2010年01月25日

沖縄の選択

24日の名護市市長選で同市辺野古への基地移設に反対する新人・稲嶺進氏(64)が、容認派の現職・島袋吉和氏(63)を破って当選した。普天間基地(沖縄県宜野湾市)については、米国が要望する名護市への移設を認めるかどうかで政府の検討が続いている。僅差1600票が市民の苦渋の選択を物語っている。

私は2004年11月に沖縄の那覇市、北谷町を平和条例の研究で視察に行った。移動途中で、大学の夏休み休暇中(写真は沖縄国際大学の校舎の当時のもの)に米軍機が落下した事故の傷跡をみることになった。

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北谷町(チャタン町)は、人口3万未満の小さな町で、宜野湾市に隣接する。米軍基地が町の54%占め、県内で米軍基地占有率3位だ。「平和の日」を制定しているということで、その説明をして頂いたが、役場職員は、役場のぐるりが米軍の基地なのだと位置を説明されて、やはり文献、ホームページだけでは気付かないことが多いものだと視察する意義を改めて実感した。視察後には庁舎の屋上からその状況を見せてくれたが、フェンス越しのすぐ向こうが米軍基地で爆音とともに米軍機が飛来する。町は基地の高官と地道に交渉して町役場の土地を得るなど返還要求をしてきたと話してくれた。

IMG_0002.jpg町役場の周辺説明

「平和の日」を設定しいる町なのは、沖縄戦の凄まじさを忘れないで平和な町となったのを心に止めておこうというものだ。一方で、沖縄はいかに自治体ぐるみで経済を活性化させるか町職員は町民の期待を一身に受け、必死になって何百もの企業に誘致活動に出向いて全国を歩いたのだと話してくれた。最初は全然だったが、躍起になって何度も出向いて成功に漕ぎつけたとアメリカンビレッジ構想(河岸を開発して、町の面積も広げたり、米軍基地の人たちとも融和する)の苦心談も聞いた。その年には、佐倉市の中学生の長崎平和派遣(もともと、我孫子市に平和条例を制定してはの提案は、佐倉市へ福祉についての行政視察に行ったのが発端)にも同行させてもらった。佐倉市は、宣言のみならず、条例も制定していたので、我孫子市でも戦後60周年の節目に条例を制定してはどうかと提案した。そうした質疑を繰り返す中で、60周年平和事業推進市民委員会(下記は、市民委員会のワーキンググループの状況です)
が設置されることになって、その事業の一つに広島への平和派遣が始まった。それまで、広島平和式典の行政席に我孫子市として参列してきたが、長らくそれもスットップしていたという。そこで、佐倉の中学生の長崎派遣の同行した模様を克明に説明し議会質問を繰り返してきていた。当市における平和条例制定へにはそれなりに紆余曲折もあったが、議会の理解を取り付けるまでに、長いこと市民とともに努力してきたのをふと思い出した。 

07年市長選で市長が変わり、その翌年に市民公募などの条例制定委員が発足し、半年で条例案がまとめられて、議会で議決したのが平成20年の6月議会だった。日本が戦争に加担しないで、平成が二十歳を迎えたお祝いだったと私は思った。

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2010年01月22日

国際理解が進む

「留学生は先生」という国際理解推進の学校プログラムに、このところボランティアに数回行っている。AIRA(我孫子市国際交流協会)の活動の柱の一つになっていて学校教育としても評価されている事業だ。始めてから10年以上になるが、当初は学校からも授業時間を割いてまでやれるのかと批判的な意見もあったようにも聞く。今でこそ評価が高いが、ここまで来るには、このプログラムを導入したいと考えて、続けてきた人たちの熱心な働き掛けがあったことが大きいのだろうと頭が下がる。

