2018年10月20日

布佐小学校で防災訓練

市内の防災組織、婦人消防クラブなどが布佐小学校の校庭に介して、防災訓練を行ったので、市議会議員も来賓席に集合した。このところ各地であいづぐ災害もあって、近年に工夫をこらされ開発された、閣議業の防災グッズ展示のテントも幾張かあって参考になった。3Dメガネをかけて、土石流の疑似体験ができる特殊カーもあって、海津にいなも布佐小学校の生徒さん、先生と共にメガネをかけて体験した。

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秋晴れの校庭で、元気に遊ぶ男の児ををつれて、参加しているお母さんと帰り際に子育て談義ができたのも収穫だった。
備えあれば憂いなし、帰りに、新木駅脇に新しくできたKASUMIスーパーで、非常食用にカップ麺を買い、さらにアビコンによって、また買い足した! 明日は、湖北の産業まつり、来週は手賀沼マラソン、と秋の行事が続いている。
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2018年10月18日

70才ジュリー、ファンが全国に待機

それは、17日に国内最大級のさいたまアリーナのコンサートを、あのジュリーと呼ばれた歌手・沢田研二がドタキャンしたと、久々に貴社にとりかこまれた取材に姿を見せて各局の話題になった出来事がネット上でもかなり取り上げられたことに始まった。それにジュリーファンも応じて、「今まで色々な出来事や、事件、事故があったが、今回のドタキャンで取材に応じる事になったのが51年間で一番こたえています」などという。

集まった記者の前で、多少憔悴気味に見える沢田研二は頭をさげ、「さいたまスーパーアリーナでやる実力がなかった。ファンに申し訳なく思ってます。責任は僕にあります。これから取り戻せるようにできるだけしていきたい」と謝罪した。その日、開場時間の午後3時半まで事務所、イベンター会社から予定通り開催するように懇願され、押し問答となったが、最後まで首をたてに振らなかった。「今回はできませんと1分でも早くお客さんに伝えてほしかった。僕が帰らないと収まらないならと、3時45分くらいに帰った」と説明した。謝罪会見のジュリーの画像は、いつもとは違い、元気がなくうなだれ、白髪の力ない老人の姿になっていた。だから、余計に哀しい、ファンとして見ていてつらいと書いている。沢田研二も記者に語りながら、自らの歌手人生に後がないのだなどと、さすがに70才としての老いを語る言葉があった。

中止の詳細について、「動員に関する契約上の問題だった」と説明。本番前のリハーサルでモニターを見た時、座席が置けるのに置いておらず、観客が座れないように客席がつぶされているブロックが「6か所くらいあった」こと気づいた。ジュリーは小規模の会場での公演も全国で廻ってきているが、ハコにたいして客席の空間が目立つ状態でやるのは酷なこと。そのため最初から『ライブをやるならいっぱいにしてくれ、無理なら断ってくれ』と言ってきた。イベンターには集客の努力を士てほしかったし、それが無理なら早い時点でそう言って断ってくれればよかった。そういう意思を伝えてある以上、履行されないなら、僕としても意地がある、皆様には申し訳ないが、自身がこれではできないと中止を決断したことを明かした。同会場は客席が可動式で、規模によって約1万人から最大で3万7000人まで収容可能。開演前に所属事務所、イベンター会社から集客状況について「9000人と聞いていたが、実際は7000人だった」と知らされた。ジュリーとしたら、話が違うとなってきた、「できると踏んだが、僕に実力がなかったのが一番。(イベンターが)無理ですよねと言ってくれれば、早めに中止もできたが、今回は当日まで知らされなかった」つまり、主催者である沢田研二にリスペクトがなかったと感じてきて「事務所もイベンターもやりたいと言ったが、僕には酷だ。老人虐待ですよ」との言葉になった。

