今夏は、いよいよ我孫子にもインフォメーションセンターが出来ます。国連は「観光は平和へのパスポート」との決議もしている。そういう点で、我孫子にも観光の取り組みは重要になりました。
そこで、地元の新聞などで募集をして、地元・近隣の文化歴史を知るツアーを計画しましたところ、4/3(土)、桜の季節だということもあって多くの方のお申し込みを頂きました。しかし、これまで経験してきた研修会やイベントとは違って、観光として多くの方を“おもてなし”するという意識をしながら全行程を無事に終えるというのはなかなか大変なことだと改めて感じた次第です。バス参加者の皆様の協力体制が自然に出来あがって、楽しく終えることができ、かいつまんでレポートしておきます。
今回は、「我孫子カルチャー&トーク(ACT)」の活動として、バスツアーでした。地元・近隣の歴史認識を新たにすること、人との交流という事が国際社会の一員としてもまずは大事だろうと思うからです。幸い、何人かにバスツアーの相談をしたところ桜の花見にもいい季節だと賛成して下さったのが始まりでした。このツアーを通して我孫子市内でどのような観光の展開を考えられるのか、何か把握することも出来るのではと考えてもいました。
最初の見学場所は、間宮林蔵記念館でした。合併後も無料で入館できる(我孫子市の白樺文学館は百円値上げです)貴重な資料館でした。今回は、すべて無料の施設を選んで見学コースが組む事ができたが、今後の事は分からない。
間宮林蔵も当時で言えば、今で言えば超ラッキーな人だったとも言える。百姓の生まれながらその才覚に目を付けられて、村の為になる人材だとして江戸に送られる(そのために養子縁組で間宮姓なる必要があったとのこと)勉学にいそしみ、治水、測量の技術を身につけ、伊能忠敬に教えを請けて日本地図つくりに参加している。樺太を発見して、世界地図にその名を刻まれた人物が、お隣の茨城とは言え我孫子にほど近い所で生まれた人だとは参加者の多くが知らなかった。桜のやさしい色合いに染まる景色を見ながら、当時の世界探検に思いを馳せて、しばし感慨にふけったが、しかし、ガイドさんの名講釈のお陰で、行く先々で感動はさざ波のように押し寄せてくるのでした。史跡を丁寧に案内してくれるので、皆が皆、聞きもらすまいと真剣にガイドさんを囲んで静かにお話を聞いている。
バスに乗った方たちは、強運の参加者だったからなのか、長塚節(ながつかたかし、夏目漱石に絶賛された『土』を発表後、早折した常総出身の小説家)の生家を訪ねた時には、その家の管理をされている親せきの方がたまたま庭先に出ていた、家の中まで招き入れてださった。
200年もたつという家だったが、立派な母屋の松の木で作ったという太い梁をみわたせる広い土間や、シュロの天然木を中国から取り寄せた床柱、瀟洒な細工を施した欄間、長塚節が使った特別あつらえの机と椅子などが置かれる客間にまで上げてくださり、長塚家がいかなる豪農だったかを偲ぶこともできました。それらも目を見張ったけれど、なんと管理をするために練馬の自宅から金曜日にポルシェで高速を飛ばして、毎週末にお掃除したりしているのだと聞いた上に、お年を聞いたらなんと90歳を超えておられると言うから一同目を丸くしてしまった。代わる代わるに長塚家子孫の管理人さんとツーショット写真を撮り、温かい手としかり握手した。「高速道をビュンビュン走って、何人も抜いてくるからここまであっという間だよ」とこともなげに笑顔で応対してくださって、私たちは山里で仙人に出くわしたような煙に巻かれたような不思議体験をした。ちなみにガイドさんは何回もきているけれど家の中に入れてもらったのは初めてとのことだった。
名ガイドさんがピックアップしたコースには、将門ゆかりの地も含まれていた。朝廷の圧力に対抗して民百姓を守ろうとした将門を地域の人たちは隠れキリシタンのように慕って、将門の無念を沈めようと祠や碑を残していたようです。それから時を経て、我孫子の地には白樺派の青年たちが移り住みました。その『白樺』創刊から100周年の年ともなり、市政周年を迎えます。柳宗悦・兼子夫妻のお話を記した我孫子カルチャー&トークの冊子を皆様にお渡した。
柳夫妻らは当時の朝鮮支配を進める日本に警鐘を鳴らし、我孫子の地にあって多くの論文を発表し、夫妻で活動をしました。そのことが今少しずつ、認識を新たにされるようになってきており、世界の学者からも我孫子が注目されるようになるでしょう。
さて、参加者の中には世界の人形コレクターがいらした。中からは「今度、お寄りしてもいいですか」などのやり取りがあり、袖触れ合うも多少の縁も広がりました。最後に我孫子市直販所に降り立ちお土産(?!)も仕入れて無事ツアーを終えました。参加して下さった方々、運転手さんにも感謝、感謝の良い一日でした。
・・備忘録・・
ガイド経験が豊富な方は色々な注意もしてくださった。ツアーは思わぬところでけがをしたり、事故も起きるのですよと言われていたので、改めて人を率いる大変さ、人を楽しませる技というのを伺い知った。確かに、参加予定の方の中には日程の直前になって胆石が見つかって急遽手術となった方やら、気候の変わり目で狭心症なのか心電図のパルスメーターをつけながらドクターストップになった人、前日に電車の中で倒れて救急車で運ばれたとか、親せきが危篤、体調不良と一時補助席まで乗るはずだったのがドタキャンが続いて10名減ってしまった。椅子の数ちょうどの参加者となって、旅は道連れ世は情けと言うけれど、それでも旅をいざなうのは実は易しいことではないのだなあと今回はツアコン業務の大変さも実感しました。
参加者の中には、高校の社会科の歴史の先生もおられたが、「凄い、素晴らしい」を連発されていました。縦横無尽に歴史上の人物、年号を話すことが実は神業のようなのだろうけれど、その上にトイレはどこ、休憩は何分と適切な指示で、至れりつくせりなので皆が、桜の花見もだけれどガイドさんの素晴らしさに脱帽したのだった。ホスピタリティ、おもてなしの心をもって対応してくれるガイドさんの対応、とにかく他を圧倒する豊富な知識に一同圧巻され、感動してしまった。行けなくなってキャンセルの方は本当に残念と思う。引っ張りだこなの方なので、まして花見の時期にお願いできたというのは極めてラッキーだったと、参加できたものの一人としても心からの感謝!
posted by Nina at 08:09| 千葉 |
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