2010年08月16日

戦争と平和 

 靖国問題は、終戦記念日に閣僚の参拝が問題になり、行くの行かないの前日に行くだのと、毎夏の如く国内外を騒がせる重大なアジアの国際課題になっています。最初は別の名前でいまから130年以上前の1869年に建てられ、10年後に、「国を安らかにする」という意味の靖国神社と変えられました。多くの犠牲を払った戦いだったため、明治政府は新しい時代を迎えるにあたり戦死した明治政府側の戦死者を神様として祀って讃えようと名を変えたのです。その後、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦で亡くなった兵士たちも靖国神社に祀られました。

初め、靖国神社は明治維新の時に起きた戊辰戦争の朝廷方戦死者を慰霊するめ為に大村益次郎によって「東京招魂社」の名で創建されました。黒船来航までさかのぼる合祀対象基準を設けている為、幕末の志士である吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作、中岡慎太郎、武市半平太なども維新殉難者として合祀されている。一方、旧幕府軍の兵士や、奥羽越列藩同盟の兵士、新選組や彰義隊などの旧幕臣の戦死者は祀られていません。また、明治維新の功労者でも、その後に叛乱を起こし、あるいは叛乱に加担した西郷隆盛や江藤新平、前原一誠らは祀られていません。ただし、禁門の変で長州藩勢との戦いで戦死した会津藩兵らは、朝廷(天皇)を守護したとして祀られています。

女性は、西南戦争、日清戦争、日露戦争、大東亜戦争における軍病院、病院船の従軍・救護看護婦などが、5万7千余柱が祀られている。沖縄戦でのひめゆり学徒隊、白梅学徒隊等の7女学校の生徒、南樺太での真岡郵便電信局事件の女性たちも含まれています。
 
日本人限らず、中国人・朝鮮人も兵士として徴用されて、日本の為に死んでいったので合わせて祀られています。そこには紙に名前が書かれて祀るのであって、屍が祀られているのではありません。日本(天皇)の為死んでいった人に対して御霊(みたま)にたいし、ただ純粋に手を合わせてお参りが日本の礼節とされました。戦後に、A級戦犯が祀られており、この合祀問題から、昭和50年から天皇の参列はなくなっています。靖国神社の境内には、戦死者を賛美する施設、彫刻などが数多くあります(下記の写真;左 戦争三勇士 右 遊就館)。
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ところで、下記の写真は、隣市・柏の戦跡保存の様子です。 柏には第二次大戦の時の軍事基地として、飛行場や砲台などがありました。 それらの場所を教育委員会が中心になり戦跡として保存しています。 恒久平和を願い、戦争の実態を風化させない努力をしています。

DSC00498.JPG ←畑の中に残る砲台跡   

                                     ↓ 飛行場跡は現自衛隊施設
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                                  ↓ 第二連隊の営門跡 
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フランスでは・・・・
posted by Nina at 18:29| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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