2010年10月31日
庭先セール 7周年!
「庭先セール」 7周年
11月4日(木)10時〜1時
覗くだけでも大歓迎です。(小雨催行)
場所:つくし野1-22-28(1号公園坂の上)
我孫子市消費者の会 7184-9828(海津)
毎年、春秋に二回行っている庭先セール (我孫子市消費者の会主催。出店料なし、収益もご自由に)が今年で7年目になりました。ガレージセールの普及活動も兼ねています。始まりは「我孫子市市民活動元気つくり事業」(千葉県主催)としてスタートしました。どうぞ秋の日のお散歩がてら足を伸ばして来てください。
不用品の再利用も絶好の機会です、モッタイナイの精神でお持ちよりください。これまでに、ご近所カフェ、花屋さん、ワンコイン整体、子供のお店なども参加あり。 その他、市民相談や市政へのご相談もお気軽にどうぞ。
2010年10月29日
Teruteru-Prince
このところ雨が続いてとても寒い。30日、31日とイベントが続くのに皆が心配している。「にいなさんなら天気にできますか」と言われたので、「てるてる坊主を作って、天気がいいなとお祈りしましょう!」と答えた。そういうわけで、久しぶりにてるてる坊主を作ってみたら、懲りすぎてしまい、テルテル王子になってしまった。でもなんだか台風はそれてくれそうです。
遠くフィンランドから我孫子での人形劇を開催するために来てくださった劇団の皆さんへ、そして手賀沼に集まるエコマラソンの皆さんへ、「あした天気にな~れ」と、気合を入れて念を送りましょ!! 会場で楽しい笑顔の皆さんにお会い出来ますように。
2010年10月27日
リスクは恐れない者に運は巡る
実力者がどのようにつまずいたか、善行家がどこでもっとうまくやれたかを指摘する人物はいらない。
人のアラを探し、批評ばかりする評論家は、自らリスクを取ることをしない。
外野で騒ぐだけの人間を黙らせる言葉は、「自分でやってみろ!」。
2010年10月24日
フィンランドの人形劇の公演
フィンランドの劇団による人形劇 「おばけのパーティ」 (45分) が 中央学院大学(6号館6F)の学園祭にやってきます!
10月30日(土)、31日(日) 両日とも二回公演 午前11時、 午後2時(開場は30分前)
料金 500円 (フィンランド語ですが、4歳〜大人まで言葉に関係なく楽しめます)
学生達を中心に非営利の市民団体・AYAが、子供たちに演劇などの芸術に多く触れてもらいたいと昨年に続き企画したものです。
上記の一般公演のほかに、市内の学童保育の小学生や保育園の子供たちにも公演(無料)を行いなす。
我孫子市教育委員会との共同主催、フィンランド大使館後援
チケットの問い合わせ
AYA
(Arts for Young Audienceの略)
TEL/FAX 04-7188-7419
2010年10月23日
議会で起きている事
北総線に対して公費を助成につぎ込むことや不均衡な運賃体系を不服として半数の議員が反対した。そのための関連予算が削除されたので、沿線自治体(鎌ヶ谷、松戸、印西、市川、船橋)が経費(一部)が払い終えているなかで未払いとなっていた。北総鉄道側は「合意の枠組みが崩れれば再値上げせざるを得ない」との姿勢を示していた。そこで白井市長は、2度否決された予算を9月の議会へ再々提出した。9月議会の最終日は、深夜で流会となった。その後に、市長は一時削除された予算を専決処分して成立させた。
白井市議会は、定数の1名欠員で20名だ。このところ議会が真っ二つにわれているため、反対派、賛成派のどちらかが議長をだせば、多数決がつくことになる。流会になったのは、議長が討論に立つとの申し入れで、両派のどちらかが仮議長を出すことによって賛否がきまるので議長が決まらず議事がしたまま流会した。すでに、議会のたびに市長は反対派議員らにより不信任議決(否決)、辞職勧告、そして住民監査請求、訴訟という手段にせまられている。
2010年10月21日
「アクロス」の意味が分かった日
想像してみてください、理想が実現する時を。
信じて、やってみるしかない、人はなんと言おうとも。
というような事をジョン・レノンは言っていたように思う。
もうひとつ分かったことは、YouTube というのがなんでもありということだ。
本当に驚くべき展開で、世の中は変わっている。出来たらいい方向に変わっているのだと思いたい。
レコードを買っていた時代とは、とにかく様変わりしていたことを改めて知った。
↓
http://www.youtube.com/watch?v=VGh6Affxwa8
色々人間模様があって、そして想像もしなかったことも、これからの我孫子に起きそうだ?!
