとも深い部分の根であり、中でも、中日両国および東アジアの人々が互いに愛し合うための重要な血管なのである。」
(原文は下記)
BEIJING − Raucous clashes triggered by the recent Sino-Japanese territorial dispute have made creative writing impossible for me. I’ve been devoting all my time to following the news, anxiously delving into every new development.
Again and again, I ask myself: What turns an interminable island dispute into a fireball? Who can put out the flames? Who can make politicians sit down to sip iced tea together and engage in calm and courteous dialogue? Where are the voices of reason?
I long for more rational voices, I long to hear from my fellow writers.
I was deeply touched after reading translations of the Nobel laureate Kenzaburo Oe’s views on the territorial issues and Haruki Murakami’s recent commentary warning of the damage caused by the outbursts of nationalism. My long admiration for these Japanese writers now extends well beyond their literary achievements.
“It’s like cheap liquor,” Murakami wrote, referring to nationalism. “It gets you drunk after only a few shots and makes you hysterical. It makes you speak loudly and act rudely ... but after your drunken rampage you are left with nothing but an awful headache the next morning.”
In the face of these inflammatory disputes between Japan and China, Japanese writers are taking the lead in bringing a measure of reason to the discussion. Compared with their humanity and courage, I am ashamed of myself as a Chinese writer for my slow response.
“I fear that as both an Asian and Japanese writer,” Murakami writes, “the steady achievements we’ve made (in deepening cultural exchanges and understanding with our Asia neighbors) will be hugely damaged” because of the recent problems.
I understand Murakami’s concern. However, I have to say that culture and literature have always been vulnerable to politics. Historically, cultural and literary exchanges have always been the first to take a hit whenever border disputes arise. It makes me sigh every time I see culture and literature treated like festive lanterns − hung out in extravagant displays whenever needed and then discarded when the excitement is over.
Again and again, I pray in these dark nights: Please, no more guns and drums. All wars are disastrous. The bloodstains of the Sino-Japanese war during World War II remain vivid even today in our collective memory.
“We are all human beings,” Murakami wrote in his powerful Jerusalem Prize award acceptance speech delivered in Israel in 2009, “individuals transcending nationality and race and religion, fragile eggs faced with a solid wall called The System. To all appearances, we have no hope of winning. The wall is too high, too strong − and too cold. If we have any hope of victory at all, it will have to come from our believing in the utter uniqueness and irreplaceability of our own and others’ souls and from the warmth we gain by joining souls together.”
I agree with him. For ordinary people, no one wins a war. Death is our only destiny. In the face of war, we are all fragile eggs.
If only more intellectuals in Japan, Korea and China could step forward and speak with the voice of reason instead of spreading hatred and indulging in emotional outbursts, instead of standing aside indifferently, perhaps we could lower the temperature and bring some much-needed iced tea to people inflamed with territorial fervor. I am painfully aware of the feeble stature of writers and intellectuals in this complex world. But I believe if we are ever to be useful, now is the time.
In his essay, Murakami mentioned that his and the works of other Japanese authors had been removed from shelves in bookstores in China. This is a surprise for me. Only a few days ago I saw Japanese literary works on display as usual in All Sages Bookstore in Beijing.
But I believe that what Murakami reported must have happened somewhere in China. China is a large country. Many people here live with anxiety every day, for reasons they themselves may not even understand. All the time, they wait for a channel to vent their frustrations. It was because of these frustrations that vandalism and assaults occurred during the recent demonstrations. This behavior not only is disturbing for the Japanese people, but also for many Chinese. As a Chinese writer, I am ashamed for my compatriots who took part in the vandalism, yet I feel for their inarticulate powerlessness and frustration.
I know it is absurd and wrong for bookstores to remove books by Japanese authors, but I also understand the concerns bookstore staff members may have. “Anything can happen in today’s China,” is a theme that often appears in my literary works. But, at the same time, a sense of powerlessness and sadness is always real for me.
I finished the first draft of my latest novel in August. The last part is filled with the absurdity and horrors that have been playing out in real life today. In fact, the ending is about what has been happening in China and Japan, and what everyone fears will happen. I am embarrassed for the lack of imagination. My novel is not an irrational prophesy of war, and now I don’t know how to change the ending. But I do know that − in any nation − if the voices of reason are not heard, disaster can strike at any time, and it is the ordinary people who will suffer.