今や、どの学校の生徒たちも「留学生が先生」でお話を聞くのを大変に楽しみにしているという。私は、小中学校ともボランティアに行ったが、特に小学校の生徒たちの反応がいいのには驚いた。次々に積極的に質問してくる。私もNGO(Non−Governmental Organization)の活動を長年続けているのだが、それぞれの先生たちが熱心に準備してきているので、話に釣り込まれてしまう。国が独立するまでにどんなに苦労したか、なぜ国旗を大切にするか、食べ物、習慣、気候の違いなど、丁寧に日本語で分かりやすく話してくれる。日本の著名な大学の博士課程で研究をしている方達ということもあってか、帰国してどのような立場で国に貢献するか、大変に志が高いし、勉強の出来るという環境があるという日本の状況の大切まで語る留学生もいて、胸が熱くなる。

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生徒たちは聞きたい先生のクラスに分かれて留学生から話を聞く。先生は、このプログラムのために4,5人〜7,8人くらい来る。そして、毎回、韓国の留学生は、特に男子に人気が高いのを知って驚いた。どうも韓国のスポーツ選手が活躍するなどに興味があって、生徒たちは韓国の野球選手などの名前をよく知っている。私は、韓流スターに夢中の女性たちが多い事は知っていたが、若い日本の世代もこんなにお隣の国にも興味があるとは知らなかった。そして反対に、韓国に行くと韓国の学生たちが日本のアニメやドラマ、日本の歌手に大変熱中していることを聞いたが、サッカーワールドカップで韓国熱がブレイクし始めた10年ほど前から更に、今や相思相愛の状態なのだと、認識を新たにした。これまでの日韓関係のトラウマを一新してきていることも知ることが出来て、私としては嬉しい体験だった。写真上は、韓国の男子の民族衣装を着てみたいという新木小の生徒たちが並んでいるところ。留学生の話によると男子の服はピンク(写真・下)もよくあるのだということで、韓国は男女の色にもこだわりがないのかと、知ってるつもりが知らないことばかりだと改めて感じた。

ところで、我孫子にホームステイに来た人たちから、我孫子の印象*は非常に良いのを聞いたばかりだったが、留学生は先生の人たちも我孫子の雰囲気がとても気に入って「また我孫子に来て話をしたい」と真顔で言われた。我孫子に住んで当たり前になっている街の様子が、実はとても得難いものであると言う事を、我孫子に訪れる人から聞いて気付かされる。この街のおだやかな環境は世界の人々に人気が高い。そして、それはこのおだやかな土地に育まれた生徒たちの態度ばかりでなく、すべからく我孫子の優しさ、おだやかさが伝わっていくからなのだろうかと思ったりした。いつの日か、世界の人たちから一度は来て見てみたい街と認識されて、もっともっと人が訪れる、「世界の中の我孫子」になる日もあるような気もしてきた。

*ホームステイに来た学生からの感想文(12/24ブログ

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2010年01月19日

ウクライナの女性とオレンジ革命

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uk.wikipedia.org

ウクライナの女性、ティモシェンコ首相が時期大統領かと注目されている。ウクライナではオレンジ革命と呼ばれる民主化運動が盛んになっていたが、強大な勢力のロシアとの交渉でティモシェンコ氏は辣腕を奮って、美しすぎる容貌だけに国民の人気が高まっているという事らしい。現大統領が、前回の選挙で毒杯を盛られ様相が変化した状況と比べるとシンデレラ物語のようだ。

さて、議員になったばかりの頃、ホームステイを頼まれて我が家にもウクライナの女性が滞在したことがあった。とても美しいお嬢さんだったのもあって、英語では寡黙のはずの夫が大変饒舌だったので、皆が驚いていたが、彼女も今は結婚して、ポルトガルに住んでいる。今でも時折、メールが来て娘たちとやり取りが続いている。メールが飛び交う時代はそういう点では便利になったものだ。

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2010年01月11日

日本政府、戦時下の未払い金記録を韓国に

植民地時代に徴用された韓国人に日本企業が支払っていなかった「未払い賃金記録」を、日本政府が3月に韓国に伝える予定だと、朝日新聞が7日報じた。

日本法務省の公文書によると、第2次世界大戦の終戦後、急いで帰国するために企業から賃金を受けられなかった韓国人は20万人を超える。未払い賃金総額は60年前当時の金額で2億円にのぼる。日本政府は軍人・軍属など約11万件の未払い賃金関連名簿を07年に韓国に提供したが、民間企業の徴用者記録を提供するのは今回が初めてとなる。

