2011年12月30日
広河隆一が話す、国内外の原発の絶望的現実
広河氏を招いて衆議院第二議員会館で「チェルノブイリ事故の現実 ・安全神話の嘘 ・隠された被害、被害を隠す構造・食べ物で広がった汚染」と題した勉強会が開かれたもの。大震災の4カ月前(2010年11月25日)に開催された模様が記録されていたのでYoutubeに事故1カ月後の4月公開されていた。実に恐ろしい絶望的な日常がチェルノブイリで続いていることが分かる。1〜5までに分けられているが、全部話を聞いた人はその後、脱力感に襲われたのではないだろうかと思える。これを若い女性に見せることは考えてしまう。今後、妊娠したり、子育てしたり出来るだろうかと思わせるからで、何かの間違いであってほしいとさえ思うが、はるかかなたの見えない現実だ。
将来に大きな間違いを犯してしまっうことが分かった科学者はそれを止めようとしたが、推進しようとした科学者の後ろには権力を争う政治や大資本家がいた。とうとうチェルノブイリ原発で大事故が起き、他人事で多くの人の記憶が薄れ、原発を推進しようとする人はそのように情報を操作するが、とうとう日本でも惨憺たる原発事故になったが、未だに事故の全体像の検証もされないし、責任の所在も示されない。なんと事故を起こした電力会社の再建の為に国費を投じ、さらに電力値上げとツケは国民に回されるという方向性だけが取りたざされ、原発を推進の立役者の一角を成した大手電気メーカーは他国に原発を売る手を緩めないのだから、驚愕するが新聞やテレビニュースにはならない。
最後のパート5では、参加者との質疑となっている。
さすがに「なぜころほど原発がもんだいなのに、山口でしか取り上げられない現実があるのか。なぜ原発推進にこだわりつづけるのか」と質問している。広河氏は、「大手のメディアには電力会社が入っている。再生可能性エネルギーも開発は成功しているが、電力会社には抵抗がありそれに予算がつかない。原発建設の話が出た過程で祝島でも見学に連れられていくと、原発のおかしな現場に気がつくようになり、女性たちが反対するようになり、原発マネーが入るだろうかとの賛成者も気持ちが変わっていき毎週水曜日の原発建設反対運動になっていったのだという。
パート3では祝島の位置関係、生物多様性の豊かな場所であること、祝島の人々の目の前で驚くべき原発建設へ向けて準備が進められていると伝えている。
2011年12月29日
捨て場のないもの
日本では廃棄物の最終処分場の残余年数が少なくなっていて、物理的処理や化学的処理によって出される大量の汚染廃液・汚染土壌の処分地確保が将来的に難しくなるのではないかと言われている実態があります。ます。放射能汚染されたゴミを焼却すると、放射能がなくなるというのではないのです。要するにゴミの体積を減らすことはできても、キロ当たりの放射能は濃度が濃くなっている。現在一時保管の大量の放射能焼却灰は、現存の終末処分場だけで埋設処理するのは不可能でしょう。
ファイトレメディエーション(phytoremediation)という、植物が根から水分や養分を吸収する能力を利用して、土壌や地下水中の汚染物質や気孔を通じて大気中の汚染物質を吸収、分解する技術をつかう試みがある。1950年代から実施し現在は禁止されている大気圏内核実験(→地下、未臨界核実験として続いている)による放射性核種の飛散や、チェルノブイリ原発事故、福島原発事故による放射能漏れにおいて問題になるのが、中でも半減期がおよそ30年と長いセシウムである。セシウムに対するファイトレメディエーションはヒユ科のアマランサスや上述の西洋カラシナ、ヒマワリ等で試されているが、土壌中のミネラル分と強固に結合するために回収は難しく、実用には到っていない。
2011年12月28日
【断捨離】で新しい気運を呼び込む
この際に「断捨離」です。
あれもとっておく、これもそのまま、知らぬ間に生活習慣病が家の隅々に貯まっています。
使わないものを手放すのは、もったいないという気持ちもあって決断がにぶる。
でも必要もないもの、のお陰で確かにスペースが狭められ、そのうえなんだか片付かない不愉快さになります。
本当に必要なもの、本当に価値のあるものがさらに浮かび上がってきます。
「断」入ってくるいらない物を断つ
Ex: レシートや期限のわからない割引券etc.
「捨」ガラクタを捨てる
Ex: 着なくなった服や読まなくなった本etc.
「離」物への執着心から離れて「自在」の空間へうつる
Ex: 誰からもらったか分からないキーホルダーなどのプレゼント
見なくなったVHSビデオ、メモリーカードetc.
