農業の在り方を考えるのは難しい。考えているだけでは話にならないからだ。地産地消とはいっても、消費者が安いものを選んでいるだけでは、意味がない。手間暇かけて安全を守って作った農産物の味が違うのが分かる消費者がいなくてはそれは、気持ちの上でも、採算面でも意味がない。
そういう時に知人の農大教授(白山在住)からから、『自給再考』という新刊本を紹介された。たまたま執筆者のお一人、農学部学長(茨城大学農学部、網町)とは懇意なので会って話を聞こうとお誘いを受けた。千載一遇のチャンスと素直にお申し出のままに同行させて頂いた。そこで地産地消の活動に熱心な人を二人にも声をかけた。つくりたい物をつくるだけではない、農政の難しさ、国の要求、国際市場での戦い、自然との格闘、消費の価格破壊、こういうものと闘ってきた農家さんたちは、物言わずに先祖の土を大切にしてきた。これを大切に守り育てるものがなくなっては、日本の国土の防衛もあったものでない。農業にどう取り組むか、どういう点に価値を置くか、これこそビジョンがないとだけだと分かった。
さすが農学部、学生が生産した野菜を学食でつかう。ランチ(クリックで拡大)はさすがに野菜たっぷりで、とれたれで野菜の味が本物でおいしかった。お隣には、農業セラピーに関する医療センターもあるという。農家は百姓というけれど、100以上もの技がいる匠の姓だと改めておもった。
帰路、牛久の新規農家の若者を訪ねた。「すがすがしく、美しい」農家を営んでいると教えられたからで、農大の先生方が驚嘆する新規農家の後継者ということだ。まず、本当にいいものとは本当にみても美しいのだなあと、仕事への美意識、誇りというものが感じられるたたずまいだった。後継者になりたいと弟子入りしたような形の若者は農大の学生で、家庭はサラリーマンだったとか。農業機械と先輩の援助があるからできることだと言われた。機械を買って、土地を買ってたら、とてもできない事らしい。そういう時代の岐路にきている農業を本来はどのようにつづけていけるのか、考えているだけでは埒があかない。