2018年04月23日

近隣市で相次ぐ市長選挙

香取市の「伊能忠敬銅像建立の経緯を調査」するため、海津にいなは視察にいってきた。その週末22 日、任期満了に伴う香取市長選の投開票がされ、無所属現職の宇井成一さmm(58)が、無所属新人で元市議の伊藤友則さん(45)=自民推薦=を破り、4選を果たし4期目の市政を担う事になった。投票率は48・90%(前回49・12%)。同日は市議補選(欠員1)も投開票された。当日有権者数は6万6433人だった。

同日、市長選再選挙で市長の不在のままで注目された市長選の投開票は、無所属新人で元衆院議員の村越祐民さん(44)=立民、民進、共産、自由、社民、市民ネットワーク千葉県推薦=が、元衆院議員の田中甲(こう)さん(61)、元県議の坂下茂樹さん(43)を破り、初当選した。当日有権者数は39万1001人。投票率は昨年十一月の市長選の30・76%を3・21ポイント上回る33・97%だった。

村越さんは昨秋の市長選でも最も多い得票を獲得。市長選後も、再選挙に向け市民団体「市民に優しい市川市長を選ぶ会」や応援する議員団、労組などとともに、「野党統一候補」方式を掲げた。市内各地で街頭宣伝やミニ集会を続けるなど活動してきた。

選挙戦では「これまでのやり方では市政は変わらない。この選挙を通して市川を変えよう。市川が変われば、日本が変わるモデルになる」などと訴え、他の保守系二候補との違いを打ち出し、有権者に浸透した。

敗れた田中さんと坂下さんには、昨秋の市長選に出馬した二人がそれぞれ支援に回り、坂下さんは公明党市議団の支持も受けたが、伸び悩んだ。両陣営は相手陣営を非難する場面もあり、昨秋と同様、保守の分裂が村越さんを押し上げたとみられる。



<解説> 昨年に行われた市川市長選挙は、誰もが法定得票に届かず再選挙、選挙の無効を求める異議申し出2件が出た。そのため市長選再選挙で、村越祐民さんが初当選を果たした。村越さんは選挙戦で「野党統一候補」を前面に、他の保守系二候補との違いを強調することで、市政の変革を求める市民の票を集めた。

 昨秋の市長選では5人が立候補したが、再選挙ではうち二人が村越さん以外の他候補の支援に回るなど、選挙戦の構図は様変わりした。保守系は市長選で三つに分裂し、今回は二分裂。こうした保守系の混乱ぶりが村越さんに追い風となった。安倍晋三政権を巡る問題が相次いでいることも影響したとする陣営幹部もいる。

市長選に出馬した五人の中でも、村越さんの得票は最も多かった。 しかし、村越市政の船出とともに、立ちはだかる壁は多い。市議会では保守系が多数派を占め、まずは議会への対応が課題になる。市長選前から村越さんは、市民団体などから寄せられた市政に関するさまざまな要望を実現することを約束している。自らの公約もあり、こうした「市民との約束」をどう実現するか、手腕を問われる場面は多くなりそうだ。


参照:産経新聞


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2018年04月22日

庭は花盛り

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クリックで花は大きくなります
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2018年04月21日

リラックス入浴法、洗わなくてキレイに

入浴時に、ボディシャンプーやボディソープなどでしっかり体を洗うことは、私たちにとって長年の常識でした。それが、2007年頃から「洗浄剤を使うのは最小限にして、しっかり保湿する」というスキンケアが、医師の間でも広がり始めたことが、大きく影響しています。

究極は10分以上、好みの湯温の湯船につかるだけで洗わない ➡ 美肌を損なう洗浄時の肌への摩擦を軽減
湯船につかる ➡ ストレス発散を兼ねてリラックスできる ➡ 血行がよくなり、新陳代謝が促進される
この「リラックス入浴法」には、上記のように多くのメリットがあると分かってきました。

なぜ「つかるだけ」が却って美肌になるのか?
皮膚の汚れはほとんどが水溶性で、そうでない汚れも3〜4日すればお湯で洗い流せるので、毎日きちんと入浴(湯船だけでなくシャワーでもOK)していれば、清潔を保てるというわけです!

