2012年03月19日
報道ステーション、メルトダウン5日間の真実
格納容器を爆発させない為のベントだったが、大量の水素が漏れ出ていた。
ベントを行った時に他の配管に繋がって封じ込めることが出来なかったため、建屋自体が吹き飛んだ。
新たな管を引くより合理的と判断して、コストダウンの結果
スリーマイルの事故の際に見直しがされた。
世界は独立したベントラインとなったが、日本は29基もフクシマと同じ構造的欠陥をもったままだ。
保安院がメルトダウンと認めたが、総理官邸の許可によって発言がされることになる。
1号機爆発と言う深刻な状況がたっても、発表は先延ばしし、情報能力がなかった。
2号機、3号機でも水蒸気。結果的に2号機の格納容器に穴があいたと考えられている。放射性物質の流れる方向を政府は把握しながら、住民には伝えていなかった。浪江町住民は津島地区へ4日間避難、ラジオ、テレビで情報を得るだけだった。文科省のSPDEEI72時間先まで流れが読めるはずだったが、官邸に伝えられないで終わったとみられている。副長官には正確な計測ができるかどうか危ぶまれた。官邸は、3月23日に存在の確認がされた。状況を一番知っていたのは保安院だと考えて、保安院の判断を待つのみが、放出量のデータでは使い物にならないだろうとの判断していた。各機関が官邸に上げることがなかった。訓練の際には、SPEEDIを含んで避難区域の予測が行われていたが、活用がされなかった。
15、16日にも放射能についての報告がないまま、18日に原発から30キロ圏にも退避が始まったが、方向が不適切だった。