2010年05月31日

みんなの党の渡辺代表、来る

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無事に 講演会@根戸近隣センター(5/30)を終了しました。

ご参加くださった皆様、ボランティアで会場設営の準備を下さったGシードの皆様、ありがとうございました。

今回の企画は、女性議員仲間の田中朝子さんが、渡辺よしみさん、水野賢一さんをお誘いくださり実現したものです。

なにかと話題の方々ばかりなので、大勢の皆様から質問が相次ぎ、司会を務めた海津にいなもマイクが一本では足りないくらいでした。
posted by Nina at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月23日

どうすることも出来ない事

日曜日、雨の中を久しぶりに第二のふる里・芦屋を歩いた。あの震災からももう15年以上もたっている。

阪神大震災の時に、連絡が取れなくなって友人達が心配で、テレビに釘つけになって心配した。新内閣となって村山首相となって直後だったが、自衛隊への采配が悪かったために神戸の震災後の火事はどんどん燃え広がった。初期対応の遅れで、二次災害も起きたのだった。首相の判断は、これほどまでに人の命にかかわるのかとテレビで残酷なまでに見せた。そして、政権与党の頂点に坐したのを最後に社民党は低迷していった。

我孫子に来てから、3回も転居した。この地が私が生まれてからもっとも長く住む土地になるとは思わなかったが、そのうえにひょんなきっかけで選挙に出て、色々な方に誘われていくつかお宅をお訪ねしてたが、またまたひょんなことで芦屋時代の幼稚園のお友達の知り合いの方と偶然知り合った。そしてその共通の芦屋の友人がすい臓がんだった事がつい最近に分かった。視察が芦屋だったので久しぶりに電話したことが、きっかけだった。電話での様子が変だったなあと思ったが、あとで末期癌だとメールが来て驚いた。視察から帰って、毎日、図書館で大量に本を借りたり、癌センターに勤務している人に電話をしたり、毎日いてもたってもいられなくなって眠れなくなった。

そして、やはりとにかく会って手術を進めようとと思った。友人には知らせずに彼女の家の近くまで行って電話した。幸い在宅していたので、出てきて会ってくれた。30分くらい話をしながらお茶を飲んだが、その間にもそっと薬を取り出して飲んでいた。どうすることも出来ない、ただ抱き合って泣いてしまった。仕方がないと言いたくはないけれど、どうしようもないことがあるのが、よくわかった。彼女は私に「良い議員さんになってね」とそっと言った。確かに、三年前の選挙の時に新幹線で日帰り応援に来てくれたのを思い出した。わざわざ応援をしようと思って、お金をはたいて来てくれた親友の気持ちが分かった。なんとかしてあげたいと思うからだ。

すぐに新幹線に乗る気にもなれなくて、雨の町を歩いた。慣れ親しんだ家のあたりを歩きまわったが、雨の宮川は急流になっていた。町は見事に復興して、前よりも整然とした街並みになっていた。電話しても、いつか返事をくれなくなってしまうのだと思うと辛い。ご家族も、相当に大変な想いで自宅療養を見守っているのだと思う。ローンで買ったばかりのマンションが震災にあってしまって、その恐怖体験から抜け出すために再度住宅ローンを組んで新たな場所に転居し、そのローンを返すために頑張って仕事を続けていた。ストレスの多い職場だと言うのは聞いていたけれど、ストレスこそ癌を誘発する原因だと言う。

私が我孫子の市民会館の耐震強度問題のことをずーっと指摘し続けたのは、多くの市民が集う場が耐震強度がなくて、危険だという専門家の報告書が出来ていたのに放置していたことを知ったからだった。
当時、障害者の就労支援の相談窓口、赤ちゃん広場、ファミリーサポートセンターなどが市民会館にあった。それこそ災害弱者と言われる人が来ることが多いわけだし、成人式や中学生の合唱祭などでっ町中の子供たち、新成人が集まっている時もある。もし大地震になったら、市の貴重な未来の人的資源を一挙に失ってしまう事になる。それだけではない、震災の恐怖体験でそういう子供たちはPTSDの後遺症にもなるのも聞いていた。

そもそも公共施設は、通常の家屋より多少とも安全だと思われているはずだ。時に避難所になったりするのが公共的施設だ。危険との指摘がされて、報告書まで出ていて、それを使い続けて、集会施設にもなるところで子供たちに恐怖体験をさせてはいけないと思ったから、私は一期目ではあったが、議会ごとにその点を追求し続けることになった。市民会館を廃止に追い込む事になるかもしれないと心苦しくなることもあったが、市民の安全を守るのは議員としては職務だろうと考え、孤立しても頑張って言い続ける方を選んだ。一期目は市民開館の事で悩んだものだった(なんで、市長、先輩議員はなんでも知ってて放置しているのか??などと)。少ないけれど、私の主張は間違ってないと応援してくれる市民もいたから、言い続けられた。一期目だから出来たのかもしれない。そして、芦屋にいる友人達の苦労、恐怖体験を思ったから言い続けたのも事実だった。その意味でもなつかしい「我孫子市民会館」ももうまもなく姿を消す。

そして我孫子の市議会で活動するだけの私では、なんともしれ上げられないのだなあと、落胆しながら新幹線で戻ってきた。23日の夜遅く、我孫子に戻った。寒い冬の雨のような日だった。

posted by Nina at 21:18| 千葉 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月10日

親水都市・我孫子!