さらに、ファンには「今回は(意地を通して迷惑かける事になるが)ちょっと助けてもらいたい。甘えさせてもらいたい。代替公演などできるだけのことはしたい」とはなした。「意地」という言葉を6回も繰り返した。お客は彼がファンを集めて成り立ってきているのだから、分かってくれてついてきてくれると信じている、だけれどそうした意地でどこまで、今の時代のイベンターにもプロとして通じるかと、不安になってきたという事なのだろうか。しかし、入場者数を席を設けない可動式アリーナで、沢田としては2000も胡麻化されていると感じた、大スターだからって言っても昔の話で、元から埋められるわけがないと思われてるって風で、兎も角ハコを狭め興行としてペイすればいい、そういう発想、対応でいた現場スタッフの対応に最後にきて許せないとなった。筋が通らないとキレるのはは未だ健在だったということだ。沢田自身は芸能人としてのキャリアも長いから、致命傷になりかねないのも分かっていて、70歳にして相変わらずジュリーのポリシーを持ち続けて、頑張ってしまったという事だ。損得より、自分らしさを貫いてきたから、彼をジュリーとして愛するファンに分ってもらいたいと言ったのだ。開場時間の午後3時半まで事務所、イベンター会社から予定通り開催するように懇願され、押し問答となったが最後まで首をたてに振らなかった。そういう意地をみせる事が出来た。「今回はできませんと1分でも早くお客さんに伝えてほしかった。僕が帰らないと収まらないならと、3時45分くらいに帰った」と説明した。

現代の人気もの「嵐」は5人組、2008年以降は、5大ドームツアー+国立競技場のツアーがメインになっています。コンサートの日程が決まれば、ファンクラブに入会している人には申し込み案内(振込用紙)が送られて、嵐ファンクラブ会員は91万人を越えています。ファンクラブに入会していても、それでもかなりの方々がチケットを手に出来ないらしい。国立公演しか一般販売はありませんでしたし、一般ではまず電話が繋がりません。その為、ファンクラブに入会していなければチケットが取れる確率はほぼ0%だと言われる。その嵐のコンサートツアーでも、国立4日間、京セラ3日間、札幌2日間、東京3日間、名古屋2日間、福岡2日間の合計で16回コンサートをして、86万人動員で、比べてみるにもスタイルが違うが、沢田研二として過去現在、観客動員も引けをとらないで、自主興行でやり続けているのは凄いの一語だ。


男でも女でも、特に若い時に美し過ぎる人にとって、老いは酷だなと思える。それほど、20代のジュリーは、周囲にいる人をゾックとさせるほどの稀な美しさがあった。その人気ぶりは海外の雑誌・ローリングストーン誌にも取り上げられた。ある同年代の女性歌手は、「自ら意地があると言うなら、もっと痩せて、見に来てもらえば」などと、カーネルオジさんと見間違えるけどになった70歳のジュリーに苦言を呈する。しかし、そうした過去の自分と決別、培った歌手としての地震、ミスからのプロデュースで50年もコンサートで全国の主だった会場を押え、ファンがそれだけ集まるのが凄いと、そのカリスマにもなるほど!なのだが、高齢化するファンの足が遠のけば、どうやって集客を減らさないで盛り上げられるか、プロとしての興行になるか、大規模な同窓会を続けているだけなのか、アーティストとして瀬戸際に立たされている。老人虐めなどと言わず、皆さん若いからなどと言わず、沢田研二の80才へのラストスパートを魅せて頂きたい。因みに、海津にいなはB4のファンだから、当時の日本の歌謡界は興味がなかったが、それでも「憎み切れないろくでなし」「TOKIO」は耳に残っていて、改めてジュリーを聞いて見ると面白いと思う。

そこで古株のファンのブログを見たりすると、次のように言っているのが目にはいった。
ジュリーも自分の口から言わないと収拾がつかないと思ったんでしょうね。
7000人〜入るって凄い事やん。それだけじゃなくて、それを60カ所こなすパッションを持ち続けているのもジュリーの凄さだ

「アリーナを埋める能力がなかったなどという事は
ないのに、これしか言い方なかったんだろう、
言い訳じみた事になるんが嫌やったんやろうな・・

真をついているから辛い言葉や。
正直にもほどがあるって言いたいけど
正直に言うわな・・ジュリーやもん。
次に控えている大阪の狭山での会場まで追いかけられるしな・・