思い切って物を手放すことで、空間・時間・エネルギーにゆとりが出て、
それが気持ちのゆとりに繋がってゆく。
しかも、何かを捨てるということで、執着を捨てることにも繋がり、簡単に意識変容が起こるのです。
年末、大【断捨離】で新しい年に向けてみましょう、か。
http://xbrand.yahoo.co.jp/category/lifestyle/5580/13.html
2011年12月27日
元チェルノブイリの医師・菅野市長(松本市)、東北大・土屋教授の意見
NHK 科学文化部ブログhttp://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/100/82400.html
子供だけ守ろうと、それから日本の将来を担っていく、その赤ちゃんたちを産んでくれるそのお母さん方の中でも、妊産婦さんだけは国民全体でもって守ってあげよう
今回の日本の暫定基準の食品安全委員会の参考委員として呼ばれまして、国に行ってきまして、今回の暫定の基準値をですね、急きょ厚生労働省が決めたんです。この値が本当にいいかどうかを今度は日本の食品安全委員会にかける、そしてOKだったらそれでいきたいということだったんですけども、基本的には日本の場合、大変厳しい値を、まあ暫定ですけどもとったのは、これは実は日本じゃなくてですね、国際放射線防護委員会、あるいはまた、WHOとか、IAEA、国際原子力機関って、これが出している値を参考にして、日本が暫定的につくって、つくったものです。それがいいかどうかってことで、私は委員として申し上げたのはできるだけ厳しくしてくださいってことを申し上げました。ですからある意味で、今回のこの暫定の基準値って言うのは、厳しい値になっています。ですから、その基準よりも以下であれば、以下であれば一応、食べてもいいと、摂取しても良いと
ただ私は先ほど言いましたように放射線の専門家ではありませんから、それがいいかどうかはいえませんけど、ただ、これは学者間でもってご承知のとおりそれはやっぱりちょっと高すぎるのではないかと、今おっしゃったように子供、大人なのにそれを子供に当てはめていいのかなっていうことで、ご承知のとおりこういう放射線というのは、子供は非常に影響を受けやすいですから、そういうわけで学者によってかなり(考え方が)違うわけです。20ミリでいいとはいうものの、内部被ばくを防ぐようなことをお父さん、お母さんがやって欲しいということしかいえない。
今までは僕は日本に帰ってきてからは全国でチェルノブイリの話をさせてもらいました。で、そのときに僕が話をしても正直言って日本の皆さんは誰も自分のことしか考えてくれなかったです。どこかの対岸の火事のように私全然、関係ないわっていうように聞いていた。これは今回起こったときに、急に私にいろんなことを言ってくるときに、あれだけ言ったじゃないのという風に私言っているんです。これは日本国民が、ある意味ではこれを逃げるんじゃなくて正面から、まさに日本は海外から見ますと汚染国になってしまったので、この事実だけはしっかり捉えてください。逃げられません。いいですね、ですからそういう中で、そういう事実を知った上で今後、我々がまたどうやって生活を立て直していくか、っていうことを考えて欲しいんです。 ただし大人の場合は、これあまり気にしてもいけないと私は思っております。これだけは、これもご理解お願いしたいと思っております。
機械を含めて簡易的なのは、基本的にガンマ線を見ているわけですね。γ線、いいですね。ですからγ線っていうのは距離が数十センチですからいいのですけど、先に言いましたように、α線、β線っていうのは、非常に距離が短いから、体の中に入ったとき、それチェックできないのです。ですから内部被ばくの場合には、その程度は実は普通の測定ではわかりません。ですからやるのであれば、ホールボディーカウンターって、非常に精度の高いものをですね
1年間でもって、20なら20までは大丈夫だというときに、一方で、今度は体の影響というのは取れていくのは取れていくのですね。だから新しいとしにはまた、20ミリ受けても良いよと考えていいと思います。累積は1年間の累積はいいですけども、それが年にわたって来年が20でどうするのって、そういう話ではないと思います。もしそうだったらえらいことになってしまいますから。
。。。。。。。。。。。。。。。
この調査結果については、1月18日(水)せんだいメディアテークで開催の第6回震災フォーラムにて発表される予定です。
(2011年12月22日掲載)
現状の放射能汚染検査のほとんどは、γ線核種しか対象にしていません。強い毒性のある、放射性プルトニウム、放射性ストロンチウムなど、α線核種とβ線核種の測定をせずに安全を確保することはできません。γ線核種も、検出下限値の切り上げや、測定時間短縮によっては、不検出になりえます。
かりに、検査された災害廃棄物が、基準値の100ベクレル/kg 以下であったとしても、焼却される災害廃棄物総量が増えれば、放射性物質量もそれに応じて多くなります。重量あたりの基準値を守ることは、必ずしも安全を保障しません。
2011年12月25日
布佐のゆかりの人々
NHK「坂の上の雲」をたまたま見ることになりましたが、日露戦争へ至る時代を司馬遼太郎の全8卷の歴史小説が原作です。海戦を美化するようなことになるからと作家本人は映画化の話などはすべて断り、家族にも映像化には応じないように遺言したと言われますが、何度も局側がご家族の意向をくむとの説得して、放映に至ったのだと聞きます。多くの命を奪った、血塗られた戦争であっても、ドラマになってはしまうと英雄譚になりがちなのは確かです。そうでなければ、誰もお金を払って映画館にいかないですから。今回は、戦争という時代の歴史の一端を学ぶことになりました。
ところで、布佐の竹内神社の境内に珍しい英文の戦勝碑があります。
「IN MEMORY OF THE CONQUEST OVER THE RUSSIAN」と刻まれています。
明治三八年一月一日旅順陥落之日建としてあり、建立者には、七人名です。
榎本次郎右衛門(衆議院議員)、大澤岳太郎、松岡鼎(医師)、柳田国男(民俗学者)、松岡静雄(海軍軍人、言語学者)、井上二郎(手賀沼新田開発指導者)、一色正輔(旧布佐町長)と布佐ゆかりの当時の名士ばかりです。
柳田国男の名前もあります。民俗学の祖・柳田国男の旧姓は松岡で、この時は31歳。弟の静雄の名前も建立者の中にあります。海軍は旅順海戦では海軍が戦績を残せなかったので、旅順の要塞を陥落させたとあってで桜を500本寄贈し、建立碑にしるしたのでした。
もう一人の、布佐ゆかりの人、岡田武松はバルチック艦隊との海戦の時の天気予報官を任され、「天気晴朗ナルモ浪高カルベシ」との予報が、東郷平八郎らの艦に打電され、「天気晴朗ナレド浪高シ・・」の原文になったというわけでした。