まるでマジカル・ミステリー・ツアー(MMT)のように、おもわぬ展開に期待してもいいかもしれない・・・・
2010年10月20日
決算審査、財政分析
2010年10月13日
What is a day today?!
2010年10月12日
女性議員として
樋渡議員のお話を聞いて、人間的に尊敬できる立派さな女性が政治に関わっているのを目の当たりに出来て、議員になれて良かったとおもった。私も樋渡さん(77歳二期目)からしたら、まだ未熟だが、頑張らなくてはと思った。 政治が信じられるようになっていくには、こういう女性がいたればこそと思えた。
基本理念
21世紀の日本
恒久平和への決意のもと戦争を放棄した国であることを忘れてはならない。戦争を知らない世代が増える一方で、戦争を体験してきた人々の訴えを真摯に語り継ぎたい。「戦争は人々から自由を奪い、人間性を失わせ、多くの悲惨をもたらし、強権による支配を許す。非人間的な大量殺人を繰り返す戦争に正義など有り得ない」と。「日本発平和なアジア」こそ未来の日本の名誉ある姿である。21世紀は環境の世紀
日本は今、大きな発想の転換を迫られている。前世紀の経済理論が崩壊しつつある現在、環境と生命の国際化する実態を見据えて、社会のあり方を見直し、新たな経済構造へ転換しなければならない。地球の環境保全は急務、一人ひとりが取り組むとともに国際社会での協議もされなくてはならない。国連を機能する組織に再構築すべきである。正真正銘の民主主義を日本に根付かせる
真の民主主義は、多くの人々に幸福をもたらす手段となる。多様な価値を尊重し、市民・国民主権に立脚した政治を実現し、行政の無駄が遅滞がないように政治を機能させたいと私は議員になった。
2010年10月11日
イキイキ人生のお手本、樋渡議員
「77歳とは思えない若々しさ、海津より若い」と手厳しい人(夫)からはと言われました。身びいきな方からは、「海津も負けていないわよ」とも声はありましたが、私もシャッポを脱ぎます(旧い言い方ですね)・・・。「しかも知識が豊富。二期目などとはウソのようで、実力、貫禄」とは誰もが感じたのでした。その他に更にメールできましたので、下記にご紹介(個人名部分省略)します。
しかし、たいへん素晴らしい方をおよびできたのに、けやきプラザの会場予約が抽選激化でいい部屋がセッティングできず、調理室となった。参加者の皆さんのお手伝いで、手早く机、椅子のセッティングをした。調理用の換気栓で声が聞き取りにくかったり、何度もどぎまぎする場面もあった。話を聞いているうちに次々に質問も飛び出して、予定時間オーバーした。最後の片付けは講師までが協力してくださり、またまた冷や汗をかいてしまった。しかし、これに懲りずに樋渡議員や皆様にも来て頂け、議員と語る機会をつくれたら幸甚です。
<写真は、港区議会にて>
----- Original Message -----Sent: Monday, October 11, 2010 10:41 PMSubject: Re: お礼海津様:
次々と企画を立てて私たちに色々な素晴らしい方を合わせて下さり本当に頂き有難うございます。
樋渡紀和子さんは、年齢を超えた美しさがあり、知的で品が良くて、内側から光りを放っている素敵な方ですね。学生時代、学校の先生や周りにいた人達とどこか共通の雰囲気を持つ方だなーと思っていましたら、私と同じ学校の出身だと伺い、すごく嬉しかったです。 (女性・市内)
> 本日の講演会は、樋渡さんと個別歓談したかったほど、大変有意義で良かったです。
> 特にスペイン語圏ゆかりの人で、小生には親近感を覚えました。時間さえあれば、例えば
> 官→民、地方分権、道州制 などにつき、樋渡さんの貴重な意見をもっと聞きたかったくらいです。
> ところで樋渡さんは間もなく78歳になるとは見えないくらい若々しく、チャレンジ・スピリットの旺盛な方ですね。
> こう言う人がスペイン語圏の大使になると、女性は適任と思いますが - - - 。
> ご本人さんは小生のことをあまりご記憶ないかも知れませんが、またもし種々お話を伺うことが出来れば大変幸甚です。
> 宜しくご伝声下さい。
> 本日は誠に有難うございました。 (男性・市内)
>
Subject: 講演のお礼
> CC:海津先生
>
> 今日の講演、どうもありがとうございました。
> 私は途中退席せざるを得ず、申し訳ございませんでした。
>
> 今の日本の現状は、非常に危機的状況にあると感じております。
> 今日の教育問題にしてもそうですが、あまりにも問題山積しており、それを解決するためには、最終的には国の問題に行きつくことが多々あります。
> このように、各分野における問題を解決するには、国ベースの問題解決が必要となってきます。
> 一方行政をみると、市・区レベルの問題あるいは都道府県レベルの問題を解決するには、国ベースの問題を解決しなければ、もはや解決するに至らないような問題が多々あります。
> すなわち、日本国をすべてゼロクリアして新たな国を作り上げなければならないところまで来ているのではないかと思っております。
>
> ところで、樋渡先生の「四木会」区政を考える会が、月1回開催され15年余りも続いているということは、”素晴らしい”の一言に尽きると感じました。
> 日本の現状を憂いているばかりではなく、毎月勉強調査活動を続けていくことにより、本当に的確な問題解決にいたるという成果が出てくるのではないかと思います。
>
> 先生の「四木会」15年には足下にも及びませんが、「継続は力なり」を感じました。
>
> 最後に、私と先生とは16歳違いますが、なぜ先生はお若いのでしょうか?