会場に来てるファンにも、迷惑かかると思いはったんやろな。
こういう性格は、生きにくいで。
やろうと思えば、7000人の前で、さいたまアリーナでやりましたと言えたんやから。
それを、目をつぶって、出来ないのがジュリー
自分の中の「意地」の塊。崩されへんねん。そういう時にへこたれへんのが70歳にして、昔と変わらないジュリー
だから、ファンがそこについてくる、その真っ正直に歌を聴いて欲しいとステージで全開する
そういう変わらないところが、容姿なんかじゃなくて惚れるねん
そんな強がり、だれでも出来るもんじゃない、潔いキレてるカッコよさが他にはない、
ステージでマジになる瞬間に触れる だから貴重なん

聞くところによると、「狭山」のチケット
凄い速さで売れてるらしい・・(完売した)
そこで、何かジュリーが言うてくれるの期待してるんかな?

満員じゃないと、ジュリーは辞める・・
辞めるという事は・・ジュリーが見れない・・
行かなアカンがな・・ガーン

昨日から今日にかけて、大変やったなぁ・・ショック!
ジュリーが一番、大変やけど・・
ジュリー本人が下した答えやから

まぁ仕方無いとして。
ファンの人達も大変でしたよね。
遠いとこから来る方も沢山居たでしょ・・
帰れないからお泊りの方も・・
もちろん、昔からファンというのでなくて、「一回見ときたかった・・」と
チケット取られた方もいてるやろうし。

めまぐるしい1日でしたね。
でも、会場に来た方たちは、騒ぎもせず
「ジュリーとカズさんが無事で良かった」と。
「仕方無いね・・」と帰って行ったって・・凄い事。
文句の1つも言いたいやろうに・・むっ

大きい心で、ジュリーを包んでいるのが往年のジュリーファンには頭が下がります。
ジュリーも幸せ者やと思います。

ほんまに長い2日間やったなぁ・・って・・
今日会見したから、またワイドショー
賑わうかな・・賑わうやろな・・
明日で最後にしてほしいよな・・・ショック!
終り・・にしてほしい



華奢で、色男に見えるジュリーだが、沢田研二はキレきれの男だった。
彼は常に、死ぬ気で勝負に出る、だからステージに立つ。
そういうミッションでステージを考えているのを、たまアリーナのイベンターは興行なのだから
入ればいいと甘くみていた。70歳、古希祝のレベルだと馬鹿にしていた節を見逃さなかったジュリーとしての
プロ意識が抗議させたということ、ファンにとってはだんだんに盛り上がっていくのではと思えてきた。
半世紀も、多くの人をひきつける魅力の持ち主とは、ただ事ではないと思うし、『我が窮状(九条)』なる曲も作詞して歌っていたのを知って、改めてどういう歌手なのかとそそられている。まるで、ジョンレノンとデビットボウイを掛け算したロック野郎だったのか・・・。
芸能界の異端児、ジュリー・沢田研二、ガンバッテ〜 ♪



つづき
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2018年10月16日

二つの不安に乱高下する、日経平均

2018年の日経平均は、2つの不安に振り回されて、乱高下している。
一つは貿易戦争がエスカレートして世界景気が悪化する不安と、もう一つは米金利上昇で世界の金融市場が悪影響を受ける不安である。
日経平均も、この2つの不安の高まりに連動して売られ、不安が緩和すると買われる展開が続いている。

2018年2月2日に最初の金利上昇ショック、今10月12日には2度目の米長期金利上昇ショックで世界株安となり、日経平均も売られた。
先週の日経平均株価は、1週間で1089円下落し2万2694円となった。
米長期金利(10年国債利回り)が一時、3.2%台に乗せたことをきっかけにNYダウが急落し、
つれて世界的に株が売られ、日経平均も急落したと構図だ。