未払い賃金があるという事実が確認されれば、徴用された労働者や遺族は韓国政府から「未収金支援金」形式でこれを受けられる。したがって今回の日本政府の資料提供で恩恵を受けられる受給者の数が大幅に増えると予想される。

韓国で第2次世界大戦中に日本の炭鉱や工場に強制動員されたと申告した人は16万人にのぼる。韓国政府は08年から未払い賃金を本人と遺族に支給している。徴用当時の1円を2000ウォン(約160円)で換算し、最低支給金は20万ウォン(約1万6000円)。

昨年末現在、「未収金支援金」の受給が決まったは7182人。徴用されたと申告した16万人の9割以上はこれを立証する書類がなく、申請自体が難しい状況だった。

日本政府は1965年の韓日条約に基づく請求権協定を通して、韓国が未払い賃金に対する財産権を放棄する代わりに無償3億ドル・有償2億ドルの経済協力をしたため、未払い賃金を支払う義務はないという立場だ。

韓国政府も未払い賃金に対する財産権は放棄したが、実態確認レベルで日本に賃金未払い者名簿の提供を要求してきた。05年の韓日外相会談後、両国は数回にわたりこの問題について協議した。

朝日新聞は「日本政府がその間‘作業が膨大’という理由でこれに応じなかったが、鳩山政権の発足後に方針を変え、徴用された韓国民間人に対する未払い賃金の記録を提供することにした」と説明した。

外国人徴用者などに対する未払い賃金記録は、戦後、外国人徴用者を雇用した企業から地方自治体別の法務局などに供託され、これまで法務省が管理してきた。法務省は昨年の秋、全国331地域の法務局と支局・出張所を対象に徴用外国人名簿と未払い賃金の資料を確認するよう指示した。

‘99円波紋’を起こした厚生年金脱退手当は韓日条約当時の請求権協定に含まれていない。したがって日本政府を相手にした別途の返還訴訟が可能だ。1940年代に名古屋市の三菱重工業航空機製造工場で働いた韓国人女性7人は昨年12月、社会保険庁から99円ずつ年金脱退手当を受けた。厚生年金保険法に定めた厚生年金脱退金支給基準によると、本人が年金脱退意思を明らかにして手当を申請した時点に請求権が発生する。この女性7人は98年に脱退手当を申請した。

日本厚生労働省は脱退手当金額は当時の給与の平均額と勤続日数などを考慮して算出し、貨幣価値の変化などは考慮しないのが原則だと明らかにし、論議を呼んでいる。

出典;
中央日報/中央日報・日本語版 2010/1/8
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2010年01月09日

春らしいお便り

春らしいお便りを頂きました。
「娘の莞李んが海津さんの絵を描きましたので送ります。どうやら演説しているところのようです。それではくれぐれも風邪に気をつけて。これからも応援してます!」
  
7日から駅頭での演説を開始してます。「またやってるよむかっ(怒り)」とうるさく思われてもいる方も多いのでしょうが、話を聞きたいと言って下さる方、「頑張ってかわいい」と応援して下さる方もいます。

政治家として伝える責任を全うしようとすると、すべてに好意的に受け取られるわけもないのですから仕方ないとしても、50%近くが市議会議員選挙に行かなかった事を考えるとどうやったら伝えられるのか、辛いところです。

兎も角、莞李んちゃん、ありがとう!! 