> その秘訣をお聞きしたかったのですが、退席せざるを得ず残念でした。
> 今日は、どうもありがとうございました。
>
> 以上 (男性・市内)
>
> ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
けやきプラザの11階からの展望は、スカイツリーも見えますし東葛区域が一望でき、来訪者への説明に便利な場所ですね。
樋渡様の後半のお話で、港区の現状や、 良い発想が採用され、実現されているとお聞きし嬉しくなりました。
楽しくためになる話で参加してよかったです。
樋渡さん、とてもステキな美しい方ですね。
黙って微笑んでいらしても存在感があります。憧れます。
樋渡さんのような女性になるのが目標です。
またよろしくお願いします。(女性・柏市)
昨日も夜来の雨が朝方まで降りしきり、我孫子走友会の日曜定例朝練が中止のやむなきに至るほどで、
”晴れ(&恵み)を呼ぶ)”Nina企画も(室内ではありましたが)さすがに雨に見舞われるのでは
と危惧されましたけれど、午前から雨が上がり、会場の「けやきプラザ8F」から手賀大橋がくっきり
見えて眺望を楽しむことさえでき、”晴れを呼ぶ”は今回も健在でした(^j^)。
講師の樋渡紀和子さんは、喜寿過ぎにとても見えぬ若さと麗しさを保たれ、
ご経歴からも伺える格調の高い品良いお人柄で、政治の世界に身を投じられているのが不思議なくらい”品格”兼ね備えた女流活動家で、
した(@_@)。都議会の内輪話まで聴けるのではと、事前予想していましたが、そのような「ドロドロした話」でなく、
最後に港区の良い点をお聞かせいただいたので、爽やかな気分になることができました。
ではまた・・・(^o^)/〜〜〜〜。 (男性・市内)
素敵なかたですね。
花があるというか、お上品なというか、志が高いというか。
また、お会いしてゆっくりお話を聞きたいです。
ついつい学校の事に反応してしゃべってしまい失礼しました。
あういう会の司会は、なかなか難しいと思いますが、
参加者皆さんそれぞれの思いを一言発言するのもいいです。
ご苦労様でした。
また、お手伝いのできることがあったら言ってください。
(女性・東京都)
2010年10月09日
学生運動と政治
別荘地の検索をしていたら、浅間山荘事件(1972年2月)が検索された。軽井沢にある河合楽器の保養所「浅間山荘」において連合赤軍が起こした事件だ。そうこうしているうちに、学生運動について思い起こし、Wikipediaで検索した。興味深いので転載しておく。
●学生運動
学生運動は、大正デモクラシーの時期に始まり、戦後になって盛んになった。1960年の安保闘争、1968-1970年の全共闘運動・大学紛争に盛り上りをみせるが、以後急速に後退し、現在に至るまで下火の状態が続いている。1968年のフランス五月革命や世界的なベトナム戦争反対運動や中国での文化大革命などの影響で、1967年から71年までをピークに新左翼の運動は一定の高揚を示したが、「内ゲバ」と呼称される左翼運動内部の暴力的抗争や爆弾などを用いたテロリズムによって、新左翼運動総体は民衆からの支持を失った。この頃、学費値上げに絡んで学生運動に参加した学生がこうした影響を受けて過激派と呼ばれる集団に引き込まれていった。この際、後に連合赤軍山岳ベース事件でリンチ殺人の犠牲となった遠山美枝子(二部法学部、麒麟麦酒勤務)などもいる。第二次ブント(共産主義者同盟)に加入したり、その後分裂した赤軍派(共産主義者同盟赤軍派)のメンバーになったものもいる。
日本共産党は第6回全国協議会を開催し、中国革命に影響を受けた「農村から都市を包囲する」式の武装闘争路線を正式に放棄した。これに不満を持つ学生党員は、1958年共産主義者同盟(ブント)を結成し、「暴力革命」路線を掲げた。
1959年、岸信介内閣が日米安全保障条約の永続化を目指すと、普段は政治と接点のない一般国民の間からも激しい反発の声が上がった。日本社会党・日本共産党が、突出した闘争で支持者が離れることを恐れて請願デモしか行わない中、共産主義者同盟(ブント)に結集した全日本学生自治会総連合は、国会突入などの実力行使で一部の国民から喝采を浴びた(60年安保闘争)。「闘わない既成左翼、闘う新左翼」とは、この頃新左翼の側から発生した表現である。