後に、藤原咲平とともに気象の一大学派をつくります。そして、直木賞作家の新田次郎は以前は気象学者として我孫子の旧気象送信所(気象台跡地記念公園)に勤務していました。藤原咲平は新田のおじに当た人でした。1943年 満州国観象台(中央気象台)に、高層気象課長として転職、そこで次男正彦誕生(後、エッセイスト・数学者)、1945年 - 長女咲子(作家)誕生。新京でソ連軍に捕虜となり、中国共産党軍にて一年間抑留生活を送ったこと、引き揚げ体験を妻・藤原ていが『流れる星は生きている』として発表、先に作家デビューを果たしました。
捜してみると、文学の里のように色々な作家、芸術家が、そして歴史的な人物が我孫子に住んでいたようです。
2011年12月24日
なぜ、0.23マイクロシーベルトなのか
1年間に受ける被ばく線量で、自然被ばく線量及び医療被ばくを除いたものを追加被ばく線量と言い、長期的には年間1ミリシーベルト以下にすることが国の方針で示されています。市もこの数値以下にすることを、市除染実施計画の最終目標としています。
この年間1ミリシーベルトを1時間当たりに換算すると、0.19マイクロシーベルトとなります(補足1)。そこに、自然被ばく線量のうち大地からの分0.04マイクロシーベルトを加算し、0.23マイクロシーベルトとなります(補足2)。
(補足1)
1日のうち屋外に8時間、屋内(遮へい効果(0.4倍)のある木造家屋)に16時間滞在するという生活パターンを仮定。
毎時0.19マイクロシーベルト×(8時間+0.4×16時間)×365日=年間1ミリシーベルト
(補足2)
シンチレーション式(補足3)の測定器による空間線量率の測定では、事故による追加被ばく線量に加え、自然界からの放射線のうち大地からの放射線分が測定されるため、その分を毎時0.04マイクロシーベルトと国が示しています。
よって、「毎時0.19マイクロシーベルト+毎時0.04マイクロシーベルト=毎時 0.23マイクロシーベルト」が、追加被ばく線量年間1ミリシーベルトにあたります。
(補足3)
光る物質を総称して「シンチレータ」といいます。シンチレーション式は、これらの物質が放射線を受けたときに発光する性質を測定に利用します。物質の種類によって放射線を受けたときの光り方に違いがあるので、それらを使い分けることでさまざまな種類の放射線をはかることができます。
シンチレーション式では測定された放射線の個数とともに、発光信号の強さで放射線のエネルギーも同時に測定することができるものもあります。
• 1 Sv = 1000 mSv(ミリシーベルト) = 1000000(100万)μSv(マイクロシーベルト)
一度に2 Sv(= 2,000 mSv) の放射線を全身に浴びると5%の人が死亡し、4 Sv (= 4,000 mSv) で50%、7 Sv (= 7,000 mSv) で99%の人が死亡すると言われている。
一方で、0.2 Sv (= 200 mSv = 200,000 μSv)以下の被曝では、急性の臨床的症状は認められないとされる。しかし、長期的な影響について議論があり、また低線量の被曝についても「健康被害が生じた」として訴訟が起きている
なお、市川市、船橋市は指定への打診をうけたが、申請していない。
文部科学省が東京の人々について、平均的な放射線量を算出で試算数値があります。3月14日以降の約1ヶ月で通常時の平均値分を除くと、体の外からは約16マイクロシーベルトと計算されます(1日8時間屋外に居たとして)。そこに、体の中に取り込んだ放射性物質も加えて計算しますので、下記のように考えています。 そもそも、測定数値を軽微にみて、マイクロスポットを測定するようなグループが存在しないと行政主導では、細かいエリアを測定してこないので、平均的な概算は低くなっていると思われます。
さらに、放射性物質を体の中に取り込むことによって受ける放射線量は水、食べ物、呼吸の3つについて考えます。
@水道水から受ける放射線量は、1日あたり1.65リットルの水道水を飲んだとして、東京都が発表したデータを用いると約10マイクロシーベルトと計算されます。
A食べ物中の放射性物質から受ける放射線量は食事の習慣や量などで個人差が大きく、さらに難しい推定となります。ここでは仮に、1キログラム当たりのヨウ素-131、セシウム-137、セシウム-134の濃度がそれぞれ20、1、1ベクレルの牛乳、それぞれ2、1、1ベクレルの魚、それぞれ150、10、10ベクレルの野菜を約1ヶ月間、毎日食べたとします。これによる放射線量は約69マイクロシーベルトと計算されます。
B空気中の放射性物質を吸い込むことによる放射線量は、1日あたり22.2立方メートルの空気を吸ったとして、東京都が発表したちりの中の放射性物質のデータを用いると約21マイクロシーベルトと計算されます。
@ABと体の外に受けた数値を足しあわせると約1ヶ月間で約120マイクロシーベルトを受けたことになります。
この放射線量は、東京−ニューヨーク間を飛行機で往復するときに浴びる放射線量※の上限よりも少なく、健康に影響を与えるレベルではありません。
参考:放射線医学総合研究所「被曝に関する基礎知識」
2011年12月23日
被災地からのお願い
年末のメールで、「東北の仮設では皆様の支援をお願いしたい地域がまだまだたくさんある」ことを連絡を受けました。
東北は、既に雪景色、いつもよりも寒さのキツイ状況です。
政府の収束宣言はありましたが、人口が少ない小さな集落は、マスコミも支援の応援も頼めないままに時間がたっているとの声も聞きます。
年末のお忙しい中で、もし、お時間とそしてリストにあるようなものがお宅にありましたら、ご協力ください。
至急お送り頂きたいのは、下記のようなものです。(画像をクリックすると拡大されます。)
布団、寝具、毛布、座布団、防寒用品、靴、靴下、台所用品、洗剤、化粧品、文房具、本、絵本、生活品全般。
出来たら代表者に連絡して要望を聞いてほしいとのことです。
何よりも、激励のメッセージが元気と安心につながるので、メッセージがあると嬉しいとあります。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
2011年12月18日
杉並の小学校でに高濃度放射性物質
環境省は12日夜になって「シート1キロに対し他の廃棄物1トンを混ぜて焼却すれば放射性物質は十分希釈される」と回答し、焼却処分を事実上認めた。これを受け、区は焼却する方向で検討している。
出典
朝日新聞 12月13日
杉並区の汚染値
2011年12月17日
東日本の学校給食での暫定規制値
副住職が代表をつとめるTEAM二本松が次々に食品の放射能検査をして、安心を追及している。結果的に、大手メーカーの粉ミルクにセシウム混入が明らかになり、自主回収に至っている。http://prepper.blog.fc2.com/?no=108
文部科学省も暫定基準値で対応してきたが、11月30日、小中学校の給食に含まれる放射性物質を「1キログラムあたり40ベクレル以下」とする安全の目安にすると見直し、東日本の17都県の教育委員会に通知した。