ニキビの出る年ごろではないのに、10−20代の頃と同じにしっかり洗い過ぎてしまうと、肌の保湿に必要な皮脂や皮膚常在菌までも落ちてしまうのです。そして、“かくれ乾燥肌 = インナードライ肌”になる可能性が・・・・それは、顔の表面がテカって皮脂が分泌されているのに、顔だけでなく体の皮膚の内側は実はカラカラに乾いている“かくれ乾燥肌”です。よく知られる脂性肌、乾燥肌、敏感肌に並ぶ肌質のひとつとされています。

こうしたインナードライ肌になる原因はいろいろありますが、そういう人が注意したいのは、表面の皮脂に気を取られるあまり、脂性肌のようなケアをしてしまうこと。しっかり洗ってスキンケアをしているのに肌の状態が安定しないと悩みを抱えている方は、試してみてはいかがでしょう。気づかないうちに、肌のテカリを取ろうとゴシゴシ洗いで失うものが多い ➡ それに対抗して表面上は皮脂が多く分泌されるが、皮膚の内側が水分を取り込みにくくなってしまう ➡ さらに内部乾燥が進んでしまう悪循環を招いている可能性があります。つかるだけ入浴法」では、そのひとつである洗い過ぎや肌への摩擦を減らせるので、肌状態が改善する場合があります。このように最近の肌の状態が気になる人ぜひ気軽に試してみてください。

ただし、さっぱりした感触で肌に成分が残りにくいシンプルな固形石けんを使うのがおすすめです
※「日本経済新聞」電信版(2014年2月2日)より
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2018年04月17日

市長選、民主主義の手続き・出直し再選挙

昨年11月26日に市川市では市長選の投開票され、法定得票数に届く候補者がなく再選挙となったことから、12月25日から市長不在が続いていた。市長選には元衆院議員や元県議ら新人5人が立候補して票が分散し、いずれも当選に必要な有効投票総数の4分の1を獲得できなかった。それぞれ一定の地盤や知名度がある候補者が市内くまなく選挙運動したにも関わらず、30・67%の低投票率であったのも一因である。

 異議申し立て期間(2週間)を経て50日以内に再選挙を行う流れに従い、市川市選挙管理委員会は再選挙を1月7日告示、14日投開票と当初予定するが、「開票作業に不自然な点があった」などとして元市議ら2人の異議申し出があった。同市は1月29日に全投票用紙を再点検、結果、3票で判定変更があったが得票順に変化はなかった。市選管は、異議に対する決定書を2月中にも作成、これに不服がなかっため再選挙の日程が確定、投票日が4月22日が決まった。もし、不服があれば、県選管の裁決を経て訴訟に持ち込まれる流れだった。過去の例を探ると1992年に7人が立候補した奈良県広陵町長選は最高裁まで争われ、町長がいない状態が約1年半続いた例がある。

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 昨年12月25日から市長の代理を務める佐藤尚美副市長は、副市長を2人体制にし、2018年度当初予算案は人件費や継続事業に絞った「骨格予算」せざるを得ない異常事態だ。複数の候補者が接戦になり、当選者が出ないケースは、首長選の再選挙は全国で6例目になる。ちなみに衆院選(小選挙区)や参院選(選挙区)の法定得票数は有効投票総数の6分の1以上だ。今後もこのようなケースがおきることは十分に考えられるので、専門家らは法定得票数の基準見直しについて提案もおきている。

 近隣市の鎌ヶ谷では7月27日の任期満了に伴う鎌ケ谷市長選(7月1日告示、8日投開票)について、12月市議会の一般質問において清水聖士市長(57)が、5 選を目指して立候補する意向だと答弁した。 これに、市議の岩波初美氏(58)が3月、無所属で立候補すると表明した。
 
