2018年08月21日

グローバルな観点で地域の再生

昨年、日本は出生数が95万人を切り、人口の自然減も39万人超となっているということが言われ、それは、一つならずも町がなくなったことになります。
このところ、テレビでは国内の景勝地を案内する番組や近郊の散歩に相応しい所を案内していたのが、最近は、道も見つけにくい場所を辿る「こんな所に一軒家」なる番組も出てきて、そこでは長閑に明るい笑顔で暮らしているご高齢のご夫婦を紹介して、興味深いものです。

一方で、昨年在留外国人数は247万人になり、全人口の1.9%で推移しています。
外国人労働者も127万人になりました。

最近コンビニでは、東南アジアのアルバイト生しか見なくなりました。
日本の人口の自然減、高齢化、労働力不足を代替するマンパワーになっています。
留学生や技能実習生の実態は形を変えたで稼ぎになっているケースも多く
しかし、その受入れ体制や制度には、多くの課題が残っています。

そこで、政府が経済財政運営指針の「骨太方針」で人手不足が深刻な分野で、外国人の就労を大幅に認める方針を出しました。
外国人労働者受入れの、本格的なスタートに立ちました。

そして、今年はハワイ日系移民150周年にあたります。
明治元年に約150名の移民が日本からハワイに行き、今では日系5世までいてハワイ全人口の2割弱を占めています。
日本は、観光インバウンド、まちづくり等の地域活性化策を行っていく一方で、外国人の流入に対処しながら
日本人ばかりの社会構成ではない、ハワイ型の社会作りも考える必要もありそうです。
我孫子は、東葛エリアでは HULAダンス人口の多いファミリーな人気地ですから、ここから何かが始められるような気がします。
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2018年08月20日

楽観主義は意思によるものである

日本の人口は、2008年の1.28億人をピークに減少しています。
社会全体の高齢化も進み、高齢者人口がピークになるのもこの頃で、ちょうど団塊ジュニア世代が高齢者となるのが2040年頃です。 高齢者人口がピークを迎える2040年頃には総人口は毎年100万人近く減少、1.11億人になることが予想されています。多くの市区町村の人口が2040年までに2割、3割減少することが予想されています。総務省のホームページでもみることができます。人口資料は、市区町村別の人口増減率の表のページ数9~11ですから、チェックしてみてください。

こうした人口構造の変化に対応した自治体行政のあり方が検討され始めているのですが、まさに未曽有の対応をせまられて、対応策は今後の課題です。
そうした中で、人口の増加が予想されているのは、川崎市、つくば市、港区、江東区など、ほんの一部の市区町村だけです。
人口が減少することで、出生率、労働力の低下、高齢者への対応ばかりが懸念されるが、そんな時思い出されるのが 「悲観主義は幼稚であり、楽観主義は大人のふるまいとも言える」と言ったのは、『幸福論』を書いたアランです。

『幸福論』で知られるアラン(本名はエミール・シャルチエ)は、パリの名門校などフランス各地の高校で、哲学の1教師として生涯を貫いた人物。高校教師でありながら社会的な事件に対して積極的に発言し、政治活動や講演活動にも参加しました。新聞への寄稿も精力的に行い、連載した文章は膨大な数に及びます。『幸福論』は、第1次世界大戦前後に執筆した文章のなかから、「幸福」をテーマとしたものを集めて編纂した書でした。93編のプロポ(断章)と呼ばれる、短くて独立したコラム的な形式で書かれているのが特徴です。形式の斬新さだけではなく、内容も難解で観念的な哲学書とは異なり、平易な言葉で書かれた思索の本となっています。日常生活の具体的な事柄を例に幸福になるための指針やヒントが語られていると、多くの読者に親しまれています。

 女性のチカラが発揮されるよう、社会改革が進行中です。男は仕事、女は家庭という男女役割でがんじがらめであった時代を乗り越えると、出生率も多少とも上向く気がします。「楽観主義は意思による」「悲観主義は気分による」、と考えると、まだまだ考えると方策が出てきそうです。つづき
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2018年08月19日

週末のご馳走!?

