2019年08月16日

なぜ、元号を使うのか・・・・

2016年2月25日のブログに元号について、下記のようなことを書きました。
http://kaizublog.seesaa.net/article/434254867.html?1565506401

とある方と、「令和に、また新たなスタートです」とメールのやり取りをしていたら、

> 令和?わたしは、明治政府がつくった元号制度なので、使いません。
> 「元号は伝統」というのは、真っ赤なウソです。

と詳しい経緯を教えて下さった方がいたので、令和に代わって3か月になるので、もう少し元号について考えてみたいと思います。

 そこで、Webを使って調べてみると、中国にならった「元号」の制度は、「大化」(645年)にはじまり、二度の中断をはさみ、「大宝」(701年)から続いていましたが、元号を変えるのは、それまでの時代をリセットして一から始めるという意味が込められていたのだと言う事でした。

 そもそもが、江戸時代までの伝統の元号とは、大化(645年)から慶応(1868年)までの1223年間に244の元号となっていたのですから、一つの元号の平均の長さは、5年程度の期間です。つまり、厳密には天皇在位とは関係がなく、それよりも、地震や火災、天災が続いて凶作になるといった良くないことが起きたときや、その逆に美しい雲が現れたり、 甲羅に北斗七星のような模様がある珍しい亀が見つかるといった良いことがあったときなど、いろいろな理由で元号が変わっていたのです。

 江戸時代に庶民の暮らしは、時間を測る尺度に丑三つ時などと、主に干支(12年×5=60年で一巡)を使っていました。ちなみに、最初の「大化」は、4年8カ月。次の「白雉」も4年8カ月、「朱鳥」6カ月、「大宝」3年1カ月、「慶雲」3年7カ月です。 最後の江戸時代末は、「万延」11カ月、「文久」2年11カ月、「元治」1年1カ月、「慶応」3年5か月です。このように頻繁に変わる時代名であり、その習慣は江戸時代に終わりました。

 一方、天皇という中国にならった呼び名についても、天武(673年)が最初であり、平安初期の村上天皇までで、その後は800年間もの間「天皇」と呼ばれる存在はいませんでした。天皇と呼ばれた一族は、実権を失い、京都のローカル王にすぎなくなったのです。この「天皇」という呼び名の復活は、江戸時代後期の光格天皇まで待たねばなりません。

 しかし、今日でも、帝(みかど)、今上(きんじょう)などと呼称されるのは、明治維新による統制のままです。明治政府の方針(日本の歴史≠天皇の歴史ではないのに)に今も従っているので、それほど戦後の新憲法の制定に、国体を護りたいという強い意識が国家の中枢にあったとみえます。明治からは、一世一元という新しい元号制度=天皇と元号を結び付けて、近代天皇制と呼ばれる天皇中心主義国家のシンボルとし、江戸265年間の武士たちが携えた刀や頭髪、かみしもを捨てさせるために強固に推進してきた訳です。明治の頃には、それまでの身分制度を拝して、皇族、華族、平民の身分に分けられました。この平民の中で、女性には一切の権利がなく、男女は席を同じくせずが厳しくされ、男性は徴兵義務と同時に選挙権が与えられました。こうした、時代の変革期に一世一元の元号を使用させることで、日々、自然に天皇という存在を神に崇めて意識させるのが、明治新政府の思想統制でした。

 大化から慶応まで1200年あまりの日本の伝統や歴史の積み重ねの上に、明治維新後の新政府が国家宗教ともいえる国体思想を形作り、廃仏毀釈も凄まじく、村の鎮守の森の社にすらも目を光らせて、大きく日本社会に近代化を迫って、脱亜入欧と共に天皇の赤子である男児に「君のために死ぬ」名誉を浸透させたり、今なおそれらの呪縛をもち続ける部分もあるのですから、権力・オーソリティー側の意図をウオッチして支配される構図になる歴史が繰り返すなどならぬよう、世界のパワーバランスにも注意して海外ニュースをみるべきです。