I know little of territorial issues, politics and military matters. My love for literature and culture, however, knows no borders. Compared to those who devote all their attention to territorial aggrandizement, I am more devoted to world literature and culture.
As a Chinese writer, I long for the day when we can let politics be politics, and culture and literature will be left alone. Culture and literature are the shared bond of mankind. When political instabilities arise, I hope this bond will not again be the first casualty. After all, culture and literature are the root of our existence, and cultural exchange is about sharing universal emotions and experiences.
When culture is abandoned, when literature is discarded only to gather dust, when the root of our existence is severed, does the size of a territory really matter?
Yan Lianke is a Chinese novelist and short story writer based in Beijing. English translations of his works include “Serve the People!” and “Dream of Ding Village.” This article was translated from the Chinese by Jane Weizhen Pan and Martin Merz.
By YAN LIANKE
Published: October 5, 2012
A version of this op-ed appeared in print on October 6, 2012, in The International Herald Tribune.
http://www.nytimes.com/2012/10/06/opinion/yan-lianke-words-to-soothe-asias-tensions.html
2012年10月09日
日本人のノーベル賞、19人目!
今年のノーベル医学生理学賞受賞が京都大iPS細胞研究所長の山中伸弥教授(50)にきまった。日本人では、19人目、医学賞としては、利根川博士から二人目。
一夜明けた9日午前10時からの夫妻での記者会見。山中教授は一夜明けての心境を「感謝と責任の二つの気持ちを強く持っている」としたうえで、「研究を完成させることは一人ではできない。今回賞をいただき、そのかじ取り、けん引役を任命されたと思っている」と語った。
山中教授と知佳さんは中学、高校時代の同級生。知佳さんは、受賞の知らせが届いた時の様子について、「夫が英語で『サンキュー、サンキュー』と言っていたので『大変なことになった』と娘と顔を見合わせました。しばらくしてから『良かったね』と(本人に)声をかけた」と振り返った。
知佳さんによると、山中教授は「家では普通の夫。休日は家族のために手伝ってくれる」という。山中教授は「失敗ばかりで泣きたくなるような二十数年。そんな時に家族が笑顔で迎えてくれた。妻も自分の仕事を中断してついてきてくれた」と話した。特に米国での生活について、「研究するか家にいるかの生活。子育てに携わり、子どもの笑顔を見ることが支えになった」と振り返った。
知佳さんは「忙しい時は声をかけるのもはばかられる。家族でどうサポートすればいいか分からないこともあり、重圧を感じているのだと頻繁に思う。外国とは時差もあるため、夜中でもやりとりをしており、リラックスする時間が限られている。しっかり休んでほしい」と、医師らしく体調を気遣った。
そして、今回のノーベル賞受賞について、「たくさんの方に喜んでもらえることがうれしい。ありがとうございました」と声を詰まらせた。
ノーベル賞受賞決定を受けて山中教授が取材対応を終えたのは9日午前2時ごろだった。山中教授は「学生たちが研究所で待っていてくれた。喜ばせ、和ませようと思ったのか、変装までして迎えてくれた。仲間に恵まれたことが今回の受賞につながった。米国の多くの仲間にも支えられた」。学生と研究仲間に対しても感謝の言葉を語った。
「これからも家族、友人に支えられながら、iPS細胞がノーベル賞にふさわしい仕事だと思われるよう頑張りたい」。山中教授は、そう力を込めた。
出典:
毎日新聞 10月9日
一夜明けた9日午前10時からの夫妻での記者会見。山中教授は一夜明けての心境を「感謝と責任の二つの気持ちを強く持っている」としたうえで、「研究を完成させることは一人ではできない。今回賞をいただき、そのかじ取り、けん引役を任命されたと思っている」と語った。
山中教授と知佳さんは中学、高校時代の同級生。知佳さんは、受賞の知らせが届いた時の様子について、「夫が英語で『サンキュー、サンキュー』と言っていたので『大変なことになった』と娘と顔を見合わせました。しばらくしてから『良かったね』と(本人に)声をかけた」と振り返った。
知佳さんによると、山中教授は「家では普通の夫。休日は家族のために手伝ってくれる」という。山中教授は「失敗ばかりで泣きたくなるような二十数年。そんな時に家族が笑顔で迎えてくれた。妻も自分の仕事を中断してついてきてくれた」と話した。特に米国での生活について、「研究するか家にいるかの生活。子育てに携わり、子どもの笑顔を見ることが支えになった」と振り返った。
知佳さんは「忙しい時は声をかけるのもはばかられる。家族でどうサポートすればいいか分からないこともあり、重圧を感じているのだと頻繁に思う。外国とは時差もあるため、夜中でもやりとりをしており、リラックスする時間が限られている。しっかり休んでほしい」と、医師らしく体調を気遣った。
そして、今回のノーベル賞受賞について、「たくさんの方に喜んでもらえることがうれしい。ありがとうございました」と声を詰まらせた。
ノーベル賞受賞決定を受けて山中教授が取材対応を終えたのは9日午前2時ごろだった。山中教授は「学生たちが研究所で待っていてくれた。喜ばせ、和ませようと思ったのか、変装までして迎えてくれた。仲間に恵まれたことが今回の受賞につながった。米国の多くの仲間にも支えられた」。学生と研究仲間に対しても感謝の言葉を語った。
「これからも家族、友人に支えられながら、iPS細胞がノーベル賞にふさわしい仕事だと思われるよう頑張りたい」。山中教授は、そう力を込めた。
出典:
毎日新聞 10月9日
2012年10月08日
千葉から醤油は地球サイズ伝達力の調味料になった
醤油は、日本に最初に伝わったのが紀州(和歌山県)でその後江戸時代に銚子で作られ大きな発展をとげたという説、など諸説ある。
江戸時代初期までは、日本の醤油の主流はたまり醤油で、主な産地は上記の湯浅に代表される近畿と讃岐(引田、小豆島)に集中していた。しかし、たまり醤油は製造開始から出荷まで3年かかり、生産量が需要に追いつかなかった。また1666年(寛文6年)には、現在の兵庫県たつの市で円尾孫右衛門長徳が「うすくち醤油」を考案したと言われている。
1640年代頃、寛永年間、巨大な人口を抱えて醤油の一大消費地となっていた 江戸近辺において、1年で製造できる「こいくち醤油」が考案された。現在では、千葉県35.11%、兵庫県15.72 %を生産している。
銚子は利根川、江戸川によって江戸と結びついている。水運に恵まれた 銚子は近隣に関東平野をひかえ、良質の大豆(常陸)や小麦(下総、武蔵など)、塩(行徳)が、江戸川と利根川の水運を利用して、しょうゆ醸造業発達の要因がそろっていた。太平洋の暖流と寒流の合流は、高い品質の醤油を醸造するのに理想的な銚子の気候を作り出している。夏涼しく冬暖かく、しかも湿度が高いという気候風土は、こうじ菌などの微生物の発達を良くする。江戸の町に人口が集中、それを支える食に魚と醤油をそろえられる銚子は栄えていった。その途中にある布佐・木下は、当時の物流を支える中継地として大変な繁盛をしていたわけだ。
実は、1854年(安政元年)に 第七代当主濱口梧陵が安政南海地震において津波の来襲から村人を救い、その後「稲むらの火」として紹介されたのは、ヤマサ醤油7代目当主であり、10代目濱口梧洞は醤油王(その六男が加納家に養子となり10代当主ということだ。鴻池とも親戚関係がある財閥。)海外との貿易にも力をいれた。鴻池とも親戚関係がある財閥であった。
さらに、江戸の人口の増加とともに、次に野田の醤油醸造が拡大する。 1800年代中頃には、梨兵左衛門家と茂木佐平治家の醤油が幕府御用醤油の指定を受ける。幕末の1864年(元治元年)、物価高に悩んだ幕府が市場に値下げ令を発した際、商品の品質保持を理由に銚子と野田の7銘柄は「最上醤油」の名称で従来価格で販売する許可を得た。
1887年(明治20年)に「野田醤油醸造組合」が結成された。1917年(大正6年)には茂木一族と梨一族の8家合同による「野田醤油株式会社」が設立され、これが後にキッコーマン株式会社となった。『亀甲萬』は茂木佐平治家が使っていたものである。このときに野田の醤油醸造業者のほとんどが合流しているが、キノエネ醤油のように別の道を選んだ醸造者もあった。売り上げ1千200億円、国内シェア30%、業界bPのキッコーマンと、売り上げ20億円のキノエネはともに野田にあり、キッコーマンは機械化され、周囲とは遮断された「完全密室」で醤油を製造し、キノエネは製造工程の一部に「人の手」が加わり、外気に「香り」が漏れる小さな「キノエネ醤油」の工場は、昔ながらの「醤油醸造所」の佇まいを残している。
千葉には、世界の食として愛されるようになった日本食の素材の要がぎっしり詰まった歴史がある。
参考:Wikipedia
江戸時代初期までは、日本の醤油の主流はたまり醤油で、主な産地は上記の湯浅に代表される近畿と讃岐(引田、小豆島)に集中していた。しかし、たまり醤油は製造開始から出荷まで3年かかり、生産量が需要に追いつかなかった。また1666年(寛文6年)には、現在の兵庫県たつの市で円尾孫右衛門長徳が「うすくち醤油」を考案したと言われている。
1640年代頃、寛永年間、巨大な人口を抱えて醤油の一大消費地となっていた 江戸近辺において、1年で製造できる「こいくち醤油」が考案された。現在では、千葉県35.11%、兵庫県15.72 %を生産している。
銚子は利根川、江戸川によって江戸と結びついている。水運に恵まれた 銚子は近隣に関東平野をひかえ、良質の大豆(常陸)や小麦(下総、武蔵など)、塩(行徳)が、江戸川と利根川の水運を利用して、しょうゆ醸造業発達の要因がそろっていた。太平洋の暖流と寒流の合流は、高い品質の醤油を醸造するのに理想的な銚子の気候を作り出している。夏涼しく冬暖かく、しかも湿度が高いという気候風土は、こうじ菌などの微生物の発達を良くする。江戸の町に人口が集中、それを支える食に魚と醤油をそろえられる銚子は栄えていった。その途中にある布佐・木下は、当時の物流を支える中継地として大変な繁盛をしていたわけだ。