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posted by Nina at 19:54| 千葉 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月04日

第86回箱根駅伝バス応援団

2日の朝6時、我孫子駅北口集合、165人、5台の大型バスを仕立てて出発した。渋滞の新年の高速を走り、行きは青空を背景にした雪の冨士山を見たり、帰りはなんと運転手さんの計らいで2010年の電光サインの灯る東京タワー、七色のイルミネーションのレインボーブリッジをくぐり、夜景スポットを都内見学する別ルートだったので、帰ったのは9時半だった。


駅伝の感想としては、若い学生たちを応援するこうした機会は少子高齢化のこれからの社会には乙な事であると思った。この箱根大会の歴史が始まったのは86年前(大正13年)、世界に伍していける若者を作りたいとの創始者の想いは、今も脈々と受け継がれ、皆が応援し感動する。なんと凄いグローバルな発想だろうか。テレビも車もなかった時代だ。その感動を我孫子市民にもたらしてくれる、地元・中央学院大には我が家からほど近い。私は、親類が横浜にいたので正月に坂の上から観戦したり、また我中の駅伝優勝の監督が娘の担任だったので駅伝には関心があった。一度、箱根の沿道で応援してみたいと思っていた。応援するだけでも感動できて、中央学院大の皆様には感謝あるのみだ。シード権を奪還し、また上位入賞や優勝に向けて頑張って欲しい手(チョキ)

    

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ところで応援といっても、目指す中央学院大の学生が目の前を通るのはほんの数秒!! しかも、出発地点で待ち構え、箱根のゴール付近にて待ち構える二か所のポイントのみだ。応援の声をかける一瞬よりは待っている方が長い。学生たちは一人ずつタスキを繋いで走ってくるので、都合、20人もの学生が走っていくのを見るわけだ。こうした応援にはチアガールや応援団の渾身の応援、それにブラスバンドの演奏もつきものだ。ところが、彼らは応援に来ていても一人の選手も走るのを見ていないと思う。通りから奥まった場所に陣取るからだ。そしてそれを支える親御さん、親せき、関係者なども毎年応援に来ていると言う事だった。応援団、ブラスバンドなどの学生も、年末年始は4年間練習に明け暮れることになるので、そうした家庭はなんだかんだと正月が尋常ではないのだろう。どの大学も何十本もの旗を沿道に陣取り合戦のように並べる。旗が少ないと応援も少ない気がして選手は気持ちが萎えるだろう、だから勝ち進むためには周りの応援も力強さが必要だ。単純なことだけれど、応援する人が大勢いてくれるという安心感が、彼らを頑張らせるのは間違いない。私も選挙の時に上り旗を持ってもらって応援をしてもらう側になるので、実感するぴかぴか(新しい)

残念なことに、朝のバスに乗り込むなり、「選手が3人ダウン(後で聞くと4人)しまして、往路の選手は翌日の復路の選手を出すことになりました。皆様には期待頂けない結果も予想されるので申し訳ない・・・」などとの話があった。往路のゴール地点で待ち構えている間にどんどん順位がさがり、一時は19位につけている時もあって、私たちはどうやって応援したものかと待っていると、順位を上げて17位で往路ゴール、総合13位でゴール、後半に立て直していた。数のないなかでチームが頑張ったのだなあと舞台裏の事情を知って、すっかり身内気分になっていた。選手たちは、何とかシードを守りたい、伝統のタスキを後輩に繋ぎたいと直前の調整に入る中で頑張りすぎてしまって足に故障をきたすのが原因らしい。しかも、その傾向は選手間に連鎖して、走り込み過ぎが複数になっていくようだ。チームの気持ちの高まりが、調整以上の無理になってかえって良くない結果に至るということらしいふらふら  日清・日露に始まる戦争では、そういう青年たちの真摯な想いを利用して戦場へと駆り立て、国を、母や姉妹を守ろうと死に急がせたのだから、酷い話だ・・・・。

中央学院大は、これまで一般の入学者の中から駅伝部に入ってきた学生を選手に育て、学業をきちんとこなすことが学生の本分、その上に体をつくるスポーツも力を入れるとの教育方針だという。そのため、監督の考えは、普通の学生がどこまで出来るかという事でいいのだと教え育て、伸びていけるように指導するというのを聞いたことがある。私は特別な学生を指導して大会へ出場させていたのだと思っていたから驚いた事がある。若い学生が伸びていける環境というのを作るのが大人の役割なのだなあ、そういう社会を作れるのはいいことだなあと、若者たち自らの逞しさに期待するようになった。

チームワーク、続けることの意義、駅伝は日本で作られてきたスポーツだというのを知って、皆で応援して頑張る日本社会の風土にもあっていると思った。きっと近い将来、我孫子の人たちの応援で中央学院大学が首位につく日があるかもしれない。今年度、我孫子中学校は東葛駅伝、県駅伝優勝、関東駅伝3位、全国駅伝大会に6位入賞の栄誉をもたらした。我孫子の地で頑張っている青少年を益々応援したい。

目標や夢は叶えるためにある! 