レンタサイクルを借りて手賀沼のサイクリングロードを走ってみました。行き交う人もみな機嫌のいい笑顔です。この所にないほどよいお天気に恵まれた一日でした。この日は福祉まつりとエンジョイ手賀沼のイベントが手賀沼公園を会場に行われたので、手賀沼は大賑わいでした。暑さも手伝って、船上見学、カヌー、アクセスデンギー等などはグッドタイミング、こういう水上を使った取り組みが出来るのが我孫子の強みです。最近は、各地でラフティングが人気となっており、観光に取り入れて成功しているところもあります。我孫子も様々な人寄せの企画をしていくべきです。何より、心強いのは市民のパワーがあることです。太陽を望遠鏡で見せてくれたり、竹宵いの取り組み、福祉関係の団体活動など、手賀沼公園入り口〜親水広場一面が市民パワーで埋め尽くされていました。
P4220680.JPGラフィティング(画像は京都・保津川)

望遠鏡で太陽を覗き見したP4280699.JPG


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                 竹宵いの取り組み
                    はユニーク
posted by Nina at 00:37| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月04日

上海雑記

上海万博が始まった。昨年、春先に上海・南京を訪れた際に、上海の駅前、市内に万博キャラクターが目についた。益々、中国が活気つくのだろうなあと思ったものだった。
江澤民.jpg
市内を歩いていて、過去に江沢民氏が上海市の市長であったことを改めて認識した。上海からほど近い町である南京は日本軍によって大虐殺が行われたところで、その虐殺された人数には諸説があるとされるが、日本の教科書にもその数を史実として触れているものもある。しかし、南京にある記念碑が、いかに大きいかとか、その建立費用を日本の政党が資金援助し、挙句にもらった方の中国共産党がどのようにしたかということを調べているうちに、どれ一つをとっても事実認識とは、調べれば調べるほど思わぬ事が多いのだと感じるのみだった。まして教科書に歴史を記すともなると、事実を認識をすることは必要だが、何のためにどこを強調するのか、近隣の国であればあるほど感情を煽って敵愾心を募らせるというのではなくて、理解を進める手だてにしていかなければならない。政治、特に外交を操る人は一筋縄ではいかない人ばかりが多いのだから、21世紀の私たち地球市民は一国安寧を思うだけではなくて、将来にわたる世界の平和を考えなくてはいけないと私は思うようになった。 

                                              資料参考:Wikipedia ↓


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江沢民の対日政策は、一貫して反日・強硬路線を採った。江沢民は、天安門事件で経済制裁を受けたうえに東欧革命やソ連崩壊の影響によって自国の共産主義政権が崩壊することを恐れ、国民に対して中国共産党による統治の正統性を再確認させるとともに、政治への不満から目を逸らせる為に愛国主義教育(反日教育)を推進したのである。

江沢民の訪日は1998年11月に行われているが、その際、今上天皇と当時の小渕恵三首相に対して過去の歴史に基づいた謝罪要求をし、その執拗さに保守派のみならず親中派の反発まで買うことになった。さらに、この訪日中の11月26日に行われた天皇主催の豊明殿での宮中晩餐会の席上、江沢民は中国共産党の礼服である中山服(人民服)で出席。これが非礼ではないかと問題視する者もいる。なお、中山服着用の件について中国側は、「式服か民族服を着用するように日本外務省から要望があったために、中山服を民族服として選んだ」としている。

日本の首相による靖国神社参拝には断固反対の立場をとった。江沢民と後任の胡錦濤は、靖国神社を毎年参拝した小泉純一郎首相とは極力首脳会談を行わなかった。

2006年8月に発売された江沢民文選によると、1998年8月に「(日本に対しては)歴史問題を始終強調し、永遠に話していかなくてはならない(つまり、プレッシャーをかけ続けなければいけない)」と外国に駐在する特命全権大使など外交当局者を集めた会議で指示を出していた。同年11月に中国国家主席として初めて日本を訪れた際は「日本政府による歴史教育が不十分だから、(国民の)不幸な歴史に対する知識が極めて乏しい」と発言をして日本の歴史教育を激しく非難した一方、1979年に中華人民共和国がベトナムを侵攻した中越戦争について江沢民は、ベトナムを訪問したときに謝罪するどころかベトナムの首脳に「もう過去のことは忘れよう」と言って正当化し、中越戦争のことを教科書から削除するよう求めた。
posted by Nina at 15:38| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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