ヨーロッパでは1970年頃から、「BONSAI」が相当な人気になっていたそうです。このところ、日本の愛好者が減る現状があって、盆栽の産地の高松では、栽培農家が激減してきているため、英語の達者な宮地さんは、高松の盆栽市場の起死回生を欧州への輸出に賭ける。今や、彼の地では欧州産の木を盆栽に仕立てることも一般化してきているというはやりようで、オドロキももろきだった。ミラノの花屋は盆栽屋さんになっていたりという状況だとかで、オシャレなフランス人同様に盆栽にはまっているらしい。
盆栽は、小さな鉢植えの木から自然の美しさを鑑賞する日本の伝統的な芸術、それはとても奥が深いもの。 五葉松、黒松、真柏などの松柏盆栽があれば、梅、紅葉、ぶな、かえで、けやきなどの雑木盆栽もある。木の種類、更にスタイルがあって、石付き、石無し、別途、協会に認定登録されている”貴重盆栽”という呼称があったりと、多種多様。お金もかかるし、手間もかかると年より臭い趣味だと見放されてきた、というか盆栽をおける庭がなくなっているのが現状。オープンガーデンというか、はっきり言って今や庭らしい庭がないのだ!昔は迎え松を入り口に植えたりなど、しおらしい事をしていたけれど、そういう情緒は解されなくなって来ている感じです。
ところが、今や欧州では大人気であり、遠い日本にも海外から多くの人々が盆栽美術館などに鑑賞に訪れているというのです。 それだけでは飽き足らず、盆栽家の家に英国、ドイツのお弟子さんも徒弟として修行しているとのこと。「詫び・寂び」を理解しようとの外国人が出てきたということのようですが、私たちはひたすら横文字文化に憧れ、ウイーンフィルを聞きにいくとか、パリコレに行こうと考えるが、海外からは東京ガールズコレクションにくる人とか・・・。文化はスパイラルに興隆(交流)するのが、世界の平和へと繋がるので結構な事でしょう。
東京都美術館に於いて、第83回「国風盆栽展」というのがあって、昭和9年初開催と歴史も古い。 社団法人日本盆栽協会 主催。全国の盆栽愛好家からの応募の中より選ばれた200席を超える出展と、宮内庁をはじめ、特別出品4席の269の出展。
入選盆栽の中から特に優れた盆栽に{国風賞}が授与。
なんと、皇太子殿下がも2008年にスペイン万博で視察に訪れた際、由緒あるマドリッドの王立植物園にも寄られ、盆栽コーナーで、スペインの元首相であったフェリペ・ゴンサレス氏の寄贈した盆栽を見たのだとか。私も、同じ時期にマドリッドに行きましたが、行き先は女性会議、知っていたら目と鼻の先の植物園に行ったのに・・・。気候の違うスペイン・マドリードの植物園に、盆栽愛好家のゴンザレス氏の盆栽が数十点が保存されているのだということです。イタリアでも、プレゼントに盆栽が喜ばれ、盆栽パーティーまであるとか、私たちの文化は海外でより評価され再生されているようです。
柏市には、姫柿(プリンセス・パーシモン)を栽培する有名な園芸農家 http://www.himegaki.jp/about1.html がおられる。小さな柿の実をつける盆栽で、様々な色と形の柿に種類があって楽しい。値段も張るけれど、だから価値も、芸術性があり、ファンが多いのだそうです。地球サイズに、地域を見直すとビジネスチャンスも生まれるのではないでしょうか。「市議会議員に、地球サイズは要らない」などとよく言われたものですが、地域の明日を考えるには新たなチャレンジも必要ですよね。
2012年01月31日
Bonsai
2012年01月30日
放射線量の変化
フクシマの事故以来放射線量のウオッチを続けているけれど、このところさほどの変化はない。
若干、言える事は我孫子の西地区は、東地区より幾分高めだ。つまり人口が比較的多い地区、子どもの多い地区への影響が考えられる。
雨の降り方が違うのも影響しているようだ。この間の大雪で印西に営業に行った人の話だと、印西は全く雪が降っていなかったという。つまり、気流の違いが、降雨雪に影響する。我孫子、柏、松戸、流山、あたりまでは影響が同じに出てくるというようなことが言えそうだ。
千葉でも液状化とホットスポットで影響大、昨年に比べ約700人が減ったと報道された(これまでに住民票を移した人で出した数字だろうから、年度変わりで更に届けが出ると思えるので千人近い流出もある)我孫子なので、人口減が著しく出ているのも致し方ないということか。流山、柏は、まだしばらくは大規模高層住宅の建設で入居も予想されるであろうが、我孫子にはそうした条件はない。人口流出に手をこまねいているだけじゃ駄目だ。ようやく手賀沼ワーストワンのマイナスイメージを脱却するかという時に、子育てしやすい街づくりが台無しになりそうだ。我・孫・子に魅力のある街になるには、仕掛けつくりをしなくてはいけない。その為に県や国にも我孫子、東葛飾地区から声をあげなくちゃいけないだろう。どういう声として要求するのか、もちろん住みやすい、安心な街を要求するのは当然である。地価の大幅下落は私たちの一生かかって手にした住宅、財産価値を激減させているのだから、リカバリーさせる手を打たなくちゃいけない!