朝食は、つくし野の「新鮮市場」で購入したズッキーニをグリル焼き、「あびこん」で購入したニンジンをピクルスなどと、残りご飯をカレーピラフ風にして、お取り寄せの乳酸菌いり青汁のシェイクでした。ワイン、酢、庭で積んできた月桂樹の葉などで入れたピクルス液に、キュウリ、カリフラワー、ニンジンなどを一口大に切って漬け込み、コリコリと歯ごたえよく食べるのが、暑い季節には嬉しいです。小さな陶器のお猪口で切り落としたニンジンの葉が生える部分を水栽培して、新芽の緑が出てくるのを楽しみつつ、3−5p位伸びては、つまんで食べたり、または刻んでパセリのようにして、カレーピラフのトッピングに使ったりすると、なんだかビタミン、ミネラルが取れた感があってお得感、二度楽しめます。

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夕方は、近所を散歩がてらつくし野界隈を歩き、「シャンティーイ」まで行きました。初孫の誕生以来、毎月なにやら母子で泊りに来るので、ケータリングが定番でしたが、お店で食べるのは、やはり出来立てで一段と”美味い!” ディナータイムに、お店まで来てワインを飲みながらというのは初めてだったかもしれないと、なんだか新鮮な気分でした。

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2018年08月18日

韓国国民はクールな反応、初の「慰安婦の日」

韓国で今年から国家記念日となった「慰安婦の日」(8月14日)は、想像以上に騒ぎにならなかった。日本政府やメディアの間には事前に警戒感があり、日本の反応を肌で知る在京韓国大使館にも心配する声が強かったのだが、韓国国民の反応はクールだったと言えるだろう。韓国側の言動には日本側が過剰反応する恐れはあるだろうと考えていた。だが、そうした心配も今年は当たらなかったようだ。韓国内では、朝鮮戦争後に、韓国兵はベトナム戦争にも派遣されて、そこでベトナム女性をレイプ、虐待したという事実があって、ベトナム人が抗議の記念碑を設置してこれに対する運動をおこしているというのが知られるようになってきたこともある。聖人と野獣というのではなく、哀しいかな、戦争という状況は兵士を野獣に変貌させていくのが世界で起きていた、そういうことが知られてこなかったのだという事実にも気が付き始めた。

 ただし、日韓関係に大きな影響を与える問題について韓国側が軽く考え、日本側が過剰反応する構図がなくなったわけではない。その典型が慰安婦問題である。慰安婦問題に対する関心は今や、韓国より日本の方が高い。日本のことを知らない韓国の政府当局者やメディア関係者にそう言うと必死に否定するけれど、そうした反論は「被害者である韓国の方が強い思いを持っていて当然だ」という思い込みから出ているものにすぎない。日韓の状況をきちんと比較して反論してくる人には会ったことがない。

 韓国世論に絶大な影響力を持っていると言われることの多い「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯(正義連、旧韓国挺身隊問題対策協議会=挺対協)」にしても、実態以上に評価されている面がある。この団体は今年初め、青瓦台(大統領府)サイトのシステムを使って電子署名集めをしたのだが、結果は30日間で20万人という目標を大きく下回った。団体幹部は「平昌冬季五輪の期間中だったから大々的な署名集めをしなかった」と釈明したが、集まったのは、1919人だったのである(署名集めの経緯については毎日新聞サイト「政治プレミア」のコラム「挺対協は過大評価されていないか」https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20180727/pol/00m/010/004000d で詳しく紹介した)。