多分に、女性の側は、ごくわずかの一部の例外を除いて権利構造からはずされ、支配される側になりやすいです。それは、やはり妊娠・出産の事情が生じるので、不利が生じるのではないかと海津にいなは考えます(放送大学にて論文上梓)。そのため、女性たちは平和および性差を越えた平等を希求する共通項を持つ。女性の学者、経営者、政治家、弁護士、医師が増えていくと自ずと政治的、歴史的タブーが解かれていくようになるのではと、海津にいなは女性学の進展に期待しているのです。
posted by Nina at 16:03| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月15日

光復節/「祖国解放」の日=終戦記念日≠敗戦記念日

Wikipediaの便利さについて教えてくれたのは米国の大学を卒業していた娘からだったように記憶する。それは、日本語のみならず、同項目について、英語でも、ハングル、中国語でも対応している無料encyclopediaだった。大学の授業で百科事典に書いてありましたでは頂けないと言われたものだが、今や教授でも瞬時に対応するWikiやWebで情報をスキャンする時代になってしまった。つまり、文字の読め人なら、スマホ片手に世界の歴史情報も、ある程度の理解をすることが可能というわけだ。そこで、日韓のメディアが報道する現状を見直してみると、これは大学教育を受けている朝鮮人であれば、日韓併合後から離脱までの状況が察しがつくというわけだ。

大韓民国(韓国)では「朝鮮が日本から主権(独立)を取り戻した日」を1945年8月15日と認識し、光復節と呼んでいる。しかし、実際に朝鮮人が独立国家で主権を行使できるようになるまでには、連合国の占領行政下で3年にわたる紆余曲折があった。大韓民国政府政府が「国民の祝日に関する法律」で8月15日を「光復節」という名で祝日に指定したのは1949年10月1日である。その後、「光復」・「光復節」が韓国における公式名称となったのは、 1994年3月に金泳三大統領が大統領令14185号(光復50周年記念事業委員会規則)を制定してからである。

また、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)では、「光復」という単語を用いず「祖国解放」と表現し、朝鮮が日本の統治から離脱した出来事について、史実は宗主国日本の戦争敗北によるソ連軍の占領によってもたらされたわけであるが、「金日成が抗日革命闘争を勝利へ導くことでもたらされた偉業」としている。

それまでの朝鮮半島は、韓国併合(1910年)以来、大日本帝国(朝鮮総督府)の統治下にあった。それが、1945年8月15日、連合国の発したポツダム宣言を日本が受諾し、降伏することが発表(玉音放送)されると、朝鮮人にとって、朝鮮の日本による統治からの解放(「光復」)が確実となった。同日、朝鮮総督府政務総監の遠藤柳作と、朝鮮独立回復運動家の呂運亨との会談がもたれ、日本側からの条件では日本人の安全および財産保全、朝鮮側からは政治犯釈放や食糧確保条件がだされ、行政権を朝鮮総督府から朝鮮側に委譲されることで合意が得られ、同日発足の朝鮮建国準備委員会に委譲されることとなった。翌日の8月16日、ラジオ放送で、行政権の委譲を発表、5千人程度の公然集会で、呂運亨が報告する。

朝鮮は民族解放の喜びに沸き立ち、各地で日章旗が降ろされ、朝鮮王朝時代からの国旗である太極旗が掲げられたと言われている。政治犯(多くが共産主義者であった)の大半が日本本土では10月10日まで釈放されなかったのに対し、朝鮮半島ではその多くが8月16日と8月17日に釈放され、8月17日には朝鮮神宮が焼き討ちされた。9月2日、日本及び連合国各国は降伏文書(休戦協定)への調印を行った。連合国側はヤルタ会談に基づき、朝鮮半島を米英華ソ4ヶ国による信託統治下におく計画を持っていたが、米ソはもともと互いの軍を朝鮮に進駐させる計画だったが、戦後処理を北緯38度線の南北で分担することなどを決めているにすぎなかった。しかし、アメリカはソ連が朝鮮全土を占領することを恐れ、急遽、北緯38度線を境に半島南半部を米軍、半島北半部をソ連軍が分割占領することでソ連と合意した。