我孫子市定点測定情報
機種:クリアパルス社 A2700
単位:マイクロシーベルト/時
・根戸小学校 1月25日(水)
1m 0.20
50cm 0.20
5cm 0.21
・並木小学校 1月10日(火)
1m 0.31
50cm 0.33
5cm 0.31
※除染作業中のため、測定行えず。
・高野山小学校 12月26日(月)
1m 0.29
50cm 0.30
5cm 0.31
※除染作業中のため、測定行えず。
・第三小学校 1月25日(水)
1m 0.20
50cm 0.19
5cm 0.20
・第二小学校 1月27日(金)
1m 0.16
50cm 0.17
5cm 0.18
・湖北台東小学校 1月23日(月)
1m 0.16
50cm 0.17
5cm 0.18
・新木小学校 1月23日(月)
1m 0.13
50cm 0.13
5cm 0.11
・布佐小学校 1月24日(火)
1m 0.16
50cm 0.17
5cm 0.18
・布佐南小学校 1月27日(金)
1m 0.24
50cm 0.26
5cm 0.27
・手賀沼公園 1月17日(火)
1m 0.28
50cm 0.32
5cm 0.30
・中峠亀田谷公園 1月17日(火)
1m 0.24
50cm 0.27
5cm 0.28
・ふれあいキャンプ場 1月5日(木)
1m 0.22
50cm 0.24
5cm 0.26
・クリーンセンター 1月5日(木)
1m 0.21
50cm 0.21
5cm 0.23
放射線量は測定機種、測定の高さ、地面の状態によって大きく異なる場合があります
他の機関の測定データとの比較にあたっては、測定条件をご確認ください
問い合わせ
放射能対策室
電話04-7185-2495
2012年01月29日
原発事故への説明に国民は納得できるか
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/31538?page=2
日本原子力研究開発機構の計算によれば、東京電力は、事故直後の3月21日~4月30日の41日間だけで1京5000兆ベクレルにも及ぶ放射能汚染水を海に漏出・流出させている。しかも東電の発表では、3月末に漏れ出た汚染水は目視で確認できなかったとして、4700兆ベクレルと試算していた。地下水から太平洋の海へと流出するとの指摘も出ているが、東電が汚染水の漏出防止用として計画する遮水壁も、2014年度半ばの完成を目標としている。政府は、汚染水流出の危険を無視したまま、事故の収束を宣言したのだ。
1/18に保安院で意見徴収していても、市民団体の傍聴はモニターで、密室会議同然だった。
次の電力源が得られるまでは安全性を確保してというが、既得権を保持して再稼働ありきじゃ納得できないのか。山本太郎、民主党・中山義活(前・経産省政務官)、みんなの党・渡辺よしみ、がTV討論の様子が放映。
原発国民投票
原発住民投票法案
みんなの党は12月7日、原発の是非を問う2法案を参院に提出した。政府がエネルギー基本計画を変更した場合、国会が必要と判断すれば国民投票を行う「原発国民投票法案」と、原子炉の再稼働について関係都道府県知事が住民投票を請求できる「原発住民投票法案」。渡辺喜美代表は「国民主権の観点から民主主義のプロセスを通じて脱原発を目指す」と説明している。
2012年01月28日
焼却灰保管の容量は年度内にも限界
しかし、認めたら他地域からの不法投棄なども出そうだ。そうしたゴミ箱にされたらたまったものではない。手賀沼のイメージがまたワーストワン時代に戻ってしまうではないか。
産経ニュース(2012.1.27)
県内で増える高濃度の放射性セシウムを含むごみ焼却灰をどこに片付けるか−。柏、松戸、流山、我孫子の4市と印西地区環境整備事業組合(印西市などで運営)から保管場所確保の要請を受けた県は、手賀沼終末処理場を提案した。だが、同処理場の所在地である我孫子、印西の両市の反発で協議は難航。このままでは早晩、ごみの焼却処理ができなくなるため、関係者は妥協点を探りぎりぎりの調整を続けている。
良い案が出れば
「地元の方々には、冷静になっていただいて、その中で良い案が出ればいいなと思っている。推移を見守りたい」
森田健作知事は、こう話し、自らとりまとめに乗り出すそぶりは見せない。焼却灰の増加で各市とも「二進も三進もいかない」(県幹部)状況にある一方で、ほかに決定的な選択肢は見当たらず、県は「手賀沼でまとまる」(同)と見込んでいるのだ。
