2010年05月04日

上海雑記

上海万博が始まった。昨年、春先に上海・南京を訪れた際に、上海の駅前、市内に万博キャラクターが目についた。益々、中国が活気つくのだろうなあと思ったものだった。
江澤民.jpg
市内を歩いていて、過去に江沢民氏が上海市の市長であったことを改めて認識した。上海からほど近い町である南京は日本軍によって大虐殺が行われたところで、その虐殺された人数には諸説があるとされるが、日本の教科書にもその数を史実として触れているものもある。しかし、南京にある記念碑が、いかに大きいかとか、その建立費用を日本の政党が資金援助し、挙句にもらった方の中国共産党がどのようにしたかということを調べているうちに、どれ一つをとっても事実認識とは、調べれば調べるほど思わぬ事が多いのだと感じるのみだった。まして教科書に歴史を記すともなると、事実を認識をすることは必要だが、何のためにどこを強調するのか、近隣の国であればあるほど感情を煽って敵愾心を募らせるというのではなくて、理解を進める手だてにしていかなければならない。政治、特に外交を操る人は一筋縄ではいかない人ばかりが多いのだから、21世紀の私たち地球市民は一国安寧を思うだけではなくて、将来にわたる世界の平和を考えなくてはいけないと私は思うようになった。 

                                              資料参考:Wikipedia ↓


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江沢民の対日政策は、一貫して反日・強硬路線を採った。江沢民は、天安門事件で経済制裁を受けたうえに東欧革命やソ連崩壊の影響によって自国の共産主義政権が崩壊することを恐れ、国民に対して中国共産党による統治の正統性を再確認させるとともに、政治への不満から目を逸らせる為に愛国主義教育(反日教育)を推進したのである。

江沢民の訪日は1998年11月に行われているが、その際、今上天皇と当時の小渕恵三首相に対して過去の歴史に基づいた謝罪要求をし、その執拗さに保守派のみならず親中派の反発まで買うことになった。さらに、この訪日中の11月26日に行われた天皇主催の豊明殿での宮中晩餐会の席上、江沢民は中国共産党の礼服である中山服(人民服)で出席。これが非礼ではないかと問題視する者もいる。なお、中山服着用の件について中国側は、「式服か民族服を着用するように日本外務省から要望があったために、中山服を民族服として選んだ」としている。

日本の首相による靖国神社参拝には断固反対の立場をとった。江沢民と後任の胡錦濤は、靖国神社を毎年参拝した小泉純一郎首相とは極力首脳会談を行わなかった。

2006年8月に発売された江沢民文選によると、1998年8月に「(日本に対しては)歴史問題を始終強調し、永遠に話していかなくてはならない(つまり、プレッシャーをかけ続けなければいけない)」と外国に駐在する特命全権大使など外交当局者を集めた会議で指示を出していた。同年11月に中国国家主席として初めて日本を訪れた際は「日本政府による歴史教育が不十分だから、(国民の)不幸な歴史に対する知識が極めて乏しい」と発言をして日本の歴史教育を激しく非難した一方、1979年に中華人民共和国がベトナムを侵攻した中越戦争について江沢民は、ベトナムを訪問したときに謝罪するどころかベトナムの首脳に「もう過去のことは忘れよう」と言って正当化し、中越戦争のことを教科書から削除するよう求めた。
posted by Nina at 15:38| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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