16日には、ニューヨーク株式相場は、米主要企業の好決算などを手掛かりに急反発した。
優良株で構成するダウ工業株30種平均は全面高となり、前日終値比547.87ドル高の2万5798.42ドル(暫定値)で引けた。
ハイテク株中心のナスダック総合指数は同214.75ポイント高の7645.49だった。


参照:【ニューヨーク時事】
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2018年10月14日

運が50%

さいとう・たか 『鬼平流』(出版社:宝島)が次のように、成功するために運が必要だと著している。
才能がモノをいう世界で活躍できるかは、才能があってこそだが、それを世に知られるために「運」が大きくかかわっていると伝えている。
面白い人生とさして何事もない人生がある、しかし、苦しいだけの人生も運なのだろうか。生まれた時から虐待を受けて亡くなる乳幼児などの話を聞くと、人間らしさとは獣でおわらない為の教育をうけていないと法も情もない生き方をすることになる人々もいてしまうのだろうと考えさせられる、秋の夜長のこの頃だ。
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私は仕事についてすべて計算ずくで行うが、ヒット作品というものはだいたい苦労に比例しない。
悩んで、悩んで、悩み抜いて考えてつくった作品があまり売れなかったり、ふとした瞬間に閃(ひらめ)いたキャラクターがヒットしたりする。この仕事についていえば、私は20%の才能と、30%の努力と、50%の運だと思っている。

運とは、その人の行動について回ったり、離れたりするもの。
その運が見えた人、運をつかめる体制になれる人が成功する。

成功といっても運が50%を占めている、成功し続ける人間は一握りだ。
才能があってもプロ意識を持たずに努力をしなければやはり運を継続できない。
裏返すと 才能もあって、努力をして、それでも運をつかめなければ成功できないという事がある。

私自身でいえば、非常に幸運な人間だ。
まず、この仕事に気がついたこと、つまり絵で大好きな映画と同じようなことができる、と気がついたことがそもそもの運だ。
これはものすごい強運だと思っている。

私はこの仕事の可能性について、気づくことができた。
そしてそれに気がついたからこそ、運を引き寄せるようになった。
しかし、考えて、考えて、考えても気づけない場合もあるだろう。
そのような人は結局運がなかったということになる。

ただ何もしていなくても運を呼ぶことはできない。
30%の努力が土台となって、さらに20%の才能があって、50%の運を呼ぶことができるのだ。
運が50%を占めることを述べたが、だからといって運のせいにしたり、悪運を嘆いたりすることに意味はない。
しかも運というのは、運をつかんでいることに気がつかない場合が多い。

私のこれまでの人生の中でも、振り返ってみて、あの時はこういう運だったと、歳を重ねてからわかることが実に多い。
人との出会いなど運ばかりだ。 私の場合はあれも運だった、これも運だったと、運がついて回っていた。
なにせ半分が運なのだからそれも当たり前といえば、当たり前だ。

しかし、私は運が悪かったと思っても仕方ない、と考えている。
自分を幸せにしてやれるのは自分しかいない。
だから自分の考え方次第で、幸せが決まる。

そもそも五体満足に生まれてきたことが大きな幸運だ。
私は過去に、網膜剥離の手術を行い、糖尿病を患った。
だから、毎日を元気に過ごせること自体が奇跡だと私は思っている。


私は良いことも悪いことも正面から受け止めるようにしている。
そして幸運には感謝し、悪運を忘れるようにしている。
悪い運だけではない。

私は描いたものもすべて忘れるようにしている。
そうしなければ、新しいものが出てこないし、新しいものを描く意欲がそがれてしまうからだ。

自分の置かれた境遇、直面した運、出会った人、これらのせいにして自分の不幸の原因のあら探しをするのではなく、自分の価値観を持って幸福を感じ取ることを考えたほうがいいに決まっている。

仕事での苦しみや悩みは尽きることがないし、時として運が悪いことに出くわすことがある。
それでも私は、苦境もまたエネルギー源として捉えて、苦境に立つ自分を楽しみさえした。
不運を不幸だと考える必要などないのだ。