 その結果もあるのだろうか「慰安婦の日」の式典では文在寅大統領が演説で、2015年の日韓合意に直接は言及せずに「この問題が韓日間の外交紛争につながることを望まない」と語った。むしろ、「慰安婦問題は韓日間の歴史問題にとどまらず、人類の普遍的な女性の人権の問題だ」「私たち自身と、日本を含む全世界が反省し、二度と繰り返さないという教訓にすることで、初めて解決できる」と訴えた。不可逆的に、未来に向けてとの合意を、文大統領が結果的に踏襲していた事になった。国民の感情を煽ることも、国際社会の認識が韓国政府寄りになることもないとの状況になりつつある。また、これまで韓国国民が過去の事実としての慰安婦問題を知ったうえで、且つ日本政府が、韓国に国家賠償をまったくしていこなかったという、軍政政権の朴政権時代からの刷り込みも単に鵜呑みをするのでもなくなったということだろうか。

 日韓合意ですべて解決したとは言えないものの、この夏にあっては、北朝鮮との国交問題が浮上して、新たな歴史認識が始まっている最中に、日本に対して辛辣に再交渉を求めるようなことはしない、従来の姿勢を改めた形で強烈に触れないという事を示した。この問題を荒げる形で深く立ち入る考えを持っていないことの再確認だとも言える。

 日本の新聞の中には「国内の求心力維持に『歴史カード』を使い続ける姿勢を改めて鮮明にした」と評価するものがあったけれど、これは的外れである。むしろ、韓国社会における日本への憎悪感が低下、それを国民の感情を揺さぶるのに政権をまとめる求心力として利用する程の効果を対日外交に期待するのは難しくなっているからだ。

 そうしたことから、今年に初めて国家記念日「慰安婦の日」であったが、韓国メディアも文大統領の演説を報じたものの、ほとんどの新聞は5面や6面で取り上げた程度だった。慰安婦問題に熱心な進歩系紙「ハンギョレ新聞」でさえも、社説で取り上げた主要紙はゼロだったのであった。


参照:WEDGE Infinity(8月17日)

つづき
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2018年08月17日

反対メディアは The enemy of the people?!

 有力紙ボストン・グローブの論説委員室が呼びかけた、トランプ大統領への報道の自由を訴えは、一斉社説の取り組みになって、同社によると、週刊紙など今後の掲載も含めて400紙以上が賛同しているという。自らに批判的なメディアを「国民の敵(The enemy of the people)」と執拗(しつよう)に攻撃するトランプ米大統領に対抗しようとアピールして、広がりをみせている。

 「報道の自由」を共通のテーマとして、各社がそれぞれ書いた。ボストン・グローブ紙は「記者は敵ではない」と題し、「自由な報道機関を国営メディアに置き換えるのが、あらゆる腐敗した政権がまず着手することだ」「米国の偉大さは、権力者に真実を突きつける自由な報道機関に支えられている」などと訴えた。

 同紙でオピニオンなどを扱うアイデア部のアレックス・キングスバリー副部長は朝日新聞の取材に、「各社で歩調を合わせて社説を掲げることで、米国民に対して『民主主義にとって報道の自由は大切だ』と伝えたかった」と語った。他社からの反響は大きいという。「米国の記者の多くが、メディアを敵と位置づける大統領の言動を強く警戒していることを示した」

 今回の取り組みには、地方の主要紙であるダラス・モーニング・ニュース、デンバー・ポストなどのほか、小規模な新聞も多く加わった。賛同したニューヨーク・タイムズは、「気に入らない事実を『フェイク(偽)ニュース』とするのは民主主義の源泉を脅かす。記者を『国民の敵』と呼ぶのは危険の一言に尽きる」などと記した。

 新聞各社のアピールを、米政界も後押しした。米上院は16日、「報道機関は国民の敵ではない」などとする決議を、与野党問わず全会一致で採択した。
同日明らかにした米朝首脳会談に対する立場を「今日の結果が出るまで、関心と愛情を示してくれた世界各国の指導者たちにも感謝の気持ちを伝える」ことで締めくくっただった。
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2018年08月16日

