西日本の山に関しては、日本上空に集中するジェット気流と日本アルプスの中部山岳の自然の壁で放射能汚染は微量に留まったようですが、それでも1万数千キロかなたのアメリカで基準値の数百倍の放射能の雨が降ったと言われます。
日本は広島・長崎を経験したのだから、被ばくに関するデータの蓄積があって、対処法についても進んでいると思われるが、放射線に関する一般の日本人への情報提供は、むしろ経験のない欧米からすると差し控えられてきたとように思われます。つまり、被ばくに対する意識が核の危険性へと意識を向けられると向けられると、非核三原則の元で在日米軍基地が各地に存在する現実や、核実験を頻発、さらに原爆投下の事実があって、米国の傘下となっている日本がは蒸し返すことが得策でないと、戦後の日米関係は維持されてきたからです。
国民が原発の安全神話を鵜呑みにしているほうが都合がよかったのでしょう。過去には原発に疑問を呈することは、巡り巡っては日米政策に反旗を翻すこともなるため、非常にデリケートに話題であったと言えます。おかげで現実の問題が、どこまで安全であるか、それが安全神話であるのか、認識しにくい状況でした。
登山に例えてみれば、雷鳴が聞こえる岩稜で「雷はこっちには来ない」「オレにだけは落ちない」、そして、 大雨の沢筋で「鉄砲水は来ない」と考える人はいません。 雨が降らなくても山登りする人なら、不測の事態を考え雨具を携帯する、山を畏れ、常に怠りない自然変化への準備する。そういうことに置き換えれば、原発への絶対神話がまやかしであったと今さらながらに解るのですが、今後は里山も尾根も一様に放射能が飛散したという事実をどう認識するか、そういう中でどう暮らすかなのです。
3.11における2万人もの犠牲者は、主に地震と津波によるものだったとされます。津波によって原発事故が起きたと東電は今のところ主張していますが、地震の災害で既に事故は起きたとの説もあります。誰も検証できない段階では、はっきりしたことは言えないのが現状です。放射能の影響による犠牲者となる人々の数も今はだれも推測できないのです。そして、大飯原発の再稼働が再浮上しています。

残念なことにふるさと♪のキノコや山菜は懐かしむだけになりました。美味しい山の空気や風さえも、呼吸すれば吸い込むのですから…。しかし、合ハイを楽しんだ団塊の世代は70才にも手が届こうとしています。たまの登山なら鍛えられた元気な団塊世代は、場所を選んで体力維持に山登りを続けることでしょう。
そうです、ある人は毎日行うジョギングやウオーキングのほうが累積効果が大きい、登山は危険への備えをしての楽しみだ、孫を連れていくわけでもなし、覚悟はできているなどと宣う!?ある人は、放射能用のマスクがつければいいともいいます。ともかく、東北の人のように負けずに頑張りましょう!