参照:毎日新聞(1/27、3/24)

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2018年04月16日

歴史認識は後世に希望を託すため

 ユネスコ(国連教育科学文化機関)の執行委員会は12日、「世界の記憶」(世界記憶遺産)の制度改革に向けアズレ事務局長が提出した行動計画案に見直しを求める方針を決めたことをユネスコ筋が明らかにした。不透明な審査体制の改革は来年以降にずれ込む見通しで、2018〜19年期の新規登録は困難となった。このため昨秋、延期が決まった慰安婦関係資料の登録審査も当面、凍結される見込みとなった。

 執行委は日本など58カ国で構成し、ユネスコの運営を決める機関。協議は非公開だが、関係者によると、12日の協議ではアフリカや中南米から「拙速過ぎる」「改革過程に加盟国をもっと参加させるべきだ」などの意見が相次いだ。ユネスコ筋によると、執行委は12日、アズレ事務局長に新たな行動計画案を今年10月に提出するよう求めることで合意。世界の記憶改革で「加盟国とさらなる対話」を事務局長に促す決議案をまとめ、今会期最終日の17日に採択することになった。

協議では韓国は日程の遅れに否定的だったが、強く反対はしなかったという。日本は加盟国の関与拡大に賛成している。アズレ事務局長が今回提出した当初の行動計画案では
 (1)今年5、6月に加盟国の意見聴取
 (2)7月に包括的改革案を作成
 (3)10月に執行委で改革案の大筋合意−という流れで制度改革を目指していた。

世界の記憶改革は、登録審査が政争の場と化しているのを是正する狙いで始まった。15年には中国申請の「南京大虐殺文書」が事実関係に疑義が示されたにもかかわらず登録が決定し、その審査体制に批判が高まった。昨年10月には、日中韓の民間団体などが申請した慰安婦関係資料をめぐり、日本が懸念を示した結果、登録審査の延期が決定した。執行委は「政治的緊張の回避」をユネスコ事務局に要求していた。

登録審査は2年に1回実施。18〜19年期は本来、今年春までに申請を受け付け、19年中に登録決定する予定だったが、ユネスコは制度改革の道筋がつくまで新規申請は受理しない方針のため、実現は難しくなった。昨秋に審査延期が決まった慰安婦関係資料は申請案件として残るが、それ以外の申請はない。ユネスコの審査関係者は「アズレ事務局長から審査再開への指示はない」としている。アズレ事務局長は今月9日、執行委で演説し、「政治はユネスコの任務ではない。不適切な使われ方は問題」と述べ、世界の記憶の「政治化」是正に意欲を示していた。


出典:産経新聞 4月14日
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2018年04月15日

歴史は、先を見るために学ぶ 文化は度量を磨き、謙虚さを学ぶため

幕末のころ、土佐の檜垣清治という人が、そのころ土佐で流行していた大刀を新調し、江戸から帰ってきた坂本龍馬に見せたところ、龍馬は、「きさまはまだそんなものを差しているのか。おれのを見ろ」と言って、やさしいつくりの刀を見せました。そして、「大砲や鉄砲の世の中に、そんな大刀は無用の長物だよ」と言いました。清治は「なるほど」と気が付きました。

そこで、龍馬のと同様の刀をこしらえて、その次に帰ってきたとき見せました。すると龍馬は、「このあいだは、あの刀でたくさんだと言ったが、もう刀などは要らんよ」と言いながら、ピストルを取り出して見せたというのです。またその次に帰ったときには、「今の時勢では、人間は武術だけではいけない。学問をしなければならない。古今の歴史を読みたまえ」と勧めたということです。

さらにそのつぎに会ったときには、「面白いものがあるぞ。万国公法といって、文明国共通の法律だ。おれは今それを研究しているのだ」と語ったそうです。 清治は、「そのように龍馬にはいつも先を越されて残念だった」と人に語ったといいますが、坂本龍馬という人はいつも先々を見ていたから、そういう姿も出てきたのではないかと思われます。