ボランティアの活躍、行方不明2歳児を無事保護

 山口県周防(すおう)大島町で12日から行方不明になっていた、2歳になったばかりの藤本理稀(よしき)ちゃん)が15日早朝6時半ごろ、同町家房の曽祖父宅付近から数百メートル北東の山中で発見、保護された。

 県警によると、理稀ちゃんは脱水症状がみられるが、目立った外傷はみられず、理稀ちゃんは母親(37)や祖母らと面会し、受け答えもできていたという。
親から離れて飲まず食わず、夜中には真っ暗になるのもへこたれず、泣きぬれて脱水症状という最悪のケースが避けられ3日目を無事に親元に戻ることができた。
 
 県警柳井署が山口県周防大島町役場を通じて行方不明の通報を受けたのは12日午前11時半。90人態勢で、理稀ちゃんが最後に目撃された曽祖父宅近くを中心に捜索。140人態勢を組んだ13日は、ため池や側溝、古井戸、空き家などに重点を置いた。ヘリコプターや、体温を感知するセンサーが付いたドローンを使い、上空からも捜した。町内の公共放送での呼びかけも利用されて、母親の申し出で「よっちゃーん、早く出てきて、お母さん待ってるよー」と何度も必至で呼びかけを続ける、母親の憔悴感も周囲に痛々しく伝わってきた。しかし、14日になって、集落の周囲のすべての山を捜索範囲に加え、数十人ずつの捜索班に山を割り振ったものの、発見現場の一帯も捜したが、手がかりは得られなかったという。

 15日早朝からボランティアで捜索に加わっていた大分県の70代の男性が、理稀ちゃんの名前を連呼しながら山中を分け入っていくと「ぼく、ここー」と返事があった。男性は、もと鮮魚店を営み、売り声が通す気合がちがったのか、ボランティアの熱意と経験から、山の上に向けて声を上げながら山中に入ると、ほどなく理稀ちゃんの反応が耳に入ったのだという。沢の近くでしゃがんでいたといい、男性が用意してきたあめ玉をあげると、かみ砕くように3つを食べたという。抱っこしようかというと頷くので、男性は理稀ちゃんを持参していたバスタオルにくるんで山を下り、途中で警察官と合流して、曽祖父宅に送り届けた。
 柳井署の道下斉亮副署長は、理稀ちゃんの年齢を考え、まずは近くの井戸など事故に巻き込まれそうな場所を中心に捜索したと説明。山中も捜したが「かなり広大で、すべての場所を綿密に見ることができたかは分からない」といい、「『一刻も早く見つけてあげたい』という一心で捜したが、結果的に見つけることができなかったのは残念」と話した。

 理稀ちゃんは12日午前10時半ごろ、祖父(66)と兄(3)と歩いて約400メートル離れた海岸に海水浴に向かったが、家を出て100メートルほどのところで、「帰る」などと言って、1人で家に戻ろうとしたという。


参照:朝日新聞8/15
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2018年08月15日

末期の戦闘、命令した上官が戦意を美化

爆弾を抱えた航空機で敵艦に体当たりをする「特攻」は、一般に「カミカゼ」と言われるが、昭和19(44)年10月25日、レイテ(フィリピン)防衛戦に投入された海軍初の「神風(しんぷう)特別攻撃隊」は、劣勢に追い込まれた日本軍の起死回生の作戦だった。
零戦に250キロ爆弾を装備して敵艦に体当たりする。日本軍の航空機と搭乗員が減る中、練習航空隊も特攻隊に組み入れられることになった。

無謀な作戦の背景には戦況の悪化はあるものの、作戦立案において「体当たりは、爆弾を落とすよりも簡単だろう」といった空戦の経験のない参謀たちが中枢を占めたことがあげられる。