だから私はそもそも不幸だと思ったことは一度もない。






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2018年10月13日

長編小説『鬼龍院花子の生涯』

秋は、読書にも良い季節だとされる。
先週、日本経済の指標となる日経平均は大きく下落し、先行き不安が垂れ込めた。
そんな時に、宮尾登美子の長編小説『鬼龍院花子の生涯』を思い出した。

この作品は、最初『文藝春秋』別冊145号から149号に連載、纏められたものであった。
ストーリーは大正、昭和の高知を舞台に、侠客鬼龍院政五郎(通称・鬼政)とその娘花子の波乱万丈の生涯を描いた。女の一生の中でこれほど、社会に翻弄される主人公もいないと思えるヤクザの世界に生まれた主人公・松恵という設定で物語が展開する。この作品に目をつけて、当初は梶芽衣子が映画化を持ちかけていたが、様々な変遷を経て、主役の松恵を演じた夏目雅子の演技が評判となり、映画は大ヒットとなる。鬼政に松恵が手篭めにされそうになる場面もあり、[女の目は泣くためにあり、口は噤むためにある](p114)宮尾作品。

「なめたらいかんぜよ」と、夏目雅子が映画で啖呵を切るシーンは映画予告編としてテレビスポットに使われた。侠客の養女となった松恵(夏目雅子)の目からみた、時代を描いた宮尾作品。この言葉は世間に知れ渡り、映画 が大ヒットとなり、本作の新聞広告は、1982年度の朝日広告賞を受賞している。

鬼龍院花子は政五郎によって半ば親の都合で養子に出され、一家の跡目を継ぐべき位置にはありながら、実子が生まれて変転する中で、松恵が一家を纏めていかなければならなくなる過程を描いて、女が運命に逆らうことも許されず付き合う理不尽な実際を文芸化した任侠劇だ。松恵は12歳で鬼政のもとへ養女に出され、約50年にわたりその興亡を見守った松恵の目から見た時代を描いたもの。鬼龍院花子とタイトルにあるが、主人公は、政五郎の養女とされた松恵である。諸行無常などと受け入れている様で一切を拒絶する「女の目」が理不尽な世の中をみつめていた。松恵は学業に優秀で県立の高等女学校に入学し、後に小学校教師となる。鬼龍院家の人間たちの生き様を目の当たりにしてきた影響で、しとやかな中にも激しい情念を秘める女性に成長。様々な人間との出会いや別れを通じて、波乱に満ちた人生を送る。当初弟・拓(ひらく)だけが養子になる予定だったが、政五郎に「賢そうな顔をしている」と気に入られたため急遽、鬼龍院家にもらわれる。学校に通わせてもらい勉強に勤しむ傍ら、政五郎の身の回りの世話や妾との間に生まれた花子の子守などをして暮らす。
大正から戦前に土佐に一家を興し没落した、侠客・鬼龍院政五郎と、彼に絡め取られた女たちの因果。
徒手空拳から土佐の親分として、いくらでも横車を押せる政五郎の絶倫さがに陰りを見せるのは、花子が生まれた頃からか、一家や自身にふりかかる不幸に、一人娘の花子が産まれるまでと、産まれてから花子が成長して、その生涯を閉じるまでを描く。我侭放題に育てられた娘花子は、親の庇護から外れたのちにどのように生きていけばいいのか。甘やかすだけではその子を駄目にしてしまうことが恐ろしいほどに良く分かる。

『鬼龍院花子の生涯』『陽暉楼』『櫂』は、五社と宮尾登美子とのコンビ作品で「高知三部作」とも呼ばれた。これらは東映に新たな“女性文芸大作路線”を確立させた。

夏目雅子がグラビアモデルとして注目後、女優として世に認められる”松恵”の有名な台詞が、あまりにもそれまでの可憐な夏目雅子と書け班られて、インパクトを与えた。

「あては高知九反田の侠客”鬼龍院政五郎”の”鬼政”の娘じゃき。」
「なめたら、なめたらいかんぜよ」。

この物語のモデルとなったのが「森田良吉」、侠客であり興行師でもあった別名「鬼頭良之助」といわれる人物だとされる。高知の街は、太平洋戦争で戦火に遭い、多くの歴史的遺産が消失してしまったが、森田は維新を興した偉人ばかりでなく歴史をつくってきた人々を排出した人々の記念碑も建立してきた。戦火にも耐え、今日まで土佐の墓山に佇む数多くの墓碑、記念石碑がそれらを記録する重要な史跡となったと言える。