県に解決策を要請したが、逆に問題を背負い込むことになった印西、我孫子の両市。「市民感情を考えると受け入れられない」(印西市の山崎山洋市長)などとし、関係者は「自分たちのごみは自分たちの区域内で処分すべき」との原則論で他の市を牽制(けんせい)する。
こうした経緯から、松戸市の本郷谷健次市長は「松戸市独自で対策を考えざるを得ない」と話す。同市の焼却灰保管の容量は年度内にも限界に達する見通し。ごみ焼却場の稼働停止を回避するため、市内での保管場所探しを急いでいる。
出典:「放射能汚染の焼却灰 どこに保管?」
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120127/chb12012723020006-n1.htm
2012年01月26日
転送・転載歓迎します。
国際Avaazチーム(グローバルな意思決定がされるように、積極的に情報発信するコミュニティー)から
日本全国の友人たちへとして、次のような呼びかけがありました。
枝野産業相は明日、勇敢な福島の母親たちを追い出そうとしています。私たちは抗議の声を上げ、枝野産業相がこのショッキングな行動を阻止せざるを得なくなるよう働きかけることができます。下記のネット上のフォーマットを使って、メッセージを送信し、政府に意思を伝えましょう:
いま、恐ろしいことが起きつつあります。福島のお母さんたちは、子供たちのために、放射能汚染のない未来を築くことを求めて、経済産業省前で平和的なキャンペーンを行っています。そのお母さんたちに対して、枝野幸男・経済産業大臣が退去命令を出しました。警察がお母さんたちのテントを撤去しにやってくるまで、あと24時間ほどしかありません。警察を止められるかどうかは、私たちの今の行動にかかっています!
残された時間は一日だけです!今すぐ、枝野大臣の受信箱に何千通のメッセージを送り、退去命令の撤回を要請しましょう。http://www.avaaz.org/jp/stand_with_fukushima_mothers/?vl
日本では、驚くべきことが今起きています。福島での大事故から数ヶ月、原子力が安全でもクリーンでもないという事実に、国民が気づき始めました。メディアでも、数多くの活動家たちの努力が取り上げられ、放射能汚染が危険なレベルに達していること、また、それが日本の未来にとって何を意味するのかということが、極めて身近な問題として取り上げられ、多くの国民がこの事態に懸念を抱くようになっています。
今、日本国内で稼動している原子炉は4基のみで、4月末までには、この数がゼロになるかもしれません。強力な原子力産業は、この事態に脅威を感じ、全力で延命策を講じています。福島のお母さんたちによる経済産業省前の座り込みが長引くほど、国民の支持はお母さんたちの方に傾くことを知っているからです。
金曜日には、経済産業省の係官と警察が、抗議行動を行っているお母さんたちを力づくで排除する可能性があります。警察官たちは、退去しなければ、懲役刑や罰金刑になると脅迫を加えるでしょう。でも、お母さんたちは、平和的に、合法的に座り込んでいるのです。私たちは、日本国民、また、日本に住む市民として団結し、政府が、原子力関連の利権団体が主催する晩餐会における乾杯の音頭にではなく、国民の声にこそ耳を傾けるように、要求しましょう。私たちが今日とる行動が、主権者である国民の、異議申し立てを行う権利を守り、私たち全員の安全な未来を築くために闘っているお母さんたちと活動家たちを支え、その決意をさらに強めることにつながります。あと24時間しかありません。メッセージを今送信し、これをすべての人に転送してください。
http://www.avaaz.org/jp/stand_with_fukushima_mothers/?vl
環境に優しいクリーンエネルギーに支えられた日本の未来を築くチャンスは、今、大きな広がりを見せています。平和的に抗議行動を続ける福島のお母さんたちの権利を守ることから、取り組みを始めていきましょう。
希望をこめて、
出典:
Fukushima Diary "JP Gov is planning to remove the antu-nuclear tent in front of METI":
http://fukushima-diary.com/2012/01/jp-gov-is-planning-to-remove-the-antu-nuclear-tent-in-front-of-meti/#.Tx_tgGGqDb8.twitter