実は、1854年(安政元年)に 第七代当主濱口梧陵が安政南海地震において津波の来襲から村人を救い、その後「稲むらの火」として紹介されたのは、ヤマサ醤油7代目当主であり、10代目濱口梧洞は醤油王(その六男が加納家に養子となり10代当主ということだ。鴻池とも親戚関係がある財閥。)海外との貿易にも力をいれた。鴻池とも親戚関係がある財閥であった。
さらに、江戸の人口の増加とともに、次に野田の醤油醸造が拡大する。 1800年代中頃には、梨兵左衛門家と茂木佐平治家の醤油が幕府御用醤油の指定を受ける。幕末の1864年(元治元年)、物価高に悩んだ幕府が市場に値下げ令を発した際、商品の品質保持を理由に銚子と野田の7銘柄は「最上醤油」の名称で従来価格で販売する許可を得た。
1887年(明治20年)に「野田醤油醸造組合」が結成された。1917年(大正6年)には茂木一族と梨一族の8家合同による「野田醤油株式会社」が設立され、これが後にキッコーマン株式会社となった。『亀甲萬』は茂木佐平治家が使っていたものである。このときに野田の醤油醸造業者のほとんどが合流しているが、キノエネ醤油のように別の道を選んだ醸造者もあった。売り上げ1千200億円、国内シェア30%、業界bPのキッコーマンと、売り上げ20億円のキノエネはともに野田にあり、キッコーマンは機械化され、周囲とは遮断された「完全密室」で醤油を製造し、キノエネは製造工程の一部に「人の手」が加わり、外気に「香り」が漏れる小さな「キノエネ醤油」の工場は、昔ながらの「醤油醸造所」の佇まいを残している。
千葉には、世界の食として愛されるようになった日本食の素材の要がぎっしり詰まった歴史がある。
参考:Wikipedia
2012年10月07日
みるふぃゆな生活レシピ その7
キャロル・S・ドゥエック(心理学者・スタンフォード大学教授)によると、自分のパーソナリティだと思っているものの多くが、実はマインドセット(心のあり方)の産物だという。あなたがもし可能性を発揮できずにいるとしたら、その原因の多くはこの“マインドセット”の仕方にあるという。人間の基本的資質は努力しだいで伸ばすことができるというセオリーを使う方法なのだそうだ。
それによると、子どもを二つのグループに分けた実験を行った。
まず、能力検査で同程度の子供を二つに分けて実験をした。すると、頭の良さを褒めたグループよりは、その努力の課程を褒めたグループの方が結果的にはしなやかに伸びていくということが明らかになったというのだ。どうも、頭の良さを証明しようとするために、難しいことへの挑戦は諦め、成果(点数)にこだわってしまうことも要因のようだ。
一方で、努力をほめたグループの出来は、継続性を伴って良くなっていった。難問に挑戦した事で、スキルに磨きがかかり、その後、最初に解けなかった問題に再度取り組んだら、出来なかった問いも解けるようになった。
「伸びるかどうかを決めるのは、才能ではなく、ものの考え方だ」と、キャロル・S・ドゥエック氏は言う。
「やればできる」、「最後は必ずうまくいく」、」「自分はなぜかツイている」、という楽天的で、肯定的な錯覚をしている人たちだ。なぜか、根拠のない自信を持っているようだ。
反対に、否定的な錯覚をしている人たちがいる。「努力しても仕方がない」、「うまくいなかないのは00のせい」などと、自分のことしか考えない自己中心的な人になりがちだ。
何度失敗しようと、決してあきらめない情熱をもち続けるには、しなやかマインドセット(心のあり方)が必要だ。
ドゥエック教授の研究によると、以下のような事が判っている。
能力をほめると生徒の知能が下がり、努力をほめると生徒の知能が上がった事になる。
もって生まれた才能、適性、興味、気質は一人ひとり異なるが、努力と体験を重ねることで、要するに、期間の定められていない人生を賭けて継続すると、誰でもみな大きく伸びていけるというのである。
じつは、ダーウィンもトルストイも、幼少時にはみんなから凡庸な子だと思われていた。
名だたるスポーツマンの中にも、子どものころは運動神経が際立っていたとはいえなかった人もいる。
20世紀を代表するアーティストといわれる写真家、シンディ・シャーマンは、初めて受けた写真の授業で単位を落としている。ジェラルディ・ペイジは大女優とまで言われるようになったが、君には才能がないから女優の道はあきらめなさいと諭された経験があるという。
本人の才能よりは、むしろ、ぶつかりあう中で成長させてくれる友人やパートナー、またはライバルが重要なのだとうことだ。しかしながら、多くの人々は自尊心を満たしてくれる人を、分かってくれる人に求めてしまうのだろう。
思いどおりにいかなくても、いや、うまくいかないときにこそ、粘りづよくがんばる人が「しなやか」マインドセットをしていけるので、試練を乗り越える力を与えてくれるのは、このマインドセットが出来るかどうかなのかもしれない。
参考:キャロル・S・ドゥエック
『「やればできる!」の研究』草思社
それによると、子どもを二つのグループに分けた実験を行った。
まず、能力検査で同程度の子供を二つに分けて実験をした。すると、頭の良さを褒めたグループよりは、その努力の課程を褒めたグループの方が結果的にはしなやかに伸びていくということが明らかになったというのだ。どうも、頭の良さを証明しようとするために、難しいことへの挑戦は諦め、成果(点数)にこだわってしまうことも要因のようだ。
一方で、努力をほめたグループの出来は、継続性を伴って良くなっていった。難問に挑戦した事で、スキルに磨きがかかり、その後、最初に解けなかった問題に再度取り組んだら、出来なかった問いも解けるようになった。
「伸びるかどうかを決めるのは、才能ではなく、ものの考え方だ」と、キャロル・S・ドゥエック氏は言う。
「やればできる」、「最後は必ずうまくいく」、」「自分はなぜかツイている」、という楽天的で、肯定的な錯覚をしている人たちだ。なぜか、根拠のない自信を持っているようだ。
反対に、否定的な錯覚をしている人たちがいる。「努力しても仕方がない」、「うまくいなかないのは00のせい」などと、自分のことしか考えない自己中心的な人になりがちだ。
何度失敗しようと、決してあきらめない情熱をもち続けるには、しなやかマインドセット(心のあり方)が必要だ。
ドゥエック教授の研究によると、以下のような事が判っている。
能力をほめると生徒の知能が下がり、努力をほめると生徒の知能が上がった事になる。
もって生まれた才能、適性、興味、気質は一人ひとり異なるが、努力と体験を重ねることで、要するに、期間の定められていない人生を賭けて継続すると、誰でもみな大きく伸びていけるというのである。
じつは、ダーウィンもトルストイも、幼少時にはみんなから凡庸な子だと思われていた。
名だたるスポーツマンの中にも、子どものころは運動神経が際立っていたとはいえなかった人もいる。
20世紀を代表するアーティストといわれる写真家、シンディ・シャーマンは、初めて受けた写真の授業で単位を落としている。ジェラルディ・ペイジは大女優とまで言われるようになったが、君には才能がないから女優の道はあきらめなさいと諭された経験があるという。
本人の才能よりは、むしろ、ぶつかりあう中で成長させてくれる友人やパートナー、またはライバルが重要なのだとうことだ。しかしながら、多くの人々は自尊心を満たしてくれる人を、分かってくれる人に求めてしまうのだろう。
思いどおりにいかなくても、いや、うまくいかないときにこそ、粘りづよくがんばる人が「しなやか」マインドセットをしていけるので、試練を乗り越える力を与えてくれるのは、このマインドセットが出来るかどうかなのかもしれない。
参考:キャロル・S・ドゥエック
『「やればできる!」の研究』草思社
2012年10月06日
世の常ならむ、未来はつくっていくもの
世の中の景気がいいとき、商売が繁盛しているとき、ものごとがいい方向に着々と進んでいるとき、人は慢心し、気を緩め、安心感に浸ります。ところが、常に状況は変わるのだと、悟ってきます。これは、やはり、10代、20代では思ってもみないことです。世の中に残っていく教え、美なるもの、習慣などは先人たちの経験と知恵の結集でしょう。
世のすべてが変わり続ける真理、「無常」を知っている人は、常に状況を観察をしているので、有事のときの対応のしかたを知っています。身近な例で、誰もが経験する結婚を例に上げる事ができます。「永遠の愛」を誓って結婚した二人は、安心し、しばらくすると互いへの思いやり、何か良くしてあげようという気持ちを怠けるようになります。結婚式で誓った「永遠(であるはず)の愛」は、実は努力しなければ永遠ではありえず、もろくも壊れてしまいます。
つまり、どんなことも、ゴールと思っていたことは、実はゴールではなくて、そこからが真剣勝負のスタートなのです。しかし、ゴール後こそ努力がいることに気が付かず、行動をおこす動機(結婚)を達成してしまうと、得ようとしていた気持ち(相手の愛)を忘れがちになる=怠慢に陥るのです。お互いの愛を継続するには、互いに常に思いやることを忘れない=感謝の気持ちを伝えあうことが必要なのです。それならば二人は、どんなピンチも一緒に乗り越えられます。ですから、最初のゴール(婚姻届)が、実は最終ゴールではないということです。
この世の中のあらゆるものは、常に変化し続けています。つまり、永遠不変のものはないのだと言えます。
それをお釈迦様は「無常」といい、「何かをやって成功したら、次にはそれを捨てなさい」と、おっしゃっていたそうです。上手くいっていた時のことを当たり前だとせずに、次に向かって努力し続ける、ピンチが来ても弱音をはかずに力を合わせる、そうやってきたから、今があり、子供たちの笑顔が守られてきたのではないでしょうか。輝かしい未来はつくっていくもので、待っていて転がり込むのではない!
参照;アルボムッレ・スマナサーラ『こころを清らかにする言葉』イースト・プレス
世のすべてが変わり続ける真理、「無常」を知っている人は、常に状況を観察をしているので、有事のときの対応のしかたを知っています。身近な例で、誰もが経験する結婚を例に上げる事ができます。「永遠の愛」を誓って結婚した二人は、安心し、しばらくすると互いへの思いやり、何か良くしてあげようという気持ちを怠けるようになります。結婚式で誓った「永遠(であるはず)の愛」は、実は努力しなければ永遠ではありえず、もろくも壊れてしまいます。
つまり、どんなことも、ゴールと思っていたことは、実はゴールではなくて、そこからが真剣勝負のスタートなのです。しかし、ゴール後こそ努力がいることに気が付かず、行動をおこす動機(結婚)を達成してしまうと、得ようとしていた気持ち(相手の愛)を忘れがちになる=怠慢に陥るのです。お互いの愛を継続するには、互いに常に思いやることを忘れない=感謝の気持ちを伝えあうことが必要なのです。それならば二人は、どんなピンチも一緒に乗り越えられます。ですから、最初のゴール(婚姻届)が、実は最終ゴールではないということです。
この世の中のあらゆるものは、常に変化し続けています。つまり、永遠不変のものはないのだと言えます。
それをお釈迦様は「無常」といい、「何かをやって成功したら、次にはそれを捨てなさい」と、おっしゃっていたそうです。上手くいっていた時のことを当たり前だとせずに、次に向かって努力し続ける、ピンチが来ても弱音をはかずに力を合わせる、そうやってきたから、今があり、子供たちの笑顔が守られてきたのではないでしょうか。輝かしい未来はつくっていくもので、待っていて転がり込むのではない!
参照;アルボムッレ・スマナサーラ『こころを清らかにする言葉』イースト・プレス
2012年10月05日
脱原発でコスト2倍試算は、政府失策のツケを国民に有無を言わせぬ天引きにする為だ
先月初め、「エネルギー・環境会議」(9/4)でとんでもない試算が出た。2030年の発電量に占める原発依存度をゼロにした場合、電気代を含む家庭の光熱費が、10年実績(1万6900円)比の2倍になるというのだ。最大で月額3万2243円というから驚きである。金曜日毎に官邸前にあつまる人々の映像は映らないが、沖縄でオスプレイの受け入れに抗議する声が大きいが、マスコミはAKB48の総選挙のように繰り返して取り上げたりはしない。