そしてそういう、現状にとらわれない、絶えず先を見るというような姿は、やはり素直な心が働いているところから生まれてくるものではないでしょうか。


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2018年04月14日

米舞亭の休日

新緑に早くも変わったため、米舞亭の前でのライトアップは15日を待たず6日で終了したのだとのこと。ということで、夕方に来るつもりを早めて 米粉入りのシフォンケーキを注文して Cofee for Two、になりました。
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駐車場脇では、たい焼きならぬうな吉焼き(さくら餡、あずき、カスタードクリームの三種。各150円)を焼きながら販売していましたので、あずきのを買いました。「ローマの休日」は屋台でジェラートを買うのでしたが、「米舞亭の休日」は屋台でうな吉焼きでした!

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2018年04月13日

知られざる歴史上の日本人偉人伝

テレビをつけたら偶然「和田重次郎」というは約百年前のアラスカの探検家の軌跡について知った。戦前の日本がどういう状況であったかと言えば、白人社会の優位のなかで黄色人種は蔑視されていた、そういう時代に格段に体格差のある日本人がその不屈の精神で欧米人を凌ぐ働きをしていた。感動の実話であったが、排日機運の時代に建てられた銅像も撤去されて、まさに知る人ぞ知るになっていたという。それを郷土の歴史を調べていた校長先生が掘り起こして、和田重次郎の郷里に銅像を建て後世にも顕彰したいとの思いが市民運動になり、銅像はもちろん、胸像、歌碑をも建てるまでになったという。それはさらに劇団の演目になり、アラスカ公演も上映され、アラスカの日系人会の発意でアラスカにも銅像が建立された。さらに、和田重次郎と共にカナダまでも探検したイタリア人探検家がおり、そのフェリックス・ペドロについて研究するイタリアの研究者とも協力することになった。追記に記したが、スピルバーグのアニメ映画「バルト」は和田重次郎が開拓した雪道(トレイル)によって、後に多くの人命を救う事になった感動の実話をアニメ化したものだった。海外での評価が消えかかった日本人の再評価に繋がってきたと言える。 

        *** *** *** *** ***
和田重次郎は北極圏六千キロの探検をし、冬になると遭難者が出るアラスカで、明治後半から大正にかけて未開発地域の地図を作成するなど、和田重次郎は危険な雪道に標識を建ててユーコンのドーソンまで前人未踏の行程をただ一人犬ぞりで走行した。アラスカで知らぬものがいないほど名声を馳せました。その15年後にジフテリアで町が全滅の危機にあったが、治療のために血清が必要で、そこで和田重次郎の道を犬ぞりで移動して1万人の市民が救われたという。

それは、まるで作り話の物語のような波乱万丈そのままに、17歳のときに捕鯨船の茶箱の中に忍び込み、アメリカに密航。サンフランシスコに到着するも、北氷洋捕鯨の補給船バラエナ号で3年間をキャビン・ボーイとして過ごす。越冬のため停泊していたカナダのハーシャル島でイヌイットやその犬橇と出会い、交流を深める。3年間の越冬中重次郎は、気さくな船長から英語や航海測量技術を学び「バラエナ号」の充実した図書館にあった本はすべて読んで3年後には十分な英語能力をもつ。また、ハーシェル島で交流を深めた原住民ののイヌイット達からは犬ぞりの扱いや極地での自給自足の生活方法などを教わり、、誰もが認めるマッシャー(犬ぞり使い)になった。1894年(明治27年)、バラエナ号との契約期間を終え、サンフランシスコに戻る。報酬を日本の母に送金した後、アラスカに戻り、犬橇を駆って、狩猟で得た毛皮で交易を行う。1896年(明治29年)、日本に帰国し、3ヶ月後に再び渡米、補給船ジェニー号の乗組員として、ポイントバローに寄港。遭難していた捕鯨船ナパック号の救助にあたる。その後、乗船していたジェニー号もスミス湾上で氷に閉じ込められ、食料も尽きる頃、重次郎が犬橇隊を先導し、カリブー猟を行い、ジェニー号と補助船ニューポート号の食料を確保、乗組員の命を救う。その後、補給船の乗組員として、アラスカ各地に渡り、金鉱脈の発掘を行う。1903年(明治36年)、チェナーでの金鉱発見をいち早くドーソン・シティの新聞に伝え、アラスカ史上に名高いゴールドラッシュを引き起こす。1906年(明治39年)、米国の市民権を要請するも拒否されていた。1907(明治40年)32才、ハーシェル島から厳冬期の北極海沿岸700マイルを走りノームに戻ってきた重次郎はイーグルス・ホール竣工記念50マイルマラソンに出場し優勝し500ドルの賞金を手に入れる。 翌月もマイルレースに出場し優勝、賞金2800ドル(当時の日本円で4000円位)を得た。 (ちなみにその時代の日本の大工の日当は一日1円だった)アラスカの新聞は熱狂的に重次郎の勝利を書き立てた。