参照:ウィキペディア

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2018年10月12日

11歳の少年がオセロ世界チャンピョン

10月9〜12日にチェコで開かれた第42回世界オセロ選手権で、横浜市の小学5年、福地啓介君(11)が歴代最年少優勝を果たした。
その日本選手団が搭乗した帰国便の機長は福地君の前の最年少優勝者だった。オセロ日本選手団は例年、世界選手権の際に全日空便を利用しており、全日空はこれまでも選手団の搭乗便に、かつての世界チャンピオンである谷田邦彦さん(51)を機長に配置してきた。


 一般社団法人日本オセロ連盟(東京)によると、以前の記録は田谷さんが1982年に打ち立てた15歳という記録。谷田さんと福地君は、平成28年9月の第11期オセロ王座戦で対戦経験があり、このときは谷田さんが勝利したという。


参照:産経新聞
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2018年10月11日

白樺文学館の朗読のひとときへのご案内

 我孫子市白樺文学館では、「朗読のひととき」として、志賀直哉をはじめとする白樺派の作品や、柳宗悦らの民藝運動に関するものなどを中心に毎回テーマを決めて朗読しています。

 朗読は市民スタッフによるもので、学芸員による白樺派や民藝に関するトークと共にお楽しみいただけます。
 合わせて柳兼子(柳宗悦夫人、声楽家)が晩年に愛用していたピアノによる演奏会が行われます。ピアノは日本民藝館に所蔵されていたもので、柳夫妻が新婚時代を過ごしていた我孫子市にと寄贈されたものです。演奏は市民スタッフによるもので、毎回テーマを決めて白樺派や民藝に関するお話を挟みながら楽しんでいただけます。それぞれ、学芸員のトークをはさみ朗読30分、ピアノ30分の予定です。

piano.JPG

下記の日程で、2−3時の一時間の内容です。

10月21日(日)
11月25日(日)
12月9日(日)
1月20日(日)
2月24日(日)
3月17日(日)

夫妻イラスト.png

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2018年10月08日

にこにこセール@カフェドック

これまで、消費者の会の活動の一環としてガレージセールを春秋に行ってきました。
この度は場所を変えて、プチマーケットという設えで、ご近所さんのカフェでということになりました。
どうぞ、お茶のみがてらいらしてくださいませ。

今回は、場所柄、お昼も注文できますから、ランチ時がおススメですよ。
そして、楽しいアクセサリーのオリジナル注文製作して即売もあります。
その他、小物、カバン、などの供出品が出てお得感が、ありありのタイムセールです!!

会場:カフェドック 店内

日時:10月17日(水)11時から2時

場所:我孫子市つくし野7-1-10
https://www.facebook.com/events/280570086117448/?active_tab=discussion

連絡先:090-8810-0968
cafe-dock@docomo.ne.jp


お待ちしています (^_-)-☆

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2018年10月03日

本庄教授と製薬会社の快挙

 ノーベル医学・生理学賞の授与が決まった京都大の本庶佑(ほんじょ・たすく)特別教授(76)と長年、共同研究に取り組み、がん免疫治療薬「オプジーボ」として実用化した小野薬品工業は1日、本庶氏の受賞決定を歓迎するコメントを発表した。同社の相良暁(さがら・ぎょう)社長は「共同研究ができた巡り合わせに感謝する」と喜びの声を寄せ、「私たちの使命はより多くの患者さんに(製品を)お届けすること」とし、オプジーボを適応できる疾患対象の拡大に意欲を示した。