安保闘争は連日数十万人のデモが国会を包囲する未曾有の高揚を示したが、日米安全保障条約は成立。一方で岸内閣は総辞職する。共産主義者同盟(ブント)は「条約成立を阻止できなかった以上、運動は敗北であった」と総括し、四分五裂の分裂を開始することになる。
連合を反共産主義・労使協調路線と批判する日本共産党系労組はこれに対抗して連合結成と同じ1989年11月21日に全国労働組合総連合(全労連)を、社会党左派系労組は12月9日に全国労働組合連絡協議会(全労協)を結成した。そのため、連合の結成は真の意味での「統一」とはいえないとする見方もある。
1970年代前半の国鉄や郵政での反マル生(生産性向上運動)闘争や、同盟系労組も含めた春闘の高揚のなかで、急速に組織拡大が進められていった。1973年に福島の電電公社の労働者が頸肩腕症候群に悩んで入水自殺したことから、労働者を犠牲にした資本の利潤追求を告発し、「生命と権利」を守る視点から反合理化闘争を再強化しようとの呼びかけが行われたことも、労働強化に悩む青年の心を急速に捉えていった。また、学生同盟員も1970年代を通じて増大し、学生運動出身の同盟員が官公労、民間など各地の職場に配置されていった。こうして、1973年暮れの12回大会時には、社青同は結成以来最大の組織人員数を抱えるに至った。第12回大会では「生命と権利のたたかい」が正式に社青同の路線になるとともに、結成時以来の綱領・規約が全面改正された。委員長には山崎耕一郎が選出された。国際的には、チリのアジェンデ政権の成立、ベトナム戦争におけるベトナム人民の闘いの前進と、これと結びついたベトナム反戦闘争や沖縄闘争の高揚も当時の青年に社会主義運動への展望を与え、社青同の組織拡大へと結びついた。中でも、北海道、東京、千葉、兵庫、広島などの地本が大きな力を持った。
74年にマイナス成長を記録し、高度経済成長は終焉を迎えた。こうしたなか、74年春闘では、オイルショックによるインフレーションを背景に、労働組合側は30%を超える賃上げを獲得した。この労働運動や反戦運動の高揚のなか、政治の世界においては、国政での保革伯仲、革新自治体の増大など、日本資本主義は大きな危機を迎えた。こうした事態の「正常化」のために、「対話と協調」を唱える三木武夫内閣が登場し、企業・職場では「不況・赤字」宣伝によって労働運動の労使協調化が図られていった。こうしたなか、社会主義協会・社青同の階級闘争路線やその影響下にある青年活動家群は、資本・経営者だけでなく、一部の労働組合にとっても排除すべき対象となっていった。職場を「社会の安定帯」としたい資本・経営者側にとっては、街頭での警察を相手とした示威行動や、党派間の内ゲバに明け暮れていた新左翼よりも、労資対立の非和解性を主張しながら職場・生産点で活動し、労働組合で勢力拡大を図る社青同の方が、直接に危険な存在だったと言えよう。全電通における「協会規制」に象徴される労働運動内の左派抑え込みの動きは、民間労組においては労資協調の第二組合の結成と、第一組合の孤立・少数化という形で急速に拡大していった。労働運動全体でも、「生産性基準原理」を主張する資本・経営者によって「雇用か賃上げか」を迫られた労働組合が労資協調路線へと転換していくなかで、80年代には連合結成、総評解体という労働戦線再編が進められていった。社青同もこの労戦再編に反対したが、その流れは止められなかった。こうして、80年代の社青同は、国鉄分割民営化反対闘争や反核運動の高揚のなかで同盟員の拡大こそ進んでいたが、総評解散の流れのなかで一部を除いて労働組合との公式な関係は絶たれていくことになった。
直接政治に携わる政治家や官僚では無いので公人とは言えないが、言論などを通じて間接的に政治に影響を与えている。政治活動家は前述のみなし公人とは異なり政治に影響を与えているため、政治に携わっていないみなし公人を公人に含めない場合でも公人に準じた扱いを受けることがある。
●政治と政治家
政治家と言われるのは、国会議員、地方議員、地方首長は公職選挙法の適用対象となる公職とされ、公職にある者、公職の候補者または候補者となろうとする者が政治家の代表的な存在である。副知事、副市長、民間人閣僚、政治を志している人(政治活動家)も政治家と呼んで差し支えない。