米軍による日本本土占領やソ連軍による東欧諸国への占領に比べると、朝鮮占領については米ソとも準備が足りず、両国軍が朝鮮の内情を把握していなかったことや占領政策が一貫しなかったことは、特に主要都市であるソウルで大きな政治混乱を生む一因となった。このことは、その後の大韓民国および朝鮮民主主義人民共和国の建国による南北分断のみならず、両国内のその後の政治にまで大きな影響を及ぼすこととなった。

ソ連軍はアメリカ軍より早期に朝鮮への進駐を開始し、8月24日、咸鏡南道咸興に到着したが、朝鮮半島北側の中心都市が平壌であることを知ると平壌へ後退した。8月26日までにソ連軍は平壌進駐を完了し、ソ連側占領軍は朝鮮総督府の行政機関の存続を認めると布告したが、このことが朝鮮人の不興を買い、また実際に行政機能が失われていることを知ってこれをすぐに取り消した。これらの経緯もソ連軍の南下が早すぎ、準備不足であったこと物語っている。

ソ連軍は在ソ朝鮮人・ソ連生まれの朝鮮人を投入して占領政策を遂行しようとした。9月19日にはソ連領内に退避していた金日成(後の朝鮮民主主義人民共和国主席)ら元・満州パルチザンたちが元山に到着したが、彼らは各地に分散しすぎたり、地元の共産主義者と対立するなどして政治的主導権を得ることに失敗し、あらかじめソ連と取り決めた役割を担うことができなかった。以降、金日成の権力基盤が安定するまで38度線以北では激しい権力闘争が続いた。

9月7日、アメリカ軍がソ連に遅れて進駐を開始し、9月11日アメリカ占領軍は38度線以南で軍政を布くことを宣言した。朝鮮人は当初、日本からの解放者としてアメリカ軍の進駐を喜んだ。しかし、ソウルではすでに独立国家建設を準備する組織が誕生していたことも手伝って、アメリカが軍政を宣言したことや、朝鮮総督府が残した行政機構・警察機構及びその人員を引き続き運用したことが大きな反発を生み、ソウルの政治情勢は乱戦模様を呈した。

このようにして、米ソによる分割占領は固定化され、1948年になると、38度線以南ではアメリカによる軍政が終了し、8月15日に「大韓民国政府」の樹立が宣言され、同年9月9日、38度線以北において「朝鮮民主主義人民共和国」の建国が宣言された。これにより、朝鮮の分断国家としての歴史が始まることとなった。

^^^^^^^^^^^^^

人類の歴史は、結果的にはある合理性に基づいて発展してきた。
多数が理不尽なことから解放されたいと願えば、それは時間がかかりながらもその方向にいくという事になる。
幾多の帝国が例外なく滅びるのは、支配者が冷酷な指導者になった時に打ち倒そうとする勢力が現れるのであって、権力の世襲に冷酷な指導者が現れれば、それは終焉の日が近いとも言える。

posted by Nina at 23:00| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月14日

「気にしない」「気にならない」の境地

小林正観著 『みんなが味方になるすごい秘密』(KADOKAWA)に、次のような面白いことが書かれていた。

人間の体はものすごく面白くできているのです。 否定的な人生を送っている人、つまり首をいつも横に振っている人は病気をしやすいのです。
基本的に首を縦に振ると免疫系が強化され、首を横に振ると免疫が弱くなるようです。

だから、肯定的な人生を送る人は病気をしにくい。ですから、首を縦に振る練習をする、それも人のためではなくて自分のためです。

いちいち反論しない。
いちいちけんかをしない。
いちいち拒否をしない。
いちいち否定をしない。

それもありかなと首を縦に振って、頷いてみる人は常に元気です。
病気をしにくいみたいということです。
そのように人間の体はできているみたいです。

小林正観は、例えば、会社にいやな上司の対処法は5つあるという。

1つ目は、上司に嫌なことを言われたとき、上司が参ったというまで「説得する」「やっつける」という方法。
2つ目は、こんな上司のもとでは仕事ができないからと、「会社を辞める」という選択。
3つ目は、「我慢しつづける」。
4つ目は、「気にしない」こと。
5つ目は、「気にならない」こと。