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posted by Nina at 14:58| 千葉 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月01日

Start with us!皆で始めよう!

   \|/                                             
 ―●―  / ̄\ ⊂⌒⊃         2010年 元旦
 /|\ /〜〜〜\⊂⊃  〜新年あけましておめでとうございます <(_ _)> 〜
 ⊂⌒⌒⌒⊃/人\\\         海津にいな
 ⊂⌒⌒⌒⌒⌒⊃\\\\ 


    _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/


旧年中は、折々にご協力、また参考になる貴重なご意見・ご提案を頂き、ありがとうございました。

本年は、白樺創刊から100年です。あまり知られていませんでしたが我孫子は白樺派の拠点でした。
柳宗悦・兼子夫妻がここに住んで、志賀直哉、武者小路実篤ら仲間を次々に呼び寄せ住まわせた事が始まりです。柳夫妻は、バーナード・リーチ(国際的な陶芸家)のみならず、陶芸の先進地・朝鮮からのお客様も厚遇したのはもちろんです。ロダン、セザンヌ、ウイリアム・ブレイクら近代西洋芸術を最初に日本に紹介していたのも彼ら白樺派の同人たちです。大正ロマンの同人誌のように位置づけてしまわれがちですが、白樺派の思想の中心にあった柳宗悦は特に人道主義的な立場(当時は命がけ)での評論活動を続けました。時に、官憲ににらまれもしたのでしたが、我孫子で新婚生活をスタートしたばかりの芸術家夫妻は共に意思を貫き続け、宗悦は哲学者・「民芸」の創始者として民の力・技の中に美を見出し、出版活動を続け、兼子は声楽家として際立った活動をしました。

当時の我孫子の村人たちは彼らの思い出を大切に心に留め、表に出すこともないままでした。白樺文学館が出来て、そうした情報も少しずつ収集されるようになってきました。私は我孫子を中心にして国際理解のNGO活動を気がついたら20年続けてきておりました。この我孫子の街の良さ、グローバルビレッジとも言える国際性を語るのには柳宗悦夫妻の生き方や白樺派の活動を知ること、知らせる事がやはり大事だと思います。どうぞ皆さまも機会を作って、特に今年一年を掛けてもっともっと我孫子を知り、この地に人を招き、我孫子で若き白樺派の同人たちが苦悩、希望に燃えたであろう歴史を多くの人にご紹介ください。今年は市制40周年の記念すべき年でもあります。

時代はインターネットで、ずいぶんと便利になり、足を運ばずに情報収集したり、世界中と時差に左右されず通信できるようになりました。10年前に、私は市民グループ代表の数人に声をかけ、市議会に「我孫子市に平和を冠した公式ホームページを」と請願をだしました。その時が市制30周年の2000年で、戦後55周年だったからです。私としては、始めて出した請願でしたが、採択されました。しかし、ホームページだけで知るのでは不十分な事も多くあります。例えば、会って、話しあって、相互理解に努力すること、これはIT時代になっても大切です。私たち人類は、想像することも、文字から読み取り理解も出来ますが、やはり会って、話しあう努力は相変わらず重要です。未来に向かって、知恵を出し、相互理解を図ることが出来るのも人間だからと思います。
 
  Start with us  私たち一人一人が主役です。地域を地球を考えて、皆で始めましょう

        新しい年を迎え、皆様のご多幸と ご健康を心より祈念いたします。
 
                                                                     
posted by Nina at 00:00| 千葉 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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