3月の原発の放射性物質排出の影響から、3月内閣府の食品安全委員会が方針を出し、6月に、放射性セシウム500ベクレル、内部被曝を「生涯100ミリシーベルト」以内にという答申を出し、「外部被曝と内部被曝を合わせて生涯100ミリシーベルト」となって、10月末「内部被曝だけでよし」となって、2012年の春にはこの食品暫定基準値を更に見直していくとする。
食品安全委員会は10月27日、食品から受ける被ばくで、放射線による健康への影響が見いだされるのは「1人当たり生涯の累積線量でおおよそ100ミリシーベルト以上」が目安との最終結果をとりまとめ、厚生労働省に答申した。ただ、体外から放射線を受ける可能性は著しく高まらないと仮定して、外部被ばくは最終結果に盛り込まず、今後の措置は環境省などに委ねた。
政府は現在、東京電力福島第1原発事故を受けて食品中の放射性物質の暫定規制値を設定している。放射性セシウムは年間被ばく量で5ミリシーベルトを上限とし、国民の平均摂取量などを参考に各食品群に割り振って算定している。
東日本を除く現行の暫定基準は、飲料水や牛乳・乳製品で1キロあたり200ベクレル、野菜や肉、魚、穀類は500ベクレルだが、文科省は「安全サイドに立ち、厳しい方(200ベクレル)の5分の1の数値を採用した」ということになる。調理前の食材を品目ごとに検査することを想定している。 しかし、いつから運用されるのかは現時点ではっきりしていません。
+++++++++++++++++++++++++++++++
生涯100ミリシーベルトということは…、日本人の平均寿命82歳で計算すると、
乳児なら年間1.2ミリシーベルト(1220マイクロシーベルト)
月に0.102ミリシーベルト(102マイクロシーベルト)
一日に0.00339ミリシーベルト(3.39マイクロシーベルト)
20歳の人なら、年間1.6ミリシーベルト(1613マイクロシーベルト)
月に0.134ミリシーベルト(134マイクロシーベルト)
一日に0.00448ミリシーベルト(4.48マイクロシーベルト)
50歳ですと、だいたい二十歳の人の倍ぐらいまで「健康に問題はない」と思います。
●いろんなサイトや本で、内部被爆を減らす方法を教えてくれています。
セシウムやストロンチウムは水に溶け出しやすいというのですから、サラダよりは、下ゆでしたり、鍋物料理でゆで汁は捨てる。
(下水処理場が、チェックが気になりますが…。)
参考資料:
食品暫定基準値はどう決まったか
http://katukawa.com/?p=4467
『おいしいくらしたのしいくらし』は内部被曝をも徹底しようとの情報が集められています。http://metok.org/post/6844956406
文部科学省も暫定基準値で対応してきたが、11月30日、小中学校の給食に含まれる放射性物質を「1キログラムあたり40ベクレル以下」とする安全の目安にすると見直し、東日本の17都県の教育委員会に通知した。
3月の原発の放射性物質排出の影響から、3月内閣府の食品安全委員会が方針を出し、6月に、放射性セシウム500ベクレル、内部被曝を「生涯100ミリシーベルト」以内にという答申を出し、「外部被曝と内部被曝を合わせて生涯100ミリシーベルト」となって、10月末「内部被曝だけでよし」となって、2012年の春にはこの食品暫定基準値を更に見直していくとする。
食品安全委員会は10月27日、食品から受ける被ばくで、放射線による健康への影響が見いだされるのは「1人当たり生涯の累積線量でおおよそ100ミリシーベルト以上」が目安との最終結果をとりまとめ、厚生労働省に答申した。ただ、体外から放射線を受ける可能性は著しく高まらないと仮定して、外部被ばくは最終結果に盛り込まず、今後の措置は環境省などに委ねた。
政府は現在、東京電力福島第1原発事故を受けて食品中の放射性物質の暫定規制値を設定している。放射性セシウムは年間被ばく量で5ミリシーベルトを上限とし、国民の平均摂取量などを参考に各食品群に割り振って算定している。
東日本を除く現行の暫定基準は、飲料水や牛乳・乳製品で1キロあたり200ベクレル、野菜や肉、魚、穀類は500ベクレルだが、文科省は「安全サイドに立ち、厳しい方(200ベクレル)の5分の1の数値を採用した」ということになる。調理前の食材を品目ごとに検査することを想定している。 しかし、いつから運用されるのかは現時点ではっきりしていません。
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生涯100ミリシーベルトということは…、日本人の平均寿命82歳で計算すると、
乳児なら年間1.2ミリシーベルト(1220マイクロシーベルト)
月に0.102ミリシーベルト(102マイクロシーベルト)
一日に0.00339ミリシーベルト(3.39マイクロシーベルト)
20歳の人なら、年間1.6ミリシーベルト(1613マイクロシーベルト)
月に0.134ミリシーベルト(134マイクロシーベルト)
一日に0.00448ミリシーベルト(4.48マイクロシーベルト)
セシウムやストロンチウムは水に溶け出しやすいというのですから、サラダよりは、下ゆでしたり、鍋物料理でゆで汁は捨てる。
(下水処理場が、チェックが気になりますが…。)
食品暫定基準値はどう決まったか
http://katukawa.com/?p=4467
『おいしいくらしたのしいくらし』は内部被曝をも徹底しようとの情報が集められています。http://metok.org/post/6844956406
2011年12月16日
観光で成長戦略のチャンス!!
そこで、観光のダボス会議と言われるWTTCを日本で開催が決定(11月)したことは、非常に国際的な信頼回復にも期待が持てることになりました。観光による経済効果は33兆円、GDPの7%占めると予想されてきました。3月の大震災以降環境は一変しましたが、原発事故収束への努力、安全性の正確な情報公開、などによって海外からの観光客誘致活動が少しずつ効果を見せてきました。
今年の上半期の合計では、訪日客数は前年比59.6%(3月の訪日客前年比は50%に減少していた)に戻しました。これからは国内観光需要が復興のカギを握るだろうと言われ、観光産業のすそ野の広さ、間接・直接に雇用が増えることも期待されます。「おもてなしの精神」で世界へきめ細やかな情報をして、時間がかかるかもしれませんが、訪日客を回復させる必要があります。過去の事例ではほぼ1年後くらいは回復時期だと予想されます。
国内には、観光などしていては申し訳ないと言う様な被災地の人々に対する自粛のムード、消費しない傾向がありましたが、これでは経済の動きは停滞をするばかりです。国内観光に行くことは、かえって被災地支援に繋がり、被災地のことを思いやる、いつまでも忘れないことにも繋がります。実は、南北に細長い日本は、世界に類を見ない自然豊かな観光資源が眠っています。豊かな食、健康志向の和食、長寿の温泉湯治、繊細でたおやかな自然の変化、味わいある歴史の遺産、そしてハイテク、アニメ、ファッション、バラエティーに富んだカルチャーが2千年の歴史の中に綴れ織りです。
日本国内を知るためにも旅行に出かけ、我孫子をもっと知ってもらうために、文化と歴史のまち歩き観光に招きましょう!