そんな中、家庭向け電気料金は、9月1日に平均8.46%の値上げをしたが、東電は「家庭向け電気料金は15.8%の値上げが必要になる」という試算も公表していた。予測をはるかに上回る数字である。政府試算は、さらに「太陽光や風力など再生可能エネルギーの普及に約50兆円の累積投資が必要」だとか、「電力供給量の約3割が失われ、火力発電による代替で燃料費が年間約3兆1000億円増加する」とか指摘した。どうしても東電や国は「原発ゼロ」にはカネがかかると強調したいようだ。
しかし、立命館大の大島堅一教授(環境経済)が有価証券報告書をもとに1キロワットの発電にかかるコストを計算したところ、「原子力10.68円」「火力9.90円」「水力7.26円」という結果だった。原子力は、最も高いコストだ。
さらに、経済ジャーナリストの荻原博子氏はこう言う。
「本当にヒドイ話です。30年の試算が2倍になるのは、福島の被災者への賠償金や全国54基を廃炉にする途方もないコストを入れているからでしょう。1日からの値上げ分にはこうした費用は入っていません。火力発電の燃料費とうたっているのは、言い訳に過ぎない。試算の数字は明らかにインチキです」
国民は脱原発のコストを払わされるのではない。
電力行政の失敗のツケを負担させられるのである。
出典:ゲンダイネット9月5日
そんな中、家庭向け電気料金は、9月1日に平均8.46%の値上げをしたが、東電は「家庭向け電気料金は15.8%の値上げが必要になる」という試算も公表していた。予測をはるかに上回る数字である。政府試算は、さらに「太陽光や風力など再生可能エネルギーの普及に約50兆円の累積投資が必要」だとか、「電力供給量の約3割が失われ、火力発電による代替で燃料費が年間約3兆1000億円増加する」とか指摘した。どうしても東電や国は「原発ゼロ」にはカネがかかると強調したいようだ。
しかし、立命館大の大島堅一教授(環境経済)が有価証券報告書をもとに1キロワットの発電にかかるコストを計算したところ、「原子力10.68円」「火力9.90円」「水力7.26円」という結果だった。原子力は、最も高いコストだ。
さらに、経済ジャーナリストの荻原博子氏はこう言う。
「本当にヒドイ話です。30年の試算が2倍になるのは、福島の被災者への賠償金や全国54基を廃炉にする途方もないコストを入れているからでしょう。1日からの値上げ分にはこうした費用は入っていません。火力発電の燃料費とうたっているのは、言い訳に過ぎない。試算の数字は明らかにインチキです」
国民は脱原発のコストを払わされるのではない。
電力行政の失敗のツケを負担させられるのである。
出典:ゲンダイネット9月5日
2012年10月04日
おかしな事へは抗議!! 正すしかない
×復興予算に「流用」疑惑=被災地優先へ基準見直し―政府
時事通信 9月29日(土)15時48分配信
17兆円に上る東日本大震災の復旧・復興予算が、被災地の再建という本来の目的とはかけ離れた事業に充てられているとの疑惑が広がっている。平野達男復興相が記者会見で「正直に言って使い道としていかがなものか」と疑問を呈し、政府内にも「流用」「便乗」を批判する声もある。財務省は補助金の認定基準などを被災地優先に改める検討に入った。
岩手、宮城の両県では巨大津波などで発生したがれきの約8割が放置され、福島県では東京電力福島第1原発周辺地域の除染作業が緒に就いたばかり。予算執行の大幅な遅れに対する被災地の不満は強い。
その一方で、2012年度の復興予算では独立行政法人「日本原子力研究開発機構」の核融合発電研究に42億円が計上された。防災の名目で被災地以外の道路整備や税務署の耐震化工事にも復興経費が充てられている。
さらに、11年度第3次補正の復興経費として5000億円が計上された工場立地補助金は、被災地以外での工場建設にも支出された。中小企業向けの円高対策という側面もあるが、被災者には釈然としない思いがくすぶる。
これを受けて、平野復興相は13年度予算編成では「震災の復旧・復興に直結するものに充てるとの観点から厳しく見直す」と表明。財務省も「被災県以外は後回しにするなど国民目線で見ることが重要だ」(藤田幸久財務副大臣)と、予算査定で被災地を優先する姿勢を示した。
×オスプレイ撤収求める=強行配備に緊急決議―沖縄県議会
時事通信 10月1日(月)17時5分配信
米軍の垂直離着陸輸送機オスプレイが米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に配備されたことを受け、沖縄県議会は1日午後、同飛行場に配備されたオスプレイの撤収などを求める抗議決議を全会一致で可決した。
決議は、県民から墜落への恐怖の声が上がっているとした上で、「もし市街地に墜落する事態となったとき、誰がどう責任を取るのか」と批判。配備されたオスプレイ全機の撤収などを強く求めている。
県議会は、同飛行場へのオスプレイ配備に伴い、緊急に抗議する必要があると判断し、同日の本会議の一般質問の予定を変更。県議の代表団が沖縄防衛局と外務省沖縄事務所に抗議する。
そして、市民も座り込みを辞さない体制だ。
「帰れ」「許さない」=米軍ゲート前で抗議活動−沖縄・普天間飛行場
米軍普天間飛行場のゲート前に座り込み、米海兵隊MV22オスプレイの配備反対を訴える市民ら=1日午前、沖縄県宜野湾市 「オスプレイは帰れ」「強行配備を許さないぞ」。1日午前、海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが到着した米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)のゲート前では、配備に反対して抗議活動を行っていた市民団体などが怒りの声を上げた。
午前11時すぎ、岩国基地(山口県岩国市)を出たオスプレイが同飛行場に到着したとの情報が入ると、野嵩ゲート前に座り込んでいた市民らは騒然となり、すぐに抗議のシュプレヒコールを繰り返した。
座り込みに参加した那覇市の無職具志堅興作さん(70)は「日米両政府は、沖縄の民意を完全に無視して、植民地のように扱っている。絶対に許せない」と話した。
一方、同飛行場に隣接する宜野湾市立普天間第二小に通う孫2人の登校を見守った無職新城道子さん(69)は「8歳の孫娘が『オスプレイが怖い』と脅えて学校に行った。子どもが危険にさらされるのは許せない」と語気を強め、「基地さえなければこんな問題は起きないのに」と話した。
同ゲート前では、1日朝から配備に反対する市民団体などから約200人が参加して、抗議活動を行った。県警によって設置されたバリケード前に座り込んだ市民らを前に、喜納昌春県議会議長が「闘いは今まさに正念場。一歩も引かずに強化していこう」とあいさつ。全員で「配備撤回まで頑張ろう」などと声を上げた。(2012/10/01-12:58)
時事通信 9月29日(土)15時48分配信
17兆円に上る東日本大震災の復旧・復興予算が、被災地の再建という本来の目的とはかけ離れた事業に充てられているとの疑惑が広がっている。平野達男復興相が記者会見で「正直に言って使い道としていかがなものか」と疑問を呈し、政府内にも「流用」「便乗」を批判する声もある。財務省は補助金の認定基準などを被災地優先に改める検討に入った。
岩手、宮城の両県では巨大津波などで発生したがれきの約8割が放置され、福島県では東京電力福島第1原発周辺地域の除染作業が緒に就いたばかり。予算執行の大幅な遅れに対する被災地の不満は強い。
その一方で、2012年度の復興予算では独立行政法人「日本原子力研究開発機構」の核融合発電研究に42億円が計上された。防災の名目で被災地以外の道路整備や税務署の耐震化工事にも復興経費が充てられている。
さらに、11年度第3次補正の復興経費として5000億円が計上された工場立地補助金は、被災地以外での工場建設にも支出された。中小企業向けの円高対策という側面もあるが、被災者には釈然としない思いがくすぶる。
これを受けて、平野復興相は13年度予算編成では「震災の復旧・復興に直結するものに充てるとの観点から厳しく見直す」と表明。財務省も「被災県以外は後回しにするなど国民目線で見ることが重要だ」(藤田幸久財務副大臣)と、予算査定で被災地を優先する姿勢を示した。
×オスプレイ撤収求める=強行配備に緊急決議―沖縄県議会
時事通信 10月1日(月)17時5分配信
米軍の垂直離着陸輸送機オスプレイが米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に配備されたことを受け、沖縄県議会は1日午後、同飛行場に配備されたオスプレイの撤収などを求める抗議決議を全会一致で可決した。
決議は、県民から墜落への恐怖の声が上がっているとした上で、「もし市街地に墜落する事態となったとき、誰がどう責任を取るのか」と批判。配備されたオスプレイ全機の撤収などを強く求めている。
県議会は、同飛行場へのオスプレイ配備に伴い、緊急に抗議する必要があると判断し、同日の本会議の一般質問の予定を変更。県議の代表団が沖縄防衛局と外務省沖縄事務所に抗議する。
そして、市民も座り込みを辞さない体制だ。
「帰れ」「許さない」=米軍ゲート前で抗議活動−沖縄・普天間飛行場
米軍普天間飛行場のゲート前に座り込み、米海兵隊MV22オスプレイの配備反対を訴える市民ら=1日午前、沖縄県宜野湾市 「オスプレイは帰れ」「強行配備を許さないぞ」。1日午前、海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが到着した米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)のゲート前では、配備に反対して抗議活動を行っていた市民団体などが怒りの声を上げた。
午前11時すぎ、岩国基地(山口県岩国市)を出たオスプレイが同飛行場に到着したとの情報が入ると、野嵩ゲート前に座り込んでいた市民らは騒然となり、すぐに抗議のシュプレヒコールを繰り返した。
座り込みに参加した那覇市の無職具志堅興作さん(70)は「日米両政府は、沖縄の民意を完全に無視して、植民地のように扱っている。絶対に許せない」と話した。
一方、同飛行場に隣接する宜野湾市立普天間第二小に通う孫2人の登校を見守った無職新城道子さん(69)は「8歳の孫娘が『オスプレイが怖い』と脅えて学校に行った。子どもが危険にさらされるのは許せない」と語気を強め、「基地さえなければこんな問題は起きないのに」と話した。
同ゲート前では、1日朝から配備に反対する市民団体などから約200人が参加して、抗議活動を行った。県警によって設置されたバリケード前に座り込んだ市民らを前に、喜納昌春県議会議長が「闘いは今まさに正念場。一歩も引かずに強化していこう」とあいさつ。全員で「配備撤回まで頑張ろう」などと声を上げた。(2012/10/01-12:58)
2012年10月03日
再・政権交代の狭間で、国民の生活が左右される
与野党の党主選の間に、聞き捨てならない決定も動き出していた。私たちの年金がどうなるのか、またしても重要な案件が「アレという間に」決められてしまいそうです。
昔は、お母さんたちのしゃもじ連が国会に、プラカードならぬしゃもじをもってのデモ行進があったが、お母さんたちの言わんとすることは、いつも健康と安心と家族(人の生活の基本、命)の最優先ということです。お母さんが必死に訴える時、それはどこの国も耳を傾けざるを得ない事実を突きつけるから、人々がいよいよ変わる転機になることがあるのです。
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「厚年基金、廃止方針を決定=「使命終えた」、10年先にも―厚労省」
厚生労働省は28日、AIJ投資顧問による年金消失問題を受けて設置した特別対策本部(本部長・辻泰弘副大臣)の会合を開いた。会合では厚生年金の一部を国に代わって運用する企業年金「厚生年金基金」制度について「一定の経過期間をおいて廃止する方針」(辻副大臣)を決めた。