 その効果に関しても当時、現場のパイロットから疑問が投げかけられていた。命中しても甲板を炎上させるだけで、大破撃沈には至らない。急降下爆撃による爆弾投下が有効と意見を呈するベテランパイロットたちに対して、しかし「命が惜しいのか」と一考されることはなかった。

 栗原俊雄著『特攻──戦争と日本人』(中公新書)によると、8月15日の敗戦までの特攻隊員の戦死者は海軍2431人、陸軍1417人(戦死者数は諸説あり)。対して、撃沈した米軍艦船は合計47隻。しかし大半が小型駆逐艦や輸送船などで、標的とした正規空母、戦艦の撃沈はゼロだ。

 戦後こうした特攻は「志願」によるものか「命令」されたものか、議論を呼んできた。


 紙切れと封筒を渡され、希望するかしないか、誰にも相談せずに書いて出せという。その場は重苦しい雰囲気に包まれた。

 当時、18歳だった。岩手県にいる母と姉、4人の妹や弟のことが気になった。一番下の弟とは12歳離れていた。2カ月ほど前に父が亡くなったばかり。体が弱い母と姉が働き、桑原さんは仕送りを続けていた。白紙で出そうかとも迷ったが「命令のままに」と書き、封筒に入れて出した。

 午後から、海軍飛行予科練習生(予科練)からの同期生で酒でも飲んで気分を変えようと、北条の町(加西市中心部)に繰り出した。「何て書いた?」。自然とそんな話になる。白紙や「希望しない」という者はいない。「半殺しに遭うもんな」と語り合った。

 「建前社会の軍隊では本音が言えず、事実上の強制だった」

      ◇

 2日後、選ばれた者が発表された。名前もあった。頭の中が真っ白になった。家庭の事情に配慮してくれるという淡い期待は裏切られ、大きな足で踏みつぶされたような圧迫感を覚えた。予科練の同期18人の中で選ばれたのは操縦技術の優れた順だった。

 燃料が足りないため、航空機には選ばれた者しか乗れず、宿舎も別になった。指名されなかった者はほっとする一方、肩身が狭い。彼らの複雑な心境をその視線から感じた。

 爆弾を投下して戦果をあげて帰還すると、上官から非難された。「なぜ死ななかったんだ」「次は必ず死んでこい」と。戦果をあげる手段だった特攻が、目的にすりかわってしまった。なんとなく人間が操縦したほうが命中率は高いように思われがちですが、それは現場を知らないからで、実際は爆弾を投下したほうが破壊力がある。だから飛行士は憤り、その愚かしさを訴えた。爆弾を落とすほうが戦果が出るのが、飛行機は揚力があるから体当たりをしようとすると減速して破壊力が落ちる。機体は軽金属で、分厚い鉄板に生卵をぶつけるようなものでしかない。

 離着陸、編隊飛行、降下。これまでしてきた訓練の中に変化もあった。降下爆撃なら、一定の高さまで降りたら操縦桿を引いて上昇するが、特攻の場合はそのまま突っ込む。

 「大地がぐっと迫ってくるのに、引いちゃいけないんだ、という緊迫感があった。『死』を完成させるため。これは大変なことだ、と思った」

自発的に編隊に加わったとの主張を続けた倉澤清忠少佐の存在は凄まじいの一言。戦後、復讐を恐れて80歳まで拳銃を持っていたという記述には唸りました。本人が自分のしたことの意味を知り、どんなに怯えていたのか分かります。同時に、インタビューのあけすけな語りに、これまた唸ります。「12、3歳から軍隊に入ってきているからマインドコントロール、洗脳しやすいわけですよ」を始めとした発言に衝撃を受けます。
 最初の特攻で米軍商船を改造した「護衛空母」に体当たりして沈没させた。防御力に劣る船だったから成功したと判断できるんだけれども、上層部は「空母」とし、“零戦1機で空母を沈めた”と喧伝することになる。そういう上層部の人たちは戦後も生き残り、特攻を美化していった。