この中で、どんな目にあっても「気にならない」というレベルは最高の境地だという。

何かを頼まれて長くやっていると、「好きだからやっているんですね?」と言われることがある。
あるいは、子どもが親の会社を継ぐ場合なども同じようなことを聞かれる。

世間では「好きなことを仕事にしなさい」という話が常識として通用している。
でも、案外、自分が好きなことには客観性を持てない。
のめり込んでしまうからだ。
その点、頼まれたことを淡々とやると、長く続けることができる。

「頼まれごと」は、天から下されたギフトのようなものだ。
神さまからの「頼まれごと」「お約束事」だとするなら、いちいち評論も評価もしないし、第一そんな不遜なことはできない。
「頼まれごと」には「はい、わかりました」とさわやかに言って、首を縦に振ることが人生の正解なようだ。
posted by Nina at 00:00| 千葉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月13日

ギグエコノミー(非正規雇用)の問題点

スタンフォード大学・ジェフリー・フェファー教授の研究によると、「時給制」は人の心をむしばむ可能性を示した。雇用主が「時は金なり」思考をやわらげ、正規雇用者でなくとも、時給ベースではない制度に切り替えることを検討してもよいのではと提案する。「われわれはまったく健康的ではない、非常に過密なスケジュールの元に暮らしていますが、中でも、自分の時間の『金銭的価値』を常に考えている状態は、決していいことではありません」と言う。「時は金なり」グループのコルチゾール値は25%近くも高く、実験中に2度の休憩を与えられて芸術を鑑賞したり音楽を聴いたりすることが許されている間にも、あまり楽しいと感じていないようだったのだ。

自分の時間の経済的価値を強く自覚している人(「時は金なり」と考える人)は一般的に、それほど強く認識していない人と比べて心理的ストレスをより感じやすく、ストレスの生理学的指標であるストレスホルモン、コルチゾールの分泌が高くなるという。

また、ボストン・カレッジのM・キャスリーン・ケイヴニーによる研究 「1分あたりいくら稼いでいるか」を意識して仕事をさせるとどのような影響がでるかで、高収入と職業的名声を享受している弁護士の多くが、自分のキャリアに満足しておらず、ときにはその職業を棄ててしまう理由を調べた。結論は、弁護士はしばしばクライアントに、「相談1時間あたりいくら」といった課金の仕方をするが、そのように時間を「支払い請求可能な単位」として測られる彼らが、時計を極端に意識しているから、だった。 彼らは友人と食事をしているときや子どものサッカーの試合でコーチをしているときなど、仕事をしていないときにも、その同じ時間にもし仕事をしていたら、と考え、どれだけの収入を「犠牲にしているか」と考えてしまうのだ。

非正規労働者が単発で仕事を請け負ういわゆる「ギグエコノミー」の隆盛を考えると、今回の実験結果はとりわけ悩ましいと言う。「ギグエコノミーがもたらすストレス誘発的な側面は、人類全体の健康に影響を与える可能性がある」と研究では結論づけている。

「現代では多くの人が常に、自分の時間の経済的価値を計算している。そしてどの調査結果を見ても、時間と金額を関連づけて考える人は、人生を楽しめていないことがわかります。彼らには忍耐力がなくなり、音楽や沈む夕陽を楽しむことができない。子どもにサッカーを教える時間が『収入いくら分』になるかを計算しても幸せにはなれない」

ちなみに今回の研究では、ギリシャのイカリア島の住民があまり時計を気にしない、非常に長生きしている、という結果も出た。

参照:Forbes
posted by Nina at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月12日

シティアの投票率が高いわけ

さて、沼南と合併したた柏市議選(定数36)は8月4日投開票され、議会の態勢が決まりました。沼南地区候補者はめっきり減りました。選挙で当選を勝ち得るには投票数ですから、沼南町のみで闘っていた町議たちが当選するのが難しくなっていたという事でしょう。今回の投票率は34・22%で、過去最も低かった前回(35・25%)を1・03ポイント下回り、過去最低を更新でした。

