2011年03月30日

私的議員定数論

      「議会の議員定数の大幅削減、職員数も大幅に削減せよ、税金の無駄遣いだ!」という議論があります。我孫子議会の場合はどうか、まずは経験から申し上げます。例えば、駅頭での活動に立っていて、「議員さんご苦労さま」と言われたり、小学生に「あっ、にいなさんだ!」などと言われてチラシをとってくれたり、「おはようございます、行ってきます」と笑顔であいさつされることも、時々ですがありました。つまり、姿が見えない議員だと要らないといわれるのであって、我孫子のように議会中継や採択結果の公開にとり組む真摯な議会議員がいるところは、全てがそういう批判にはあたらないのだろうと感じた事があります。「市議会議員の数を削減ばかりすればいいのではない」という市民委員もいます。つまり、議員の質が悪くないのであれば、市民にきちんと対峙出来ている議会なのであれば、市民が議員定数で目くじらをたてないのではないかと感じます。

 少なくとも、私が市議になっていた間には、それぞれの議員が襟を正し、議会に臨み真剣な議論をしておりました。論に長ける市長であっても、真っ青になるというような質疑も幾度かありました。一番市民に身近な議員が地元の市議会議員だと意識ある市民は関心をもっていますから、市内の選挙でもっとも投票率が高い選挙が市議選でした。「議員の削減ばかりすればいいのではない」という声も少なからず出てくるのだと思います。つまり、我孫子市議会議員は比較的、信頼を得ているということかもしれません。確かに、他市議会ではあり得ない市民寄りの裁決がされることが何度となくありました。反対に、他市にあるオンブズマン、監査請求がほとんど出ないことからも、ある程度の我孫子市民は信頼を寄せてくれているのかなあと私自身は思ってきました。もちろん、更にさらに市民社会の向上に向けて研鑽する必要はあります。  一方で、「みんなの党」は、行政のスリム化を提言しています。そのうえで、地方主権を主張します。脱官僚と宣言しています。これは関連団体に天下りし、甘い汁を吸う、霞が関の高級キャリア官僚の事を主にさしているのであって、公務員のすべてが問題だと言っているのではないでしょう。税源移譲がないまま、地方人員をカットして、これまで以上のサービスを求められては、地方行政は回りません。
 私は行政コストをスリムにするためには、議員の定数よりは、もっと議員の歳費を削ることを考えようと主張し、これまでもレポートにその主張を書いて市内に配布しました。市民が議会への関心を持つ、本来あるべき民主主義を行うには、多くの市民が議会に関心をもつのが一つの方法だと思うのです。ですから、別の言い方をすれば、身近な人が市議会議員になることです。多くの優秀な市民が住む我孫子であれば、身近な人が議員になっている姿を見ることは意味があります。お隣のおじさん、お姉さんが市議だとしたら、日常会話に議会の事が話題に登り、ごく普通に今年度予算がどうした、議会中継を見たとかが話題になることでしょう。特殊な人、おエライさんが議会に君臨するという風なのではダメですが、我孫子の議会は極めて民主的だと思うのですが、どうでしょうか。我孫子市民であれば、一度は議会に足を運んでもらい、傍聴体験をして欲しいと常々思っています。そして市の議員定数の適正数は、国、県とは別に議会の質も考慮し、地域が決めればいいと考えています。

 まだ「みんなの党」はできたばかり、国会議員の定数や都道府県議員の定数について大幅削減を主張しますが、地方議会(日当制などの議会もあり)の実情、我孫子の市民の代表である実態も追々に伝えて、次なる目標は、あまりに一党に偏る千葉県議会の運営について、定数削減と同時に、党とともに改善を求めていきたいと考えています。 
posted by Nina at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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