アイシー岬にある三つの原住民キャンプが銃も持たずにアザラシを捕まえ、毛皮を買い叩く白人商人には英語で交渉し、原住民達にとっては頼りになる男となり、原住民は相談してキングになることを要請した。キングとしてイヌイットの一団と毛皮を売りにノームに現れる。その際、集金した代金を全て盗まれる。重次郎が着服したとの嫌疑をかけられ、留置場に入れられるが、裁判では、二人のエスキモーの証言によって無罪放免となる。キングになった重次郎は指導力があって良いリーダだったので、夏には鯨がたくさん獲れ、キャンプには色々な獲物に恵まれ、ここで原住民の妻との間に一人娘、日米子(ヒメコ)=ヘレン・ワダ・シルベーラを授かる。1908(明治41年)33才の冬、ドウソンを主発してユーコン河を蒸気船で下り、ベーリング海に面するセント・マイケルでマラソン・レースに出場しそれからノームに出て捕鯨船に乗りハーシェル島を一巡する5000マイルのサーキットの旅を達成した後ノームに戻った。

1909年セワード商工会議所から、セワードからアイディタロット鉱山までのトレイル(雪道)の開拓を依頼され、30隊の犬ぞりを率いて氷点下60度の中、2か月かけて冬の物流ルートを重次郎が開拓した。スワードの歴史家は、和田重次郎のおかげでスワードが物流拠点となったと認めている。エスキモーをも超える2万6000マイルの犬ぞり旅行、さらに金鉱捜し、狩猟と冒険生活で名声を高め1909年9月18日付けの「ザ・シアトル・ディリー・タイムズ」の一面トップを華々しく飾った。

この後も厳冬のノームからフェアバンクス迄をブリザードに悩まされながら犬ぞりで21日で走破する新記録を出すなど19年にも及ぶアラスカ・カナダ北部の体験をすることになる。


1912年(明治45年)、タバスコ王、エドワード・マキルヘニーと組んで鉱山開発に取り組むも、日本のスパイ説が流布され、身を隠すことを余儀なくされる。その間もカナダ北部を拠点に北極圏を犬橇で走り回る。1920年(大正9年)頃には、カナダで石油探査員として活躍、石油シンジケートの代表も務める。

 1924年(大正13年)、ノームでジフテリアが大流行し、千四百余人の住民が全滅の危機にさらされるが、レオナルド・セパラと愛犬トーゴー率いる犬橇隊が、町を救うことになる。アイディタロッド・トレイル開拓時代に、重次郎が走ったトレイルを逆走して、フェアバンクスから犬橇で血清を運ぶことができ、人命を救えた。これを記念して世界最長の犬橇レース、アイディタロッド国際犬橇レースが1973年から始まる。世界一過酷な犬ぞりレースと言われる「ユーコン・クエスト」は、ホワイトホースとフェアバンクスの間約1,600キロで行われ、出発式は、毎年交互に行われるユーコン・クエストのコースは、和田重次郎が開拓したトレイルを使っている。