WTTCグローバルサミット第12回は、大会の一部を被災地宮城・仙台で開催する事になりました。観光を通じて、世界の方々に日本の復興をアピールする絶好の機会にします。
ご一緒に2012仙台へ、行きませんか。
テーマ 波乱な時代のダイナミックな産業
開催日時 2012年4月16日〜19日
開催場所 ウエスティンホテル仙台
*
WTTC(World Tourism and Travel Council、世界旅行ツーリズム協議会)は、世界のツーリズム関連企業のトップ約100名で構成される民間の非営利団体であり、観光に関する主要分野の民間企業を世界規模でカバーする唯一の機関です。
松永安左エ門:戦前戦後も電力の自由化は棘の道
石炭商を経て九州に鉄道会社をつくり、九州電気取締役、関西電気副社長、その後は慶応義塾で学んだ時代に知遇をえた福沢桃介(養子)に誘われて事業に関わり、その後東邦電力に関わり、東邦電力は九州、近畿、中部に及ぶ勢力を持つようになって、東邦電力(現・中部電力)本社は、東京丸の内の東京海上ビルの中に置いた。1927年東邦電力が東京電力(東力)として東京に進出していった。
実は鶴見騒擾事件もこの電力戦が大きな要因とされる。日本最大の喧嘩と呼ばれる鶴見事件は大正時代におきた電力戦争の最たるものだった。一度に500人以上の検挙者を出したという。当時は、東京電燈は政友会派であり、東邦電力は憲政会派であった。憲政会内閣のときに、東力が東京の南部の供給権を手に入れれば、政友会内閣のときには、東電が名古屋市内のど真ん中に名古屋営業所を開設するなど、政治も絡んだ大抗争に発展していった。東力の動力電気料金は、東電よりも3割安く、また、東電には、月に2日の停電日があったのに対して、東力には、停電日がなかったので、かなりの需要家が東力と契約し、動力では、東力が東電の約3割の需要を獲得した。銀行は多くの資金を両社に出している。抗争が長引き、どちらかが大きく傷付くと、銀行にとっても責任問題になる。1927年(昭和2年)、三井銀行の総帥・池田成彬が先頭に立ち、東京電燈の大株主である松永に東京電燈との合併を申し入れた。しかし、池田は安左ヱ門を「財界の共産党」と目して松永を合併会社の社外取締役に就けたのみだった。
大正末期には電力会社の統合が進み、五大電力会社と呼ばれた東京電燈、東邦電力、大同電力、宇治川電気、日本電力の5社にほぼ収斂していった。一方、激烈なシェア争いを繰り広げていた電力業界に対し、逓信省官僚の中には民間には電気事業を任せられないと考える者が多くなっていく。さらに満州事変などの社会情勢、経済統制のなかで半官半民の国策会社・日本発送電を設立してそこに電力開発を全てを束ね、資源の開発と安定供給を行おうという軍部の意向が強く反映されるようになる。和7年に実施された新しい電気事業法から官僚統制の一歩が始まった。そして、昭和10年12月に、内閣調査局の手によって「電力国策要旨」が作成され、それを元に逓信省は「電力国家要項」を作成して、昭和11年7月に国策閣議に提出した。こうして、政府の手によって、電力事業は、国家管理に向けて着々と布石が打たれていった。
国は、金を出さないで電力設備を手中に収めるために、これまで、電力関係者が血みどろになって築き上げてきた電力設備を現物出資の形で取り上げようとしていた。 松永は、超電力連系構想に見られるように「電力事業を統一して無駄を排し、電力の経済性を高める」ことには積極的に賛成であった。これはあくまでも民間の手でおこなわれるべきもので、政府が進めている官僚統制とは一線を画すものであった。 電力業界は当然のことながら猛反発した。特に東邦電力社長となった松永安左エ門は、戦争をせずとも日本の活路はある、国家による管理に反対したその道筋を説き続けた。官僚嫌いでもあった松永は、松永は徹底的な自由主義者だった。軍閥に追随して権限拡大を狙う官僚たちを「人間のクズ」と講演会の席上で発言した(1937年)。これらの言動は「天皇の勅命をいただいているものへの最大な侮辱」と大問題になり、新聞に謝罪広告を掲載する事態に追い込まれる。「あなたは重大なリストに載っているから、手を引かないと危ない」という忠告も受けた。軍部から危険人物としてマークされるに至った松永は、鈴木貞一の助言によって隠退した。戦争激化による国家統制で松永が手塩にかけた東邦電力は消滅した。
正面を切って法案に反対する勢力は居なくなったが、議会では日本発送電の資金調達に対する財源や、低廉な電気料金の現実性を巡って意見が紛糾。原案は否決されて衆議院で修正案が提出されたが、貴族院でさらに再修正されるなど法案の成立には紆余曲折があった。発電・送電計画のほか議会で揉めに揉めた電気関連の審議・決定が行われた。最終的には衆議院と貴族院での両院協議会で調整されて1939年、3月26日に成立。国家総動員法と共に4月1日施行された。
電力評価審査委員会が設置され、全国の電気事業者から接収する電力施設の評価について審査を行い、これ以降全国の発電所、変電所、送電施設が段階的に接収されていった。なお、建前としては各事業者からの出資あるいは買収という形で管理を移管するということであったが、実際は国家総力戦の名の下、強制的に接収したのと同様であった。国家管理を実施するための日本発送電を発足させ、発電と送電を主体とする企業となったが、各家庭や事業所への配電事業は従来通り民間に委ねていた。1937年当時、日本に存在した電気事業者は470社にも及んでいたが、太平洋戦争直前の1941年(昭和16年)8月、配電統制令が施行された。
電気事業が国家管理下に置く政策が取られ、特殊法人の日本発送電会社が設立されると、9の会社が配電事業を行うことになった(一発電九配電体制)。これにより電力会社は特殊法人の日本発送電と関連する9配電会社に統合された。接収した電力施設は「半官半民」である日本発送電株式会社によって管理し、一元運営を行うとするものであった。全国各地の配電事業者は統合を余儀無くされ、五大電力会社を始め全ての事業者は会社を解散した。代わりに全国9ブロック(北海道・東北・関東・中部・北陸・近畿・中国・四国・九州)に新たな配電会社が設立され、この9配電事業体制の下で日本発送電と連携した配電事業が行われることになった。こうした戦時下の状況によって、日本発送電は「半官半民」と謳ってはいたが電力事業の国家統制が進んだ。東邦電力の解散(1942年)を期に松永は引退し、茶道に三昧の日を過ごした。
現在電気事業連合会加盟の電力会社のうち、沖縄電力を除く9社はこの日本発送電が元になっている。
他方、政府は新規電力開発による戦闘機増産を急ぎ、人海戦術による急ピッチでの建設促進を図った。この中で中国人・朝鮮人労働者や敵対していた連合国軍捕虜などをダム・発電所工事に使役し、過酷な強制労働に従事させるという事態も発生した。長野県の平岡発電所(天竜川)や広島県の滝山川発電所(滝山川)などで見られたほか、北海道の雨竜発電所(雨竜川)では劣悪なタコ部屋労働を強いた。また工事従業員に対する安全確保もずさんであり、富山県の黒部川第三発電所(黒部川)工事では雪崩やトンネル内の高熱による火薬爆発事故などで多数の労働者が殉職するなど、日本発送電が関わった工事では多くの労働者が命を落としており、現在ダム近傍の隠れるような場所にこうした労働者の慰霊碑がある。昭和19年(1944年)8月、内閣は「決戦非常措置要領」を発令、全ての物資を戦時体制維持のために軍需に徴用する方針を打ち出した。
