駅伝の感想としては、若い学生たちを応援するこうした機会は少子高齢化のこれからの社会には乙な事であると思った。この箱根大会の歴史が始まったのは86年前(大正13年)、世界に伍していける若者を作りたいとの創始者の想いは、今も脈々と受け継がれ、皆が応援し感動する。なんと凄いグローバルな発想だろうか。テレビも車もなかった時代だ。その感動を我孫子市民にもたらしてくれる、地元・中央学院大には我が家からほど近い。私は、親類が横浜にいたので正月に坂の上から観戦したり、また我中の駅伝優勝の監督が娘の担任だったので駅伝には関心があった。一度、箱根の沿道で応援してみたいと思っていた。応援するだけでも感動できて、中央学院大の皆様には感謝あるのみだ。シード権を奪還し、また上位入賞や優勝に向けて頑張って欲しい
ところで応援といっても、目指す中央学院大の学生が目の前を通るのはほんの数秒!! しかも、出発地点で待ち構え、箱根のゴール付近にて待ち構える二か所のポイントのみだ。応援の声をかける一瞬よりは待っている方が長い。学生たちは一人ずつタスキを繋いで走ってくるので、都合、20人もの学生が走っていくのを見るわけだ。こうした応援にはチアガールや応援団の渾身の応援、それにブラスバンドの演奏もつきものだ。ところが、彼らは応援に来ていても一人の選手も走るのを見ていないと思う。通りから奥まった場所に陣取るからだ。そしてそれを支える親御さん、親せき、関係者なども毎年応援に来ていると言う事だった。応援団、ブラスバンドなどの学生も、年末年始は4年間練習に明け暮れることになるので、そうした家庭はなんだかんだと正月が尋常ではないのだろう。どの大学も何十本もの旗を沿道に陣取り合戦のように並べる。旗が少ないと応援も少ない気がして選手は気持ちが萎えるだろう、だから勝ち進むためには周りの応援も力強さが必要だ。単純なことだけれど、応援する人が大勢いてくれるという安心感が、彼らを頑張らせるのは間違いない。私も選挙の時に上り旗を持ってもらって応援をしてもらう側になるので、実感する

残念なことに、朝のバスに乗り込むなり、「選手が3人ダウン(後で聞くと4人)しまして、往路の選手は翌日の復路の選手を出すことになりました。皆様には期待頂けない結果も予想されるので申し訳ない・・・」などとの話があった。往路のゴール地点で待ち構えている間にどんどん順位がさがり、一時は19位につけている時もあって、私たちはどうやって応援したものかと待っていると、順位を上げて17位で往路ゴール、総合13位でゴール、後半に立て直していた。数のないなかでチームが頑張ったのだなあと舞台裏の事情を知って、すっかり身内気分になっていた。選手たちは、何とかシードを守りたい、伝統のタスキを後輩に繋ぎたいと直前の調整に入る中で頑張りすぎてしまって足に故障をきたすのが原因らしい。しかも、その傾向は選手間に連鎖して、走り込み過ぎが複数になっていくようだ。チームの気持ちの高まりが、調整以上の無理になってかえって良くない結果に至るということらしい

中央学院大は、これまで一般の入学者の中から駅伝部に入ってきた学生を選手に育て、学業をきちんとこなすことが学生の本分、その上に体をつくるスポーツも力を入れるとの教育方針だという。そのため、監督の考えは、普通の学生がどこまで出来るかという事でいいのだと教え育て、伸びていけるように指導するというのを聞いたことがある。私は特別な学生を指導して大会へ出場させていたのだと思っていたから驚いた事がある。若い学生が伸びていける環境というのを作るのが大人の役割なのだなあ、そういう社会を作れるのはいいことだなあと、若者たち自らの逞しさに期待するようになった。
チームワーク、続けることの意義、駅伝は日本で作られてきたスポーツだというのを知って、皆で応援して頑張る日本社会の風土にもあっていると思った。きっと近い将来、我孫子の人たちの応援で中央学院大学が首位につく日があるかもしれない。今年度、我孫子中学校は東葛駅伝、県駅伝優勝、関東駅伝3位、全国駅伝大会に6位入賞の栄誉をもたらした。我孫子の地で頑張っている青少年を益々応援したい。
目標や夢は叶えるためにある!