 前月21日には参院選の投開票され、投票率は過去二番目の低さだったと東京新聞(7/30)は次のような報道していました。

・・・・・・・・・・・・

 低投票率は議会制民主主義の基盤を崩しかねない。安倍晋三首相(自民党総裁)は参院選を受けて「国民の皆さまから力強い信任をいただいた」と語ったが、全有権者に占める得票割合を示す「絶対得票率」は選挙区で18・9%と二割を切った。力強い信任と胸を張れまい。

投票率を上げる即効薬はなく、対応を地道に積み重ねることが必要だ。なぜ有権者の半数以上が棄権したのか。「政策が分かりにくい」「投票しても結果は変わらない」「政治に期待していない」などの理由が挙がる。「政治不信」のひと言では片付けられない、さまざまな要因が重なり合った結果だろう。

 今回参院選の投票率は選挙区48・80%、比例代表48・79%。選挙区では前回2016年の54・70%を下回り、1995年の44・52%に次ぐ低さだった。投票率は、投票を強いる独裁国家や棄権に罰則を科す義務投票の採用国で高い。投票率の低さは必ずしも悪いと言えないのかもしれないが、多くの有権者に支持されていない代表が、その地位の正当性を堂々と主張できるだろうか。

 憲法前文は「国政は、国民の厳粛な信託による」と明記する。
 
 低投票率の責任はまず、政治家側にある。有権者に分かりやすく政策や主張を伝えられたか。国会論戦は政治への期待に応えるものだったか。与野党ともに自らの言動を振り返り、反省すべきだ。

 有権者が投票しやすい制度を整えることも必要だ。期日前投票は定着したが、投票可能な場所は限られ、使い勝手がいいとは言い難い。駅や商業施設、大学などへの投票所設置も進めるべきだろう。

 十八、十九歳の投票率は31・33%と十八歳選挙権が始まった一六年参院選より約15ポイント低下した。未来を担う若者の低投票率はより深刻だ。政治への参加意識をどう高めるのか、教育現場で議論を深めることも必要だろう。そもそも選挙権は先人たちが勝ち取ってきた貴重な権利である。暮らしをより良くするには、一票一票の積み重ねが必要だ。自分が投票しなくても大丈夫だろう、という「政治過信」は、政治を誤った方向に進ませかねない。人口減少で投票所が減り、投票時間の短縮箇所も増えた。投票所への移動が困難な高齢者らを支援する自治体もあるが、投票機会を確保し、多くの民意をすくい上げる工夫も続けるべきである。

・・・・・・・・・・・・・・・・

我孫子市内では、常に高い投票率のなるのがシティア投票所があげられます。
そこで、参議院選挙投票日に様子を見にいってみました。
なるほど、なにか、入ってみたくなる雰囲気の投票所の入り口です。

DCIM0032.JPG

投票所の周辺も素敵です
DCIM0034.JPG  DCIM0033.JPG

ショッピングプラザに面した大通りの方から続くアプローチには、景観の評価「まちなみ八景」に選ばれています。
シティアの園芸クラブの皆さんが思いをこらした花壇が続いていって、とても癒されます。過去に近い所にアンジェリカ保育が投票所になっていましたが、なぜかそちらは投票率が低かったので、投票所まで歩いていく周辺環境も大事なのでしょうか、改めて調査してみてなにやらそんな感想を持ちました。

DCIM0036.JPG

 




posted by Nina at 22:48| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月11日

「緑の賞」、緑を大切にする街が生き残る

ヨーロッパでは、各国が「ぜひ受賞したい」と思っている「緑の賞」がある。 欧州にある都市にとっては「喉から手が出るほど」欲しいタイトルともいわれる。 環境・気候変動対策で、優秀な自治体に贈られるものだ。

ヨーロッパの「緑の街」の代表として、以下の指標で評価される。
•交通・移動手段
•都市緑化
•気候変動対策
•騒音
•ゴミ処理
•自然と生物の多様性
•大気の質
•水質
•エコ関連のイノベーションと持続可能な雇用
•自治体の環境管理
•エネルギーの使用効率