米軍の爆撃によって火力発電所や変電所は破壊されて発電・配電機能は喪失し、残った水力発電所も酷使や老朽化の補修ができないため事故が続発した。こうした中で終戦を迎えた、戦後の電力需給のバランスは大きく崩れた。「さあこれから僕が、アメリカと闘うのだ」と訪ねてきた人に松永は語った。GHQ相手に粘り腰で三年、思い通りの九電力をつくるために奔走する。吉田首相は、「電力再編成はどんな形にしても必ず反対が出る。したがって、電気事業再編成審議会の会長は、全てを敵に廻すだけの覚悟を持った大物でなければならない」として、松永安左エ門を選んだ。安左エ門は、昭和21年11月から小田原に移り住んでいた。このとき安左エ門は74才であった。 政府は安左エ門に、小田原・東京間の2等パス(今のグリーン車)を用意した。安左エ門はそれを断って、3等座席で東京に通った。国民が貧乏に苦しんでいるときに、自分だけが2等車に乗るわけにはいかないという、安左エ門の人間性がそのまま現れたエピソードである。
戦後占領下、独占状態の日本発送電会社の民営化が課題になると、電力組織再編の人選を白洲次郎が官僚に働きかけに、4委員を人選していた。松永は審議委員長にとなるが戦前日本発送電の設立に猛反対した。電気事業再編成審議会の全委員(日本発送電存続派)であったため、折り合わない二つの案が政府に答申された。松永の主張した「9ブロック案」は全国9地域に一切の発電・送電・配電を分割するというもので、9配電会社案とほぼ同様であったが、松永以外の4委員の中の三鬼の「融通会社案」を推し、確執は深まり、松永の案は付加意見として両論併記という形で提出された。
GHQを盾に反対を押し切る形で、1951年(昭和26年)5月1日、日本発送電は9配電会社と共に全国9地域の電力会社に分割されたが、これを補完し電力開発を促進することを目的に、翌1952年(昭和27年)に電源開発促進法が公布された。1952年9月には、政府(大蔵大臣・財務大臣)は66.69パーセント、残りを9電力会社が出資して新会社を設立することになった。これが日本発送電と同様に半官半民の特殊会社として設立され電源開発株式会社(日本最大の卸電気事業者、J-POWER)である。電源開発は、1954年の総裁として小坂順造がに就任しており、小坂は1950-1951年に日本発送電の最後の総裁であった。同年(1952)、松永は電力技術の研究開発を効率的かつ国家介入など外圧に影響されることなく実施するため、9電力会社の合同出資でありながら、完全中立を堅持する公益法人として、民間初のシンクタンク・電力中央研究所を設立し、晩年に自ら理事長に就任した。
世論の抵抗にあいながら電力値上げが認可され、電力の株価は回復し、海外からの資金導入も出来るようになり、電力業界は活気を取戻した。それによって2年あまりのうちに 200万kWの電源開発がおこなわれ、わが国の復興に大きく貢献した。そして、新鋭火力発電所建設に必要な資金を海外から調達することができた。こうして、わが国の電力事業の発展の基が築かれたのである。
松永は戦前から一貫して電力事業に国家が必要以上の介入をすることに反対しており、日本発送電設立に賛成する官僚を「人間のクズ」呼ばわりするほど官僚嫌いでもあった。委員会では孤立しながらも持論を押し通し、最終的にGHQの後ろ盾もあって一応の決着なったが、周辺はその手法が強引だとして「電力の鬼」と言われた。
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その間にも、特に問題になったのは只見川で、建設中の本名・上田発電所の水利権帰属を巡って東北電力と東京電力の2年におよぶ法廷闘争になったほか国会でも問題となり、ついには東北地方対関東地方・新潟県の対立にまで発展した。また、中部地方においても木曽川本流の水は水力発電に限っていえば、流域である名古屋市を中心とする中京圏ではなく、流域外の大阪市など関西圏に電力を供給するために利用されているという状況が続くことになった。
沖縄電力は、米軍統治下の1954年2月に琉球列島米国民政府の出資で発足した琉球電力公社を、1972年5月の沖縄本土復帰に伴って沖縄県が発足するに及び、国と県が出資する特殊法人として再編したものである。このためかつては沖電を除く9社を“電力9社”と呼んでいた。現在では沖縄電力は民営化され、電気事業連合会に加盟している。
1995年、世界的な規制緩和の流れを受けた電気事業法改正に伴う電力自由化により、電力会社に卸電力を供給する独立発電事業者 (Independent Power Producer、IPP) の参入が可能になり、また大型ビル群など特定の地点を対象とした小売供給が特定電気事業者に認められた。これにより、異業種からの電気事業への参入が相次いだ。
さらに半世紀、旧通商産業省時代から経済産業省へとほぼ切れ間無く各電力会社への天下りが行われている。2011年に行われた経済産業省の調査によると、経済産業省から電力会社への天下りが過去50年間で68人あったとの調査結果を発表した。原子力安全・保安院の上部組織の経産省が天下る電力会社とこのような癒着であれば、チェック機能も甘くなっている。
経産省の松永次官を呼び出してつるし上げるべきでしょう。彼こそ石田エネルギー庁長官を東電に送り込んだ人物であり、民主党は天下りでないといい逃れている。松永次官は原子力安全保安院の院長を歴任して、福島原発の津波の想定を5,7メートルに決めた本人だ。そして柏崎原発事故の教訓を生かさなかったのも彼のせいだ。
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昭和5年、柳窪(現東久留米市)から江戸時代の民家を移築したという風格ある建物「黄林閣」(国指定重要文化財)はじめ、書院造の「斜月亭」、茶室「久木庵」、それにみごとな苔庭と閑雅な竹林を別荘・柳瀬荘として残存。 茶の湯に目覚めたのは還暦を過ぎてからとされ、耳庵の号は論語の「五十にして天命を知り、六十にして耳に従う」からつけたもの。益田鈍翁、原三渓などとともに近代の数寄茶人(三茶人)といわれるが、原三渓(横浜の三渓園で有名)から譲り受け川村瑞賢遺構の茶室「春草盧」は国立博物館の庭園へ。秋の庭園開放で見学可。
昭和13年には、原三渓の世話で飛騨高山付近の田舎家を平林時脇に移築して草庵とした。昭和46年に小田原市で、97歳で亡くなったが、自ら傾倒していた臨済宗の石室善玖によって開山された平林寺に遺言通り埋葬された。人柄は自由奔放、一本気で負けず嫌い。質素で贅沢せず、一代で築いた財産は子孫に残さず、世のために寄付。本人の強い遺志により葬儀も法要も行われず、法号も付けない。夫人と並んで墓碑が立ち、その背後に「耳庵」と彫られた自然石の墓がひっそり。180pと背が高く、晩年の風貌は仙人のよう。自著も多く、「我が人生は闘争なり」の言葉はじめエピソードを数多く残した。
参考
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/3860/biografias/yasuzaemon2.html
2011年12月15日
放射線被曝研究の第一人者・崎山比早子氏、国会の原発事故調査委員に。
----- Original Message -----Sent: Thursday, December 15, 2011 11:00 PMSubject: Re: 近況お知らせ
さて、崎山先生が1月に我孫子に来ます。よかったらぜひどうぞ。【日 時】 2012年1月7日 (土))10:30 開始 (受付10:15〜)
【会 場】 我孫子市民プラザ・ホール(JR我孫子駅北口、徒歩5分)
【定 員】 先着200名
【参加費】 500円(資料代・開催協力費)※お子さん連れ、OKです!