運用に苦しむ基金のさらなる財政悪化を防ぐとともに、再建のめどが立たない基金の解散を促すのが狙い。10月中に改革原案を策定し、社会保障審議会(厚労相の諮問機関)の専門委員会での議論を経て、年内に最終案をまとめる。来年の通常国会に関連法案の提出を目指す。廃止時期は、代行部分の積立金不足(代行割れ)問題の解決や他の企業年金制度への移行準備などが必要なため、10年程度先になる見通し。 辻副大臣は会合後の記者会見で、厚年基金制度について「時代的な使命が終わった制度だ」と指摘。代行割れ基金は「解散の方向で取り組んでいく」との考えを示した。代行割れ基金が解散した場合、厚生年金は支給されるものの、企業年金は給付されなくなる。
会合では、代行割れ基金が解散する際の対策として、国へ返還しなければならない積立金を減額する方針も決まった。また、複数の企業が加入する基金について、解散時の国への積立金返還に関し連帯責任を負う制度も廃止する。
厚年基金制度の存廃をめぐっては、自民党が存続容認の姿勢を示しているほか、多くの基金が存続を求めているため、廃止を決めれば反発は必至とみられる。
時事通信 9月28日(金)19時16分配信
昔は、お母さんたちのしゃもじ連が国会に、プラカードならぬしゃもじをもってのデモ行進があったが、お母さんたちの言わんとすることは、いつも健康と安心と家族(人の生活の基本、命)の最優先ということです。お母さんが必死に訴える時、それはどこの国も耳を傾けざるを得ない事実を突きつけるから、人々がいよいよ変わる転機になることがあるのです。
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「厚年基金、廃止方針を決定=「使命終えた」、10年先にも―厚労省」
厚生労働省は28日、AIJ投資顧問による年金消失問題を受けて設置した特別対策本部(本部長・辻泰弘副大臣)の会合を開いた。会合では厚生年金の一部を国に代わって運用する企業年金「厚生年金基金」制度について「一定の経過期間をおいて廃止する方針」(辻副大臣)を決めた。
運用に苦しむ基金のさらなる財政悪化を防ぐとともに、再建のめどが立たない基金の解散を促すのが狙い。10月中に改革原案を策定し、社会保障審議会(厚労相の諮問機関)の専門委員会での議論を経て、年内に最終案をまとめる。来年の通常国会に関連法案の提出を目指す。廃止時期は、代行部分の積立金不足(代行割れ)問題の解決や他の企業年金制度への移行準備などが必要なため、10年程度先になる見通し。 辻副大臣は会合後の記者会見で、厚年基金制度について「時代的な使命が終わった制度だ」と指摘。代行割れ基金は「解散の方向で取り組んでいく」との考えを示した。代行割れ基金が解散した場合、厚生年金は支給されるものの、企業年金は給付されなくなる。
会合では、代行割れ基金が解散する際の対策として、国へ返還しなければならない積立金を減額する方針も決まった。また、複数の企業が加入する基金について、解散時の国への積立金返還に関し連帯責任を負う制度も廃止する。
厚年基金制度の存廃をめぐっては、自民党が存続容認の姿勢を示しているほか、多くの基金が存続を求めているため、廃止を決めれば反発は必至とみられる。
時事通信 9月28日(金)19時16分配信
2012年10月02日
ヴァイツゼッカー大統領(当時西ドイツ)の名演説とは
日本の戦後対応は、ドイツのように罪を認め、賠償を十分に行などしていないとの批判がされることが多い。日本は、戦後賠償、謝罪をしていないと韓国に訴求される。そして、よく引き合いにだされるのが、ヴァイツゼッカー大統領(西ドイツ当時)が行った演説だった。日本では、降伏40周年を記念するヴァイツゼッカーの演説は『荒れ野の40年』(邦訳は岩波ブックレット)と題して日本語にも訳されている。そこで、改めて演説文をネット検索して読んでみた。
ヴァイツゼッカ―の演説は、格調高い名文だ。その中でも “過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる”が、よく知られている。ヴァイツゼッカーはこの降伏記念日を「ナチスの暴力支配による非人間的システムからの解放の日」と形容した。言葉によって、人を鼓舞し和解が可能であることを証明した政治家である。他にも “自由民主主義体制において必要な時期に立ち上がるなら、後で独裁者に脅える必要はない、つまり自由民主主義擁護には法と裁判所だけでは不足で、市民的勇気も必要” などと述べて、拍手が上がったのだった。氏の在任中に1990年10月3日のドイツ再統一を迎え、新たに加わった国民(旧東ドイツ国民)を温かく歓迎し「統一することとは、分断を学ぶことだ」と題する演説をした。もちろん政治家は言葉の解釈の幅をとって演説をするものだ。政治家の意図した表向きの麗句を解釈するだけでなく、さらにその背景を探るべきだ。
法学者、哲学者、西ドイツ市長などを経て政治家なったが、彼の父親はナチのA級戦犯とされた人でもあった。父親の裁判の弁護をしたのが息子であるワイツゼッカ―であった。敗戦記念日の演説の意図には、父親の生きた時代背景を詳細に語り、且つ、後世に記録され、世界を意識して、父親の行為に理解を取り付けられるためにと考えた上で準備したとの指摘もされるから、練りに練って30分演説だった。戦後40年記念の際のヴァイツゼッカーの演説=謝罪の深さ(長さ)からすると、それ相応の賠償もしたのだろうかと思われるが、しかし、東西ドイツと分断しての賠償は日本のようには始めていなかった。
世界シオニスト機構の議長を務めたナフム・ゴールドマンは、『ユダヤの逆説』の中で、次のような事を率直に述べている。「ドイツは総額8000億ドル支払うことになった。 イスラエルが国家としてスタートした最初の10年間、ドイツからの賠償金がなければ、現在のインフラの半分も整備されていなかっただろう。 イスラエルの全ての鉄道・船・電力設備・産業基盤はドイツ製である。 その上、生存者に支払われる個人賠償があった。 イスラエルはドイツから毎年何億ドルの賠償金をドイツ通貨で受け取っていた」としている。
ドイツが東西分断国家となっていたため、賠償等の問題を一括処理することが出来なかったことなどにより、結果的にナチスの犯罪の犠牲者への個人補償という形をとった。支払は2001年より開始され、2007年6月に終結した。支払い対象はおよそ百カ国にまたがる166万人であり、支払総額は43.7億ユーロに達する(Wikipedia)
一方で、日本は演説においては謝罪の言葉が短い。伝えるのに長さは重要ではないものの、日本語の「遺憾」という漢字二字だけで表現して、真意を読み取ってもらうのが難しいのではないだろうか。国際社会に短い日本語のスピーチで、五七五の行間を読む教育を施されていない他者にどう伝えられるか考えたりしているのだろうか。まして、日本は、世界をどの程度意識しているのだろうか。この為に、日本が多額の賠償金を払っていたのだと思われないでいるが、事実はそうではない。
朝鮮半島が分断され、日本が、戦後に支払った賠償金額も、表向きにその国民に評伝する機会もなかったので、後に”漢江の奇跡”と韓国政府が喧伝するようになっても、その原資がどこから出ていたかと声明すること泰然と見守るだけだった。朝鮮戦争に関わる米軍特需も確かに戦後の日本の道程にあった。多額の賠償金を長年にわたり支払って、日本は彼の国の復興の支えともなった筈が、国交が復活していない当時の南北分断の軍事政権下でもあった皮肉な事情もあった。ゆえに、日本の国内でも、十分な謝罪や賠償を行ったとの認識がされていない。
一方で、昭和天皇 は 全斗煥 大統領歓迎の宮中晩餐会(1984年)で「今世紀の一時期において,両国の間に不幸な過去が存したことは誠に遺憾であり,再び繰り返されてはならない」と おける 謝罪 の言葉を述べた。 しかし、「遺憾」との言葉に短く込められたのであったこどで、日本の謝罪が未だ不充分であるとして、中韓北だけでなく欧米のメディアにも批判される点となった。
また、女性政治家として発言力が際立っていたヒラリー・クリントンは、従軍慰安婦との名称を含め、当時に華僑反日組織や韓国挺身体などの主張を後ろ盾に活動する日系政治家・マイク本田などのロビー活動に影響され、強く非難を高じ、それをメディアも取り上げた。ドイツ首相のように周到に練り上げて世界に弁明する考えがなく、諸外国が理解できないのも無理もない。日本の場合、日朝韓の複雑に絡み合った背景がありながら、敗者は語らずと決めこんでいた。「遺憾」との言葉を五七五で推し量れる日本人の素養がなくして、天子の深き思いを推し量れるなどしない。その上に、戦中派の議員の度重なる舌禍失言が多くあり、アジア蔑視できた本音がそこにあるのではと憶測され、苦しい説明、訂正を重ねてきた。言葉で説く事を大事にする欧州の一国・ドイツと極東の日本の論語の世界の差が出たのだ。
因みに敗戦国・日独伊の中でイタリアはどうしたのかというと、第二次大戦の最終盤に連合軍側にムッソリーニのファシズムから市民はパルチザンに加わり戦って解放された、という図式であって、イタリア国民に贖罪意識はないという。つまり、今のイタリアと戦中のイタリアとは立場が違うという考えが一般である。さらに、ヒットラーの率いたワイマール帝国は、戦後に東西ドイツになり、分断した壁の崩壊により統一ドイツになった事情なので、日本の天皇のように戦前戦後も君臨するのとは明らかに違っていた。
しかし、新憲法で日本国となったが、天皇が象徴としてあることで、軍国主義を統帥した大日本日本国の影が付きまとう。前時代的なハラキリも厭わないサムライ文化をもつ極東の国と欧米諸国から怪訝な目を向けられてきたのを、多くの日本人は今まで気づかないできたのではないか。21世紀の時機を得て、多様な文化背景をもつ世界の国々に分かるように伝える努力をもっとすべきである。
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(1985年5月8日に西ドイツの連邦議会でのヴァイツゼッカー演説 全文訳)
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5月8日は心に刻むための日であります。心に刻むというのは、ある出来事が自らの内面の一部となるよう、これを信誠かつ純粋に思い浮かべることであります。そのためには、われわれが真実を求めることが大いに必要とされます。
われわれは今日、戦いと暴力支配とのなかで斃れたすべての人びとを哀しみのうちに思い浮かべておりす。
ことにドイツの強制収容所で命を奪われた 600万のユダヤ人を思い浮かべます。戦いに苦しんだすべての民族、なかんずくソ連・ポーランドの無数の死者を思い浮かべます。
ドイツ人としては、兵士として斃れた同胞、そして故郷の空襲で捕われの最中に、あるいは故郷を追われる途中で命を失った同胞を哀しみのうちに思い浮かべます。
虐殺されたジィンティ・ロマ(ジプシー)、殺された同性愛の人びと、殺害された精神病患者、宗教もしくは政治上の信念のゆえに死なねばならなかった人びとを思い浮かべます。
銃殺された人質を思い浮かべます。
ドイツに占領されたすべての国のレジスタンスの犠牲者に思いをはせます。
ドイツ人としては、市民としての、軍人としての、そして信仰にもとづいてのドイツのレジスタンス、労働者や労働組合のレジスタンス、共産主義者のレジスタンス−−これらのレジスタンスの犠牲者を思い浮かべ、敬意を表します。
積極的にレジスタンスに加わることはなかったものの、良心をまげるよりはむしろ死を選んだ人びとを思い浮かべます。はかり知れないほどの死者のかたわらに、人間の悲嘆の山並みがつづいております。
死者への悲嘆、傷つき、障害を負った悲嘆、非人間的な強制的不妊手術による悲嘆、空襲の夜の悲嘆、故郷を追われ、暴行・掠奪され、強制労働につかされ、不正と拷問、飢えと貧窮に悩まされた悲嘆、捕われ殺されはしないかという不安による悲嘆、迷いつつも信じ、働く目標であったものを全て失ったことの悲嘆−−こうした悲嘆の山並みです。
今日われわれはこうした人間の悲嘆を心に刻み、悲悼の念とともに思い浮かべているのであります。
人びとが負わされた重荷のうち、最大の部分をになったのは多分、各民族の女性たちだったでしょう。