各国の自治体が参加可能なので、競争率は高い。
•最初の年に受賞したのは、スウェーデンのストックホルム(2010年)
•2014年に受賞したのはデンマークのコペンハーゲン
•2019年はノルウェーのオスロ
•2020年はポルトガルのリスボン

そして、つい先月(21日)に、オスロでは2021年の受賞国が発表されるセレモニーが開催された。
2021年の「緑の首都」はフィンランドのラフティ!
フィンランドのラフティが受賞した理由には、これまでの都市開発の功績、大気汚染改善などがあげられる。
市民の99%が緑地から300メートル以内で生活。スキー、釣り、ベリーやキノコ狩りなどの自然活動が、市民の日常に溶け込んでいることも評価された。2021年、環境対策のアンバサダーとして、ラフティは自分たちの活動を各国にお披露目することになる。

自治体や政治家の手腕PRには最高なので、欧州都市が「緑の賞」を熱望するということで、欧州の国が受賞してきた。
この欧州グリーン首都賞(European Green Capital Award)は、EUの欧州委員会環境局によって授与されるが、日本では知られていない賞。
このような賞が受賞できる街になれれば、我孫子市も本当に「地上で一番美しいところの一つだ」(柳宗悦)という証明になるのだが。

posted by Nina at 00:00| 千葉 🌁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月10日

なつぞら

お盆の帰省、夏休み真っただ中ですね。
海津にいなは、8月に夏の北海道に行ってきました。

今、朝ドラ「なつぞら」の舞台が北海道の十勝の牧場です
やっぱり、朝ドラ、大河ドラマと共に注目されます・・・・が、
今回の大河「いだてん」は視聴率ではイマイチのままで残念です。
せめて、我孫子市内では視聴者が増えているならいいのですが。

北海道七飯町(大沼国定公園)には「千の風になって」を生んだ地であると、知られるようになって、この曲の作詞、作曲を行った新井満氏を招いて、氏の創作意欲の源泉になった大沼べりに、2008年に新井夫妻に同席のもとで記念モニュメント設置の除幕式をおこなった。新井満氏は2000年ごろに、北海道大沼国定公園の静かな美しい大自然の中に別荘を建て、この曲を作詩・作曲、Youtubeで新井氏の歌声が映像と共に鑑賞できる。↓



実は、この曲の原詩には"Do not stand at my grave and weep" (原作者はメアリー・エリザベス・フライだと伝えられるが、完全な創作か、それともさらに起源を遡れるものかは、様々な説がある。2004年9月15日98歳で死去)があって、人伝いで広まり、世界中で語り継がれることになったとされる。新井氏が、2001年にアメリカ合衆国発祥とされるこの詩を訳し、曲を付けた。2003(平成15)年に写真詩集『千の風になって』を発表し、自らが歌った同名のCDを発表したのがこの曲の世に出た最初で、その後、多数の歌手が カバーして、英語での歌もYOUTUBEに紹介されている。特に、2006年のNHK『紅白歌合戦』で秋川雅史氏が歌ったことで俄然注目され、CDの売り上げは100万枚を超えたといわれる。

ちなみに、秋川雅史氏の出身地である愛媛県西条市や、新井満氏の出身地(新潟市)も『千の風になって』の「ゆかりの地」として名乗りを上げており、3市はそれぞれ連携して街おこしに取り組んでいる。




posted by Nina at 13:46| 千葉 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月09日

嘉納治五郎・東京オリンピックの祖 記念銅像建立の募金

我孫子市が「文化都市」と呼ばれるのは、大正時代に柳宗悦、 志賀直哉、武者小路実篤など「白樺派」の主だった文人が住ん だからですが、最初(明治 44 年)に我孫子に別荘を持ったのは 嘉納治五郎でした。嘉納の勧めで甥の柳宗悦は別荘の隣りに住 み、志賀たちを呼び寄せました。その意味でも我孫子にとって 「大事な人」です。

