『我孫子における芸術家村の形成とその変遷』の論文(約九万字超)が完成しました。我孫子におられる地域史の方々、職員、そして主・副主査の教授に多くの教えをいただいたおかげです。年末、年始はほとんど不眠不休(?!)でした。もし、ご興味のある方がいらしゃれば、ご一覧いただけましたら、幸いです!
研究の概要 本研究は8章で構成されている. 第1章では,研究の背景,研究目的と研究方法,研究対象地の選定理由と地域特性を述べた.第2章では,我孫子の地勢,明治〜昭和前期に東京郊外に成立した別荘地の経緯を整理した.第3章で,関東周辺の別荘地を4分類し,各別荘類型事例・我孫子の位置付けを示し,鉄道開通による影響とその変遷を明らかにした.第4章では,我孫子の東西地区に作られた主な文化人,芸術家の居宅を富士山の見える方向と共に図にした.国木田独歩,田山花袋,島崎藤村らは柳田国男の布佐の家(東地区)に滞在し,交流した.その滞在の1年ほど後に,独歩は『武蔵野』を著わし,花袋らも布佐での見聞を著わし本にしていたので,これらの交流関係を表に整理した.また,柳宗悦の叔父・嘉納治五郎や杉村楚人冠,村川堅固らの別荘(西地区)での交友を整理し,考察した. 第5章では,都内の各文士村を整理する概略史を作成し,おおよそ明治以降について明らかにした.また,白樺派を中心にした主な記念館の成立経緯を概要した.これらにより,我孫子の文士・芸術家村成立時期は鎌倉や都内の主だった文士村より早く成立していたと明らかにした.さらに,こうした文化史跡への「まち歩き観光」が増加傾向にあることを文献の分析で明らかにした.第6章は,『白樺』と欧州芸術家村との関係を調査した報告とその考察である.当時,既にバルビゾン(フランス)付近には日本人画家が幾人も留学していた.柳はドイツ語にも長じており,フォ−ゲラ−の芸術論を『白樺』誌上に掲載し,書簡のやり取りで作品を直接入手し,展覧会を開いて紹介していたことが分かった.欧州三カ国の調査では,特にヴォルプスヴェーデ(ドイツ)のフォーゲラーの「白樺の家」との関係性に着目,沼湿地や芸術家コロニーでの芸術活動に関する情報収集をした.芸術家は洋の東西を問わず武蔵野的な自然美にまなざしを向ける類似点も確認した.第7章では,我孫子における白樺派主要5人の芸術活動の進展,外国人も加わる交流,別荘地周辺の富士山の見える眺望や農村労働への関心が作品や活動に影響したことを明らかにした. 結論 @都市の人口増加,武蔵野的自然の価値が発見され,郊外へ移る芸術家が現れた.我孫子東西地区の芸術家は,湖沼・川辺付近の高台からの情景,農村風景から受けた影響が作品に明らかである.A優れた審美眼の芸術家は,理想の場を探求し自然への指向において類似性が見られた.世界各地で産業革命後の社会運動,芸術運動が起き,『白樺』も世界の芸術潮流の一つと言える. B我孫子・東地区において,独歩や国男ら青年詩人の交流があり,『武蔵野』の自然観への影響が考えられる.我孫子西地区の白樺コロニ―の活発な交流,創作活動が進展した時期は,文学史での白樺派全盛期であった事を検証した. 当時の都市近郊の別荘地という環境で,芸術家村の形成がされ,交流が生まれ,多くの活動がされて成果がもたらされていた.■
写真を多く入れ、一般にも読みやすい論文になるよう工夫しました。(学術論文の為、一冊:500円。119p)