彼女たちの苦難、忍従、そして人知れぬ力を世界史は、余りにもあっさりと忘れてしまうものです。彼女たちは不安に脅えながら働き、人間の生命を支え護ってきました。戦場で斃れた父や息子、夫、兄弟、友人たちを悼んできました。この上なく暗い日々にあって、人間性の光が消えないよう守りつづけたのは彼女たちでした。
暴力支配が始まるにあたって、ユダヤ系の同胞に対するヒトラーの底知れぬ憎悪がありました。ヒトラーは公けの場でもこれを隠しだてしたことはなく、全ドイツ民族をその憎悪の道具としたのです。ヒトラーは1945年 4月30日の(自殺による)死の前日、いわゆる遺書の結びに「指導者と国民に対し、ことに人種法を厳密に遵守し、かつまた世界のあらゆる民族を毒する国際ユダヤ主義に対し仮借のない抵抗をするよう義務づける」と書いております。
歴史の中で戦いと暴力とにまき込まれるという罪−−これと無縁だった国が、ほとんどないことは事実であります。しかしながら、ユダヤ人を人種としてことごとく抹殺する、というのは歴史に前例を見ません。
この犯罪に手を下したのは少数です。公けの目にはふれないようになっていたのであります。しかしながら、ユダヤ系の同国民たちは、冷淡に知らぬ顔をされたり、底意のある非寛容な態度をみせつけられたり、さらには公然と憎悪を投げつけられる、といった辛酸を嘗めねばならなかったのですが、これはどのドイツ人でも見聞きすることができました。
シナゴーグの放火、掠奪、ユダヤの星のマークの強制着用、法の保護の剥奪、人間の尊厳に対するとどまることを知らない冒涜があったあとで、悪い事態を予想しないでいられた人はいたでありましょうか。
目を閉じず、耳をふさがずにいた人びと、調べる気のある人たちなら、(ユダヤ人を強制的に)移送する列車に気づかないはずはありませんでした。人びとの想像力は、ユダヤ人絶滅の方法と規模には思い及ばなかったかもしれません。しかし現実には、犯罪そのものに加えて、余りにも多くの人たちが実際に起こっていたことを知らないでおこうと努めていたのであります。当時まだ幼く、ことの計画・実施に加わっていなかった私の世代も例外ではありません。
良心を麻痺させ、それは自分の権限外だとし、目を背け、沈黙するには多くの形がありました。戦いが終り、筆舌に尽しがたいホロコースト(大虐殺)の全貌が明らかになったとき、一切何も知らなかった、気配も感じなかった、と言い張った人は余りにも多かったのであります。
一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。
人間の罪には、露見したものもあれば隠しおおせたものもあります。告白した罪もあれば否認し通した罪もあります。充分に自覚してあの時代を生きてきた方がた、その人たちは今日、一人ひとり自分がどう関り合っていたかを静かに自問していただきたいのであります。
今日の人口の大部分はあの当時子どもだったか、まだ生まれてもいませんでした。この人たちは自分が手を下してはいない行為に対して自らの罪を告白することはできません。
ドイツ人であるというだけの理由で、彼らが悔い改めの時に着る荒布の質素な服を身にまとうのを期待することは、感情をもった人間にできることではありません。しかしながら先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。
罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。
心に刻みつづけることがなぜかくも重要であるかを理解するため、老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのであります。
問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。
ユダヤ民族は今も心に刻み、これからも常に心に刻みつづけるでありましょう。われわれは人間として心からの和解を求めております。
まさしくこのためにこそ、心に刻むことなしに和解はありえない、という一事を理解せねばならぬのです。
物質面での復興という課題と並んで、精神面での最初の課題は、さまざまな運命の恣意に耐えるのを学ぶことでありました。ここにおいて、他の人びとの重荷に目を開き、常に相ともにこの重荷を担い、忘れ去ることをしないという、人間としての力が試されていたのであります。またその課題の中から、平和への能力、そして内外との心からの和解への心構えが育っていかねばならなかったのであります。これこそ他人から求められていただけでなく、われわれ自身が衷心から望んでいたことでもあったのです。
かつて敵側だった人びとが和睦しようという気になるには、どれほど自分に打ち克たねばならなかったか−− このことを忘れて五月八日を思い浮かべることはわれわれには許されません。ワルシャワのゲットーで、そしてチェコのリジィツェ村で虐殺された犠牲者たち−−われわれは本当にその親族の気持になれるものでありましょうか。
ロッテルダムやロンドンの市民にとっても、ついこの間まで頭上から爆弾の雨を降らしていたドイツの再建を助けるなどというのは、どんなに困難なことだったでありましょう。そのためには、ドイツ人が二度と再び暴力で敗北に修正を加えることはない、という確信がしだいに深まっていく必要がありました。
ドイツの側では故郷を追われた人びとが一番の辛苦を味わいました。五月八日をはるかに過ぎても、はげしい悲嘆と甚だしい不正とにさらされていたのであります。もともとの土地にいられたわれわれには、彼らの苛酷な運命を理解するだけの想像力と感受性が欠けていることが稀ではありませんでした。
しかし救援の手を差しのべる動きもただちに活発となりました。故郷を捨てたり追われた何百万人という人びとを受け入れたのであります。歳月が経つにつれ、彼らは新しい土地に定着していきました。彼らの子どもたち、孫たちは、いろいろな形で父祖の地の文化とそこへの郷土愛とに結びついております。それはそれで結構です。彼らの人生にとって貴重な宝物だからであります。
しかし彼ら自身は新しい故郷を見出し、同じ年配の土地の仲間たちと共に成長し、とけ合い、土地の言葉をしゃべり、その習慣を身につけております。彼らの若い生命こそ内面の平和の能力の証しなのであります。彼らの祖父母、父母たちはかつては追われる身でした。しかし彼ら若い人びと自身は今や土地の人間なのです。
故郷を追われた人びとは、早々とそして模範的な形で武力不行使を表明いたしました。力のなかった初期のころのその場かぎりの言葉ではなく、今日にも通じる表白であります。武力不行使とは、活力を取り戻したあとになってもドイツがこれを守りつづけていく、という信頼を各方面に育てていくことを意味しております。
この間に自分たちの故郷は他の人びとの故郷となってしまいました。東方の多く古い墓地では、今日すでにドイツ人の墓よりポーランド人の墓の方が多くなっております。
何百万ものドイツ人が西への移動を強いられたあと、何百万のポーランド人が、そして何百万のロシア人が移動してまいりました。いずれも意向を尋ねられることがなく、不正に堪えてきた人びとでした。無抵抗に政治につき従わざるをえない人びと、不正に対しどんな補償をし、それぞれに正当ないい分をかみ合わせてみたところで、彼らの身の上に加えられたことについての埋合せをしてあげるわけにいかない人びとなのであります。
五月八日のあとの運命に押し流され、以来何十年とその地に住みついている人びと、この人びとに政治に煩らわされることのない持続的な将来の安全を確保すること−−これこそ武力不行使の今日の意味であります。法律上の主張で争うよりも、理解し合わねばならぬという誡めを優先させることであります。
これがヨーロッパの平和的秩序のためにわれわれがなしうる本当の、人間としての貢献に他なりません。
1945年に始まるヨーロッパの新スタートは、自由と自決の考えに勝利と敗北の双方をもたらすこととなりました。自らの力が優越していてこそ平和が可能であり確保されていると全ての国が考え、平和とは次の戦いの準備期間であった−−こうした時期がヨーロッパ史の上で長くつづいたのでありますが、われわれはこれに終止符をうつ好機を拡大していかなくてはなりません。
ヨーロッパの諸民族は自らの故郷を愛しております。ドイツ人とて同様であります。自らの故郷を忘れうる民族が平和に愛情を寄せるなどということを信じるわけにまいりましょうか。
いや、平和への愛とは、故郷を忘れず、まさにそのためにこそ、いつも互いに平和で暮せるよう全力を挙げる決意をしていることであります。追われたものが故郷に寄せる愛情は、復讐主義ではないのであります。
戦後四年たった1949年の本日5月8日、議会評議会は基本法を承認いたしました。議会評議会の民主主義者たちは、党派の壁を越え、われわれの憲法(基本法)の第一条(第二項)に戦いと暴力支配に対する回答を記しております。
ドイツ国民は、それゆえに、世界における各人間共同社会・平和および正義の基礎として、不可侵の、かつ、譲渡しえない人権をみとめる五月八日がもつこの意味についても今日心に刻む必要があります。
戦いが終ったころ、多くのドイツ人が自らのパスポートをかくしたり、他国のパスポートと交換しようといたしましたが、今日われわれの国籍をもつことは、高い評価を受ける権利であります。
傲慢、独善的である理由は毫もありません。しかしながらもしわれわれが、現在の行動とわれわれに課せられている未解決の課題へのガイドラインとして自らの歴史の記憶を役立てるなら、この40年間の歩みを心に刻んで感謝することは許されるでありましょう。
−−第三帝国において精神病患者が殺害されたことを心に刻むなら、精神を病んでいる市民に暖かい目を注ぐことはわれわれ自身の課題であると理解することでありましょう。
−−人種、宗教、政治上の理由から迫害され、目前の死に脅えていた人びとに対し、しばしば他の国の国境が閉ざされていたことを心に刻むなら、今日不当に迫害され、われわれに保護を求める人びとに対し門戸を閉ざすことはないでありましょう。
−−独裁下において自由な精神が迫害されたことを熟慮するなら、いかなる思想、いかなる批判であれ、そして、たとえそれがわれわれ自身にきびしい矢を放つものであったとしても、その思想、批判の自由を擁護するでありましょう。
−−中東情勢についての判断を下すさいには、ドイツ人がユダヤ人同胞にもたらした運命がイスラエルの建国のひき金となったこと、そのさいの諸条件が今日なおこの地域の人びとの重荷となり、人びとを危険に曝しているのだ、ということを考えていただきたい。
−−東側の隣人たちの戦時中の艱難を思うとき、これらの諸国との対立解消、緊張緩和、平和な隣人関係がドイツ外交政策の中心課題でありつづけることの理解が深まるでありましょう。双方が互いに心に刻み合い、たがいに尊敬し合うことが求められているのであり、人間としても、文化の面でも、そしてまたつまるところ歴史的にも、そうであってしかるべき理由があるのであります。
ソ連共産党のゴルバチョフ書記長は、ソ連指導部には大戦終結40年目にあたって反ドイツ感情をかきたてるつもりはないと言明いたしました。ソ連は諸民族の間の友情を支持する、というのであります。
東西間の理解、そしてまた全ヨーロッパにおける人権尊重に対するソ連の貢献について問いかけている時であればこそ、モスクワからのこうした兆しを見のがしてはなりますまい。われわれはソ連邦諸民族との友情を望んでおるのであります。
人間の一生、民族の運命にあって、40年という歳月は大きな役割を果たしております。
当時責任ある立場にいた父たちの世代が完全に交替するまでに40年が必要だったのです。
われわれのもとでは新しい世代が政治の責任をとれるだけに成長してまいりました。若い人たちにかつて起ったことの責任はありません。しかし、(その後の)歴史のなかでそうした出来事から生じてきたことに対しては責任があります。
われわれ年長者は若者に対し、夢を実現する義務は負っておりません。われわれの義務は率直さであります。心に刻みつづけるということがきわめて重要なのはなぜか、このことを若い人びとが理解できるよう手助けせねばならないのです。ユートピア的な救済論に逃避したり、道徳的に傲慢不遜になったりすることなく、歴史の真実を冷静かつ公平に見つめることができるよう、若い人びとの助力をしたいと考えるのであります。