 2020 東京オリンピックの年、我孫子を聖火ランナーが走りま す。それは嘉納治五郎生誕 160 年にあたります。嘉納が初代 IOC 委員となり、東洋人としてオリンピックに初参加する金栗四三 (当時マラソンの世界記録)らを養成、箱根駅伝を創設する過 程は NHK 大河ドラマ『いだてん』に描かれています。一方、 英語の達人でもあった嘉納は、国際社会に訴えて、東京誘致を 成功させた「日本オリンピックの父」でもあります。 偉大な功績を挙げた嘉納治五郎と我孫子市の関係を市民に広 く知って貰い、嘉納が手賀沼の景色を愛し過ごしたことを誇り と考え永く歴史に留めるため別荘跡地に銅像を建てます。 是非ご協力いただきますよう、心よりお願い申し上げます。

≪募金の目標額≫ 900万円

募金の詳細は下記をクリック ↓

嘉納治五郎像建立.pdf
posted by Nina at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月08日

反日・嫌韓は無意味

安倍政府が韓国をホワイト国リストから除外して文在寅大統領が正面対抗を明らかにした。韓日関係がどこまで悪化するか分からない状況だ。最近韓日政府の話や行動を見ると、過去見たことがないほど激しくなっている。

仏陀の五蘊(ごうん)説によると、「私」という人格は身体(色)・感じと感情(受)・考え(想)・意志(行)・意識(識)など5つの要素(五蘊)の結合体だ。人が生まれて身体と心が成長すれば五蘊も増加する。楽しい感じと不快な感じを誘発する対象が増え、楽しみは渇望に、不快感は敵対感と怒りに変わる。仏陀は過剰な五蘊を鋭く批判し、一つひとつを悪魔・障害物・でき物と呼んで「すぐに観察せよ」と説明した。 時には渇望と敵対感は強くなり不満も多くなる。それでもわれわれは世を捨てることが難しい。個人的な欲のためでもあり、政治が蛇のとぐろのようにわれわれをぐるぐると巻いているためだ。過剰の度合いを減らす道しかない。

個人の感情過剰も問題だが、集団の感情過剰はさらに大きな問題だ。集団感情は激しい集団利己主義(tribalism)からやってくる。今日世界の所々で政治理念や民族により組分けして対抗し、さらには敵意と怒りを表わして葛藤する集団利己主義が大半を占める。反日感情もそのような事例だ。反日感情を持って生まれる韓国人はいない。文化と教育・言論がそれを助長する。一度集団的な反日感情が起きればそれを瞑想を通じて観察することも難しく、結果を冷静に問い詰めることも難しい。集団感情に狂気が加われば心理的・物理的なテロをもたらしかねない。

現在の反日感情は韓国大法院(最高裁)の強制徴用賠償判決が招いた日本の経済報復措置によって起こされた側面が強い。韓国司法府の判断と粗末な外交政策に関わったものだが、韓国政府の要人や一部メディアは国民の反日感情を刺激している。これは無能さと無責任を隠そうとするもう一つの無責任な行為だ。

反日感情は節制しなければならない。ここには2つの利点がある。一つ目は日本人の反韓感情を和らげることができる。そうではなければ、日本人も反日感情に対して反韓感情や嫌韓・不信で対抗するだろう。柳成龍(リュ・ソンニョン)は『懲ヒ録』の冒頭で「願わくはわが国は日本との和平を失わないでほしい」という15世紀最高の外交官・申叔舟(シン・スクジュ)の遺言に言及した。

二つ目は韓国社会内部の怒りや憎しみを減らす。「韓日関係の改善のために外交力を発揮せよ」という人を土着倭寇だと追い立てるのは低級な陣営論理で、韓国社会を分裂させるだけだ。日本との和平を主張した柳成龍が土着倭寇第1号ということなのか? 彼は壬辰倭乱の惨禍を目撃して和平が生存のためにどれだけ重要なのかを骨身に染みるほど感じただけだ。チョ・グク前青瓦台(チョンワデ、大統領府)民情首席の「竹槍歌」云々などは反日感情をそそのかしてわれわれの冷静な判断を阻害する。万一、反日世論と外交的に誤った判断のせいで韓日米安保体制に回復し難い亀裂が生じれば自由民主主義である韓国の運命は危うくなるだろう。 