<プロフィール>
崎山比早子(さきやま ひさこ)
医学博士。マサチューセッツ工科大学研究員、放射線医学総合研究所主任研究官を経て、1999年から高木学校のメンバーに。 高木学校は、プルトニウムの危険性を訴え続けた物理学者の故・高木仁三郎氏が、市民の立場から問題に取り組む市民科学者を育成するために1998年に創設した団体。 放射線被ばく研究の第一人者。 震災後の5月20日、衆議院特別委員会で参考人として「放射線の健康への影響について」意見陳述。 12月、国会の福島第一原発事故調査委員会委員に。
2011年12月10日
Chernobyl: A Million Casualties
ジャネット・シャルマン博士が、チェルノブイリでの子供の被曝報告は不十分で、というのは英語で出されたものは本の一部なので、もっと実害がおおきいことを知るべきだと警告する。
日本語の遂訳があります
2011年12月07日
福島からの自主避難者を打ち切り要請!
----- Original Message -----
Sent: Monday, December 05, 2011 11:30 PM
Subject: [heiwa0][07411] 【緊急署名】福島県知事さん:自主避難者をこれ以上苦しめないでください!
> ---
> 「避難の権利」ブログから転載します。
>
>
> 【緊急署名】福島県知事さん:自主避難者をこれ以上苦しめないでください!
> http://hinan-kenri.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-fc57.html
>
> 「民間賃貸住宅借り上げ制度」を利用して多くの県民が他県に自主避難している福島県が、全国の都道府県に対し、今月末で同制度の新規受け入れを打ち切るよう要請していることが報道されています。
>
> 賃貸住宅の借り上げ制度は、避難者を経済的に助けるものとして、活用されてきていますが、今回の福島県の他県に対する要請は、これらの人達の避難に門戸をとざすものといえるでしょう。
>
> 多くの抗議の声によって、福島県に方針の転換を迫っていくため、このたび、緊急署名を行うことといたしました。賛同団体も募っています。署名の文面に関しては、本記事の後ろの方をご覧ください。
>
> ぜひ、みなさまの署名をお願いいたします。
>
> 署名はこちらから>http://goo.gl/fSOf1
> 賛同団体はこちらから>http://goo.gl/9jk3T
>
> ※締切:12月11日(日)
>
> また、みなさまからも個別に抗議の声を福島県に対して伝達してください。
> どうぞよろしくお願いいたします。
>
> 知事直轄広報課
> 〒960-8670 福島県福島市杉妻町2-16
> 電話:024-521-7012
> FAX:024-521-7901
> kouho@pref.fukushima.jp
>
> 呼びかけ団体:国際環境NGO FoE Japan(エフ・オー・イー・ジャパン)
> 福島老朽原発を考える会(フクロウの会)
> 子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク
>
> ※問い合わせ先
> 国際環境NGO FoE Japan
> 〒171-0014 東京都豊島区池袋3-30-8 みらい館大明1F
> tel: 03-6907-7217 fax: 03-6907-7219
> 担当:満田夏花(みつた・かんな)携帯:090-6142-1807
>
> -----------------------------------------------------------
> 【緊急声明】
>
> 福島県知事さん:自主避難者をこれ以上苦しめないでください!
> 借り上げ住宅の新規募集の停止要請に抗議します!