人間は何をしかねないのか−−これをわれわれは自らの歴史から学びます。でありますから、われわれは今や別種の、よりよい人間になったなどと思い上がってはなりません。
道徳に究極の完成はありえません−−いかなる人間にとっても、また、いかなる土地においてもそうであります。われわれは人間として学んでまいりました。これからも人間として危険に曝されつづけるでありましょう。しかし、われわれにはこうした危険を繰り返し乗り越えていくだけの力がそなわっております。
ヒトラーはいつも、偏見と敵意と憎悪とをかきたてつづけることに腐心しておりました。
若い人たちにお願いしたい。
他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。
ロシア人やアメリカ人、ユダヤ人やトルコ人、オールタナティヴを唱える人びとや保守主義者、黒人や白人これらの人たちに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。若い人たちは、たがいに敵対するのではなく、たがいに手をとり合って生きていくことを学んでいただきたい。
民主的に選ばれたわれわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい。そして範を示してほしい。
自由を尊重しよう。
平和のために尽力しよう。
公正をよりどころにしよう。
正義については内面の規範に従おう。
今日5月8日に際し、能うかぎり真実を直視しようではありませんか。
つづき
ヴァイツゼッカ―の演説は、格調高い名文だ。その中でも “過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる”が、よく知られている。ヴァイツゼッカーはこの降伏記念日を「ナチスの暴力支配による非人間的システムからの解放の日」と形容した。言葉によって、人を鼓舞し和解が可能であることを証明した政治家である。他にも “自由民主主義体制において必要な時期に立ち上がるなら、後で独裁者に脅える必要はない、つまり自由民主主義擁護には法と裁判所だけでは不足で、市民的勇気も必要” などと述べて、拍手が上がったのだった。氏の在任中に1990年10月3日のドイツ再統一を迎え、新たに加わった国民(旧東ドイツ国民)を温かく歓迎し「統一することとは、分断を学ぶことだ」と題する演説をした。もちろん政治家は言葉の解釈の幅をとって演説をするものだ。政治家の意図した表向きの麗句を解釈するだけでなく、さらにその背景を探るべきだ。
法学者、哲学者、西ドイツ市長などを経て政治家なったが、彼の父親はナチのA級戦犯とされた人でもあった。父親の裁判の弁護をしたのが息子であるワイツゼッカ―であった。敗戦記念日の演説の意図には、父親の生きた時代背景を詳細に語り、且つ、後世に記録され、世界を意識して、父親の行為に理解を取り付けられるためにと考えた上で準備したとの指摘もされるから、練りに練って30分演説だった。戦後40年記念の際のヴァイツゼッカーの演説=謝罪の深さ(長さ)からすると、それ相応の賠償もしたのだろうかと思われるが、しかし、東西ドイツと分断しての賠償は日本のようには始めていなかった。
世界シオニスト機構の議長を務めたナフム・ゴールドマンは、『ユダヤの逆説』の中で、次のような事を率直に述べている。「ドイツは総額8000億ドル支払うことになった。 イスラエルが国家としてスタートした最初の10年間、ドイツからの賠償金がなければ、現在のインフラの半分も整備されていなかっただろう。 イスラエルの全ての鉄道・船・電力設備・産業基盤はドイツ製である。 その上、生存者に支払われる個人賠償があった。 イスラエルはドイツから毎年何億ドルの賠償金をドイツ通貨で受け取っていた」としている。
ドイツが東西分断国家となっていたため、賠償等の問題を一括処理することが出来なかったことなどにより、結果的にナチスの犯罪の犠牲者への個人補償という形をとった。支払は2001年より開始され、2007年6月に終結した。支払い対象はおよそ百カ国にまたがる166万人であり、支払総額は43.7億ユーロに達する(Wikipedia)
一方で、日本は演説においては謝罪の言葉が短い。伝えるのに長さは重要ではないものの、日本語の「遺憾」という漢字二字だけで表現して、真意を読み取ってもらうのが難しいのではないだろうか。国際社会に短い日本語のスピーチで、五七五の行間を読む教育を施されていない他者にどう伝えられるか考えたりしているのだろうか。まして、日本は、世界をどの程度意識しているのだろうか。この為に、日本が多額の賠償金を払っていたのだと思われないでいるが、事実はそうではない。
朝鮮半島が分断され、日本が、戦後に支払った賠償金額も、表向きにその国民に評伝する機会もなかったので、後に”漢江の奇跡”と韓国政府が喧伝するようになっても、その原資がどこから出ていたかと声明すること泰然と見守るだけだった。朝鮮戦争に関わる米軍特需も確かに戦後の日本の道程にあった。多額の賠償金を長年にわたり支払って、日本は彼の国の復興の支えともなった筈が、国交が復活していない当時の南北分断の軍事政権下でもあった皮肉な事情もあった。ゆえに、日本の国内でも、十分な謝罪や賠償を行ったとの認識がされていない。
一方で、昭和天皇 は 全斗煥 大統領歓迎の宮中晩餐会(1984年)で「今世紀の一時期において,両国の間に不幸な過去が存したことは誠に遺憾であり,再び繰り返されてはならない」と おける 謝罪 の言葉を述べた。 しかし、「遺憾」との言葉に短く込められたのであったこどで、日本の謝罪が未だ不充分であるとして、中韓北だけでなく欧米のメディアにも批判される点となった。
また、女性政治家として発言力が際立っていたヒラリー・クリントンは、従軍慰安婦との名称を含め、当時に華僑反日組織や韓国挺身体などの主張を後ろ盾に活動する日系政治家・マイク本田などのロビー活動に影響され、強く非難を高じ、それをメディアも取り上げた。ドイツ首相のように周到に練り上げて世界に弁明する考えがなく、諸外国が理解できないのも無理もない。日本の場合、日朝韓の複雑に絡み合った背景がありながら、敗者は語らずと決めこんでいた。「遺憾」との言葉を五七五で推し量れる日本人の素養がなくして、天子の深き思いを推し量れるなどしない。その上に、戦中派の議員の度重なる舌禍失言が多くあり、アジア蔑視できた本音がそこにあるのではと憶測され、苦しい説明、訂正を重ねてきた。言葉で説く事を大事にする欧州の一国・ドイツと極東の日本の論語の世界の差が出たのだ。
因みに敗戦国・日独伊の中でイタリアはどうしたのかというと、第二次大戦の最終盤に連合軍側にムッソリーニのファシズムから市民はパルチザンに加わり戦って解放された、という図式であって、イタリア国民に贖罪意識はないという。つまり、今のイタリアと戦中のイタリアとは立場が違うという考えが一般である。さらに、ヒットラーの率いたワイマール帝国は、戦後に東西ドイツになり、分断した壁の崩壊により統一ドイツになった事情なので、日本の天皇のように戦前戦後も君臨するのとは明らかに違っていた。
しかし、新憲法で日本国となったが、天皇が象徴としてあることで、軍国主義を統帥した大日本日本国の影が付きまとう。前時代的なハラキリも厭わないサムライ文化をもつ極東の国と欧米諸国から怪訝な目を向けられてきたのを、多くの日本人は今まで気づかないできたのではないか。21世紀の時機を得て、多様な文化背景をもつ世界の国々に分かるように伝える努力をもっとすべきである。
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(1985年5月8日に西ドイツの連邦議会でのヴァイツゼッカー演説 全文訳)
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5月8日は心に刻むための日であります。心に刻むというのは、ある出来事が自らの内面の一部となるよう、これを信誠かつ純粋に思い浮かべることであります。そのためには、われわれが真実を求めることが大いに必要とされます。
われわれは今日、戦いと暴力支配とのなかで斃れたすべての人びとを哀しみのうちに思い浮かべておりす。
ことにドイツの強制収容所で命を奪われた 600万のユダヤ人を思い浮かべます。戦いに苦しんだすべての民族、なかんずくソ連・ポーランドの無数の死者を思い浮かべます。
ドイツ人としては、兵士として斃れた同胞、そして故郷の空襲で捕われの最中に、あるいは故郷を追われる途中で命を失った同胞を哀しみのうちに思い浮かべます。
虐殺されたジィンティ・ロマ(ジプシー)、殺された同性愛の人びと、殺害された精神病患者、宗教もしくは政治上の信念のゆえに死なねばならなかった人びとを思い浮かべます。
銃殺された人質を思い浮かべます。
ドイツに占領されたすべての国のレジスタンスの犠牲者に思いをはせます。
ドイツ人としては、市民としての、軍人としての、そして信仰にもとづいてのドイツのレジスタンス、労働者や労働組合のレジスタンス、共産主義者のレジスタンス−−これらのレジスタンスの犠牲者を思い浮かべ、敬意を表します。
積極的にレジスタンスに加わることはなかったものの、良心をまげるよりはむしろ死を選んだ人びとを思い浮かべます。はかり知れないほどの死者のかたわらに、人間の悲嘆の山並みがつづいております。
死者への悲嘆、傷つき、障害を負った悲嘆、非人間的な強制的不妊手術による悲嘆、空襲の夜の悲嘆、故郷を追われ、暴行・掠奪され、強制労働につかされ、不正と拷問、飢えと貧窮に悩まされた悲嘆、捕われ殺されはしないかという不安による悲嘆、迷いつつも信じ、働く目標であったものを全て失ったことの悲嘆−−こうした悲嘆の山並みです。
今日われわれはこうした人間の悲嘆を心に刻み、悲悼の念とともに思い浮かべているのであります。
人びとが負わされた重荷のうち、最大の部分をになったのは多分、各民族の女性たちだったでしょう。
彼女たちの苦難、忍従、そして人知れぬ力を世界史は、余りにもあっさりと忘れてしまうものです。彼女たちは不安に脅えながら働き、人間の生命を支え護ってきました。戦場で斃れた父や息子、夫、兄弟、友人たちを悼んできました。この上なく暗い日々にあって、人間性の光が消えないよう守りつづけたのは彼女たちでした。
暴力支配が始まるにあたって、ユダヤ系の同胞に対するヒトラーの底知れぬ憎悪がありました。ヒトラーは公けの場でもこれを隠しだてしたことはなく、全ドイツ民族をその憎悪の道具としたのです。ヒトラーは1945年 4月30日の(自殺による)死の前日、いわゆる遺書の結びに「指導者と国民に対し、ことに人種法を厳密に遵守し、かつまた世界のあらゆる民族を毒する国際ユダヤ主義に対し仮借のない抵抗をするよう義務づける」と書いております。
歴史の中で戦いと暴力とにまき込まれるという罪−−これと無縁だった国が、ほとんどないことは事実であります。しかしながら、ユダヤ人を人種としてことごとく抹殺する、というのは歴史に前例を見ません。
この犯罪に手を下したのは少数です。公けの目にはふれないようになっていたのであります。しかしながら、ユダヤ系の同国民たちは、冷淡に知らぬ顔をされたり、底意のある非寛容な態度をみせつけられたり、さらには公然と憎悪を投げつけられる、といった辛酸を嘗めねばならなかったのですが、これはどのドイツ人でも見聞きすることができました。
シナゴーグの放火、掠奪、ユダヤの星のマークの強制着用、法の保護の剥奪、人間の尊厳に対するとどまることを知らない冒涜があったあとで、悪い事態を予想しないでいられた人はいたでありましょうか。
目を閉じず、耳をふさがずにいた人びと、調べる気のある人たちなら、(ユダヤ人を強制的に)移送する列車に気づかないはずはありませんでした。人びとの想像力は、ユダヤ人絶滅の方法と規模には思い及ばなかったかもしれません。しかし現実には、犯罪そのものに加えて、余りにも多くの人たちが実際に起こっていたことを知らないでおこうと努めていたのであります。当時まだ幼く、ことの計画・実施に加わっていなかった私の世代も例外ではありません。