    ■    ■
 海軍に遅れはするが同年11月12日には、陸軍初の特攻隊が出撃している。陸軍の特攻でありながら、正式な隊名を名乗れなかったという。
正式に部隊を編成するとなると、天皇の裁可が必要になる。責任が天皇に及ばないように「リーダーをもった憂国の同志集団」ということにした。海軍は天皇の裁可した軍令で編成している。

 海軍と陸軍が同時期に特攻を考え、海軍の「神風(しんぷう)」が先行した。(最初の特攻遂行後に)天皇が「そのようにまでせねばならなかったか。しかしよくやった」と言ったと記録されています。特攻では、人間魚雷の「回天」なども早くから考えられていた。しかし、軍の中枢がなぜ特攻に急速に傾いていったのかはまだ明らかにされていません。


 陸海軍ともに初期の特攻隊には、戦果を重視しベテランパイロットを投入。とくに海軍初の特攻では関行男大尉の体当たり攻撃により、米軍「護衛空母」を撃沈させたことの戦意発揚効果は大きかった。

 しかし、特攻は機とともに飛行士の命を失うもので、回数を重ねるにつれ飛行時間が少なく「離着陸がやっと」の少年飛行兵や予備学生らの若い操縦士が充てられ、ガソリンの欠乏から操縦訓練さえ満足にできないまま出撃していったという。

 若い操縦士が選ばれたのは、ベテランを「本土決戦」に残そうとした狙いもあったとされるが、選出する側が身内であるエリート士官に配慮した面が大きいとされる。古参兵のなかには「俺を選んだら許さんぞ」とすごむ者もいたといわれる。

 特攻機が不足するに及んでは、誰が見ても不向きと思われる爆撃機や練習機までも投入。整備兵をして「こんな子供たちをこんなぼろ飛行機で」と悔しがらせたほどだった。

 無謀な作戦の背景には戦況の悪化はあるものの、作戦立案において「体当たりは、爆弾を落とすよりも簡単だろう」といった空戦の経験のない参謀たちが中枢を占めたことがあげられる。

 73年前、鶉野飛行場で訓練した姫路海軍航空隊から神風特別攻撃隊「白鷺隊」として出撃した63人が命を落とした。1・2キロの滑走路が伸び、防空壕や機銃座が残る同飛行場跡を平和学習や観光などに活用しようと、市は整備を進める。


参照:週刊朝日
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2018年08月14日

計257回の公判と4.5億円超のオウム裁判費用

 オウム真理教の一連の事件で死刑が確定していた6人の死刑が執行された。教団の元代表の麻原彰晃、本名・松本智津夫元死刑囚ら7人には7月6日に刑が執行されていて、教団に対する強制捜査から23年余りがたって13人の死刑囚全員に刑が執行された。

’89年の坂本堤弁護士一家殺害事件の頃からオウム真理教の取材を続け、’94年には教団から命を狙われたジャーナリストの江川紹子氏は 「刑事事件としての真相は裁判でほぼ解明されていますし、相当の時間と経費も費やしてきました」とはなす。


 一審では、初公判から判決まで7年10か月をかけ、257回の公判が開かれた。しかも麻原には、特別に12人もの国選弁護人がつけられ、その弁護費用は4億5200万円にも上った。

「控訴審で公判が開かれずに一審での死刑判決が確定したのはおかしい、と主張している会がありますが、これは麻原の弁護人の戦略ミスで提出すべき控訴趣意書を提出しなかったためです」

「治療によって麻原に真実を語らせるべきだった」とする意見に対しても、江川氏はこう反論する。

「裁判所も拘禁反応が全くないとは言っていませんが、MRIや頭部CTなど器質的な検査も含めた精神鑑定も行い、彼自身や他の法廷での言動を細かく分析して、訴訟能力はあると判断したのです。麻原は自身の裁判では(意図的に)支離滅裂な発言を繰り返してきましたが、元部下の裁判では自分に都合の良い主張ばかりを雄弁に語っていました。とても訴訟能力がないとは思えず、仮に治療したからといって真実を語るとも思えません。同会は明らかに事実を軽視しています」