経産省前テントひろば "【緊急】報道・記者会見予定など拡散願います。":
http://tentohiroba.tumblr.com/
2012年01月24日
2012年01月20日
どっちが先、放射能の警告
英語でそのままの聞くことができます。
http://www.abc.net.au/news/2012-01-19/japan-warned-us-military-about-fallout-before/3782252
ABCニュースが日本語に自動翻訳されているサイト
http://www.abc.net.au/news/2012-01-19/japan-delayed-radiation-details/3782110
2012年01月17日
『我孫子における芸術家村の形成とその変遷』
研究の概要 本研究は8章で構成されている. 第1章では,研究の背景,研究目的と研究方法,研究対象地の選定理由と地域特性を述べた.第2章では,我孫子の地勢,明治〜昭和前期に東京郊外に成立した別荘地の経緯を整理した.第3章で,関東周辺の別荘地を4分類し,各別荘類型事例・我孫子の位置付けを示し,鉄道開通による影響とその変遷を明らかにした.第4章では,我孫子の東西地区に作られた主な文化人,芸術家の居宅を富士山の見える方向と共に図にした.国木田独歩,田山花袋,島崎藤村らは柳田国男の布佐の家(東地区)に滞在し,交流した.その滞在の1年ほど後に,独歩は『武蔵野』を著わし,花袋らも布佐での見聞を著わし本にしていたので,これらの交流関係を表に整理した.また,柳宗悦の叔父・嘉納治五郎や杉村楚人冠,村川堅固らの別荘(西地区)での交友を整理し,考察した. 第5章では,都内の各文士村を整理する概略史を作成し,おおよそ明治以降について明らかにした.また,白樺派を中心にした主な記念館の成立経緯を概要した.これらにより,我孫子の文士・芸術家村成立時期は鎌倉や都内の主だった文士村より早く成立していたと明らかにした.さらに,こうした文化史跡への「まち歩き観光」が増加傾向にあることを文献の分析で明らかにした.第6章は,『白樺』と欧州芸術家村との関係を調査した報告とその考察である.当時,既にバルビゾン(フランス)付近には日本人画家が幾人も留学していた.柳はドイツ語にも長じており,フォ−ゲラ−の芸術論を『白樺』誌上に掲載し,書簡のやり取りで作品を直接入手し,展覧会を開いて紹介していたことが分かった.欧州三カ国の調査では,特にヴォルプスヴェーデ(ドイツ)のフォーゲラーの「白樺の家」との関係性に着目,沼湿地や芸術家コロニーでの芸術活動に関する情報収集をした.芸術家は洋の東西を問わず武蔵野的な自然美にまなざしを向ける類似点も確認した.第7章では,我孫子における白樺派主要5人の芸術活動の進展,外国人も加わる交流,別荘地周辺の富士山の見える眺望や農村労働への関心が作品や活動に影響したことを明らかにした. 結論 @都市の人口増加,武蔵野的自然の価値が発見され,郊外へ移る芸術家が現れた.我孫子東西地区の芸術家は,湖沼・川辺付近の高台からの情景,農村風景から受けた影響が作品に明らかである.A優れた審美眼の芸術家は,理想の場を探求し自然への指向において類似性が見られた.世界各地で産業革命後の社会運動,芸術運動が起き,『白樺』も世界の芸術潮流の一つと言える. B我孫子・東地区において,独歩や国男ら青年詩人の交流があり,『武蔵野』の自然観への影響が考えられる.我孫子西地区の白樺コロニ―の活発な交流,創作活動が進展した時期は,文学史での白樺派全盛期であった事を検証した. 当時の都市近郊の別荘地という環境で,芸術家村の形成がされ,交流が生まれ,多くの活動がされて成果がもたらされていた.■
写真を多く入れ、一般にも読みやすい論文になるよう工夫しました。(学術論文の為、一冊:500円。119p)
2012年01月16日
初春
写真は、最初の一品。
最後のデザートは4つからチョイスできるので、キナコのシュークリームを選んだ。
春への気分になれて幸せ。
2012年01月14日
The Longest Day
盛りだくさんの一日だった。
出先から戻ったのが夜中の12時を過ぎていたので、終電に間に合うのかというくら、心配いだった。
さすがに我孫子駅でタクシーにった。
そうしたら、聞き間違ったのか「今は、どんな活動をしているのですか?」と運手さんが聞いたように聞こえた。
こっちは、行き先を言っているのに、ちぐはぐだった??