政治よりもお金や権力など利権を得ることに熱心と思われる政治家を蔑称して政治屋(せいじや)と呼ぶこともある。日本の政治家の中に、特定の業界の単なる代理人でしかない者や暴力団と深いつながりを持っている者がいることも、こうした揶揄を生む理由となっている。また、近年では、親族や親戚の後を継承した世襲政治家や、タレントとしての知名度を武器に当選したタレント議員が多く政治家となることに疑問を呈する意見もある。
マックス・ヴェーバーは、「政治家の本領は『党派性』と『闘争』である」と指摘している。そのうえで、政治家に求められる資質として次の三つを挙げている。
1. 未来を構想しながら、現実を変革していこうとする情熱
2. 現状をいまそこにあるままに、しかも一定の距離感覚をもって理解できる洞察力
3. 政治が暴力を手段として選ばざるを得ないことを踏まえた結果責任への自覚
『政治学』を著した古代ギリシアの哲学者アリストテレスは、政治を研究する政治学を「善い社会」の実現を試みるためのマスターサイエンスであると位置づけている。このような位置づけは政治が理想社会を実現するために社会に対して働きかける性質を持つことを示している。政治が善い社会のために社会に作用する一方で、何が社会にとって善いかという問題に関する対立や協調も政治の領域には含まれる。
政治哲学者のハンナ・アーレントは『人間の条件』の中で政治を自己とは異なる他者に対して言語を使って働きかけ、結合する行為であると捉えている。つまり政治とは人々が善い社会で生活することを達成するために、社会に対して働きかけることであり、また何が善いことかという判断に関する議論を伴うものであると言うことができる。
●イデオロギーとは?
イデオロギーの定義は曖昧で、また歴史上その定義は一様でない。思想信条、哲学。
冷戦の終結後、イデオロギーの終焉を説く声が強まっている。社会民主的な中道・福祉政党が世界の大勢を占め、かつてのようなイデオロギーをふりかざすことなく職業的・専門的な政治家・官僚によって純粋に生活向上が図られる世界に向かっているのが現代である、という分析である。また思想の面からは主に構造主義者によってイデオロギーはディスクールに還元可能であるとされた。
しかし、これらの事実はイデオロギーの終焉を必ずしも意味しない。以下代表的なイデオロギー終焉論について簡単な内容を記すとともに、その問題点を指摘する。
マルクス主義的な見方の限界
資本主義社会はその経済論理をすべての階級に及ぼし、同化吸収的に階級社会を消滅させたと説かれた。ゆえにこのような社会では階級闘争は終結し、それに伴って深刻なイデオロギー的対立は解消したとされた。
しかしマルクスの見方には大きな欠陥がある。階級的な利害がイデオロギー的であることはもちろんであるが、イデオロギー自身は必ずしも階級的な利害を必要としない。つまりイデオロギーは何らかの階級制度や階級闘争を前提としない。前述のヴェイユの立場からも階級社会が解消されてもイデオロギー的抑圧がなお存在するであろうことはおそらく確実であると思われる。そもそも社会を階級闘争的にみる見方でさえ、社会的抑圧の形態を偽っているという意味でイデオロギー的であるといえる。
構造主義者によるイデオロギー終焉論 [編集]
またフーコーら構造主義の哲学では制度や権力に結びつく言語表現としてのディスクールによってイデオロギーは置き換え可能だとされた。彼らは実際生活上あらゆる言語は意識的にしろ無意識的にしろ権力や政治と結びついていない言語はないし、またあらゆる言語は政治的になりうることを主張し、そのような言語ないし言語的コミュニケーションをディスクールと名付けた。
構造主義者のディスクールに対しては定義でも記述したように、イデオロギーはただ政治的なだけではない。なんらか固有の見方、世界観を含み排他的である。意味的に中立的なディスクールとは代替不可能であり、イデオロギーはディスクールに還元できない固有の意味を持つ。
経済学におけるイデオロギー終焉論