良心を麻痺させ、それは自分の権限外だとし、目を背け、沈黙するには多くの形がありました。戦いが終り、筆舌に尽しがたいホロコースト(大虐殺)の全貌が明らかになったとき、一切何も知らなかった、気配も感じなかった、と言い張った人は余りにも多かったのであります。
一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。
人間の罪には、露見したものもあれば隠しおおせたものもあります。告白した罪もあれば否認し通した罪もあります。充分に自覚してあの時代を生きてきた方がた、その人たちは今日、一人ひとり自分がどう関り合っていたかを静かに自問していただきたいのであります。
今日の人口の大部分はあの当時子どもだったか、まだ生まれてもいませんでした。この人たちは自分が手を下してはいない行為に対して自らの罪を告白することはできません。
ドイツ人であるというだけの理由で、彼らが悔い改めの時に着る荒布の質素な服を身にまとうのを期待することは、感情をもった人間にできることではありません。しかしながら先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。
罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。
心に刻みつづけることがなぜかくも重要であるかを理解するため、老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのであります。
問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。
ユダヤ民族は今も心に刻み、これからも常に心に刻みつづけるでありましょう。われわれは人間として心からの和解を求めております。
まさしくこのためにこそ、心に刻むことなしに和解はありえない、という一事を理解せねばならぬのです。
物質面での復興という課題と並んで、精神面での最初の課題は、さまざまな運命の恣意に耐えるのを学ぶことでありました。ここにおいて、他の人びとの重荷に目を開き、常に相ともにこの重荷を担い、忘れ去ることをしないという、人間としての力が試されていたのであります。またその課題の中から、平和への能力、そして内外との心からの和解への心構えが育っていかねばならなかったのであります。これこそ他人から求められていただけでなく、われわれ自身が衷心から望んでいたことでもあったのです。
かつて敵側だった人びとが和睦しようという気になるには、どれほど自分に打ち克たねばならなかったか−− このことを忘れて五月八日を思い浮かべることはわれわれには許されません。ワルシャワのゲットーで、そしてチェコのリジィツェ村で虐殺された犠牲者たち−−われわれは本当にその親族の気持になれるものでありましょうか。
ロッテルダムやロンドンの市民にとっても、ついこの間まで頭上から爆弾の雨を降らしていたドイツの再建を助けるなどというのは、どんなに困難なことだったでありましょう。そのためには、ドイツ人が二度と再び暴力で敗北に修正を加えることはない、という確信がしだいに深まっていく必要がありました。
ドイツの側では故郷を追われた人びとが一番の辛苦を味わいました。五月八日をはるかに過ぎても、はげしい悲嘆と甚だしい不正とにさらされていたのであります。もともとの土地にいられたわれわれには、彼らの苛酷な運命を理解するだけの想像力と感受性が欠けていることが稀ではありませんでした。
しかし救援の手を差しのべる動きもただちに活発となりました。故郷を捨てたり追われた何百万人という人びとを受け入れたのであります。歳月が経つにつれ、彼らは新しい土地に定着していきました。彼らの子どもたち、孫たちは、いろいろな形で父祖の地の文化とそこへの郷土愛とに結びついております。それはそれで結構です。彼らの人生にとって貴重な宝物だからであります。
しかし彼ら自身は新しい故郷を見出し、同じ年配の土地の仲間たちと共に成長し、とけ合い、土地の言葉をしゃべり、その習慣を身につけております。彼らの若い生命こそ内面の平和の能力の証しなのであります。彼らの祖父母、父母たちはかつては追われる身でした。しかし彼ら若い人びと自身は今や土地の人間なのです。
故郷を追われた人びとは、早々とそして模範的な形で武力不行使を表明いたしました。力のなかった初期のころのその場かぎりの言葉ではなく、今日にも通じる表白であります。武力不行使とは、活力を取り戻したあとになってもドイツがこれを守りつづけていく、という信頼を各方面に育てていくことを意味しております。
この間に自分たちの故郷は他の人びとの故郷となってしまいました。東方の多く古い墓地では、今日すでにドイツ人の墓よりポーランド人の墓の方が多くなっております。
何百万ものドイツ人が西への移動を強いられたあと、何百万のポーランド人が、そして何百万のロシア人が移動してまいりました。いずれも意向を尋ねられることがなく、不正に堪えてきた人びとでした。無抵抗に政治につき従わざるをえない人びと、不正に対しどんな補償をし、それぞれに正当ないい分をかみ合わせてみたところで、彼らの身の上に加えられたことについての埋合せをしてあげるわけにいかない人びとなのであります。
五月八日のあとの運命に押し流され、以来何十年とその地に住みついている人びと、この人びとに政治に煩らわされることのない持続的な将来の安全を確保すること−−これこそ武力不行使の今日の意味であります。法律上の主張で争うよりも、理解し合わねばならぬという誡めを優先させることであります。
これがヨーロッパの平和的秩序のためにわれわれがなしうる本当の、人間としての貢献に他なりません。
1945年に始まるヨーロッパの新スタートは、自由と自決の考えに勝利と敗北の双方をもたらすこととなりました。自らの力が優越していてこそ平和が可能であり確保されていると全ての国が考え、平和とは次の戦いの準備期間であった−−こうした時期がヨーロッパ史の上で長くつづいたのでありますが、われわれはこれに終止符をうつ好機を拡大していかなくてはなりません。
ヨーロッパの諸民族は自らの故郷を愛しております。ドイツ人とて同様であります。自らの故郷を忘れうる民族が平和に愛情を寄せるなどということを信じるわけにまいりましょうか。
いや、平和への愛とは、故郷を忘れず、まさにそのためにこそ、いつも互いに平和で暮せるよう全力を挙げる決意をしていることであります。追われたものが故郷に寄せる愛情は、復讐主義ではないのであります。
戦後四年たった1949年の本日5月8日、議会評議会は基本法を承認いたしました。議会評議会の民主主義者たちは、党派の壁を越え、われわれの憲法(基本法)の第一条(第二項)に戦いと暴力支配に対する回答を記しております。
ドイツ国民は、それゆえに、世界における各人間共同社会・平和および正義の基礎として、不可侵の、かつ、譲渡しえない人権をみとめる五月八日がもつこの意味についても今日心に刻む必要があります。
戦いが終ったころ、多くのドイツ人が自らのパスポートをかくしたり、他国のパスポートと交換しようといたしましたが、今日われわれの国籍をもつことは、高い評価を受ける権利であります。
傲慢、独善的である理由は毫もありません。しかしながらもしわれわれが、現在の行動とわれわれに課せられている未解決の課題へのガイドラインとして自らの歴史の記憶を役立てるなら、この40年間の歩みを心に刻んで感謝することは許されるでありましょう。
−−第三帝国において精神病患者が殺害されたことを心に刻むなら、精神を病んでいる市民に暖かい目を注ぐことはわれわれ自身の課題であると理解することでありましょう。
−−人種、宗教、政治上の理由から迫害され、目前の死に脅えていた人びとに対し、しばしば他の国の国境が閉ざされていたことを心に刻むなら、今日不当に迫害され、われわれに保護を求める人びとに対し門戸を閉ざすことはないでありましょう。
−−独裁下において自由な精神が迫害されたことを熟慮するなら、いかなる思想、いかなる批判であれ、そして、たとえそれがわれわれ自身にきびしい矢を放つものであったとしても、その思想、批判の自由を擁護するでありましょう。
−−中東情勢についての判断を下すさいには、ドイツ人がユダヤ人同胞にもたらした運命がイスラエルの建国のひき金となったこと、そのさいの諸条件が今日なおこの地域の人びとの重荷となり、人びとを危険に曝しているのだ、ということを考えていただきたい。
−−東側の隣人たちの戦時中の艱難を思うとき、これらの諸国との対立解消、緊張緩和、平和な隣人関係がドイツ外交政策の中心課題でありつづけることの理解が深まるでありましょう。双方が互いに心に刻み合い、たがいに尊敬し合うことが求められているのであり、人間としても、文化の面でも、そしてまたつまるところ歴史的にも、そうであってしかるべき理由があるのであります。
ソ連共産党のゴルバチョフ書記長は、ソ連指導部には大戦終結40年目にあたって反ドイツ感情をかきたてるつもりはないと言明いたしました。ソ連は諸民族の間の友情を支持する、というのであります。
東西間の理解、そしてまた全ヨーロッパにおける人権尊重に対するソ連の貢献について問いかけている時であればこそ、モスクワからのこうした兆しを見のがしてはなりますまい。われわれはソ連邦諸民族との友情を望んでおるのであります。
人間の一生、民族の運命にあって、40年という歳月は大きな役割を果たしております。
当時責任ある立場にいた父たちの世代が完全に交替するまでに40年が必要だったのです。
われわれのもとでは新しい世代が政治の責任をとれるだけに成長してまいりました。若い人たちにかつて起ったことの責任はありません。しかし、(その後の)歴史のなかでそうした出来事から生じてきたことに対しては責任があります。
われわれ年長者は若者に対し、夢を実現する義務は負っておりません。われわれの義務は率直さであります。心に刻みつづけるということがきわめて重要なのはなぜか、このことを若い人びとが理解できるよう手助けせねばならないのです。ユートピア的な救済論に逃避したり、道徳的に傲慢不遜になったりすることなく、歴史の真実を冷静かつ公平に見つめることができるよう、若い人びとの助力をしたいと考えるのであります。
人間は何をしかねないのか−−これをわれわれは自らの歴史から学びます。でありますから、われわれは今や別種の、よりよい人間になったなどと思い上がってはなりません。
道徳に究極の完成はありえません−−いかなる人間にとっても、また、いかなる土地においてもそうであります。われわれは人間として学んでまいりました。これからも人間として危険に曝されつづけるでありましょう。しかし、われわれにはこうした危険を繰り返し乗り越えていくだけの力がそなわっております。
ヒトラーはいつも、偏見と敵意と憎悪とをかきたてつづけることに腐心しておりました。
若い人たちにお願いしたい。
他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。
ロシア人やアメリカ人、ユダヤ人やトルコ人、オールタナティヴを唱える人びとや保守主義者、黒人や白人これらの人たちに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。若い人たちは、たがいに敵対するのではなく、たがいに手をとり合って生きていくことを学んでいただきたい。
民主的に選ばれたわれわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい。そして範を示してほしい。
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平和のために尽力しよう。
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正義については内面の規範に従おう。
今日5月8日に際し、能うかぎり真実を直視しようではありませんか。
つづき
2012年10月01日
Twitterで災害時のライフライン関連アカウントをチェックする
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