迷路のような我が家からの道を、左がすぐに右だの坂降りてなどなど言っているうちに到着した。
やれやれ。
「うちのことご存知なの」と降り際に聞いたら、「顔知っているから分かりますよ」と言われた。
そうか、まだ、覚えてくれている人もいるのか・・・。
駅前で、暑い日も寒い日も毎朝駅頭してたとき、タクシーが止まっていたっけ。
「論文書いているのよ」と答えたら、「ああ、ドクター論文書いてるんでしたか」と、言われてびっくり。
そう、さっき提出してきたところだった。
世の中は、どこで誰がみているか分からない!!
兎も角、
これで、明日は、フィンランドから我孫子にきてる元市議会議員のキルシさんたちに会える、かな。(^v^)
2012年01月07日
除染については、国の認識が不確か
小出教授「もちろんその住まわせる限りは除染をしなければいけませんけれども、でも除染は結局のところ効果がないのです。この汚染状況重点調査地域というのは意味が無いですね」
内山教授「除染は非常に厳しいと思いますね。0.23マイクロシーベルト/H、年間一ミリシーベルトという数字。線量が高くても指定を受けない自治体があってもいいとか、局所的に線量が高いホットスポットがあるだけの市町村は除外されているが、そういうところを国が見つける。風評被害を避けるなどという事態ではない」
種まきジャーナル 12/22
2012年01月04日
箱根駅伝
明治44年(1911)、翌年に開催されるストックホルム五輪に向けたマラソンの予選会に出場した金栗選手は、当時の世界記録(但し、当時は40・225km)を27分も縮める大記録を出し、日本人初のオリンピック代表選手となります。そうして迎えた翌45年(1912)のストックホルム五輪でのマラソン競技当日、ストックホルムは、気温40℃を超す記録的な暑さの中で競技が始まりました。レースへの参加者68名中、およそ半数が途中棄権をし、そのうちの1人は翌日に亡くなるという過酷な状況だったのです。金栗選手も同様に、レース途中で日射病で意識を失い、近くの農家で介抱されます。
昭和42年(1967)3月、金栗選手はスウェーデンのオリンピック委員会から、ストックホルム五輪開催55周年を記念する式典に招待されます。記念式典の開催に当たって当時の記録を調べていたオリンピック委員会がこれに気付き、「是非とも金栗選手にゴールしてもらおう」と記念式典でのゴールを計画、招待を受けた金栗選手は55年振りにストックホルムを訪れ、競技場内に用意されたゴールテープを切ります。走行タイム、54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3は誰にも破られない記録ですが、最も温かい応援が寄せられたからこそ実現した記録です。
オリンピック委員会の微笑ましいエピソードの主ですが、その後は日本のマラソン普及に大いに活躍をされ、選手の体調、会場、路上の整備に十分な配慮がされて歴史ある箱根駅伝大会に繋がっています。
中央学院大学に声援を送りつつも、今回、東北のエース柏原の東洋大が大会四連覇は地元の福島への応援エールだったのは間違いありません。
2012年01月01日
謹賀新年
昨年は大変お世話になりました。
今年一年が平和な安心な年になりますよう、
心よりお祈り致します。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
海津にいな