さらに冷戦終結後、国際経済における資本主義の影響力が完全なものとなったため、意識的に資本主義の根本システムを改変することは事実上不可能なものとなっており、無条件で受け入れざるを得ないものとなっている。全ての経済・社会上の問題は資本主義的全体の一問題とされ、イデオロギーを介在させずに技術的に解決可能とされる。たとえば南北格差問題や紛争問題を経済上の利害に還元し、市場経済の範囲内でさまざまな調整をすることによって解決可能だとする見方である。この立場では資本主義的経済原理をすべての人が受け入れている以上、イデオロギー闘争のような根本的な思想対立はありえないと主張された。
しかし民族的な問題や宗教的な問題がしばしば国際紛争に発展することを見ても明らかなように、たとえ資本主義の原則を全ての人が認めたとしてもイデオロギー対立は存在しうる。イデオロギーの根本は信条や信念、あるいは党派的利害であって、経済原理や社会問題から出発してその思想を形成するのではない。
2010年10月07日
2010 Nobel Prize
I watche TV and knew the great news of a Japanese Nobel Prize winner this year after last year. According to the Norwegian Nobel Committee, there is the winner of Chemistry, Dr. SUZUKI Akira. Now, he is 80 years old but looks younger than his age, indeed. His significant evidence in his academic career will be received the Nobel prize 2010.
2010年10月02日
秋たけなわ
議員になって、7年目が終わろうとする議員二期目のいよいよ後半になってきた。
初選挙で駅に立って以来、7つの駅の南北口(場所によっては東口)を月曜から金曜までの毎朝巡回してきた。さすがに雨や雪などはお休みする。この頃は、市政レポートの他に、パソコンで「駅から通信」を作成して駅頭で渡すようになって久しい。時おりはカラーで印刷する時もあり、配っていると駅によっては足りなくなるので、その評判もなかなかいい。
さすがに毎日やっていると、最初の頃には出来なかったような芸当が出来るようになる。非常につまらない事かもしれないが、マイクを持ちながら「通信」を二つ折りにして渡し、臨機応変に喋る事が出来るようになった。かつては、原稿を作ってから喋っていたのに、今は即興で話す事が出て来る。伝えたいことが満載、次から次に出てくるのだから、ネタを探すこともいらない。いるのは、インフルエンザ用のマスクや紫外線防止の帽子だけれど、どっちらも駅頭活動には似合わないので着用できない。しかし、議員としての活動なので、夏もTシャツというわけにいかず、上着着用で駅前に立ち、日射しの強い暑い夏日は頭がぼーっとしてくる。むしろ、厳冬でも陽だまりに立つ方が活動としては楽だ。特に、正月のピーンと張りきった新春の空気は気持ちがいいし、挨拶も清清しく嬉しいものがある。新型インフルにならない為に、ただうがいと手洗いを励行していた。
新しい予備のスピーカーを買ったとたんに車にしまうのを忘れて、翌日いったら無くなっていてガッカリした事もあった。時には北柏の駅前にも行く。台田、根戸、船戸の方が利用している駅だからだ。広域行政のためには、柏市民にも我孫子の様子を伝えて理解を促すのは意味があると考えている。時代の変化と言えば、一期目の頃は車を止めて演説しても何事もなかったが、デジタル駐車違反取締になってからは有料駐車場に入れるようになってけっこうの出費だ。しかも、ある時は財布を忘れて車が出せなくなって、知人の家に200円を借りに行ったりもあった。それでも、色々な人たちに偶然にもお会いするのは嬉しくも楽しい。
「駅から通信」をPCで作り、議会毎の「市政レポート」の発行・郵送、そしてポスティングの作業、更にはブログの更新もあって、7年目になるが、朝から晩まで切りがないエンドレスな仕事になってきた。
駅頭でお渡しできなかった方、下記をクリックしてご一覧ください。
駅から通信 .pdf
駅頭で、海津にいなを見かけたら、是非ともお声をかけてください!お気づきの事、ご意見も是非お聞かせ下さい。