2010年11月14日

アウンサンスーチーさん

ミャンマーのアウンサンスーチーさんは、21世紀の現代において数奇な運命をたどった女性の一人だと誰もが認めることだろう。21年もの軟禁生活にあっても、民主化への意思を貫き、遂にその身が解放されたことは、彼女を支えた市民社会の勝利ではないだろうか。女性が政治活動にかかわり、愛する夫や子供たちと離れてもここまで貫いてこられたのは多分に夫の理解が確信できていたからだろうと私は思う。夫にも子供にも会えないため、髪に花をさしていた花は夫へのメッセージだとも聞く。夫の誕生日には好きな白いバラを髪に差していたのだという。残念なことに癌のため既に他界されている。

アウンサンスーチーさんの略歴をひも解くと、1960年に母親のキンチーがインド大使に着任し、1962-63年にはデリー大学レディ・スリラム・カレッジで政治学を学ぶ。1964-67年にはイギリスのオックスフォード大学セント・ヒューズ・カレッジで哲学、政治学、経済学を学び、学士号を取得する。1972年にオックスフォードの後輩でチベット研究者のMichael Aris マイケル・アリス(1946-1999)と結婚し、アレキサンダーとキムの2人の息子をもうける。その後1985-86年には京都大学東南アジア研究センターの客員研究員として来日し、父アウンサン将軍についての歴史研究を進める。


1988年4月、病気の母を看護するためミャンマー(ビルマ)に戻る。1987年9月の高額紙幣廃止令などをきっかけに、学生を中心に始まった反政府運動(8888民主化運動)は、デモ中の学生が虐殺された同年3月以降に激化した。同年7月には1962年の軍事クーデターより独裁政治を敷いていたネ・ウィン将軍・ビルマ社会主義計画党議長が辞任した。戒厳令下では学生、市民らが大規模なデモを行った。アウンサンスーチーさんは8月26日にシュエダゴン・パゴダ前集会で50万人に向け演説を行った。民主化運動は徹底的に弾圧され、数千人の犠牲者が出た。9月に、翌1990年に予定された選挙への参加を目指し、国民民主連盟(NLD)の結党に参加する。全国遊説を行うが、1989年7月に自宅軟禁された。国外退去を条件に自由を認めるともちかけられたが拒否したと言われる。

軍事政権は1990年5月27日に総選挙を行い、アウンサンスーチーの率いる国民民主連盟が大勝した。しかし軍政側は権力の移譲を拒否した。激しい国際的な非難を招き、アウンサンスーチーは91年にノーベル平和賞を受賞した。賞金の130万ドルはビルマ国民の健康と教育のための基金の設立に使われた。

2009年には、国家転覆防止法違反があったとして訴追され、その際にはニコール・キッドマン、ブラッド・ピット、デビッド・ベッカムら著名人44人が、アウンサンスーチーさんへの訴追に反対し、解放を求める共同声明を発表した。軍事政権は軟禁期限は同年11月との声明を出し、アウンサンスーチーと弁護士にも軟禁解除を伝えた。その上で8月11日、国家転覆の罪で禁固3年の実刑を言い渡し、直後に執行猶予と1年6か月分の特赦を付けて再度の軟禁状態に置いた。2010年1月21日、軍事政権のマウン・ウ内相が地方の会合でアウンサンスーチーについて「軟禁期限となる11月に解放される」と述べていたことが分かった。また、同内相は、最大野党国民民主連盟 (NLD) のティン・ウ副議長も2月に釈放されると語った。11月13日、予定通りに軟禁を解除、解放された。最近、ミャンマー人の女子留学生と知りあったこともあり、ミャンマーの今回のニュースは朗報です。女性が頑張っていることをグローバルな支援で解決していく例ではないだろうか。

参考:Wikipedia

posted by Nina at 00:00| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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