 和田重次郎(1875〜1937年)は松山市日の出町に暮らし、長い空白の時期を経て、2007年に故郷の地に胸像、顕彰碑がつくれた。その台座に2016年5月1日、新たな一文が刻まれた。子孫ら関係者約70人が除幕に立ち会い祝った。その前年、重次郎ゆかりの地の米アラスカ州アンカレジで重次郎の生涯を描いたミュージカルがみかん座によって上演されたことが刻まれたのだ。2016年アラスカのスワードにも重次郎銅像が建った。

つづき
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2018年04月12日

大人のいい関係

「上から目線」という言葉がある。 相手の発言や態度が上から見下ろして、モノを言っているように聞こえるときに言う言葉だ。 「偉そうに見える」、「威張っているように見える」、ということ。 上から目線でモノを言われると、たいていの人はカチンとくる。しゃれた倶楽部などは、膝を折ってしゃがんで注文を聞くスタイルをとっているところがある。苦情が圧倒的に減るし、追加の注文が増えるという。

偉そうな態度を改める一つの方法が、身を低くするということ。 言志四録の中に、「志は高く、身は低く」という言葉がある。 身は低くとは、腰を低くすることであり、謙虚な姿勢のこと。

小さな子供に話しかけるとき、立ったまま見下ろすような姿勢でしたのでは、きちんとしたコミュニケーションは成立しない。 一方的に上から下へという威圧感が、子供を無意識のうちに押さえつけているからである。
コミュニケーションは対等の足場に立ってのみ可能である、という原則が忘れられている。まず、物理的に対等な状態をつくり出さなくてはならない。

すなわち、子供に対しては膝を折って姿勢を低くして、目線の高さを同じにする。そうすると、子供に対する気持ちの持ち方も、自然に謙虚なものになる。 物理的に対等なかたちをつくれば、精神的にも対等な心理状態になれる。 子供に対して、威圧感を与えずに話すことができるようになる。そのような状況に対しては、子供は敏感に反応する。自分よりは経験深い人生の先輩が、自分のことも考えてくれながら自分に話しかけてくれていると感じる。好意を持って、大人のいうことを聞こうとする姿勢になるのである。

子供に限らず大人に対する場合でも、例えば車椅子の人と話をするときは、やはりしゃがんでからにする必要がある。講義や講演をするときは、講師は一段と高くなった壇上から話すことが多い。もちろん昔から顔が見えるようにという配慮もある。

しかし、押しつける話ではなく、人の心に訴えかける話をする場合は、講師の目線が学生や聴衆のとできるだけ同じ高さになるように配慮する。そのほうが、話の内容が聞く人の頭の中にスムーズに入っていく。それだけ理解の度合いが高まる。

人に対する場合は常に謙虚にという心掛けが重要なことは、誰でも知っている。身を低くする心構えである。
しかし、物理的に身を低くすることは、意外に忘れがちな点である。 平身低頭はいきすぎであるが、身も頭も相手と同じ高さに保って話をする「並身低頭」を肝に銘じる。そこから優しい人柄が滲み出してくる。


山崎武也
『「気の使い方」がうまい人』三笠書房




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2018年04月11日

根戸小の入学式

穏やかな日差しの中、根戸小の入学式が行われました。新入生を迎えた本年は在校生の生徒数が久々に千人を割って、952人になったそうで、千葉県一のマンモス校と言われたこともありますが、新棟を増設するなどで対応してきた時期も少し変化してきたということです。天候の変化もあり、桜はみごとに散って、新緑の陽気の続く昨今に若葉がまぶしい感でした。

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新校長は達筆を振るわれて、各来賓の宛名を書いてくださり、「青空」の文字の短冊が添えられていたのは印象的でした。なにやら、期待感の高まる学年が始まったように思いました (*^^)v

新入学のお子様、保護者のみなさまおめでとうございます。

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