これ以上反日感情や敵対感を扇動してはならない。わが社会にあふれているのがそのような否定的な感情で、これが解放されて人をオオカミのように荒っぽくさせている。韓日葛藤で怒りと敵対感を自制して卓越した計算力を発揮し、われわれが勝てば良いことで、両国がともに勝てばさらに良いことだ。共に民主党の李海チャン(イ・ヘチャン)代表の発言のように、日本は「離れることのできない隣国」であるため、感情があってもよく和らげて共存できる関係を結んでほしい。

ホ・ウソン/慶煕(キョンヒ)大学非暴力研究所長
posted by Nina at 04:08| 千葉 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月07日

嫌いばかりじゃない

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190806-00010000-bfjc-sci&p=3では、日韓の現状を残念に思って、政治家がつばぜり合いを続けるばかりなのではなく、良い時代をつくる人々の声をつなげようとツイートしている人がいると伝えている。

こちらは、韓国に旅行した際に、何度も道行く人に助けられたから、日本で恩返しをしているという日本人女性のツイートだ。

「日本で困ってる韓国の人がいたら人助けする様にしてる、私が沢山助けてもらったから道案内した女の子達と忘れもしない『韓国と日本は色々あるけど、私達は仲良くしようね』って話たのはずっと大事にしてる。政治は関係ない私はわたしを成長させてくれた韓国が好き」

日本旅行中に迷っていた20代の女性を道案内した際に言われた「韓国と日本は色々あるけど、私達は仲良くしようね」という言葉はずっと心に残っているという。
2つのハッシュタグを使ってツイートしている大半の人たちは、お互いの国のアイドルなどの音楽・文化が好きだったり、旅行をよくしている人たちだ。一方で現実では、毎日冷え込む日韓関係についての報道がなされ、歴史問題や領土問題も大きな課題として残っている。

両国の良いところ、良い思い出ばかりが連なるTwitterを見て、複雑な感情を抱いたという韓国人女性がいる。韓国在住の会社員、Namiさん(32)だ。

Namiさんは「好きです韓国」のハッシュタグで呟かれたたくさんのツイートを見て、嬉しい気持ちもある反面で「複雑な気持ちになった」という。

Namiさんは、自身を「歴史や政治を思うと、日本に対する複雑な感情を持ちながらも、日本の映画や音楽に魅力を感じて日本語の勉強を始めたごく普通の韓国の若者」と説明する。20代後半からは、関東の大学院で国際関係法を学び、留学中には、日本の友人にも多く助けられたが、差別もたくさん受けたという。

「歴史的には日本のことを許すことはなかなか難しい」と話すが、一方で「過去のことを乗り越えて、私たち新世代はこれからどうすればいいかについて話し合うことが必要だとずっと前から思っていました」とも話す。

そのような複雑な思いを8月3日に、素直に6つの連続ツイートで綴ると、反響が大きかった。日本人ユーザーにより日本語に訳したツイートも広まり、日本人ユーザーからも「正直に書いてくれてありがとう」とNamiさんの思いを理解するコメントが寄せられた。

韓国語の連続ツイートの最後に、日本語でこう呟いた。

「でも時代は変わってる。新しい道は私たちが作るべき。
#諦めないで_韓日交流」

ハッシュタグ #諦めないで_韓日交流は、多くのユーザーの理解を得て、未来志向の日韓関係に対する思いが綴られている。

Namiさんはこう語る。

「こんな時こそ今まではできなかったより深い交流に力を入れれば、また新しい時代が来るのではないかと思います。そんな時代を生きてる両国の我々が作るには、やはり文化交流しかないのではないかと思いました。これが #諦めないで韓日交流を書いた理由です」

posted by Nina at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
カテゴリ
日記(3194)
ニオュ(0)
歴史(0)
chiba(60)