 小野薬品は30年近く前から本庶氏の研究室に社員を在籍させるなど共同研究を行ってきた。その中で、本庶氏らのグループが免疫を担う細胞の表面にある「PD−1」を発見。平成14年にがんの免疫システムに関与していることがわかり、創薬に弾みがついた。

 がん領域の創薬経験がなかった小野薬品は、共同開発してくれる製薬企業を探して奔走。しかし、同社が話を持ちかけた国内の主要メーカー13社すべてから断られてしまう。今でこそ、免疫治療は、手術、化学療法、放射線療法に次ぐ、がんの「第四の治療」と評価されているが、当時はがんの免疫療法といえば、効果が証明されない民間療法のイメージが強く、敬遠されたのだ。

 本庶研究室に在籍していた小野薬品の免疫研究センターの柴山史朗センター長によると、「あの頃は免疫療法でがん治療を行うことに強い偏見があったため、私たちの提案をまともに取り合う企業はほぼなかった」という。一方で、「実験での効果を見て、かなり(実用化に)自信があった。非常にやってみたい」との思いのあった本庶氏は、自ら海外出張の合間に協力してくれる企業を探すなど、決してあきらめる様子はなかった。その後、小野薬品は米国のバイオベンチャーと協力して18年に臨床試験(治験)を開始、26年に米製薬大手のブリストル・マイヤーズスクイブとオプジーボの発売にこぎつけた。

 「本庶先生とともに歩んだ二十数年間。成果がすぐ出なくても研究の可能性を信じ続ける本庶先生に間近に接し、触発された。その精神を今後の創薬にもいかしていきたい」と、かねてこう語っていた相良氏。現在、国内では非小細胞肺がんや胃がんなど7種のがんに承認され、世界各地でも適応できるがんの種類は増えている。これに加えて、国内の治験で最終段階にあるものだけでも食道がんや肝細胞がんなど7種類あり、相良氏は「できる限り早く、より多くの患者さんにお届けしたい」としている。




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2018年10月02日

玉城デニー氏、沖縄県知事当選

 米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は1日、米軍普天間飛行場移設に伴う沖縄県名護市辺野古の新基地建設計画に反対する玉城デニー氏の県知事選当選を受け「沖縄の米軍駐留を減らすために」と題した社説を掲載し「日米両政府は妥協案を見いだすべきだ」と新基地計画の再考を促した。
 同紙は、日本政府がこれまで沖縄に対し、「アメとムチ」で新基地建設を受け入れさせようとしてきたが「沖縄の人々は何度も何度も、新しい基地は要らないと答えてきた。彼らは既に過重な米軍を受け入れていると考えている」と指摘した。

 その意思は玉城氏が知事に選ばれたことで非常に明確に示されたとし「安倍晋三首相に迫られた決断は、最高裁で玉城氏が司法の場に訴える『反対』を全て退けるか、(もっと前にやるべきだったが)沖縄の正当な不満を受け入れ、負担を軽減する、あまり面倒でない方法を探すことだ」と提起した。

 また、米軍は「沖縄の兵たん、航空、地上部隊を日本の他の場所に分散させると、東シナ海での迅速な対応能力を低下させる」と主張するが、日本と地域の安全保障のために、不公平、不必要で、時に危険な負担を県民に強いてはいけないと説明した。その上で安倍首相と米軍司令官は、公平な解決策を見いだすべきだと主張した。



 米軍普天間飛行場は、沖縄県宜野湾市の中心部に位置する米海兵隊の航空基地。面積は約480ヘクタールで、市全体の4分の1を占める。周辺には住宅や学校などが密集し、「世界一危険な飛行場」とも言われる。日米両政府は、県内移設を条件に同飛行場の全面返還で合意、名護市辺野古沿岸部への移設計画が決まった。
 
 しかし、移設をめぐる県内の賛否は分かれ、これまでの知事選でも主要な争点になってきた。2014年の知事選では、辺野古移設阻止を掲げる翁長雄志氏が初当選、玉城氏はその遺志を受け継ぐとして立候補し当選した。


出典:琉球新報社(10/1)
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