> -----------------------------------------------------------
>
> 「民間賃貸住宅借り上げ制度」を利用して多くの県民が他県に自主避難している福島県が、全国の都道府県に対し、今月末で同制度の新規受け入れを打ち切るよう要請していることが報道されています。
>
> 本来ならば、「自主」避難者の支援を他県に依頼すべき福島県が、このような要請を出していることについて、私たちは強く抗議するとともに、撤回を求めます。
>
> 「自主」避難は、やむにやまれぬ避難です。原発事故以降、現在に至るまで、避難区域外でも、福島市、二本松市、郡山市などにおいて空間線量が高い状況が続いており、土壌汚染の広がりも報告されています。このような状況で、子どもや家族を守るために、少しでも被ばく量を減らすために避難を決意した人たちがいます。一方で、経済的な理由、仕事上の理由などからなかなか避難できなかったものの、年度の変わり目で避難を行おうとしている人たちもいます。賃貸住宅の借り上げ制度は、避難者を経済的に助けるものとして、活用されてきていますが、今回の福島県の他県に対する要請は、これらの人達の避難に門戸をとざすものといえるでしょう。
>
> 私たちは福島県に対して、以下を求めます。
>
> ・「民間賃貸住宅借り上げ制度」に関して、他の都道府県に対して新規受け入れを打ち切る要請を撤回すること
> ・」他の都道府県と協力して、自主避難者への行政サポート(住宅・仕事のあっせん等)を積極的に行っていくこと
>
> 以上
>
> -----------------------------------------------------------
>
> ※関連情報
>
> 東日本大震災:借り上げ住宅 福島県が新規募集の停止要請
> http://mainichi.jp/select/wadai/news/20111202k0000e040173000c.html
> 毎日新聞:2011年12月2日 15時00分
>
> 「自主的」避難でアンケート実施>二重生活でかさむ費用・・・一律同額ではなく実費での賠償が必要
> http://hinan-kenri.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-c24e.html
>
2011年12月06日
12/10(土)に都内で原発集会&デモ
----- Original Message -----
「がんばろう!さようなら原発1000万人署名」12・10集会
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●日時 12月10日(土) 13:15オープニング・コンサート 13:30開会
(40分程度の集会の後に、パレードを行います。)
●会場 東京・日比谷野外大音楽堂
東京都千代田区日比谷公園1−3
サイト http://hibiya-kokaido.com/
●交通 東京メトロ「霞ヶ関駅」(丸の内線・千代田線・日比谷線)徒歩5分
都営地下鉄「内幸町駅」(三田線)徒歩5分
JR「有楽町駅」(京浜東北線) 徒歩15分
●内容 オープニング・コンサート/PANTA(元・頭脳警察)
大江健三郎さん(呼びかけ人)
鎌田 慧さん(呼びかけ人)
大賀あや子さん(福島から)
竹中柳二さん(福島県平和フォーラム)
谷大二師(カトリック正義と平和協議会会長) ほか
司会:神田香織さん(講談師)
●パレードコース
日比谷公園→新橋→銀座→常盤橋公園
初めてデモに参加される方へ (PDF)
●お願い お手製のプラカード、楽器、着ぐるみなど、
パレードを盛り上げるものを持ってきてください。
●主催 「さようなら原発1000万人アクション実行委員会」
電話 03―5289―8224(原水禁)
(脱原発署名も)
*** よびかけの内容 ***************************
9月19日、東京の明治公園には、6万人を超える人々が集まり、「さようなら原発」の声を上げました。
福島からも1000人以上がバスで駆け付け、放射能に汚染された故郷で暮らさなければならない苦しみや、福島県民を見捨てた国に対する怒りを訴えました。
しかし日本政府は、原発の停止を求める私たちの声に耳をふさいでいます。
3月11日の事故から8か月以上が過ぎましたが、いまだに原発の炉心は安定せず、事故原因の調査を行うことができません。原発事故の被害を受けた人たちに対する、十分な補償も行われていません。福島から遠く離れた場所でも高いレベルの放射線量が検出されていますが、政府は何の対処も行っていません。
国の政策で原子力発電を推進してきたのに、事故のツケは全て市民に背負わせているのです。
それにもかかわらず、政府や官僚、電力会社や原発関連産業の経営者など、利権に群がる人々は、今後も原子力発電を継続しようとしています。
人の命よりも、業界の利益を優先しようとする人々に対して、私たちができることは何でしょうか。
それは、多くの市民が何度でも集まって、何度でも「さようなら原発」の声をあげて、市民の力でエネルギー政策を変えさせることです。
12月10日に日比谷野外大音楽堂で集会を開催します。ぜひ、参加してください。
2011年12月04日
Jリーグ優勝、千葉のレイソル
西の府、大阪では自民・民主の連合軍に対して、市民・みんなの応援団で頑張った候補者が快勝した。今後の風が強い北風となっていくのか、春風が早くふいてくれるのか、ウサギ年を振り返りつつ、頑張り時だと思うこの頃だ。
2011年12月03日
元気いっぱい! 観光コンシェルジュ
南房総市プロモーションビデオ2011
http://www.youtube.com/watch?v=OoBMyXgJpeE&feature=player_embedded#!
2005年までに、鴨川市との合併もなくもなかったものの、次々に3転、4転した合併協議から、7町村による南房総市発足。現在の人口は41,000人。外房と内房に囲まれている花のまち(金せん花は日本一)だそう、羽田から一時間で近くて温かいリゾート地。
デズニ―ランドからも一時間だそう。びわは250年前から皇室に届ける名品。一年を通じてサーフィンも出来る。動画をみているうちに行ってみたくなる。観光に賭ける町なのらしく、千葉っていいなあ〜という感じにつくられています。
http://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&v=kkwshWoHzxw&NR=1
これも、超オモシロ! すごろくの旅をする学生が出てくる
http://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&v=KN5wmdpGt-s&NR=1
兎も角、ウサギとびして行って見ようなんて気にさせます。我孫子の1/4の人口ということだけれど、どんな人がプロデュースしているんだろうか、行って見たくなります (^v^)
2011年12月02日
都内にも広がっている放射能汚染
2011年12月01日
知られていない、知らせていない
千葉県のホームページに、「観光客がお奨めするちばの観光コース」というのがありました。
するとなんと、下記の様な順序で、一番最初に出てくるのが、なかなか奮っています。
なるほど、と思ってクリックして見ると、その地図には戸定邸(松戸)、キッコーマンの工場(野田)、関宿城(流山)が載っていますが、我孫子には寄りません。なんとも千葉県の中でも知られていないのが実態なのだなあと、改めて思い知ったところです。 情報をどう伝えられるか、現代はそれがかなり重要です。
コース名 | 旅行目的 | お奨め季節・対象者 | 移動手段 | |
<1>東葛飾の歴史と文化を訪ねて | ![]() | 歴史文化 教養 | 通年 熟年夫婦 | 車 |
<2>お手軽東京ベイ観光 | ![]() | 景観 | 通年 ファミリー、グループ、カップル | 車 |
<3>小江戸佐原散策と太平洋に沈む夕日と九十九里夜景 | ![]() | 景観、 歴史文化教養 | 通年 カップル | 車 |
<4>紅葉と温泉日帰り入浴 | ![]() | 景観、温泉 | 11月〜12月上旬 ファミリー、カップル | 車 |
<5>桜の季節の散策と日帰り温泉入浴 | ![]() | 景観、買い物 | 3月〜4月 カップル | 車 |
<6>飛行機と桜鑑賞の日帰りドライブ | ![]() | 景観 | 3月〜4月 カップル、ファミリー | 車 |
<7>1泊コース 秋の花 咲き誇るコスモスとサルビアを巡る | ![]() | 景観、温泉 | 9月下旬〜10月 カップル、ファミリー、グループ | 車 |
<8>1泊コース 房総の二大紅葉 養老渓谷・亀山湖 | ![]() | 景観、温泉 | 11月中旬〜12月上旬 熟年夫婦 | 車 |
<9>1泊コース 北総三都の文化と歴史を巡る | ![]() | 歴史文化教養 | 通年 熟年夫婦、グループ | 車 |
<10>1泊コース 房総の丘陵を巡る | ![]() | 景観、歴史文化教養、 温泉 | 通年 熟年夫婦、グループ | 車 |