 事実を正しく伝えていなかったのは、一部文化人に限らずマスコミも同じである。

 ’93年ころまで、SPA!をはじめメディアの多くがオウム真理教を好意的に報道しており、江川氏は「とても苦々しい思いだった」と振り返る。その最たる例が『朝まで生テレビ!』(’91年放送、テレビ朝日系)での、「幸福の科学vsオウム真理教」と銘打った回だ。

「幸福の科学は教祖不在、オウム真理教は麻原を含め幹部がズラリと出席。万全の態勢で臨み、放送で麻原の弁舌を見た人の中にはオウム真理教に入信してしまった者もいます。坂本さんの事件のときは、事件現場にオウム真理教のバッジが落ちていたことを受け、当時教団の広報担当だった上祐史浩はマスコミに対し、『教団のバッジをつけて殺害に行くなんて常識的にありえない』と詭弁を披露。結果、多くの人がその言葉に騙されました。そして最近の“真相は闇の中”報道でも世論に正しく情報が伝わっているとは思えません」

【江川紹子】

オウム真理教の取材の功績が評価され、’95年に「菊池寛賞」を受賞。麻原の四女の未成年後見人を務めたことも。著書に『オウム事件はなぜ起きたか』(新風舎文庫)など多数


出典:日刊SPA8/13
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2018年08月13日

台湾で慰安婦像の設置

台湾で初めてとなる「慰安婦像」が南部・台南市の繁華街に設置されることが13日、分かった。
人権団体を名乗る「台南市慰安婦人権平等促進協会」が、野党、中国国民党の馬英九前総統の出席の下、14日に除幕式を行うとの取材案内を報道機関に送付した。馬氏は在任中、慰安婦問題で日本に謝罪を要求した。

 設置場所は国民党台南市支部の敷地内で、同支部が関与を認めた。「慰安婦像」は台湾人の作家が制作した女性像。背後に中国語、英語、日本語、韓国語で説明文の看板を設置する。看板には1937年の南京攻略後、30万人が「虐殺やレイプ」に遭ったとの記述のほか、慰安婦について人数が「20万ないし40万人」との主張や「国連人権委員会で性奴隷と認定された」との内容が記された。

 台湾には元慰安婦だと名乗り出た女性2人が生存している。しかし、元慰安婦を支援してきた人権団体「台北市婦女救援基金会」は、促進協について「詳しく知らないし連携していない」と答えた。


参照:産経新聞 8/13
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2018年08月12日

強運はお礼をいうことについてくる?!

中谷彰宏『強運になれる50の小さな習慣』(PHP出版)

用件に入る前に、お礼を忘れていないだろうか。
電話をかける時、いきなり用件から入っていませんか。
何か、お礼を言うことを忘れていませんか。

お礼は、後回しになってはいけないのです。
「こんにちは。この間のあれ、ありがとうございました」というのが、いつなんどきでも、話し始めの言葉なのです。

人は、相手に何かをあげたり、おごったりしたことはよく覚えているものです。
だからこそ、久しぶりに会った時、「先日はステキなものをいただきありがとうございました」「この間はごちそうになりました」と言われると、とてもうれしいのです。

「かけた情けは水に流し、受けた恩は石に刻む」という言葉があります。
縁を大切にする人は、どんな小さなことであっても、受けた恩をずっと覚えている。
そうすることで、縁が広がり、またいつかその縁に助けられることもある。
用件に入る前に、お礼を言うべきを思いかえす余裕をもちたい。

英語でも、マジックワードと言われるのが、Thank you だから、世界共通にお礼をいうことは人とのコミュニケーションを円滑にして、運をも開くということです。
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