2007年09月25日
財部氏の公演会、20代の感想
「もう、日本は(経済的に)延びないということなんです。」誰もがまだ感覚として受け入れてこなかったであろう事実。もう日本は延びない?じゃあこれからどうするの?不安が広がります。友人、知人、親戚を訪ね歩き海外を旅行をし、アメリカで留学しながら、数多くの人々とふれあい、出会いを重ね、それぞれの生活を見てきた私にとって日本はとても豊かな国です。私にとって時に残酷だと思うほど、この国は豊かです。この豊かさと経済名どこにいくのだろう。
「少子高齢化、日本人の人口が減っています。欧州は移民で人口を補ってきました。今の日本は移民を受け入れられますか?無理だと思いますよ。」この話は実は身をしみて私が感じてきた問題の1つです。移民の国アメリカに4年間住んでいた私は、日本人の移民に対しての意識の差をはっきりと感じています。海外に住んでいた感覚だと、人口減少=移民の受け入れ、と考えるのですが、財部氏の話を聞きながら、それはやはり今の日本には難しいのだなと実感しました。
「日本人は守りにはいってばかりで、会社でもリスクをとって仕事をしようというバイタリティのある人が減ってしまった。」と財部氏の話しにでました。私がアメリカで経験した、リスクを取れ、チャンスが無ければ開拓しろ、自己責任で生きていけ、というアメリカ社会の掟から日本に戻り、日本のマジョリティを占める、今まで通りのやり方を見習え、リスクなんて要らない、という個人、企業、国家の姿勢を見ながら、戸惑いを感じてきました。文化の違いだと言われればそれまでで、今まで私も個人的にうやむやにしてきた意識は沢山ありますが、財部氏の講演を聞きながら、自分の今まで疑問に思っていた物事に幾つか答えが出た様な気がしました。
「日本をこのまま自分たちの子供に託していいのか不安になった」と感想を言う年配の参加者の声も聞かれました。私は不景気続きの中、小中高を過ごしてきた80年代生まれで、東京オリンピックのバブル、年功序列社会の感覚の薄い世代です。変わり行く社会で今までのやり方を継続していくことに、大きな不安を持っています。これから厳しい現実を生きて行くのは私たちの世代なのだから、心して生き延びて行く術を身に着けていかなければならないと講演を聴いて思いました。少子高齢化、年金問題、政治・経済の問題、大きく変わりゆく社会、その中でどう生きていくのか、模索が続きそうです。
アメリカで見てきた社会問題、ヨーロッパ、アジア、アフリカの友人から学んだそれぞれの国が抱える社会問題、国際問題。日本だけが厳しい現実に立たされているわけではありません。世界の人々と交流しながら、日本に良いところが沢山あると実感してきたのも事実です。財部氏の講演を聞きながら、目の前に広がる問題を直視し、日本社会の課題は自分たちが意識している以上に大きいのだと感じました。 日本の今後の展開、変わり行く日本の未来を想像し、危機感を覚えながらも、何とか問題を解決していく方法を社会全体で探っていきたいものだと、思いました。アフリカの友人から学んだそれぞれの国が抱える社会問題、国際問題。日本だけが厳しい現実に立たされているわけではありません。世界の人々と交流しながら、日本に良いところが沢山あると実感してきたのも事実です。財部氏の講演を聞きながら、目の前に広がる問題を直視し、日本社会の課題は自分たちが意識している以上に大きいのだと感じました。日本の今後の展開、変わり行く日本の未来を想像し、危機感を覚えながらも、何とか問題を解決していく方法を社会全体で探っていきたいものだと、思いました。
2007年09月20日
財部講演会(9月17日)
安倍総理退任表明直後の講演会という、タイムリーな話題もあり、市民プラザのホールが一杯になりました。どんな話が聞けるのかと、サンデープロジェクトの翌日でもあり、財部氏の話をじっくり聞きたいと期待も一杯に講演は始りました。
BRICSの国々の経済は大きく躍進する一方で、我が国の将来はどうなのか、国際的な威信を欠く事態となった裏側を丁寧な取材と鋭い切り口で、しかも今日の聴衆だけにとのお話も次々にあり、いらした方々は一挙に満足度100%となりました。
また、企業誘致を進めて、足場をしっかり固めた自治体は税収も見込め今後も強いが、一方で地元をしっかり支える農業政策を進める地域の例として鳴子町(宮城県)の米プロジェクトの話や、大分農協の話など、農の回復の必要性も強調された。
90分の講演はあっと言う間で、是非、次回の経済講演会もとの声が早くも出るほどでした。
もちろん、海津にいなも、冒頭に挨拶をして、我孫子市政への抱負を語りながら皆さんともっともっといい街を創りましょうと訴え、拍手とともに始ったのは言うまでもありません。
2007年09月15日
泉の道路拡幅工事
泉の道路の改良工事が実施されています。2004年春(4/21)、泉地区において活動中(レポート配布)に住民の方から呼び止められ、30年以上も懸案になっている道路のことで相談されました。そこで研修視察が終わった時点(5/17)で、道路課担当者とその住民の方と話し合いの場をつくり、自治会長にも連絡しました。6月議会で泉地区道路問題を質疑し、縁石の蛍光塗付工事による改善がされたため、お礼のメールを戴きました。また、自治会長からは市へ道路拡幅の要望書提出(9/2)。しかし、年末には、進展しない様子に痺れをきらし何とかして欲しいと催促メールが来ました。住民の方々がこれまでに何人かの議員に相談された経緯も耳に入っており、私(無所属)が関わることで支障はないのですかとお尋ねしたが、「ちゃんと動く議員なら構わない」から、早く何とかして欲しいとの要請でした。
そこで年明けの2005年に、
・ 市民を交えて現地の形状を市と確認(1/11)。
・ 3月議会において、“道路のバリアフリー法と市民要望文書”への対応を質疑
・ さらに、主婦も交えて担当職員へ改善要請(3/28)。
現在、都市建設常任委員に所属しており、泉道路の工事計画案、工事予算申請の進捗確認を続けてきました。特にこの三年間に、感じたのは高齢化する地域の問題点でもありました。自治会長、市に同行した主婦、そして最初に呼び止めた方までも、入院され日常生活に支障をきたしてしまうようになられたのもお年のせいでした。少しずつでも進めて行こうとする住民の意思があったため、今回は工事が進んだのだといえます。地域の改善要望の全が実現された訳ではありませんが、多少とも前進といえます。